2012年6月30日土曜日

『あんぽん 孫正義伝』

『あんぽん 孫正義伝』(佐野真一 小学館、2012年)を読んだ。昨日、講義を終えてバスを待つ間、図書館に行く。入ってすぐのところに新刊が置いてある。最初に手にしたのが本書である。

「あんぽん」は小さい頃、頭が変な人のことを「あんぽんたん」と言っていた。その侮辱的な所以からこのキーワードがあるのでなく、孫の通名「安本」の音読みだった(16p)。その底辺には「あんぽん」という韓国風の発音が自分の出自を隠して生きてきた孫の自尊心を深く傷つけるからという。(16p)

著者の佐野真一はこの本を書くに当たり詳細な裏づけを取り、「いかがわしい男」孫正義について書いている。

この「いかがわしさ」を佐野はプロローグで、孫にまつわりつくそのいかがわしさの根源を探る。それは成り上がり者だからか、それとも在日朝鮮人だからか、その2つはノーとしながらも、その源泉につて本書で検証している(12-13p)。

本の構成は7章からなる。だが、4章までが本書の言いたいところだろう。本の後半は孫の母方のルーツを探し歩く。そして関わりのある人と会って本の裏づけとしている。

だが何といっても、いくら貧しく育ったという日本人といえどもその育ちにおいては雲泥の差があるだろう。それは日本人と在日の差といえばよいかもしれない。どこの地域にも在日の人はいる。そして在日=養豚、密造酒作り,、パチンコ屋はステレオタイプなのだろうか。この本でもこの3つがいたるところに登場する。

小さい頃、線路を隔てたところに住むそのような人たちを知っている。中学までのクラスにも何人か在日の人はいた。当時は日本名だった。だが何となく子供心にもわかる。

そんな状況を見ていたので、この本を読んでその場面は想像できる。それにしても読めば読むほど泥沼から這い上がった人のエネルギーのすごさを感じる。と同時に、それを取り巻く人々のすさまじさも感じる。まるでドラマを見ているようだ。それともこの著者の書き方がそうさせるのだろうか。本に出てくる人たちの大半は現在でも活躍している。よくもここまで書いたというのが実感。

そして主役の孫正義自身もこのように感じている。「『しかし、佐野先生の取材力はすごいですね。僕も随分勉強になりました』私には、その言葉が本書に対する最大のエールのように聞こえた。」(392p)

借りてきた昨日夜から今まで一気に読む。

「孫正義は朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ立て小屋の中で、膝まで水に浸かりながら,必死で勉強していたという。・・・この根性が、叩かれても叩かれてもへこたれない孫正義の強さの秘密である。と同時に、その根性は、人を辟易させる理由ともなっている」(33p)。

この中から、驚くべきスピードでビジネスを成功させる過程こそが孫の胡散臭さの源泉であると著者はいう(32-34p)。

さらに著者は、ジョブズが亡くなった時、涙した孫について「日本版スティーブ・ジョブズ」の物語を書こうとした(42p)。そういえば、ビル・ゲイツもジョブスも孫も同学年だとか。だが孫は大学を飛び級しているから2人より2歳年下。

1980年代初めパチンコブームのとき孫一族6人が持っていたパチンコ屋は56件。それで儲けて建てた御殿のような豪邸は今でも一族の語り草だとか(46p)。

2010年6月「新30年ビジョン発表会」の際、孫は大スクリーンに映した祖母の李元照の写真を見せ、声を詰まらせながら述べたという。「-家で飼っていた豚の餌の残飯集めをするとき、いつも私をリヤカーに乗せて連れて行ってくれたおばあちゃんが、私は大好きでした。でも、あるときからおばあちゃんが大嫌いになりました。おばあちゃんイコールキムチ、キムチイコール韓国と思うようになったからです・・・」(60p)。

孫は今でもハングルは読めない。だがそのおばあちゃんと1973年、孫は一度だけ韓国大邸市に行く。そこで目にしたものは電気もなく、舗装されない道、橋のない川(61-62p)。

12歳のとき孫は詩を書いている。それは担任の先生が持っていた。


君は涙を流したことがあるかい。
「あなたは。」
「おまえは。」
涙とはどんなに、たいせつまものかわかるかい。
それは、人間としての感情を、あらわすたいせつなものだ。
「涙。」
涙なんて、流したらはづかしいかい。
でも、みんなは、涙をながしたくてながしては、いないよ。
「じゅん白の、しんじゅ。」
それは、人間として、とうといものなのだ。
「とうとい物なんだよ」
それでも君ははづかしいのかい。
「苦しい時」
「悲しい時」
そして
「くやしいし時」
君の涙は、自然と、あふれでるものだろ。
それでも、君は、はづかしいのかい。
中には、とてもざんこくな、涙もあるのだよ。
それは、
「原ばくにひげきの苦しみを、あびせられた時の涙」
「ソンミ村の、大ぎゃくさつ」
世界中の、人々は、今も、そして、未らいも、泣きつづけるだろう。
こんなひげきをうったえるためにも、涙はぜったいに欠かせないものだ。
それでも君は、はづかしいのかい。
「涙とはとうといものだぞ。」)(69-71p)

中学になると朝鮮部落を離れ、母親と福岡のマンションに移り住む。その転向手続きは一人でしたという。中学3年になった孫は教師になろうとするが韓国籍に悩む。そのことを担任の先生に手紙を出している。

その後久留米大付設高校進学。そのとき先に手紙を書いた先生に塾経営の相談をする。そのころ「森田塾」にはいれば成績が上がると知る。だがそこは優秀なものしか入れない。その頃の成績は塾に入れるほどでなかったらしい。そのとき塾長にコネがある人を頼って入塾する。自らの塾経営も諭される。このころ父が吐血する。その費用を塾経営で捻出しようとする。そしてアメリカ行きを決意。そこにはたとえ東大に入ったとしても韓国籍という難題があった。

「たとえ韓国籍であっても、アメリカの大学を出れば、日本人はもっと僕を評価してくれるかもしれません」と付設高校1年の担任に話している。それは祖母との韓国旅行から2ヵ月後のことだった。

アメリカにわたった孫はカリフォルニア大学バークレー校編入。そこで不眠不休で発明した「自動翻訳機」で1億円を手にする。(60p)その話にはシャープの佐々木という人の保証がある。彼は自身の財産と退職金を担保に入れて孫の融資の保証人になる(107p)。孫にそれだけの魅力があったと佐々木は述べている。

孫の愛読書は『竜馬がゆく』とか(109p)。

孫の父三憲について「親父が、際限のないレベルで僕を褒めたからでしょうね。『お前は俺より頭がいい』って。・・・」(113p)。親の言葉に自信を持ちトヨタ、松下さえも抜いてやるという自信を持つ。

