福岡空港からラオス直行チャーター便でラオス人民民主共和国(以下ラオス)に行ってきた。ラオス滞在は2012年9月1日(土)から2012年9月6日(木)までの6日と短期間ながら楽しい有意義な時間を過ごした。
今回の旅は福岡⇔ラオスの直行チャーター便を利用。そのため、行き先は全員同じ。だが、旅行商品に通販と窓口販売の区分けがあり、その中でもさらにアンコールワットを含むコースとラオス周遊のコースの区分け、またさらにホテルの基本コースとグレードアップコースの区分けがあった。
これらの区分けで何コースかに分かれての旅となる。私たちは窓口販売の商品でラオス周遊。ホテルはグレードアップとした。このホテルのグレードアップは大成功。価格は大幅に変わらないのに、ホテルや食事が最高によかった。料金体系の差があるときは高い方に設定する方がベターと実感。
最後まで旅を共にした人たちは窓口販売の商品の人たち。基本コース7名とグレードアップコース10名の計17名。この17名の内訳は私の知る限り、広島から6名、山口1名、九州10名。その大半は高齢男性の一人参加者。夫婦連れは2組。女性の一人参加者も2名いた。
機内持ち込みには塩・コショウ・コーヒーもスーツケースに入れる。危険物と見なされるらしい。
今回の旅では何といってもコーヒーがラオスの特産と知ったこと。日本で飲むコーヒーよりも美味。機内食で飲んだはじめてのラオスのコーヒー。その美味しかったこと。お土産はコーヒーと決める。
今年、ラオスは観光年。そのため1年前に新たな航空機を購入している。機内は新型機で快適な旅。乗り込んで一番に気づいたことは客室乗務員の女性の頭につけられた白い花の髪飾り。それはラオスの国内に入ると乗り物、飛行機、パンフなどありとあらゆるものについている。ラオス名チャンパー(プルメリア)という花で国花。
白い可憐なこの花は、ラオスを象徴している。それは「素朴」にある。
私の思うところではラオスは「素朴」という言葉に尽きる。それは機内に乗り込む際の客室乗務員の「合掌」にもある。人々の顔の表情もおだやか。東南アジアのあの険しい表情はない。「合掌」と言う行為が「素朴」な人々の表情となるのだろうか。
花以外では「LAO BEER」。昼食、夕食は必ずビールを飲む。ビールのよしあしはよくわからない。しかし、なんといっても美味!
そして、食事は最高に美味。フランスに統治されていたからだろうか。特に、ヴィエンチャンの「ラオプラザ ホテル」の夕食は最高。これまで各国に出かけているが一番といっていい。一人そう思うのかと思ったら、小倉から来ていた奥さんも「最高ね!」といっていた。
またいつものように思いつくままブログに投稿しよう。
ラオスは日本の本州ほどの広さを持つ。熱帯モンスーン気候に属し、暑季(3月~5月)、雨季(6月~10月)、乾季(11月~2月)の3シーズンに分かれる。ラオスの民族は、メコン河流域に住む「低地ラオ族(ラオルーム)」、標高1000メートル以上の高原に住む「丘陵地ラオ族(ラオトウン)」、「山岳地帯に住む「高地ラオ族(ラオスーン)」と大きく3つに分類される。
5:00 3ヶのアラームで目を覚ます。素早く身支度を整え、JR最寄駅へ。
7:00 JR広島駅到着。同行者と合流。
7:32 「こだま」に乗り博多駅へ。
10:20 福岡空港集合。手荷物検査後、301号室でラオス出入国カード記入。集合後、別室に集まることは何年ぶりのことだろう。中国へ行き始めた25年前はこのように別室でその国の諸事情の説明会が行われた。今回「別室」は久しぶりの体験。
12:10 福岡空港発→14:20 ルアラプラバン空港着(日本との時差は2時間遅れ)
