プールへ行くとき最寄り駅から橋を渡って行く。瀬野川にかかる大きな橋の欄干を見るたび、小さい頃の遊び歌を思い出す。その歌は1番しかわからない。その歌詞も一部は怪しげなところもある。家に帰ってネットで調べるとどこか一部歌詞が違う。それでもやっと1番の歌詞を思い出す。それは西郷隆盛の歌。
1かけ、2かけ、3かけて
4かけて、5かけて橋をかけ
橋の欄干 手を腰に
はるか向こうを眺めれば
17,8の姉さんが、片手に花持ち、線香持ち
姉さん、姉さん、どこ行くの
私は九州鹿児島へ 西郷隆盛 娘です
明治10年3月3日
切腹なさった父上の お墓参りに出かけます
お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝んだら
お墓の前に火の玉が ふんわり ふわりと じゃんけんポン
ネットによると明治10年3月3日は西郷隆盛の命日ではない。調べると命日は1877(明治10年)年9月23日となっている。
昭和30年代前後に遊び歌として流行った。4歳上の姉と一緒に近所の家に遊びに行って覚えたのだろう。「おじゃみ」(お手玉)をしながら歌ったのか、何の遊びで歌っていたのかわからない。
こういうわらべ歌も時代とともに廃れていく。今の子どもたちは知っているのだろうか。
今日は午前中、家でお上人に参ってもらってお盆の法要をした。姉夫婦、その娘の家族と私の少人数での法要。姉夫婦は法要前に墓参りを済ませて我が家にやって来た。法要後、皆で寿司店に行く。姪の子供はいくらが好物らしい。一人で6巻もいくらばかり食べる。
再度我が家にやって来た姪に西郷隆盛の歌を知っている?と聞くと知らないという。それでも「おじゃみ」は知っていた。
お上人が参られたとき、お寺での法要の日を忘れていた。10日に終わったと聞き、皆でお昼を済ませると姉夫妻の車でお寺によって塔婆を2本受け取る。そのついでに姉夫婦の車でそのまま墓まで連れて行ってもらい、塔婆を立てて墓参りをした。
段々畑のような墓地。下のほうに我が家の墓地はある。其処から山に向かってお墓を見ると、どこも色鮮やかな盆灯篭が立ててある。我が家は日蓮宗。昨年母がなくなってから盆灯篭を立てず、塔婆を立てることにした。この塔婆、市販の塔婆と違って1.5メートルの長さがある。
我が家だけ灯篭がないのかと思ったら、今年はかなり灯篭を立てていない墓もある。姉に聞くと、墓地によっては立てないように指導しているところもあるらしい。
以前はこの灯篭にローソクを立てて明かりを灯していた。今それは危険なのでローソクをつけずに立ててある。
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