ソフトバンクを始める前に韓国名で会社を起こす(162p)。

孫は紙の本は消滅し,電子書籍がそれに取って代わって定着すると言う。そう聞くたび、著者は「皆頭が悪いからです。」と発展しないそのことを関係者の頭の悪さにする、このことこそが孫のいかがわしさの根源だとする(178p)。

著者が「あなたはいつも株価を煽ってITバブルをつくってきた。だからいつまで経っても尊敬される経営者になれないのではないか。」「それも情報革命のためです」何を聞いてもそういう。そして孫の目指す情報革命には大賛成としながらも著者は「孫が社会的にあまり恵まれなていない階層や、さまざまな差別に苦しむ若者たちの間で絶大な人気があるのもうなづけるとする。(181p)

この辺りで佐野は安本正義が孫正義に生まれ変わる軌跡に関心を抱き、この評伝を書こうとしたと改めて書いている。(216p)

そのことを著者の佐野は「絶対に埋められないタイムラグこそ、おそらく私たち日本人に孫をいかがわしいやつ、うさんくさいやつと思わせる集合的無意識となっている。高齢化の一途をたどる私たち日本人は、年寄りが未来のある若者をうらやむように、底辺から何としても這い上がろうとして実際にそれを実現してきた孫の逞しいエネルギーに、要は嫉妬している」(219-220p)という。

そういいつつも著者は「孫正義よ,頼むから在日でいつづけてくれ。そして物議を醸しつづけてくれ。あなたがいない日本は、閉塞感が漂う退屈なだけの三等国になってしまうからである。それは『日本が大好き』というあなたも望まないだろうし、『三・一一』後大きく変わる新生ニッポンの誕生を期待する多くの日本人も望んでいない」(393p)。

そこには今でもネット上に溢れる差別があるという。「在日は早く朝鮮に帰れ」や子どものころ白眼視された「あんぽん」が・・・。

ブログを書き終わって孫が帰化する際のエピソードを忘れている。帰化する際、「安本」でなく「孫」で申請するとその名は日本には一人もいないから駄目だと却下される。そのとき奥さんとなる人が「孫」で戸籍を登録。これで一人「孫」と言う戸籍名が日本にできる。次に出向いて一人いるではないかといって「孫」になる。このいきさつもすごいが結婚のいきさつもすごい。

最後に著者は書いている。「私が本書で書こうと思ったのは、孫正義という特異な経営者はなぜ生まれたのか。それを朝鮮半島につながる血のルーツまで遡って探ることだった。言葉をかえれば、これは私なりの在日朝鮮人論であり、孫一族の『血と骨』の物語である。・・・孫正義をテーマにしてこれまで書かれたどんな本より、本書は百倍は面白いと確信している」(395-396p)。

ここまで投稿して草臥れた。もうこれで終わります。

2012年6月29日金曜日

ホッとする!

2コマ目の講義を受けに大学へ行く。JRを下りて、乗り換えたバスから見る景色は田植え後の緑一色の田んぼ。そして見上げる空は真っ青で入道雲も見える。すがすがしい天気!

教室は先週くらいからエアコンが入る。だが先生はなぜか暑そう。前期の試験日が決まったと聞く。すべての事務関係はパソコン上で知る。だが、念のために話されたのだろう。

先日のテストでは90分に驚いた。だが、本番でもそうだという。どうも45分ではテスト問題が長すぎて回答も困難を極めるとか。確かに先日のテストもそれなりの時間を要した。

テストといってもいわゆる単語を訳すとかでなく、B4の用紙一面にスペイン語の文章が印刷され、それに基づく問題が出される。内容を把握しないとどうすることも出来ない。

習い始めてまだ少し。大学へ行くだけでも気合が入る。ましてやテストとなると大変だ。

大学と言えば、昨日我が家で幼馴染と話しているとメールが入る。どこから?と思ってみると大学のメディアセンターだ。もしかして・・・と不安が過る。先日のメディアのテストを合格したのにまさか・・・。よく見ると違っている。アンケートの回答をするように、とのことだ。ホッとする。

家に帰ってアンケートのHPを探すが手間取る。後回しにして予約の歯科に行く。来週でやっとながい治療が終わるらしい。これでまたホッとする。

一昨日の一般検診でいつものように罹り付け医を聞かれる。眼科と歯科と答えると相変わらず怪訝な様子。今のところこの2箇所に通っている。近いうち歯科も3カ月おきに通えばよくなる。

いずれにしても「医者」に通うのは楽しいことではない。それこそもっとホッとすることを見つけて楽しもう!

学生たちは今度の日曜日に大学で開催される「ゆかたまつり」の話に花が咲いていたが・・・。

2012年6月28日木曜日

悲しき読解力

今朝の地元紙を見ると一面に「そごう呉店、閉店へ」「来年1月末  売り上げ低迷」と大きく書いてある。

昨日、三越へ行った際、商品を受け取るまでソファに腰掛けるよう言われる。時計、貴金属売り場の6階は置いてあるソファも売り場の真ん中にある。そこへ座るほどの買い物をしているわけでもない。人気のない売り場を見たとき、そろそろボーナスも出ただろう、と思いながらも不景気を実感する。

その翌日の朝刊記事。驚いてしまう。今年春、市内のデパートが閉店し、その跡に家電量販店がオープンしてまだ1週間も経っていない。店舗も景気によって自然淘汰されるのだろうか。

そごうといえば前社長時代に開店したわが町の店舗もすぐに閉店した。無理な経営がそうさせるのだろう。

気分をかえて、数日前、ある人のブログを読む。ところが書いてある文の意味がよくわからない。読解力がないと思いながら何度か読む。それでもわからない。特に「ビビアンの語り」。これは先に述べた文章を指すのかどうか考える。それでもわからない。今朝、同じ人の新たなブログを読むと「ビビアンのヒール」とある。靴のヒールの高さである。

どうもわからないのでブログ上でその意味を教えてもらおうとした。先日そのブログに書いてあったメールアドレスにメールを送信する。そのためかどうか、今朝見たブログにヒントらしきヒールの話が最後に書いてある。

これを読んで少しわかってきた。きっとこのビビアンはファッション関係でブランド名の人だろう。その名を検索するとあった、あった。

ファッションには疎い。ましてブランド品は全く興味なし。その人自身について検索するとブログに書いてあることと少し関係ある人に思えた。

それにしても知らないということは悲しいこと。ブログを読んでも日本語の意味が正しく理解できない。だからといって、ブランドに興味を示すのも・・・。といってもそのブランドは皆に知られているのだろうか。やはり知らないのは私だけ?