(機内食)
15:15 空港で入国検査が終わる。入国検査は2ヶ所のみ。日本のサービスエリアのような小さな空港。暑い。風は強く吹いている。
現地ガイドはスーリアさん。若い男性。お父さんは日本の阪大で学ぶ。自身はヴィエンチャンの考古学大学で学んだ秀才。日本への留学経験あり。兄も九州に留学していたとか。
ルアンプラバンではホテルグレードアップコース10名が1台のマイクロバスでスーリアさんと共に行動。
15:25 「ル パレス ジュリアナ」 ホテル到着。ルアンプラバンは街全体が1995年に世界遺産に 登録される。街に信号は無い。
18:50 夕食はルアンプラバン郷土料理。このとき広島から一人参加の高齢男性からいろいろ聞かれる。話しているとアジアを学ぶ塾、フルートを習っている、広響を聞いているの3点から「以前からよく知っているよ。広響で隣になったよ。」と言われびっくりする。知らないところで知っている人に出会うとは・・・。
ラオス滞在中いつも食べたカオ・ニャオ。日本のおこわ風でとても美味。 説明会で聞いていたゴマ塩を持参せずに残念! |
この間フロントに電話をかけようとするが添乗員はこのホテルに滞在せず基本コースに滞在。何度も海外に出てこういう怖い経験は初めて。
ホテルは日本のホテルと違い広い庭園に建つ2階建ての立派な建物。部屋が単独でないくっついたコテージのよう。
翌日ガイドと添乗員に事情を話す。他のコースの日本人で酔っ払った人がいたとか。しかし現場を見ていないのでそれ以上いえないという。
事情を知るまではラオスの人だとばかり思っていた。それがマナーの悪い日本人だったとは。
二日目 9月2日(日曜日)
5:35 前夜は事件(?)と室内のエアコンの音でほとんど眠られず。途中エアコンは切って寝る。それにもかかわらず、早朝のラオス風物詩の托鉢と朝市を見学。托鉢では道に売りに立つ人から粽5ヶ入りを10000キープ(@¥100)で買って托鉢に参加。キープの単位は1円=100キープ。ゼロを2つカットして日本円に換算。
同行の人の托鉢僧への喜捨風景 |
早朝の托鉢風景。粽を一籠買って托鉢僧に献上 座っている敷物は売り子の人が敷く それに座って托鉢僧を待つ |
托鉢見学後、朝市へ |
8:35 ホテルをバスで出発。バスの中に国花のチャンパーが置いてあり、一輪もらう。バスで出発する際、ラオスが日本より涼しく感じる。ルアンプラバン市内世界遺産観光。ルアンプラバンは街全体が1995年に世界遺産に登録されている。なおルアンパバンの「パバン」とはすべての悪いことを「止める」の意とか。
ラオス国立ルアンパバーン王宮博物館
ラオス国立ルアンパバーン王宮博物館 |
1975年の革命まで続いた王政時代、ルアンパバン王家の宮殿。現在は博物館になっている。1975年から1985年までの内戦を経て、ラオスは現在、LPRPを母体とする社会主義国家。今年日本から皇太子がタイ・ラオス・カンボジアを訪問。その際、皇太子はラオスに6月29日から7月1日まで滞在。そのため、ラオスでは博物館内の展示を一部新たなものと交換している。恥ずかしながら、皇太子訪問をラオスに来て博物館でガイドの説明によって知る。
ワットマイ
「ワット」とはアンコールワットとなどといわれるように「寺」の意。「マイ」は「新しい」の意。5層の屋根と黄金のレリーフが特徴的とか。
センは仏像の重さを表し、10万センは12㎏のこと。100万仏像の国ラオス。仏像が多い。見学していると太鼓が鳴り響く。これからお坊さんの食事が始まるという合図らしい。
たくさんの仏像
ワット・シェーントーン
