2012年8月3日金曜日

『傷のあるリンゴ』

暑い中、毎日外に出ている。今日はプールに行く予定を変更して外山滋比古の『傷のあるリンゴ』(東京書籍、2012年)を読む。

この本に書かれていることは著者自身の格言のようなもの。「Ⅰヒマなほど忙しい」「Ⅱ傷のあるリンゴ」「Ⅲ不幸は幸運のもと」から30ほど自らの考えを書いている。

そのうちから気づいたことを記したい。

1の中の「始よければあとがこわい」では「若いとき、人生のかけ出しでつまずき、失敗するのは実は大変な強運に恵まれているということで、本人はいくら感謝してもし切れないくらいである。幸いかどうか、それほどの悪条件のもとでなく、人生のスタートを切った人は、逆に大変難しい問題を抱えることになる。始めよければ終わりが危ない。したがって、始が悪ければ、よほど心がけが悪くないかぎりあとはよし、となるのが、順序である。人生、プラス・マイナスはゼロであるが、マイナス先行のプラスは,本物のプラス。プラス先行だと、あとのマイナスは挽回できないくらい大きい」(29p)。

この言葉、身に覚えがある。短大卒業後、先生の推薦する専門の仕事が決まっていた。それにもかかわらず、それを断る。卒業後4月になっても20日くらい職に就けない時期があった。それは著者のいう、まさに「人生のかけ出しでつまずき・・・」だった。

だが、救いの神も現れて就職も決まる。その後も何かにつけて突き詰めて考えていると、思いがけずいいことが起きる。いつしか深刻にモノ・コトを考えなくなり、頑張っていればきっと悪いことにはならないと思うようになった。今では気の赴くままに行動している。「始が悪ければ、よほど心がけが悪くないかぎりあとはよし」のこの言葉を信じよう!

「多忙の効用」では現役時代忙しくしていたサッチャー首相、レーガン大統領はともに引退後アルツハイマーになっている。この2人を例に挙げて「年をとっても元気でいたいと思ったら、とにかく忙しくすることだ。することがなかったら作る。つまらぬことでも、しないよりはした方がいい。・・・過労はいけないが、多忙は元気の泉」(53p)。

Ⅱの中の「傷のあるリンゴ」では失敗という心の痛手を受ければ、それを癒す努力は自然である。壁に突き当たったら、乗り越えようとするのが人間である。・・・試験に落ちて進路変更を余儀なくさえれたような人が、悪戦苦闘、傷だらけになって走る人生マラソンのゴールはおどろくほど見事である。失敗は幸運の女神の化身であると考える人がすくないのは不思議である。傷のあった方がうまいのはリンゴにかぎらない。われわれは不幸、失敗の足りないことをこそおそれるべきである。傷ついてうまくなったりんごの教訓は貴重である」(67p)。

「口舌散歩」ではわれわれ凡夫も、おしゃべり散歩を楽しめば、年を忘れ、われを忘れ、生きること、ようやく楽しと思うことができる。口舌、腹を満たすのみならず、心の活気のもとになるストレスを消すためのエクササイズができる。昔は、ものを思わざりけり」(104p)。

Ⅲの中の「おしゃべり」では「大きな声を出してしゃべるのは、軽いジョギングをするくらいあるというから、楽しいおしゃべりは散歩などに劣らぬエクササイズになる。実際、声を出す仕事をしている人は害して長命なようで、声を出さなくなると急速に衰える、と言われる。おしゃべりは金、沈黙は災いのもと」(166p)。

今朝は、久しぶりバイト時代のふーちゃんと長電話をしてしまった。彼女と私の母は生まれ年も月も同じ。ただ日だけが20日前後違う。そして亡くなった年月は彼女の母上の方が少し早いけど亡くなる時季はともに冬。そのためかどうか、共通することも多い。なんといっても彼女は聞き上手。ふーちゃん、今日は長電話に付き合ってもらって謝謝!毎日暑いけどそれ以上痩せないようにね(笑)!

「忘れるが勝ち」では「とにかく悪いことは、なるべく、早く忘れることである。それには、新しいことを夢中ですることだ。人がどう思うか、そんなことは問題ではない。・・・いやなことはすぐ忘れる。これもひとつの才能である。ものを覚え、忘れないのは常識的には優秀な人の特性であるが、そのためにせっかくの才能の出番をなくしていることを、知らない人が多い」(172p)。

ブログを投稿していると夕方になる。だが今日はまだ一歩も外に出ていない。長電話で口の運動はしたけど・・・。今から自転車に乗ってさあ出陣!

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