一昨日と昨日の2日にわたってNHKの「プロフェッショナル」に高倉健が出演。両日ともTVを見たかった。しかし、一昨日は友人と会っていて見ていない。
この人が特に好きと言うわけではない。以前図書館で借りた高倉の著書『あなたに褒められたくて』『南極のペンギン』『旅の途中で』を読み、この人に関心を抱くようになった。
昨夜のTVで最後の辺りにたけしが高倉健の背中に「孤独」を感じる、と話す。今年81歳になるという高倉。人生の大半を一人で生きている。映画の虚像と実生活の実像。そのギャップがそうさせるのだろうか。
高倉は「母親が法律」と話す。長く独りで生きてきたなかの結論か。『あなたに褒められたくて』の中でも母親のコトを書いている。
あれほどの人なのに「縁がなかったんでしょうね」と言い切る。不思議な気もする。その結果が母親に向かうのだろうか。
たけしは高倉に対して「孤独」を感じるという。そういっても、「年をとるということは孤独との戦い」と何かの本に書いてあるのを読んだことがある。そう思えば何も高倉だけが「孤独」ではなく誰も皆当てはまる。
たまに見るテレビ。こういう番組は何故か元気になる。前日の番組が見られなくて残念。いつか再放送されればいいのだが・・・。
今日はいつもよりほんのチョッピリ秋を感じる。
昼ごはんを食べようとすると、同級生から電話がある。先日食べられないといっていた人。元気になったのかと思ったらそうでもなさそう。今日は食べるようにと話したけど・・・。
元気といえば今はどこも痛くも悪くもなく元気。喉もほとんど治ってきた。旅行から帰ったら会おうと言っていたスペインで相部屋だった人も腰が痛いといって寝ているという。会うのは1週間後にした。腰痛の人は多い。
毎日遊んで過ごしている。悪いところがあってはなんだか申し訳ない。そのためにも、毎日を元気で楽しくをモットーに過ごしたい。
先ほどまで読んでいた城山三郎の本『無所属の時間で生きる』にあるように。
「この日、この空の下に在るこの私を、かけがえのないものとして前向きに受けとめていたか、どうか。・・・一日一つでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで、『この日、この私は、生きた』・・・これは私の造語なのだが、「一日一快」でよし、としなければ。」(225-226p)
今日はフルートのレッスン日。昨日少し吹いてみたけど・・・。今日も頑張ってレッスンを受けよう!
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