ルアンパバンの寺院の中で最高の美しさを誇るといわれる寺院。1560年建立。
ワット・シェントーン標識 |
1959年王様は亡くなり、翌年葬儀 遺体は立てていた 本物の霊柩車 |
12:50 昼食後バスは出発し、民族の織物、紙鋤の村バーンサンコンを見学。気温28度、湿度70%で蒸し暑い。
14:10 メコン河クルーズ船に乗る。乗船前、ラオスの地酒”ラオラオ”造りの村バーンサンハイに立ち寄り見学。この村は酒の甕作り、酒つくりの村として有名。
一艘日本円で100万円。トイレありといっても垂れ流し? |
造ったものを売っている 蛇やさそり入りの酒もある 蛇入りをお土産に買った人もいた |
グリーンのポロシャツ姿はガイドさん ガイドの前にいる作務衣の人は小倉の同行者 旅行中、作務衣と着流し姿を通す もしかして???系と思ったら話しぶりは親切 外国旅行でこういう人は初めて 「小倉生まれで玄海育ち~♪」と話すと 「玄海で育っていないよ」と言われてしまった |
14:20 悠久のメコン河クルーズ船に乗ってメコン河をクルーズ。河の水深は18m。乾季のときは10m浅くなるとか。17名が一艘に乗船。
船はラオス特産の木材を使った新しい船。この木材はホテルなどの建物にも贅沢に使用されており落ち着く。乗船してもその暑さは半端ではない。しかし船の座席は豪華な椅子で快適。
乗船中、ラオス事情をガイドからいろいろと教えてもらい、参考になった。
ラオスは中国、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムの5カ国と隣接している。中でもラオスの人々はタイに精通する。例えばTVを見るのもタイのテレビ。ドラマも子どもからお年寄りまで見ているという。そのためラオスの人はタイ語が話せる。しかし他の4カ国はテレビも戦争や軍関係のことなので見ないという。またこの5カ国は文字も言語も異なるとか。
14:40 パーク・ウー洞窟到着。
洞窟は王宮博物館前の桟橋より、優雅なメコンの流れに身を任せること2時間で数多くの仏像が安置されたパーク・ウー洞窟が姿を現す。
また洞窟は楽な階段(上の階段)と険しい階段(下の階段)に分かれる。楽な階段の洞窟は王政時代に王が新年の幸福を願ったという。洞窟入り口で2000キープ(¥20)で線香と金盞花のような黄色い花で作られたお供えを買い、それを供えていざ洞窟へ・・・。真っ暗な急な階段ばかりの洞窟へ懐中電灯を照らしながら入る。どこまで入っても仏像が供えられている。王様が仏教布教のために仏像を備えることを提唱したとか。仏像の古いものは朽ち果てて頭がないものもあった。
楽なパーク・ウー洞窟入り口 |
険しい洞窟には4000体以上の仏像が保管されている。洞窟内は真っ暗。懐中電灯を持って歩くが、ペンライトのため暗い。人の持っている明るさを頼って中へ入る。
険しい洞窟入り口 |
船から眺める白い建物はラオスの刑務所 刑を終える終えないというすべては金銭が伴うという まるでどこかの国のよう 賄賂、賄賂で・・・ |
プーシーの丘からルアンパバーンの街並みを眺める |
15:20 クルーズ船で洞窟出発。ルアンパバン市内へ戻る。帰りの船は風も吹いて心地よい。
17:30 市内に到着。プーシーの丘は「仙人の山」の意で海抜700mの小高い丘。王宮博物館向かいにある328段の階段の階段を上りきるとルアンパバンの街並みが一望できる。 この丘に登る前に3,40分自由時間あり。半数くらいはスパ&マッサージに繰りだす。30分@5ドルとか。
プーシーの丘でメコン河に沈む夕陽を眺める どこで見ても太陽は一つ。それなのにラオスで見る太陽は違う? 生憎夕陽は見られず 夕陽を写真に収めているとき、西洋の旅行客に声をかけると オーストリア人だった。一緒に写真に収まる |