2012年6月27日水曜日

一日が過ぎてゆく

今朝は昨夜の遅い眠りにもかかわらず、いつもどおり起床する。また、今朝は昨日届いた県立美術館の入会申し込みと、年会費を納入する。

郵便受けを見ると、先日電話で話した東京在住の同級生から葉書が届いている。半世紀近いブランクの後に見る葉書。どう表現していいかわからない。互いにその間のことは知らないけれど、なぜか知っているような感じもしてくる。文の最後には「いつかお会いできることを願い、お互い元気でいたいですね。」と書いてある。

「元気」と言う言葉を掛け合う年齢になってしまった。感慨にふけるまえにいつか会う機会を作ろう!それこそ「元気」なうちに・・・。

午後からは、一般検診を受けに市内へ出る。今日のところ異常なし。

それを終えると先日何十年ぶりに会った恩人の女性に、昨年の病気見舞いを兼ねてお中元を贈る。例年、家からFAXで母の名で贈っていたお中元。昨年から母もいないのでやめる事にした。しかし、お中元と言う名目でなく、お世話になった人々に気持を贈るため三越に行く。

7階の中元コーナーでは、客を待ち構えたかのように親切に応対してもらう。さらに、地元の新聞社のメール会員の登録で1割引になる。また来店者には500円の商品券もくれる。そして1万円以上の利用者には記念品までもらう。

至れるつくせりでびっくりする。デパート内はどこを見ても平日の昼間で客は少ない。まして、今年3月には隣接のデパートが閉店となっている。デパートも大変なのだろう。

それを終えると、下の階へエスカレータで移動する。エスカレータ前に、掛け時計が陳列してある。それも電波時計の掛け時計。

この電波時計に気をとられ、しばし見ていると係りが近づいてくる。どれがいいか聞くといいものを教えてくれた。すぐにそれを買う。商品を受け取るまで、ショーケースを見ていると腕時計のソーラー電波時計を見つける。その価格帯は5、6万円。

かなり買いたくなる。だが現金を持っていない。最近カードは利用しないようにしている。とりあえずカタログをもらって帰る。

雨が降るようで降らない。暑くもなく外出するには丁度良い。それでも時には家にいればいいものを、そうもせず動き回っている。こうして今日も過ぎてゆく。これも元気な証拠!?そして明日はどんな日になるのやら・・・。

2012年6月26日火曜日

励みになる!

火曜日は忙しい。今日も昼前に家を出て大学へ向かう。先週からスペイン語も難しくなる。今日も新たな不規則動詞の活用を習う。ある程度終わるたび先生は「楽勝ですね」と気合を入れる。

規則動詞の語尾変化をやっと覚えた。だが規則・不規則動詞の区別を覚えないとその活用まではわからない。習うより、慣れろ、と言われる。そうかもしれない。徐々に慣れるのだろう。

授業が終わると市内へ移動する。今日のフルートのレッスンは次のレッスンの人が休みなので、次の次のレッスンの人と全体合奏のレッスンを一緒に受ける。その前に、いつものレッスンを受ける。ソロの曲のレッスンを受けているとき、先生から低いファ♯の音がいいと褒めてもらう。そのときどうもビブラートが良かったらしい。2分音符のような長い音にもファ♯のビブラートのように吹く練習をする。「今日の課題はビブラートの出し方ですね」と笑って話す。

唇が震えて音も震えていた。だが、ビブラートとそれは違う。先生曰く「ビブラートがかかると唇が震えないね」。褒められることは何歳になっても嬉しい。いい音が出せるよう頑張ろう!

もう一人の人と全体合奏をさらってもらった後、その人と「夜ランチ」(お店のメニューにそう書いてある)を食べる。その人のお母さんは今大変な状態にある。彼女も色々と気ぜわしいはず。久しぶりに食事をする。ゆっくり出来る日には一緒に海外へ行こうと話も弾む。

食事後、JR広島駅に向かうと、カープの試合があったのかお祭りのようににぎやか。列車も満員で久しぶり勤めていた頃の気持になる。

家に着くと電話がかかっていた。次回一緒に旅行に行く人からである。旅行を止めると言われるのかと思った。そうではなかった。チョッピリ褒めてもらった!ありがとうございます。

その人に旅行に行ったならブログに投稿すると先日の説明会のとき話をした。すると、ブログを読んでるとの報告だった。そして「ブログを読んで世界が広がった」と励ましてもらう。あり難い。

人からの励みで元気になれる。何のとりえもないブログだけど、読んでもらうだけで頑張れる。

〇〇さん、電話ありがとうございました。海外旅行楽しみにしています!

2012年6月25日月曜日

見知らぬ3人の女性から

今朝降っていた雨も上がり気持がいい。月曜日はプールへ行く日。勝手にそう決め込んで今日も昼前プールに出かける。今日は1キロ泳ぎ、水中歩行はしなかった。

最寄りの駅で見知らぬ女性から声をかけられる。「お母さんはお元気ですか?」。「どちら様ですか?」と聞き返すと「いつも車椅子を押していたよね」。

自転車に乗らず歩いていると時々、今日のように声をかけられる。それはいつも母を車椅子を押していたころの話。母は1年前に亡くなったと話す。そして車椅子でこの辺りで有名になってしまった、といって笑って分かれる。

亡くなる半年前まで、ほとんど毎日母を車椅子に乗せて買い物につれて行った。当時の様子を見ていた人は、今一人で歩く姿が奇異に映るのだろう。6年半も毎日のように車椅子を押していたから・・・。

人によっては車椅子を押すことが恥ずかしくて出来ないという。幼馴染も施設にいる母親の車椅子が押せないらしい。

この付近では我が家ともう1軒いつも車椅子を押している姉弟がいた。その人のお母さんは100歳のとき自宅で「もう寝る!」と言った後、顔をのぞくと息をしていなかったという。幸せな死に様だった。

それから2年くらいで母が亡くなる。その間、その人たちに親切にしてもらう。特に母を移乗させる際、重くて失敗することがある。そのときお尻が床に着くともうどうもがいても一人で抱えることが出来ない。そのたび、介護タクシーを呼んだり、家の前を歩く人に助けてもらったりしていた。

あるときその姉弟が車椅子で散歩中、何かあったら助けてくれるかと尋ねるとOKと言う。すぐに電話番号を教えてもらい、3回ぐらい助けてもらったことがある。いつも気安くすぐに駆けつけてもらった。今でもその姉弟には感謝している。

駅で声をかけられた女性から、世の中には車椅子を押すことが恥ずかしい人がいることを思い出す。

プールでも2人の見知らぬ女性から声をかけられる。先週、プールの水が冷たかったので浅い方から徐々に入っていると、じっとこちらを見ている。誰?と思いながら入って泳ぐ。その人たちは歩いている人たちだ。

