2012年9月13日木曜日

『無所属の時間で生きる』

今朝地元紙を読むと青紫蘇のつくだ煮の作り方が出ている。紫蘇の葉は抗酸化脂質ベータカロテンの含有量が野菜の中でもトップクラスとか。

今日も自転車で買い物に行こうとすると、我が家の狭い庭からはみ出て茂る紫蘇の葉にチョンギース2匹が止まっている。

紫蘇の葉はどれも一箇所虫食いの状態。チョンギースの食料になる?食べあらされていない葉は洗って調理に利用する。だが、虫食いは何となくいやなもの。それが今日の記事によると佃煮に・・・とある。これならば大丈夫かもしれない。

何十枚か手にとってみた。後で新聞の通りに調理してみよう。

毎日気ままに過ごしている。気ままといってもけっこう規則正しい生活。家の中で横になることはない。家にいるときは母の遺した介護テーブルにパソコンを置き、籐の椅子に座って一日を過ごす。

まるで会社で仕事をしているよう。退屈になると食事の用意をしたり外に飛び出たり。結構暇。しかし、ブログを読んでもらってる人からすると忙しく見えるらしい。

暇と感じるとすぐに人を誘って遊びたくなる。今夜も幼馴染を誘って一緒に夕飯を食べに行く。

こんな暇な時間を城山三郎は『無所属の時間で生きる』と題して書いている。

「淡い旅情。短いが、非日常の世界。あらゆるものから、解き放されている。その思いを味わいながら、悔いも沸いた。なぜ、小一時間でなく、半日なり一日なり、こうした時間をもてるようにしなかったのか。戦後最大の財界人石坂泰三を調べていて、幾日か出張するとき、空白の一日を予定に組み込んでいることに、私は注目した。旅先で好奇心の沸いた場所や人を訪ねるためもあるが、ただ風景の中に浸っていたり、街や浜辺を散歩したり。経団連会長や万博会長など、日本で一番忙しい男であるはずの時期でも、そうであった。その空白の一日、石坂は二百とか三百とかの肩書きをふるい落とし、どこにも関係のない、どこにも属さない一人の人間として過ごした。私はそれを『もう、君には頼まない』の中で、『無所属の時間』と呼び、その時間の大切さを,私なりに確認した・・・。真新しい時間、いつもと違うみずみずしい時間があり、子どもに戻ったような軽い興奮さえ沸く。おそらくそれが、人間をよみがえらせるきっかけの時間となるからであろう。・・・」(19-20p)。

「無所属の時間とは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか。」(20p)

「無所属の身である以上、ふだんは話し相手もなければ、叱られたり、励まされたりすることもないので、絶えず自分で自分を監視し、自分に檄をとばし、自分に声をかけるほかはない。・・・度し難い話だが、それが人間ということなのであろう。」(127p)

「人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、深く生きるためには、ただ受け身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要となろう。」(134p)

マンネリの毎日にこういった本はカンフル剤となる。そして昨夜はエレクトーンの旧友4人との半年振りの再会予定も決まる。今朝、その中の一人からもらったメールには、4人とも今年外国へ行ったと連絡が入る。「みんな今年は海外に行ったと思います。考えればすごいね」と。それぞれドイツ、フランス、イタリア、ラオスと出かけている。

再会の日には、このきっかけをメールで作ってくれた人ではないが「ゆーっくり11時間耐久レースのような女子会ですから・・・」とあるように、積もる話は終わりを知らない!?

毎日無所属の時間で生きている。気楽なように見えるけど、城山ではないが「絶えず自分で自分を監視・・・」は当てはまる。ちょっとの油断は病気になりそうで・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