2012年8月7日火曜日

『時空の旅人 辺境の地をゆく』

ラジオから聴こえる今日の天気予報の最高気温は36.5度。暑い!昨夜も一晩中エアコンをつけて寝る。

一昨日姉と電話で話すと今年がいちばん暑いという。暑さでいえば一昨年の方が暑かったと姉に話すと今年が暑いらしい。今年が姉の言うほど暑くないと思うのは多分、母がいなくなって一昨年ほど家の中で動かなくなったからかもしれない。とはいっても、夜になっても涼しくならず暑い日が続く。

暑くて暇なときは家の中でおとなしく本を読む。昨日も長沼毅著『時空の旅人 辺境の地をゆく』(MOKU出版、2012年)を読んだ。

「今回ぼくは表紙デザインや本分のレイアウトなど、本づくりにも関わった。・・・本書は僕の中でイメージがふくらみ、絵を描けるところまでいった。それをうまく形にしてもらったのが本書である」(あとがき)。

著者はあとがきでこう記している。本の表紙デザインはちっちゃなヒト(子ども?)がかもめ飛ぶ空の下、ひとり淋しく歩いている。歩いているのは幼い女児だろうか。だがこれは間違いなくタイトルにあるように旅人だろう。そう「時空の旅人」に間違いない。

筆者の長沼は「小心者のぼく」と自らを述べる。この「小さい旅人」は筆者を表しているのかもしれない。

「『小心者』と罵倒されてもかまわない。新たな調査地での計画を慎重に考える。ぼくはたんなる生還者よりもっと贅沢なことを求めているからだ。それはせっかく南極に来たのだから『来る前と同じくらいの健康状態で帰りたい』という願いである。ぼくはJARE(南極地域観測隊)史で最弱の小心者に違いない」(184p)。

筆者がこの本で出かけた先は私が出かけたところとはまるで異なる。それでも3箇所だけ筆者と同じところに行っている。それは滋賀・琵琶湖とロシアのサンクトペテルブルグ、そして中国シルクロードである。サンクトペテルブルグに出かけたときはソ連の時代であり、レニングラードといわれていた。とはいっても遊びと研究目的で行くその違いは大きい。

筆者のいう辺境はサハラ砂漠、南米アタカヤ、オマーン、鹿児島~屋久島~薩摩硫黄島、北海道・幌延、滋賀・琵琶湖、サンクトペテルブルグ、北極、南極である。

本を読み進めるうち、日本語として分かってもその内容が分かってないと気づく。ただ字面を目で追ってる感じ。また本に引用してある著書もほとんど聞いたことも目にしたこともない。それだけでも筆者の博識振りがうかがえる。

筆者は「手相、占星術、コンピュータ占いなど、どんな占いでも必ず『貴方はたいして出世しない』」と託宣されてきた。現職の准教授は出来すぎだ」(159p)という。

日本人としてはじめて南極へ行った白瀬隊長一派は日本への帰路、仲間割れしてほかの汽船に乗り換えて帰国する(158p)。とはいっても白瀬隊は、所期の目的は達成せずとも、生還したことが立派である(163p)と筆者はいう。

この「生還したことが立派」は本書の後半に書いている筆者の「南極からの生還」ともからんでいる。

そこには「『大して出世しない』と占われて幸せだった。そのおかげで精神的重圧がなく、そもそも出世欲がないからだ。なるほど占いにはこういう効用もあるのかと、人間の知恵に感心する」(163p)と述べ、「占いに感心しているようだから出世しない」(163p)と謙遜しながらも「冒険でも探検でも『生還』と言うミッションは自分で成し遂げるもの、決して人まかせ、運まかせではありえない。自分の生命は自分で守る。・・・『しらせ』艦上で覚悟を新たにする」(164p)と書いている。

2010年サンホセ鉱山の落盤事故で作業員33人が地下700メートルに閉じ込められた。地の底で70日間生き抜いた知恵と勇気と生命力を称える。

筆者はこの事故を教訓として「肝心なのは『生き延びる』と決意し、生き延びるために持てるすべての資源ー知恵と勇気と力ーを注ぎこむことだ」とする。「大して出世しないと占われたぼくは、『生への執着が希薄』とも占われてきた。しかし、3度目の、南極行きでやっと栄えあるJAREの一員になれたのだ。『長靴の水を呑む』くらい、生への執着をもって南極に臨もうと思った。これが『しらせ』艦上の決意である」(168-169p)。

先日の講演会で個人個人の聴衆と気さくに記念撮影に応じる筆者を1メートルの至近距離から見た。その時の感じでは「宇宙飛行士」にあこがれたヒトとは思えないほど華奢に見えた。決して大きい人ではなかった。