これまで何度か海外に出かけている。26年前の最初に出かけた外国は中国。そのときでさえ、確か1万円か2万円ほど「元」に両替した気がする。それなのにラオスにお金を落とさずに帰った。
バザールのカラフルなテント この下の露店で冷やかしながら民芸織物の袋とクッションカバーを買う 向こうに見えるは王宮博物館 |
今回ビジネスクラス利用は4名。短時間の飛行ながら、足腰が悪い人が利用している。差額運賃@¥95,000。「これを利用せず、奥様を連れてくれば・・・」と小倉の女性が話す。するとある男性は「女房は働いていない」と言ったとか。それを聞いた夫婦で参加の小倉の女性は「むっ!」。
7:30 ホテルレストランで朝食。相席は韓国の2人の男性。何か話すと手で話し始める。きっと聾唖者と勝手に思い、同行の人にそう話す。すると声を出す。日本語がわからず手で合図をした模様。そのうちの1人が美味しそうに麺類を食べている。レストラン外のラウンジで卵焼きや麺類のコーナーがある。ヌードルと卵焼きを食べる。それはまったく日本の味でとても美味。だが韓国の人には不味かったらしい。残していた。
知っているハングルの単語を並べる。だが会話に至らず残念。また韓国に行ったこともなく韓流にも興味がないので話は通じない。同行者は3度韓国に行ったことがあるという。
前日までのハードスケジュールの割りに今朝は夕刻ヴィエンチャンに向かうので午後の自由時間を急遽午前に当てる。ゆっくりとしたルアンパバンの朝をホテルで過ごす。宿泊のホテルは広い。南国特有の花も咲き乱れている。部屋の外に出て庭を散策。大きなプールもある。
12:00-13:00 バスに乗って昼食へ。店の経営者は日本人の若夫婦。30歳過ぎで男性は大阪、女性は宇治の人。ラオスで3年前に知り合い結婚。旦那さんが店の経営者。奥さんは私たちに愛想を振りまく。その女性を見ていて何かわからないけど感慨にふける。なぜ日本を脱出するかと・・・。奥さんと写真に収まる。
13:00 バスは出発。ルアンパバンから20数キロ郊外にある国立自然公園クアンシーの滝を見学。落差のあるメインの滝周辺の森には段々になった池や、熊などがいる小動物園がある。天然のシャワーを浴びて森林浴。ところがカメラは水しぶきで大丈夫?
16:00 ルアンパバンの街中にバスは到着。食べ物やマッサージ店が多い。自由行動になり、小雨の中、お店を散策。途中、絵葉書を売ってる店を見つける。九州の「お母さん」に出す絵葉書を1枚だけ購入。「ルアンプラバン」ホテルのレストランで朝食 |
ホテルの庭に咲くチャンパー |
前日までのハードスケジュールの割りに今朝は夕刻ヴィエンチャンに向かうので午後の自由時間を急遽午前に当てる。ゆっくりとしたルアンパバンの朝をホテルで過ごす。宿泊のホテルは広い。南国特有の花も咲き乱れている。部屋の外に出て庭を散策。大きなプールもある。
12:00-13:00 バスに乗って昼食へ。店の経営者は日本人の若夫婦。30歳過ぎで男性は大阪、女性は宇治の人。ラオスで3年前に知り合い結婚。旦那さんが店の経営者。奥さんは私たちに愛想を振りまく。その女性を見ていて何かわからないけど感慨にふける。なぜ日本を脱出するかと・・・。奥さんと写真に収まる。
13:00 バスは出発。ルアンパバンから20数キロ郊外にある国立自然公園クアンシーの滝を見学。落差のあるメインの滝周辺の森には段々になった池や、熊などがいる小動物園がある。天然のシャワーを浴びて森林浴。ところがカメラは水しぶきで大丈夫?
