2012年9月23日日曜日

秋彼岸に想う

やっと気持いい季節になってきた。今朝は姉夫婦と一緒に墓参りをする。その前にいつものようにお寺によって塔婆2本を受取る。

墓に着いても先日までの照りつける暑さはない。ふと隣の墓を見るといつも活けてある花がない。夏の暑さで元気をなくされたのだろうか、少しだけ気になる。

墓参りを済ませるとまだお昼まで時間がある。スーパーで食料を調達し、我が家に帰って3人で食事。食べながら話をしていると姪の家族が東京ディズニーリゾートへ行く話になる。そのとき、誰か欠員が出ると一緒に行くのかと聞かれる。

欠員が出れば親であるモノが行けばいい。それなのに、その矛先がこちらに向く。それも聴いていて可笑しい。

姉は我が家に来る度、まるで農家のように野菜などたくさん持ってきてくれる。今日はかぼちゃ、ジャガイモ、玉ねぎ、ゴーヤ、長なすびなど。ジャガイモはすぐに芽が出るから冷蔵庫へ入れるようにと姉。そのとき初めてジャガイモの保存方法を知る。

姉夫妻と話していて、お遍路の話が出る。その話をする度、服の話になる。遍路旅が目的か服を買うのが目的かわからなくなりそうだけど、着ていく服を考えるのも旅の楽しみかも知れない。

旅といえば今朝の地元紙を読むと「進む若者の旅行離れ」と見出しがある。どうも若者の旅行離れに歯止めがかからないらしい。その理由として「同伴者がいない」「旅行に関心がない」がそれぞれ23.7%、20.7%を占める。それを合わせると半数近くになる。

これは現代の若者気質を浮き彫りにしているとか。

先日東京にいる姪と話した時「今の若者はバーチャルな世界に浸るから旅に出なくてもいいと思っている」と聴いたことがある。それはどうも本当みたい。

新聞の最後に「ネットに浸る現代の若者は旅先での人物との出会いなどリアル(現実)から逃げている」と指摘する。

これを読んで世代間のズレを感じる。これとは逆に中高年の旅は増えている。

旅といえば、大学受験まで乗り物酔いがひどかった。大学受験での苦い経験を思い出す。それも働き始めるようになって次第にどんな乗り物にも酔わなくなった。それ以降、どこへでも行きたくなる。

また旅といって思い出す。短大卒業後同級生と2人で鳥取県三徳山三仏寺投入堂へ行ったことがある。まだ余り旅なれておらず、ユースホステルを利用。急遽翌日の予定を変更して、そこで知りあった一人旅の男子大学生と3人で投入堂に行く。

そこがどんな山かも知らずに若者に着いて行く。ところがその山は登り始めから難所だった。麓の境内入り口でいきなり履物を脱がされ、草鞋に履き替える。そして白装束をあらわすためか肩に白いたすきをかける。はだしで草鞋(わらじ)を履いて、途中、鎖につながれた道をつたいながら山を登る。

一歩間違えば山から転落する険しい道。それでも「若さに任せ」、全く山歩きをしたこともないモノがその山を登りきった。

今でもなかなか簡単に行かれる山でない。それなのに何の準備もせずいきなり人について登った。

これはかなり歩くことへの自信となった。そして旅をすることへの楽しさとなった。

それ以降、日本海に浮かぶ隠岐島へも行く。そのときはかなりひどい船酔いもあった。その船酔いもいつしかなくなる。今はかなり乗り物に強くなっている。

考えてみればその頃から辺境趣味がある。今でも山は好き!

どんなことでもやり始めれば楽しさを知る。若者もバーチャルに浸らず、現実を直視して前に進めば生きる張り合いも生まれるのに・・・。

会社つとめのころは全くそうだった。今の若者が問題としているような、たとえ同伴者がいなくても2回目の海外旅行から一人で参加した。一人参加はこれまでの旅の半分近くを占める。

長い休みがあれば海外を目指した。一歩新幹線に乗れば誰がどう言おうとこちらのもの。そういう意気込みで外に飛び出した。それも仕事の憂さ晴らしだったかもしれない。いい言葉でいえば元気の源!?

今はそういう憂さ晴らしは何もない。じゃなぜ海外へ行くのだろう・・・。現実逃避?

そうはいっても中高年のそれは若者とはかなり違うはず・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