ところが「大して出世しない」といわれ続けるとヒトもそれをバネにして飛躍する。筆者はヒトが出来ない「大きな出世」をしている。また筆者が行っていることは誰でもできることではなく「小心者」どころか「大物」である。

このほかにもこの本からメモしたいところを記そう。

「あるとき、沈殿した思考から、発想が泡のように浮かんでくることがある。そのアイデアの泡はいつ浮上するかわからない。運よくその泡を捕まえられたら、それは『セレンディピティ』だろう。・・・誰にでも訪れる超ラッキーをきちんと自分のものにできること、それを全部ひっくるめてセレンディピティというのだ」(13p)。

虹の7色の覚え方として「7色を覚えるのによい方法(mnemonics、ニーモニクス)がある。それは英国発祥のVIBGTORという単語みたいな語呂合わせである。赤~紫を逆にして紫~赤の順に、violet、indigo、blue、green、yellow、orange、redと並べた頭文字だ。・・・こんなことを考えるなんて英国人も閑だね、なんていtってはいけない。虹の7色をきめたのは、英国人にして科学界の巨匠、かの有名なアイザック・ニュートン卿なのである」(16p)。

「如術と積み石」では「素朴な習俗のひとつに、アパチェタというものもあった。登山者の間でしばしばケルン(ドイツ語)、ケアン(英語)と呼ばれるもののことだ。・・・それは単なる道標ではない。人々の『祈り』や『思い』がこめられた聖石である。・・・聖石といっても、荘厳美麗な石造りではない。ただの積み石だ。でも、ただの積み石にこそ、ふつうの人々の日常の営みに根ざした、それゆえに根源的な祈りが感じられるのである」(25p)。

この聖石は多分チベットなどで見たものだろう。巡礼のいたるところにたなびくタルチョ(旗)とともに高く積み上げられた石の山を見かける。石には精霊が宿ると聞く。巡礼者は旅の安全を積み石に込めているのかもしれない。

筆者はアタカマで其処此処にあるアパチュタを見かける。「こうなると、もはや道標ではない。現地の人に訊いたら、不運や悲運、悪運などをそこに置きにくるのだという。一種の封印如術なのだろうか。・・・身に憑いた悪運を落とし、石に閉じ込めたかったのだろう。ぼくはもう『祈り』というより『念』を感じ、畏れた。インカ帝国あるいはそれ以前からつづく『念』だ。今の心と書いて念となる。その時々の『今の心』がひとつひとつのアパチェタにこめられた。念ずれば現ずる。荒原に叢(むら)立つアパチェタの数だけ、念じた人々によい暮らしが現じたであろうか」(25-26p)。

この辺りの文章を読むともう文化人類学の分野。誰でもが行かれるところならばアタカマへ行ってアパチュタを見たい!

「偏西風とは西風、すなわち『西から吹く風』であり、偏東風はその逆だ」(128-129p)。偏東風というキーワードは知らなかった。筆者も「大学の講義で学生に質問すると、かなりの割合で誤答するので、あえてここで記す次第である」(129p)と述べる。

この本に掲載されている著書は以下のようである。

向一陽『アカタマ高地探検記』
藤崎慎吾『ハイドゥナン』
長沼毅『生命の星・エウロパ』
ランボー(中原中也訳)「最も高い塔の歌」
ランボー(金子光晴)「いちばん高い塔の歌」
ランボー(小林秀雄訳)「てっぺんの塔の歌」
『アラビアン・ナイト』『千夜一夜物語』
ピッチーニ作オペラ「トゥーランドット」
リムスキー・lコルサコフ作曲 交響組曲『シェヘラザード』(『千一夜物語』から)
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』
『平家物語』
ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
ノルウエー極地研究所『スヴァールバルの地質』
アムンセン『南極点征服』
ヘディン『さまよえる湖』
サンテグジュペリ『星の王子様』他

この中でまともに読んだ本はヘディンの『さまよえる湖』だけ。なんと悲しい!

ノルウエー極地研究所『スヴァールバルの地質』のところで「石灰岩棚田とは中国九寨溝の五彩池や米国イエローストンのジュピターテラスなどで有名だろう」(122p)とある。この中国九寨溝はGWに出かけた。確かに池に横たわる樹木も石灰化していた。石灰棚田の意味もわかる。

毎日3,4人のブログを読んでいる。読んでいて知らないことに行き当たり、それを調べているうち長沼氏を知る。知ってまもなくして講演会の催しを知り、それを聞きに行き、そこからTVを見て、本を読む。

この本で改めて「情報を知る」ことの意味を知る。もっといろんなことにアンテナを張り巡らそう!

それにしても筆者は「小心者」どころか「大物」であり、「立身出世」した「探検家」だ。読んだ後、元気が出る。

今日は夕方からフルートのレッスンに出かける。暑さのせいにして余り練習をしていない。これから少し練習してレッスンに行こう!

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