滝に向かって奥へ歩く |
水に触るとかなり水温は低い |
あでやかな見事な真っ赤な花 葉っぱも花も大きい |
14:50 バスは出発。
15:15 少数民族モン族の村到着。近づいてくる子どもたちに物をあげないようにとの添乗員からの忠告を受ける。観光中、あどけなさが残る子供たちを見て何か複雑な心境になる。
福岡空港で知りあった女性と民芸織物の店でばったり会う。その人は何とラオスは4回目の訪問。生地など買うのが目的でラオスに魅せられたという。オプションのあるツアーで来ているとか。
16:50 バスは空港へ向け出発。飛行機に乗る頃になると涼しいので薄い上着を着用。
18:25 ルアンプラバン空港発→19:20 ヴィエンチャン ワタイ空港着。機内ではペットボトルの水とスナック菓子が出る。お腹もすいていたので出された菓子を食べる。美味。
20:00 ホテル到着。夕食はホテル内のレストラン。「ラオ プラザ ホテル」のレストランはこれまで旅行した中で最高の味!握りずしもサーモンの刺身もお肉も何でもあり。コックが目の前で切ってお皿に盛ってくれる。
同行者は余り食欲がなくコンビニへ行くという。ホテル横にコンビニがある。現地の日本人エージェンシーと一緒にコンビニへ行く。エージェンシーの人はこちらが恐縮するほど日本人観光客に気配りする。「味はどうですか?」と。ラオスにかける意気込みの現われか。申し訳ない気がする。
22:30 就寝。ぐっすり眠る。
四日目 9月4日(火曜日)
7;00 モーニングコール。朝食を食べにレストランへ行くと横に座っている人が同行者に話し始める。聞いていると日本語。4人の日本人男性で九州の柳川の材木関係の人たち。ベトナムへ行く途中らしい。翌日も偶然会い、話を聞くとJICAの関係で大川市の家具関係の人もいるとか。
広島もマルニ、ウッドワン、それに府中市の家具は有名。それらもライバルらしくよく知っておられた。このホテルの宿泊代金を聞くと朝食付きで@¥8000だとか。日本の価格とまるで同じ。日本は高級ホテルも値下げ傾向だから高いくらい?
9:00 バスはタイ北部の世界遺産イサーン地方の観光へ向けて出発。国境を越えるといってもメコン河を渡るだけ。「国境を越えると雪国だった」ではないが「メコン河を渡るとタイだった」。
ヴィエンチャンの街中は車、車・・・。駐車場がないらしくどの車も路上駐車。そのため信号はあっても意味を成さず、ラッシュ時には手信号。
車に関しては無免許は当たり前。そのため事故が多い。また免許証はお金で買える。すべて賄賂の世界。ヘルメットを被らずバイクに乗っても違反キップを出して賄賂を受取るのは警察個人の収入とか。どこかの国を真似しなくてもいいのに。ガイドは「賄賂」の話をしきりにする。世の不条理を嘆いているのかもしれない。
午前 ヴィエンチャン市内観光。
ワット・シーサケート
回廊、境内あわせて、一万体を超える仏像を擁する寺院。度重なる内戦、フランス植民地時代の損傷などが残っており、ラオスの歴史を感じる寺院。
日本とラオスが手を組んだ証 |
タートルアン広場
10月末から12月初めの満月の日に国内外から大勢の僧侶が集まり、大規模なお祭りが開催れる。北京の天安門広場は100万人収容で敷石をめくるとトイレになると聞く。ここにそれはない。皆どうするんだろう。
ラオス最大の聖なる仏舎。
タートルアン |
11:00 バザールへ行く。ここでお土産にコーヒーを買う。買うといっても皆で押しかけるためすぐにコーヒーは品切れ。価格は民芸品に比べてフェアトレード。豆のコーヒーよりも粉が人気。その後、隣のバザールでランチョマット1セット購入。
12:00パトウーサイ(凱旋門)到着
フランスから独立した記念に1958年に建てられた。現在はパトウーサイと呼ばれているが、以前は、アヌサワリー(記念碑)と呼ばれていた。内戦で戦死した兵士の慰霊塔。パリの凱旋門を模して作られ、最上階からはヴィエンチャン市内が一望できる。
頂上までは150段ほどの階段がある。登りきったところで関西外国語大学と胸にロゴの入ったTシャツ姿の若いアメリカ人男性と出会う。日本語OKでWebサイトに写真を載せていると話していた。一緒に記念写真に収まる。
12:30 バスはレストランへ。昼食はラオスの郷土料理。臭いがきつく、からい。
13:50 昼食後、大型バスの調子が悪く、エアコンを入れるたびピーピーと携帯電話のような音を出す。それもついに出なくなるとエアコンは車内で効かなくなる。マイクロバスに移動。
中国の援助により建造されたという標識 左はラオス国旗で右は中国国旗 |
パトウーサイてっぺんから見下ろすヴィエンチャン市内 |
パトウーサイから見下ろすヴィエンチャン市内 |
14:50 エアコンの効かない車内で皆ぐったり。またここまでの道のりは予算がなくて道は舗装されず、田舎道。思わず「♪田舎の道はおんぼろ車♪~」と歌いたくなる。ほこりが入るのでバスの窓も開けられず。帰りも同じ道を通る。
ブッダパークに到着すると、各自旅行社の車のおわびで売店にある冷たいドリンクをもらう。気温35度、,湿度40%。木陰で休んでも暑い!
