2015年5月9日土曜日

磯江毅の図録から

今朝は雨。それにしても今年の春はよく雨が降る。狭い庭の横には水路が流れている。子どものころはセリも生えていた。この頃、我が物顔で陣取るのはドクダミ草。この水路、悪いことばかりではなさそう。わが家の狭い庭の植木。この水路の恩恵を被るのかほとんど水をまかなくてもいい。おかげでレモンも育つ。

今年になって、日本海側に3回出掛けた。1度目は水仙を見に浜田あたりへ。2度目は米子、そして3度目は先日の角島。山陰へ出かけてあることに気付く。これは独りよがりかもしれない。それは山陰地方は出雲そばに代表されるようにそば文化だということ。広島にいるとそばといえばお好み焼きや焼きそばなどにいれる中華めんを指す。茶色い日本のそばを食べる機会は年越しそばくらいであまりない。それよりも外で麺類をいただくときは熱いうどん。山陰よりもうどん県の讃岐の影響を広島は受けているのだろうか。ふと、そう感じる。

そのためか米子でいただくそばも友だちはざるそば。冷たいものはビールを除いてあまり口にしない。どうしても温いそばになる。友だちはこれを見て不思議そうな顔に…。

そういえばいつも見ている人のブログにもそばを食すお話が多い。狭い日本といっても文化の違いは大きい。うどん文化とそば文化、これも地方色のあらわれ!?

さて昨日の美術講座。講座の内容はともかく、折よく、礒江毅の図録を購入された人がいる。その人から図録を借用。収録されている絵は美術館で実物を見ている。それよりも磯江の文に惹かれる。「真の写実を求めて」と題された文章。絵を見る目は確かでない。しかし、抽象画はちんぷんかんぷんで写実画は善し悪しが如実に絵に現れる。

今日は午後から日本画教室へ出かける。先生の絵も写実的。絵を習い始めてから常にいわれることはしっかりモノを見るように、とのことば。

絵の展覧会に出かけても、気をてらったかのような絵が多い。全くその良さがわからない。あるドイツ文学者が文化勲章をもらった画家の絵をまるで塗り絵のようだと書いていた。自分なりに誰だろう、と推測。これもある人には塗り絵、またある人には文化勲章に値する、と思われるほどの違いがある。これはどちらに軍配が上がるのかわからない。しかし、ドイツ文学者の文章が好きなのでその人の言わんとするところもわかる気がする。

ともあれ、いろんな絵がある。自分が好きであればそれが素晴らしい絵。そう思って今日の日本画、頑張ろう!

ここに付け加えて「大きな可能性を秘めるからこそ、あえて突き放す」。今朝の地元紙のスポーツ欄。悲哀を味わって這い上がってきた昨日の勝利投手。まだ若い。首脳陣の言葉がいつも厳しいと思って読んでいた。ところがそうではなく、記者の文で気づかされる。習っている先生から厳しく言われることがある。顔では何気なく笑っていても結構、心は痛むもの。今朝のこの文でそうか、と思ったり…。

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