向こうへ泳ぎきると2人の女性が笑っている。どこで会ったことがあるか尋ねるとプールだという。全く覚えていない。プールで声をかけられたり、笑顔で話されることがある。それも挨拶、と思っているので全く顔は覚えない。ところが今日の人たちは覚えていたらしい。

2人から「プル友」だと言われる。そして「若いね」と言われる。若い?に驚く。3人で一番年齢が多い、というと1人が生まれ年を言う。その人は私より4歳上で、もう1人と同じ年齢だった。

同じ年齢の人は自分の名前を名乗って、こちらの名前を聞いてくる。教えると、もう1人の名前も教えてくれ、3人でいつか食事をしようと言う。

今日は3人の見知らぬ女性から声をかけられた。話しやすく見られるのかもしれない。話しかけられて直感的にいい人と悪い人を見分けることがある。今日の3人は感じのいい女性たちだった・・・。

2012年6月24日日曜日

共通項

昼前、帽子も被らず予約している本を取りに図書館へ行く。最近は図書館でゆっくりするより家のほうが落ち着く。昨年まで図書館へ入り浸っていた気持はどこへやら。一人で家にいることに慣れてきたのかもしれない。


図書館を出るとスーパーへ行く。暑くなってくると母に供える生花もすぐにしおれてしまう。今日は元気でしおれそうにない真っ赤なグラジオラスとファーストレディという初めて聞くカスミソウのような花を買う。どんなに暑くてすぐに花がしおれても造花は飾らない。

家にいるとき、毎日3,4人のブログを読んでいる。その一人の内田樹氏のブログ。しかし、氏のブログの更新は毎日でない。今朝久しぶりに訪問すると、読んでいないブログが投稿されている。今月20日付のブログである。


それには「大人とは『子どもにはその側面がわからないものの価値がわかる人』のことです。(「大人」の定義には他にもたくさんありますが、とりあえずそのうちの一つはこれです)。
私たちが学ぶのは『子どもに見える世界』より外側に踏み出すためです。お金が欲しい、いい家に住みたい、みんなにちやほやされたい、レベルの高い配偶者を手に入れたい・・・というようなことが人生の目的だという人は、たとえ60歳であっても『子ども』です。その年になるまで、ついに学びと無縁だった人だったということです。・・・」(「先生はえらい」韓国語版のための序文より引用)と書いてある。

この「大人」の定義は面白い。なかでも「私たちが学ぶのは『子どもに見える世界』より外側に踏み出すためです。」には驚いてしまう。ここに書かれている「人生の目的」は私にとっては無縁の世界。その面では「学びとは無縁でなかった」ということになるのかもしれない。


内田氏は大学を定年退職後、合気道の師範をしている。合気道といえばヴァイオリニストの古澤巌がいる。ブログを通してこの2人の共通項を知る。それは合気道。合気道がどんなスポーツなのか知らない。とはいっても身体技法の一つであるのは確かだろう。


毎日読むこれらのブログ。時に著名人のブログは本として出版されることも多い。内田氏のブログもそんな感じがする。氏の今回のブログは逆に本の中から投稿している。特に取材を受けたときはブログに反映している。そのためか、私にとって世の中の動きがわかる身近な情報源となる。だが、時にとてつもなく長いブログがある。そのときは夜読むと頭が回らず、何が書いてあるのかその内容は難しい。


ともあれ、人のブログを読んで励まされ、頭もボケなくなればそれは幸いなこと。少しでもそういう人たちのブログにあやかりたい。

2012年6月23日土曜日

決定打

梅雨とはいっても雨は降らない。新聞の1週間の気象予報でも雨の日はなさそうだ。

昨夜は、広響の定演を聞きに行く。昨夜のゲスト兼指揮者はフルートの第一人者パトリック・ガロワ。もう1人のゲストはガロワの弟子のフルーティスト瀬尾和紀。

広響の演奏を聴く個人会員になっている。しかし、指定席でないため、早めに家を出てチケットと交換する。前列から16番目の舞台に向かって左側の席。いろんな人が聞きに行く。そのため、なるべく端っこの席がいい。

昨夜の2人のフルーティストの演奏は師弟によるフルートの競演。2人のころころとまあるく響くフルートの音色は素晴らしい!

入場する際、プログラムをもらう。昨夜はその中に何と音楽関係のリーフが19枚もある。そのほとんどはクラシック。その中に1枚、県立美術館友の会会員募集のチラシがあった。

その友の会へは10年前まで入会していた。久しぶりそのチラシをみて今朝は早速入会案内書の送付依頼のFAXを流す。

いろんな意味で10年のブランクを感じる。当時は働きながらいろんなことに首を突っ込んでいた。昨年から中断していたことも徐々に再開している。友の会もその一つ。他にもまだあると思う。思い出しながらやり始めよう。

もらったプログラムを読むと「故アラン・マリオン」とある。有名なフルーティストも10年のブランクの間に亡くなっている。びっくり!

今朝は久しぶり自転車に乗って買い物に行く。スーパーを出ると知った人に出会う。両手に持ちきれないほどの買い物を持っている。一袋を自転車の籠に入れてあげて一緒に途中まで歩いて帰る。

その人は出会うたび「一人でいいね」と言う。言われる言葉も聞きなれてきたが、それにしても・・・。その人の今日の決定打は「要らん!」。旦那さんの顔を見飽きたから旦那は要らないというのである。いつ聞いてもその言い方が面白い。

今日は息子の嫁ほか3人の来客があるらしい。その買い物で大変だとボヤく。

なにを言われても驚かない。だが、その言い方が可笑しい。究極は私の父が亡くなったとき、母は何歳だったのか、とまで聞く。

母が一人になってよかったと言いたいのだろう。そういう人に限って旦那さんが亡くなると淋しい思いをするだろう。きっと・・・。

2012年6月22日金曜日

映画音楽&第320回広響定演

今日は梅雨の合間の青空で気持いい。

2コマ目の講義を終えて午後1時半ごろ、我が家に帰る。遅いお昼を食べようとするとBSで「さよならをもう一度」という50年前のモノクロの映画をやっている。行儀わるく、盆に食事を載せてTV前で座って食べる。映画の中で流れる曲は何ヶ月か前、広響の演奏会で聞いて気に入ったブラームスの交響曲第3番第3楽章。新聞の番組紹介によると中年女性の微妙な心理を描いているらしく、この曲が合うのだろう。
映画の中で他にもいい曲が流ていたが曲名まではわからない。映画は半分近く終わっていた。それでも後半部分を最後まで見る。出演の俳優たちはいくら映画を見ないといっても名前は聞いたことがある人たちだった。
 