ここでさらに大型バスに移動するため、しばし見学後バスを待機。ブッダパークのトイレは有料。1000キープ=@¥10。小屋に用足しが出来るほどの足場と水があるだけ。小さい子どもをつれた女性が傍で番をする。
ブッダ・パーク
仏教像だけではなく、ヒンズー教の神々も祀られている寺院。
後のかぼちゃのような建物に入ろうとしたら入り口で頭を”ゴツン”痛い! 見物前にもらったペットボトルの冷えたジュースを持っていた人に借りて頭を冷す 大事に至らずにすんでよかった! |
ユニークなポーズの仏体が無造作に置かれている |
ヴィエンチャン市内へ戻るもバスは渋滞に巻き込まれる。信号は渋滞時は手信号に切り替わる。
18:40頃の夕食のレストラン到着予定が、旅行社の手配ミスから本店から支店へのレストラン変更。ガイドにそれが届いておらず場所を変更するまで時間がかかった。そのため、夕飯時の飲み物は旅行社のおごり。皆飲んで食べて宴会のようなにぎやかさ。夕食場所は「福満楼」という中華料理店。
円卓にどんどん料理が出る。それでも食べきれず残る方が多い?
ホテルに到着後、ガイドに日本へ出す1枚の絵葉書の切手を購入手配をお願いする。ホテル支配人に合わせてくれ、その人に絵葉書をコトずける。日本人の支配人。日本までの切手代9500キープ=@¥95。
六日目 9月5日(水曜日)
観光先の影響で4日と5日の日程が反対になる。この日はヴィエンチャンから国境を越えてタイ東北部のイサーン地方の観光に出かける。外は大雨が降っている。
ホテルで早い朝食を取る。6時半に 行くと、先日のJICAの人はもう食べている。そこでまた昨日に続いていろいろと話す。
8:30 バスは出発。車内の気温21度。寒い!バスはタイとラオスの友好橋を渡りタイへ到着。橋の真ん中には鉄道が走っている。
8:30 バスは出発。車内の気温21度。寒い!バスはタイとラオスの友好橋を渡りタイへ到着。橋の真ん中には鉄道が走っている。
9:50 タイ到着。
10:00 タースデ船着場到着。小雨が降る。
サオマーケット
このマーケットでブラウス購入。その目的はお昼のビール代が必要なため両替したタイのバーツを使いきれないと感じたから。ブラウス代金199バーツ(@¥524)。残ったバーツはトイレ休憩でバスが立寄ったパーキングエリアのコンビニでチョコレートを購入。市場の有料トイレは5バーツ。
11:50 昼食場所到着。昼食はイサーン料理。魚と肉の鍋料理。先に皿に盛ってあったものはハエがたかっている。食べなかった。昼食に飲んだシンハビール100バーツ(@¥264)。
13:00 バス出発。
ラオスは日本と逆で車は右。ところがタイは日本と同じ。バスの運転手さんはその切り替えが大変。
14:00 バンチェン村到着
バンチェン遺跡(世界遺産)
1992年に世界遺産に登録。到着後館内でビデオ7分鑑賞。それによると1966年アメリカの学生が発見。1967年発掘が始まる。1972年タイの国王夫妻が発掘現場を訪問。1974年から75年にかけてペンシルバニア大学とタイの美術局が研究を始める。
バンチェン世界遺産周辺景色 |
ラオスは日本と逆で車は右。ところがタイは日本と同じ。バスの運転手さんはその切り替えが大変。
14:00 バンチェン村到着
バンチェン遺跡(世界遺産)
