仏の子供
秋 田 洪 範 作曲
沢 康 雄 作曲
藤 井 清 水 編曲
1
われらは
仏の子供なり
うれしいときも
かなしいときも
みおやのそでに
すがりなん
2
われらは
仏の子供なり
おさなきときも
おいたるときも
みおやにかわらず
つかえなん
http://www.dataeast.jp/users/lumbini/gyouji/hotoke/hotoke.htm
合唱を終えて数人でお昼を食べる。話を聞いていると同窓会に数珠とお参り袋を持参すると話される。この2つを何故同窓会に持参…と耳を疑う。よく聞くと、原爆投下前まで、私学の小学校に通われていたそうだ。通学中もこの2つを持って行ったとか。原爆により学校は消滅。それほど年齢差はなくてもこういう話を聞くのは初めてのこと。驚くことが多い。原爆は人々に色々なことをもたらしている。この記憶を将来の子供たちに出向いて話している、とその人から聞く。
原爆投下前と投下後の人々の生活。それは戦前と戦後の生まれの違いにもある。いくらお話を聞いても他人ごとの感じ。この話を聞いてお寺の幼稚園で覚えた「我らは仏の子供なり 哀しい時も嬉しい時も…」の歌を思い出す。「ご存じ?」と尋ねると知っておられない。この歌はお寺の仏教賛歌と思っていた。仏画も習っておられるので知っておられると思って聞く。ところがネットで調べると♪仏の子供♪という歌だった。
当時の園児服はお寺の名から一文字「光」をあしらった白いエプロン姿。子どものころに覚えた歌もこの2か所の歌詞だけ知っていた。
ともあれ、合唱を終えて聞く、こういったお話。一口に歌といってもいろんなことを孕んでいる。それにしても同窓会。自慢じゃないが一度も出席したことがない。小・中・高と身近なところに通っていた。このことにもよるのか、行こうという気が起らない。それでも先日のように同窓会ではないけれども半世紀ぶり、いやそれ以上であっても会いたい人もいる。会えば会ったで懐かしいし、また楽しい!
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