話は変わって今朝のスペイン語。今日は前期の後半部分の始まりとあって先生は「今日は後半の一番大事なところです」と念を押して話される。

今日から不規則活用の「語幹母音変化動詞」を習う。テストのための勉強でなく、話が出来るようになろうと思う人は全部覚えるようにといわれる。これから徐々に慣れていくと思うけど、英語や中国語にない「語幹母音」などというスペイン語よりも日本語に戸惑いそう。

習い始めの頃、「副詞」「不定冠詞」「定冠詞」などの日本語のちゃんとした意味がわかっていないと知る。日本語の辞書を引きながらその意味を理解した。

動詞の不規則活用は一つの動詞で語幹の母音の変化とその動詞の語尾の変化という2箇所の変化が主語によってすべて変わる。それも不規則と言うように規則性がない。もちろん規則活用も当然ある。その活用変化も主語ですべて変化する。

日本語でも動詞の変化がある。その面では同じことかもしれない。だが中国語にはこのような動詞の変化はない。また中国語は現在、過去、未来も動詞によって変化しない。

それを思うとスペイン語は難しい語学なのだろうか。というよりもどんな言語も母国語以外は外国語。難しくて当然かもしれない。

今日はもう少しすると、第320回広島交響楽団定期演奏会に出かける。今日の演奏題目は「2人のフルーティスト」。指揮者は常任指揮者秋山和慶に代わって、指揮者&フルーティストにパトリック・ガロワを迎える。さらにフルーティストの瀬尾和紀も加わる。

演奏は下記の曲が予定されている。

♪フランツ&カール・ドップラー:2本のフルートと管弦楽のための「リゴレット・ファンタジー」
♪ライネッケ:フルート協奏曲ニ長調Op.283
♪フランク:交響曲ニ短調Op.48

今夜は、久々にフルーティストのパトリック・ガロワの演奏を聴く。一度この人の演奏を聞いているがさてさて・・・。瀬尾はガロワの弟子に当たるらしい。

最近、広島で外国の一流のフルーティストの演奏会がない。フルートの先生も演奏を聞きに行くと話されていた。その意味でも今夜は楽しみだ!

2012年6月21日木曜日

朝からしとしとと雨が降り続く。テストが終わりホッとしたのもつかの間、明日からスペイン語もさらに難しくなるという。

昨夜、遅い時間にもかかわらず、ノートの取り方を考える。寝つきがいい方なのに、寝るタイミングを外してしまった。そのため今朝は睡眠時間が短い。そんなときはなぜか損をしたような気持になる。ところが反対にいつも睡眠時間が短い人は寝る時間がもったいないという。このギャップは面白い。

今朝は雨も降っているので家の前のドラッグストアでノートを購入。お昼までこれまでのノートを書きなおす。これにも飽きてくると、歩いてスーパーへ出かける。

お昼を済ませ、パソコンで遊んでいると久しぶり幼馴染からTELがある。先ほどまで我が家で雑談。話を聞いていると娘さんが最近手術をしたという。

幼馴染は癌ではないようでホッとしていた。癌といえば、先日電話で話した同級生によると22人がこれまで癌などで亡くなっているという。その人の兄さんも61歳で癌で亡くなったとか。22人は当時の一学年の1割くらいに当たるだろう。

昨年親を亡くしたばかりで自分自身がそうなることが想像できない。世間的にはそうなってもおかしくない年齢だろう。それでもそんな話を聞くたびよそ事に思える。

話題は病気の話よりも学校の話の方が面白い。昨日会った人は大学の募集でイギリスへ短期留学したと聞く。これまで社会人大学生で交換留学生となった人は中国へ半年行っている。それ以外の人でも昨日の人のように留学している。羨ましい。

エッセイストの清川妙は『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』のタイトルどおり、84才でイギリスに留学している。

ところが長く生きているが家から離れたことは旅行のときだけ。いつか留学とまでは言わなくても長期に外国で暮らしてみたい。それには短期留学がいいかもしれない。これも一つの夢!?

2012年6月20日水曜日

旅行説明会に出かける

昨日は高校まで一緒だった同級生に東京から同窓会に出席していた人の住所と電話番号を教えてもらう。昨夕、夕飯を食べ終えると、すぐに東京の女性に葉書を書く。書き終えてお風呂に入ろうとしたとき、ふと電話をしようと思いつく。午後10時近い時刻なのに電話をかけてしまった。

何ごとも気の赴くままに行動している。電話の呼び出しが数回続いた頃、懐かしい声がする。当然、先方は相手が誰だかわからない。2度ほど名前を告げるとやっとわかってもらえた。嬉しかった。

その後は半世紀近いブランクがなかったかのように話に花が咲く。近くに住んでいるのに同窓会に出席していない。遠くからわざわざ出席した人から同窓会の様子を聞く。出席者を聞くと懐かしい名前も出てくる。その後は、彼女本人のこと、家族のことなど話し合う。

「長期間のブランクは感じさせないね」というと、それが同級生の良さだとか。本当にそう思う。

彼女は東京の世田谷に住み、姉兄等は東京近郊に在住。今では広島とは縁がないという。何故同窓会に?と聞くと幹事から電話をもらったことと、この機会を逃すと皆ともう会えない気がして・・・と話していた。

東京へは成田経由で海外に出かけていた程度であまり行くことがない。特に、この10年は海外へも行かず出かけることもなかった。いつかチャンスをみて行こう!

今日は、海外旅行の説明会に出かける。一緒に行く予定の人と4年ぶりに会う。その人とは社会人大学生の頃知り合う。当時、彼女は院生だった。最近2,30年ぶりに会う人もいたりして長く会っていない気がしない。

市内の某ビルでの説明会は平日の昼間とあって参加者は10余人と少ない。参加者の年齢も似たり寄ったりで2人連れも我々以外はいないようだった。

出かけようとする国はまだ観光客も少ないらしく、広島から130名余のチャーター便を飛ばすという。

GWに海外に行った女朋友に話すと5年位前に行ったことがあるという。だが、そのときは成田発でその国までは遠い道のりだったとか。今日の説明会でも主催する旅行社は広島空港発直行便を強調する。

2人で参加を申し込む。だが参加希望者は今のところ少ないらしい。旅行催行となるよう旅行社の人にお願いする。

海外旅行といえば、先日恩人とする5歳年下の女性から話を聞く。いくら海外に誘っても頑なに行かないと言ったらしい。それなのに何度も海外に出かけている。


30代でやっと自転車に乗れるようになる。次は車の免許を取ろうとした。電話で自動車教習所に予約し、入校の手続きに行くと視力が気になり始める。すでに免許をもっていた姉にその話をすると、更新の都度、困るかもしれないという。それを聞いて免許を取ることを断念。その代わり、この費用で海外に行こうと思いつく。その最初の海外旅行ですっかりのめり込み、会社の休みを利用しては行っていた。


それでも幾度か車の免許があれば、と思うこともあった。だが、そう思う度、海外に出かけた。もしも、免許を持っていたならば多分海外よりも車にのぼせていたかもしれない。

これからもせっせと海外に出かけよう!