1992年に世界遺産に登録。到着後館内でビデオ7分鑑賞。それによると1966年アメリカの学生が発見。1967年発掘が始まる。1972年タイの国王夫妻が発掘現場を訪問。1974年から75年にかけてペンシルバニア大学とタイの美術局が研究を始める。
15:55 ノンカイのマーケーットで小さな花瓶を買う。20バーツ
16:30 トイレ休憩のコンビニでタイバーツを全部チョコレートを買って使い切る。72バーツ×4ヶ。
18:20 ラオス入国手続き。
18:55 レストラン到着。
ラオス最後の晩餐は民族舞踊ショーを見ながらの郷土料理。
20:40 ホテル着。日本へ向けて出発までホテルで休憩。荷造り、シャワーを浴びる。
23:30 バスはホテルを出発し空港へ。
六日目 9月6日(木曜日)
眠くてたまらない。深夜にもかかわらず、空港売店は開いている。そこでありったけのラオス紙幣でお土産のコーヒー4袋購入。残ったお金は硬貨で22バーツを日本に持ち帰る。
2:00 ヴィエンチャン ワタイ空港発→8:20 福岡空港着(機内食)
全くといってもいいくらいラオスを知らずにラオスへ行った。しかし「百聞は一見にしかず」のことわざどおり、出かけて見るとわかってくることもある。今、手元に図書館で借りた『ラオスを知るための60章』(菊池洋子 鈴木玲子 阿部健一 明石書店、2010年)がある。
16:45 バスは出発。
17:45 タイの出国手続き。全員まとめてしてもらう。トイレ休憩。有料で5バーツ。
パーキングエリアにある移動ATM機 |
18:20 ラオス入国手続き。
18:55 レストラン到着。
レストランでラオス最後の晩餐(一人前) ラオス郷土料理 苦手な香草が入っていた |
楽器名はkeanto(キーン)ラオス笙 |
20:40 ホテル着。日本へ向けて出発までホテルで休憩。荷造り、シャワーを浴びる。
23:30 バスはホテルを出発し空港へ。
六日目 9月6日(木曜日)
眠くてたまらない。深夜にもかかわらず、空港売店は開いている。そこでありったけのラオス紙幣でお土産のコーヒー4袋購入。残ったお金は硬貨で22バーツを日本に持ち帰る。
2:00 ヴィエンチャン ワタイ空港発→8:20 福岡空港着(機内食)
全くといってもいいくらいラオスを知らずにラオスへ行った。しかし「百聞は一見にしかず」のことわざどおり、出かけて見るとわかってくることもある。今、手元に図書館で借りた『ラオスを知るための60章』(菊池洋子 鈴木玲子 阿部健一 明石書店、2010年)がある。
以前アジアのことを8年間学んだ。しかしラオスに関して話題さえ出なかった。ラオスに隣接する国である中国、ミャンマー、カンボジア、タイは出かけたことがあり、ベトナムへは行っていない。いつか行こう。
ラオスへ行って気になることがある。それは、行く前に読んだ本の影響と現地ガイドの話からそう思うのかもしれない。ラオスは確実に中国化している。11月にはヴィエンチャンでアジア欧州会合(ASEM)首脳会合がラオスで開れる。その突貫工事を中国が請け負い、たった3ヶ月で工事をする。そして出来上がった建物は大会後マンションとして売りに出る。それは中国人が買い、中国人民街となる。他の国のモノがとやかくは言えない。それでも、豊かな自然に恵まれた素朴な人々の住むラオスが他の国の援助を受けながらも独自の文化を維持できる国になってほしい。
これから当分、この本を読んでラオスを学ぼう!
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