2013年8月7日水曜日

『旅だちの記』

昨日は夕方からフルートのレッスンに出かける。最寄JR駅で列車を待ちながら、扇子を出すと横が一箇所ぽきんと折れている。夏にはセンスは必需品。レッスン前にそごうによって扇子を購入。

レッスンではソロの曲を集中してさらう。先生のグラビノーバの伴奏に合わせてフルートを吹く。少しあわない箇所もあるがどうにかあってくる。 

レッスン後、広島駅で帰りのJRに乗る。この列車は、何と居酒屋風の概観を模している。乗る際、これに乗っていいのかどうか一瞬ためらう。 最寄駅で下車後、携帯で写真を撮ろうとする。だが、生憎列車はすぐ発車。嗚呼残念。呉方面行きの列車だった。車両のなかは一般の列車。だが概観は居酒屋。写真がないのが残念。窓まで居酒屋風だった。

片倉もとこ『旅だちの記』(中央公論新社 2013年)を読んだ。「旅だつ」とは辞書によると今いる住まいから場所を移すこと、旅に出ることとある。一般的なそれは喜ばしいことだが、人生の終焉を意味する「旅だち」は読んでいて切ない。 イスラームを主とする文化人類学者の筆者は自身の死を人生最後のフィールド・ワークとすべくこの本を著す。

真夏の昼間、窓を閉ざしてエアコンの中でこの本を読んでいると読むものまで病気を患いそうになる。 ただ死へと向かうフィールド・ワーク。それも終末期のがん患者のそれは読んでいて辛い。

つい先日も東京の友だちが若くしてがんで亡くなる。その人も筆者のような気持ちで最期を迎えたのだろうか。 ガン死は母のように年老いて衰弱するそれとは異なる。痛みのため七転八倒する母を見たことがない。ところがガン死は読むものまで痛みをともないそう。 

今年の2月に筆者は亡くなる。その2月までこの本は綴られている。それは記述と言うよりもパソコンや録音されたものだろう。 「実はわたし、人生最後のフィールド・ワークに出かけることにいたしました。パソコン環境もよくないところで、ましてや、郵便も届きません。」と最後に文を結ぶ。 

そう、郵便も届かないところへ行く。母はそこへいくことを「百万億土」と表現していた。いくらお金を積んでも帰って来れない場所へのフィールド・ワーク。さぞかし筆者は残念だっただろう。

またいつものように気になるところをメモしよう。 

★ 理で解する「理解」でなく、・・・情で解する「情解」が必要です。・・・「理解」と「情解」の二つを合わせたときに、人が共に生きていくための「了解」が成り立つのではないでしょうか。58p

★ 沙漠はアラビア語でサハラとかバーディアとか呼ばれます。日本語で「サハラ沙漠」と言われるのは、「さばくさばく」とダブっているわけです。・・・沙とは「水が少ない」という意味で、「砂漠」でなく「沙漠」とするのが正しいとされています。・・・漢籍でも「沙漠」と書かれ、「砂漠」と書かれることはあまりないようです。109-110p 

★ 文化と文化が出あう。人と人が出あう。お互い今日も生きている幸せを再確認しながらコーヒーをくみかわし、ウードの音に耳をかたむける。そういった自然と溶けあうような時間の流れのなかが、アラビアでは、仕事よりも遊びよりも、人生のなかで何より大事だといいます。116p

★ 「ゆとり」と「くつろぎ」をたして「りくつ」をぬいた「ゆとろぎ」。理屈ぬきに生をいつくしむのが大人のすること。116p

★ グローバリゼーションによっては、たくさんの文化・文明が、地球上のあちこちに咲くことになりましょう。しかし、ユニバーサリズムを金科玉条とするグローバリズムは、かなり暴力的にさえなります。ユニバーサルのユニ(uni)は、ひとつということ、バーサル(verso)は向かうという意味です。ひとつの方向に突進するものです。・・・それは、地球上にある文化・文明の多様なる美しさを、のっぺらぼうにしてしまうことになるのです。たくさんの文化、複数の文明を、ひとつの物差しではかり、文化・文明の間の対話、融合を阻んでしまうことになり危険性があるのです。121p 

★ イスラームでは、イエスもムハンマドも、神の言葉をあずかる預言者。キリスト教でもイスラームでも神はアラビア語で、おなじように「アッラー」とよばれるが、イスラームがキリスト教と違うのは、神は姿かたちをしてはいないとする点である。128p

★ パソコンやカメラには、はまりやすのに、ひとつの宗教にはまることはできず、うろうろしながら文化人類学という学問をよすがにフィールド・ワークに明け暮れていたころ、沙漠のなかで砂に埋もれて寝るような毎日だった。・・・なにもかも大自然におまかせで眠ってしまう、あの幸せ感を生の最後にもてたら、と思うのは贅沢なことだろうか。わたしの小さな生を、やっと全うできるときには、「みとられる」などという事態にならんよう、そっとひとりで、できれば沙漠の砂にうもれて、できれば秋の枯葉にうもれて、自然の静寂のなかに、ひっそり消えていきたい、と切に願っている。できるだけ誰にも知られずに。131p

★ きのうは湘南高校で、やっと、講演をしました。わたしの人生最後の社会奉仕。若い人たちへのメッセージをつたえられたかな。多少、激しいことも口にしたけど。国家は暴力装置だというようなこと。うっかり結婚なんぞするな、とか、生まれてきたのはミスだった、とか。だから、生まれたとき、みんな「しまった」、と泣くでしょう。「オギャーしまった」とか。164,165p

★ わたしの原点は、やっぱり沙漠だなと感じている。緑化することだけがよいのではない。沙漠のままの文化を大切にしたい。わたしの遺産は、その学会をつくるためにつかいたい。183p

★ イスラームから吸収したことで、「人生とは学ぶことだ」というものです。306p

★ イスラーム女性(ムスリマ)に関する無知と偏見 その3つの理由として 1 「明治以降の西洋志向」 2 マスコミの責任 イスラームで起こる戦争など 3 部分の拡大解釈 女性はベールを被るなど307,308p

★ 津田塾大学でカナダ人の先生から学んでいたころ、「宿題が出たのか出なかったのか、もちろん、宿題の中身もわからない。ねえねえってあちこち聞きまわる、そんなことをやっていたから、これはアメリカにでも行って勉強せんといかんなあと思ったのです。・・・運よく合格して、それだけの理由でアメリカ にわたりました。そこでわたしはイスラームに出あったのです。・・・イスラーム世界のことをちょっと勉強せないかんなと思ったのです。304,305p

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