旅といえば、昨日の地元紙「緑地帯」に古林邦和氏の「旅人の目」の記事を読む。古林氏は地元の今年度の文学大賞受賞者。

それによると「書くとは、知ることであり、そしてはつらつと生きることである。つまり旅と同じなのだ。どこにいようと、どのような境遇にあろうと、書き続ける限りすべては旅人の目に映る異郷であらねばならない。」とある。書くことが旅と同じとは・・・。

ブログを通して書いている。そしてブログを通して旅の模様を投稿する。この人のいうように書くことと旅は似ているのかもしれない。この2つは確かに人を生き生きとさせてくれる。

2012年6月19日火曜日

「なりきるのよ!」

雨の中、今日も講義を受けに行く。今日は先日のテストの講評だった。授業の最後で先生は、今回20点、30点の人はもっと頑張り、90点以上の人は気を抜かずに期末に備えよう、と話される。20点台の人がいる?と思って聞いていた。

その後、市内へ移動する。夕方の広島駅付近はバスを待っていても風が強い。どうも台風の影響らしい。だが、その頃には朝からの雨も上がり、気持いい天気になる。

その後、フルートのレッスンへ行く。今日のレッスンで先生から古澤巌のCDの話を聞く。「ロマンス」のCDを買われたとのこと。家にあるのは「ヴァイオリンの夜」だった。〇〇先生、来週、CD持参します。

先生は古澤の素晴らしさをその共演者も素晴らしいと話される。ピアニスト高橋悠治のことである。この人はフルートを習いはじめて先生から教えてもらい、その人のピアノを聞きに行ったことがある。古澤のブログには高橋悠治のことがよく書いてある。それを先生に伝える。

「悠治さんと今日、ソナタの 5,9,10番を録音した。さすがに、指がチリチリする。考えてみたら、悠治さんは自分より、ふたまわりは年上のはず。よく付き合って下ったものだ。眠い。・・・」(古澤巌 2012年6月5日ブログより)


その後レッスン。今日はいい音が出た。というのも、先生は譜面台の横に立って教えてくださる。そのとき、発表会のソロの曲を吹いていると、先生は音符一つ一つにまるで踊るような感じでさらってくださる。そして「なりきるのよ!」と。この言葉がおもしろい。思わず「その言葉を楽譜に書いてください!」というと小さな文字で書いてある。終わった後、大きな文字に書き直す。

「なりきる!」とは何といい言葉だろう。これが私にはない。もっとフルートを吹く人になりきって、丁寧に吹く。これが大事なことだと知る。

以前は、横におられる先生にあがることもあった。ところが最近は、先生の身振り手振り全身のレッスンがわかってきたのかむしろそばにおられる方がよく吹ける。先生にレッスン後「いつもそうやってレッスンしてください」と言うと、先生は「疲れる!」。確かにそうでしょう!

いい音が出ることをまるで祈ってくださるような雰囲気のレッスンだ。あり難い!

家に帰ると、高校まで一緒だった同級生から電話が入っている。すぐにかけ直す。先日の中学の同窓会の話になる。互いに出席していない。近くに住む人から名簿のコピーを待っているがまだもらえない。今日の同級生に尋ねると、名簿があるという。その女性も一人暮らし。教えてもらった女性は東京世田谷在住だった。明日は早速、東京のその人に手紙を書こう。

今年になって、なぜか懐かしい人からの電話や訪問そして再会がある。そういう年齢になったといえばそうかもしれないが、それにしてもなぜか不思議だ。

YOU TUBEはフルート発表会の全体合奏曲「コラール『目覚めよと呼ぶ声あり』」J,S.Bach作曲。

2012年6月18日月曜日

泳ぎに行って・・・

今日は雨が降りそうで降らない一日。今朝、明日の講義の予習を済ませると早めにお昼を食べてプールへ行く。いつもなら、泳いだ後に食事をする。今日は先に食べていたので体が重たい。次回泳ぐときの食事は泳いだ後にしよう。

プールへ入ると室温も水温も30度5分で水の冷たさがある。だが、泳いだ後の寒さはない。秋まで当分、水を冷たく感じるかもしれない。

今日はクロールと背泳ぎで900メートル泳ぎ、100メートル水中歩行をする。歩く人が多いためか、歩行のエリアが広くなっている。10人の入場者で泳いでいる人は2,3人。ほとんどは歩く人だ。

「一眼二足」と世間で言われている。元来は剣道のことらしい。眼と足が人間にとって大事と言うことだろう。母もよく言っていた。親子で眼が良くない。そう言って注意していたのだろう。

眼の次に衰えるのが足。水中で歩く人は足を鍛えているのかもしれない。水の中では道を歩くよりも足に負担がかからないとか。

泳いだ後、乗ったJRの車両は「がんばれカープ!」と赤一色のカープ列車。初めて乗る。それにしても今年のカープはどうなんだろう。

最寄り駅に着くと県観光連盟の「広島さんぽ」夏号の冊子を見つける。家に持ち帰ると「広島県デスティネーションキャンペーン開催」とある。このデスティネーションがわからない。辞書を引くと「目的地」「行き先」とある。別にカタカナにしなくても、と思うけどどうなんだろう。

母は元気な頃、新聞を読んだりTVを見てわからないカタカナ語をいつも聞いていた。誰でもがわかる言葉にすればいいのに・・・。
デスティネーションから”♪You Are MY Destiny♪”のフレーズが浮かんでくる。多分、デスティネーションはこの”Destiny”と関連する語だろう。これならわかる!

2012年6月17日日曜日

ピアノ発表会へ

梅雨の晴れ間の気持ちよい一日。今朝は明日の母の月命日を早めて姉夫妻と墓参り。雨上がりのためか、墓参りの人は多い。

墓参りを終えると我が家へ帰り、姉夫妻と昼食。その後は家の近くにある区民文化センター大ホールへ3人で行く。

今日午後から、姉の孫たち2人のピアノ発表会がある。昨年聞きに行って以来、早くも一年が経つ。孫たち3人のうち、上の2人が出演する。幼稚園年中組みから中学1年生までが出演。会場は一日中の貸切りの発表会とあって、午前、午後、夜の部とある。大きい子供たちは夜の部かもしれない。

ともあれ、先ほどまで姪の子供2人の演奏を聞く。出演する子供は皆、頭のてっぺんからつま先まで着飾っている。姪に「ドレスはどこで買った?」と聞くとネットで購入したという。年に一度の発表会。親たちの意気込みが感じられる。頭を見ると、子供たちの親である姪も長い髪。だが、子供たちも長い髪をたらして飾りやリボンをつけてもらっている。靴を見てもキラキラと輝いている。親にとって子供を人形のように飾ることも発表会の楽しみかもしれない。

