昨日は台風の影響で泳ぎに行くことを断念。外にも出られず家で借りてきた本を読む。この本は定年後の有り余る時間を男性をターゲットにして書いている。定年より前にリストラにあい、すでにその年齢も越してしまった。だが、興味半分で読む。
男性は一般に定年後10万時間の自由な時間があるとか。女性は平均寿命が男性より長い。それよりはるかに長い年月を自由に生きることになる。以下はいつもの如く思いつくままに記そう。
『定年、そして10万時間』(上鵜瀬孝志 角川学芸出版、2010年)を読んだ。
この本の筆者は団塊世代の生まれ。この団塊世代はどの時代も知らない、すさまじい体験をしている。とにかく人数の多い時代を生きてきた。
小学校の1学級の人数は50人以上で今の30人体制とははるかに異なる。常に競争を強いられ、「君たちの一生は競争だ」といわれて育った。
この競争は勉強の面でも当てはまる。中学になると試験が終わる度に廊下に成績の順位が張り出される。だから、誰が頭がいいとか悪いとか、今でもすぐに思いだせる。
地方的な傾向かと思ったら筆者もこの本で書いている。
「中学校では各学期ごとに行われるテストの結果順位が、大きな帯状の用紙に名前と点数を書いて校舎の壁に張り出されたのです。・・・そうすると誰に勝ったか負けたかは一目瞭然ですから優越感と劣等感が入り乱れ、ライバル意識メラメラ、火花パチパチ。それが学校側の狙いだったのでしょうが、・・・」と現在だったら問題となるようなこともその当時は誰も何も言わなかった。22p
「永年にわたって潜在化されたライバル意識は還暦を迎えてもいっこうに衰えることをしりません。」23p
「団塊世代は、時代の変化を敏感にとらえ、新たな流行をうみだし、70年代・80年代の消費拡大を牽引した偉大なる消費者なのです。」32p
「いまもって好奇心だけは衰えることのない団塊世代です。」33p
だが、その世代もすでに還暦を迎え、定年後の人生をしみじみと考える年齢になった。
筆者は、その定年後の有り余る時間を1日14時間半自由になる時間とした上で、それを10万時間とする。(10万時間÷定年後の男性の平均寿命19年間÷365日=約14時間半)
定年後の“脱・会社モード”への意識構造改革として友だちの力の必要を述べる。だが、その友だちも受験戦争以来、団塊世代の専売特許で競争意識は止まらない。それを、定年を機会に止めたいという。172p
そのためには「まずもって、自分の過去は語らず、人の過去も聞かず、でもって仕事としがらみのない人づき合いを始めるといいでしょう。気軽な友人が出来ると会社モードはいつしか消えてしまい、自分もさっぱりとするはずです。」173p
そして友だちは年金だという。定年後は病気にならない手立てとして、気ままに楽しく生きることしかない。「そうした生き方でたいせつになるのが、何はなくても良き『友だち』の存在です。」208p
そして年金額を当てにできないとする筆者は「友だちは年金」という結論に至る。209p
この友だちとして“知り合い以上、親友以下”の関係性がいいらしい。その上で普段の付き合い方を4点あげている。211-212p
①決して、相手のプライベートエリアに踏み込まない。
②おカネの貸し借りはしない。
③皆で集まったとき、優劣・序列を作らない。
④誘って断られても、「そうか、今回はダメか」くらいの軽い気持ちで受けとめる。
団塊の世代はかつての学びは競争に勝つためだった。だが、これからの学び直しは、「協奏」して共に楽しみ、ついでに互いを高めあうことにある。214p
それには、この向学心を利用して社会人大学生や社会人大学院生になると、学問もさることながら、思いもよらない世界が広がるという。216p
これは経験済みなのでよくわかる。入学式に出席したことや、学生証を手にしてチョッピリ誇らしかったこと。今もその学生証は大事にとってある。そして卒業式や修了式で若い学生に混じって参列するようにとの周囲の言葉に恥ずかしさを覚え、父兄席で参列したことを。
だが、楽しいことばかりではなかった。大金を費やして大学に通うことは心身ともに大変なこと。何故、今、大学で学ぶのかと何度、自問自答したことだろう。
とはいっても自分で決めたこと。「研究会」やゼミへ出席する憧れもあった。毎日は充実していた。筆者も書いている。「サラリーマン時代には味わえなかった充実感と高揚感は、生涯学習センターや巷のカルチゃーセンターでは得られない、最高学府ならではのものです。」217p
通っていた6年間は、今、思い出してもバイタリティーに満ち溢れていた。家の用と勉学でままならない時間配分をよく切り盛りした。あの、6年間はどう思っても人生で一番充実していた時間であり、楽しい時間だった。
そして、よくも体を壊さなかったと我ながら感心する。時間がなくても睡眠時間8時間と勉強の時間3時間は確保した。今、自由な時間が有り余るほどある。何ともったいないことだろう。
その、定年後の学びを「競争」ではなく「協奏」だと筆者はいう。「すべての『学び』はこうでなくちゃいけません。」とも。218p
「できます、やります、なしとげます。団塊世代は何でもやってみようという気概が高いのです。」と筆者はこういう。210p
さらに、趣味について「趣味をもつ、あるいは趣味に興ずるということは、退屈しのぎや気分転換と言う程度ではなく、目的ある一日を創造できるのです。・・・趣味は、『思わぬ世界への入り口』なのです。日々の暮らしだけでは絶対に出会うことのない人と知り合いになれて、同時に活動の領域も間違いなく広がります。早い話、飲む相手と、飲む場所が、それまでとは違ってきます。」223p
漫画家の東海林さだおに3つのユニークをあげて日記を書くのを趣味に・・・とすすめている。その3つとは以下のこと。
①いじけるのが好き
②耐えるのが好き
③木山捷平(ちくま日本文学全集)が好き
その例として、最近のブログをあげる。「日記は、一種の忍耐というか、辛抱がなければ維持できません。耐えることが好きな人にはうってつけでしょう。」1225p
言われてみればそうかもしれない。忍耐強い!?さあどうだろう。どうであれ、自分にはあっている!?
筆者は、趣味発掘のポイントをまとめていう。
①「受身」から「働きかけ」への精神で、趣味を聞く・話す積極性。
②好きな・あるいは好きだった「もの」「こと」の確認と再調査。
③若いころにやりたいと思っていたこと。やっていたことへの再チャレンジ。
④誘われたら、試してみる向上心と好奇心。
このいずれかを持ってすれば新しい世界が開けると筆者は述べる。231-232p
そして最後に筆者は「時代は猿から象へ」だという。すなわち「見ざる、言わざる、聞かざる」から「見る象、言う象、聞く象」へとほとんどの団塊世代はこうなりきっているらしい。252-253p
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