また祖父母になる姉夫婦もカメラ、ビデオを持参して孫たちを写す。これもそれぞれの楽しみだろう。

ピアノに関して素養はない。しかし、2人の姪の子供たちが弾く演奏は1年前よりも上手くなっている。

それを見るたび、大人のフルート発表会を思う。とりたてて着飾るわけではない。だが、気持は1年間の練習の発表と言う意味では、子供たちと同じかもしれないと・・・。

ふと想像する。フルートの発表会で子供たちのように着飾って演奏するならばどんな様子になるのだろうと。演奏を聴くよりもその姿に目が行くだろう。これも面白いかもしれないが・・・。

2012年6月16日土曜日

『「仮面の大国」中国の真実 おそるべき経済成長の光と影』

本格的に梅雨に入ったのか、しとしとと雨が降り続く。自転車にも乗れず、今朝は歩いてスーパーへ出かける。踏切を渡ろうとすると、消防車、救急車のならすサイレンの音がけたたましい。

スーパーの帰りは行きと違う道を通る。するとパトカー、救急車2台、消防車3台が線路に沿ってとまっている。何事かと思い、歩いている人に声をかけると「ガスの臭い」がするという。係りの人は道にある排水溝などに何か器具を当てて検査している。異臭騒ぎということだろう。

家に着くと「異常なし」と放送している。これで安心!

安心といえば、数日前からコンタクトレンズを外すとき、スポイドを使用しなくても外せるようになる。いくらスポイドを使っても、どうも右目を外すとき手こずっていた。1ヶ月くらい前、スポイドでも外せないので眼科に行く。これではいけないと思い、何とかして自分の手で・・・と思ってその都度試みる。ところが最近、やっと以前の勘を取り戻したのか手で外せるようになった。これで気軽にコンタクトを使用できる。ホッとする。

スーパーから帰ると、先日読んだ『「仮面の大国」中国の真実 おそるべき経済成長の光と影』(王文亮 PHP研究所、2011年)をブログに投稿する。

先日四川省に行った際、中国の友人に日本への中国人観光客が多いが、どんな人たちが来ているのかと尋ねた。すると、燃料資源の権利を持っている人だという。共産主義の中国で「権利を持っている人」の意味が今一歩わからなかった。ところがこの本を読んでそれも理解できる。そして、最近の中国事情もわかってくる。

いつものように、関心あるところを記したい。

筆者の王文亮は日本で論文博士号を取得し、現在、金城学院大学大学院文学研究科教授。世界の超大国へと上り詰めている中国。だが本書ではそれに伴い次々と発生する上海地下鉄衝突事故や事件に対して警鐘をならす。特に中国式発展モデルのあり方が問われるという(まえがき)。

中国共産党機関紙「人民日報」傘下のウェブサイト「人民網(ネット)」で陳家興は「安全性のない発展はなくてよい」という論評を掲載した(まえがき)。

中国は「大国」といわれるが果たしてそうだろうか、と筆者は問う。「『大国』というのは決してワンパターンではない。むしろいろいろな分野で世界に冠たるもの、世界に誇れるものさえあれば、その分野の『大国』になる、または『大国』と呼ばれるものだ。」(まえがき)。そのうえで国民生活の向上が「大国」にふさわしいかどうかの最重要の判断基準となるという(まえがき)。

1992年、故・鄧小平は”南巡講和”のなかで「発展才是硬道理」(発展こそは絶対的な道理だ)と言い切った(まえがき)。この後、20年間、中国政府は「『動かぬ鉄則』を遵守し、経済面の発展を追い求め、多大な成果を収め、すさまじい変貌を遂げてきた」(まえがき)。

その発展の影には毎日の事故の犠牲者が約320人。このことこそが中国式発展モデルの最大の問題だとする。それよりもむしろ「規模や速度において世界一を求めるのではなくて、品質や安全性も世界一を目指さなければならない」(まえがき)という。

そのうえで筆者は本書から「経済成長主義が横行している中国の矛盾、あらゆる面で大きな変革を迫られている中国の社会構造および国民の生活保障について、多角的視点から、最新のデータと鋭い問題意識をもってその全貌と真相をリアルに描き出す」。(まえがき)

本の構成は下記のようである。

まえがき
第一章中国は本当に世界第二位なのか?

第二章経済大国らしからぬ脆弱な社会保障基盤

第三章人口政策で狂いだした国民の家庭環境

第四章歪んだ教育像で将来が見えない若者たち

第五章官僚、公務員の恐るべき腐敗・汚職

あとがき
参考文献

第一章では世界第二位となるGDPに疑問を投げる。「世界の工場」といわれる中国。メイド・イン・チャイナ製品が世界を切諌している。だが、それは果たして中国製といえるか。ただ製造国、産地が中国であり、主役は外資系企業ではないのか。GDPの4割はその外資系企業が作り出したものである(30p)。

高水準を続けるGDPの伸び率の維持は共産党政権の至上命題である。命題の一つは「地方の共産党と政府の官僚が自分の”政績”(政治上の業績)をより早く、より多く作り出すためである」という(34p)。

”政績”(政治上の業績)には「資本・産業誘致、都市開発、対外貿易など、経済成長に直接寄与するような成果が最も重視され、高く評価される」(34p)。

そして毎年発表されるGDPは国家統計局の発表よりも、国家発展・改革委員会発表の全国合計が上回っている。これは奇妙な結果であり、そこには「元凶」とされる官僚の業績を測る主な物差しにGDPがなっているからだとする(35p)。

これはネットユーザーにもみられ、中国のGDP世界第二位は中国が勝ち取った成果としてさらなる努力をして第一位になろう、と書き込まれる(42p)。

とはいってもその実態は2009年の国際通貨基金のデータによると中国一人当たりのGDPは3、566ドルで、世界99位。日本の一人当たりの39、573ドルの10分の1以下。それゆえ、一般庶民にとっては国民一人当たりGDPが国全体のGDPより重要であると専門家は指摘する(44p)。

経済発展によりもたらされた恵や利益は都市部のみならず農村部にも等しく及ぼす。これが新しい理念の下で中国のこれからの進路を決める上で重要だとする。これにより「世界の大国」へ雄飛となる(55p)。

中国の車について、純国産車を買ったものは「貧乏人」とみなされる。「中国人は誰よりもメンツと見栄を重んじ、周囲との対抗意識、競争意識が非常に強い。」(63p)。

そういえば先日四川省で会った友人夫妻も日本のT社の車だった。

さらに「不動産投資の代表として中国メディアに登場するのは、・・・”温州炒房団(不動産を吊り上げるグループ)”や山西省の中小炭田オーナーのグループ”山西煤老板(炭鉱主)”である」(82p)。

やはり成都で会った夫妻の言った意味がこれで理解できる。石炭のオーナー、すなわち権利者たちの金持ちが日本で観光し、買い捲っているのである。このグループは石炭価格の高騰で巨財を成した投機集団。そのグループはドバイに乗り出し不動産やマンションを買いあさる(82p)。

だが買いあさったマンションは所有者がそこに住んでおらず「睡眠状態」にあり、聳え立つマンションはゴーストタウンと化す(92p)。

第三章では「金さえあれば何でもできる。そして金さえあれば、子供もたくさん作れる。」とか。現在の中国は子供を2,3人持つことが富のステータスになっている(154p)。

国の勧める一人っ子政策も金次第とは。これでは不正が横行するはずである。

農村では子供は働き手となる。そのため「中国では現在でも男尊女卑志向が根強い」(161p)。

不正と言えば中国は「上に政策あれば、下に対策あり」で賄賂さえ渡せば戸籍登録可能になる。(166p)

中国も日本と同じく高齢者の孤独死が多い。それは”空巣(くうそう)家庭”の急増にあるという。「空巣」とは高齢者のみの世帯を指す(182p)。その高齢者が住む専用の住宅を”老人屋”という(199p)。

日本の「パラサイトシングル」を中国で「哨老族(スネかじり族)」(202p)でスネをかじるのはいずこも同じか。

いずこも同じといえば第四章では大卒者の就職難。中国では”村官”に人気があるらしい。農村部の住民の学歴は低い。その隙を狙って大卒者を選抜して村組織のスタッフにする(236p)。

「村官」になれば付加価値も付与される。これは公務員受験に匹敵する人気がある(239p)という。大卒者でありながら給料のよい職に就けない若年者層は「蟻族」と称され、失業が問題とされる(243p)。

村官や公務員人気の背景には「腐敗・汚職官僚は国民の憧れの的」がある。職権乱用がその底辺にある(263p)。

そのような官僚のグレーな行動は官僚たちの”灰色収入”となる(270p)。食事を見ても官僚たちは毎日会食をする(278p)。この会食も多くを注文しても食べきれないほど。そこにはミエがはびこる。国内には、食べるものさえない貧困層も多くいる(278p)というのに。

それゆえ「レッドカラー」といわれる公務員全盛時代の到来となる。その背景には中国の共産党政権ということでとかく「赤」がシンボルとなり”紅色政権”となり、その政権に仕える公務員がレッドカラーとなる(281p)。

その公務員試験でさえも不祥事は絶えない(286p)。こうして不正をしたものが公務員となり、腐敗・汚職の終わりなき戦いが続く(294p)。こういった腐敗・汚職は共産党幹部の仕業と言うイメージを国民に植え付ける(294p)。だがこの汚職・腐敗は厳しく取り締まっても一向に減らない(312p)。

この現象の原因や背景を探る論文が出始める。中国の行政は中央政府・省・自治区・直轄市・市・県・郷・鎮から成り立つ。筆者は中国の行政の中でも地方政府、それも県レベルでの腐敗が最も危険だとする(313p)。

筆者はこの本の締めくくりとして共産党一党独裁政治体制が続く限り、官僚の腐敗・汚職は根絶するどころか、ますます蔓延し深刻化していく可能性が極めて高いという(316p)。

あとがきとして、「中国における経済発展のあり方、土地収用と農民の権利、一人っ子政策の矛盾、大学教育の歪み、官僚の腐敗・汚職など5つの課題を扱っている。」としながら、この課題を中国の重要な領域であるため調整や改善を急ぐべきだとする(318p)。

そのためには中国の「調和社会」から「格差社会」への狂奔が幕を切って落とされたという。それが遺憾なことであり事実だと筆者は述べる(319p)。

久しぶり、本格的な中国論を読む。先ほどまでパソコンの調子が悪く、入力に手こずる。筆者は日本在住。だから中国は一党独裁云々といった批判が言えるのだろう。またそれが続く限り負のスパイラルとなってゆく。それには打倒一党独裁しかない!?そのためには・・・。知りたくなる。

2012年6月15日金曜日

フルート定例会&ランチ

昨日の6月フルート定例会は楽しいうちに終わった。

昨夕、いつものメンバーで某デパートに集合する。先月、長いことビアガーデンに行ってない、と知人に話すと「来月行こう!」と言う。昨日はビアガーデンに行くというので、てっきり先月のことを実行すると思った。そのことを話すと知人は覚えていない!?

ともかく10年以上、ビアガーデンに行っていない。集合したデパートの屋上へ行くとお客で溢れている。予約客のようだ。

まだ太陽は燦燦と輝いている。日陰に席を確保して先ずはビールで乾杯。市内で一番大きいデパートだけあって広い。食べ物は刺身、寿司、揚げ物、肉類、麺類、サラダ、おつまみなどいろいろある。いい加減食べたところで、一番美味なのはピーナッツなどのおつまみ?といって3人で笑う。

会の名目はフルート定例会。昨夜はその名に相応しく、ジョッキの前に楽譜が出てくる。昨日の尾道の人はフルートのレッスン帰りで楽譜を持っておられる。

全体合奏の楽譜を広げると4パートある。3人はそれぞれ、2、3、4を担当。2、3は知人たちの担当で4は私。スコアをみると4は8分音符と4分音符でわりと楽だが、2、3は難しそう。

3人ともソロの曲も決まる。尾道の人は9年前にも吹いた曲とか。だが今回はアレンジが大変でこれまた難しそう。知人は、8月に所属する合唱団で歌うベートーベンの曲の一部を吹くと言う。それも長くフルートを習って今回初めて自身で演奏曲目を決めたとか。

発表会もいよいよ・・・といいたいところだが、まだまだ先の話。

ビールを飲みながらの音楽談義も終わる頃、尾道の人の帰宅のバスの時間が来る。まだ日は落ちていない。ここで「さようなら」をして知人と2人でビールを再開。飲むほどに饒舌になる。

先日、昨年スペインヘ同行した知人と同じ合唱団に所属する女性と会っている。そのときにいろいろと聞かれた話を知人にすると話題はどんどん膨らんでゆく。

ビールを飲みながら、笑いながら話しているとついつい口がすべる。言わなくてもいいことまで話したかもしれない。すべて忘れてください(笑)。

話の中で知人は「大器晩成型」とか「自分の世界を持っている」などと言う。前者は社会人大学生になるとき聞いたことがある。昨日は2度目?後者は昨夜初めて聞いた。「大器」といえるほどの器ではない。それより何ごともやってることが人より晩(おそ)いといった方があたっている。後者の方は、ただ気の赴くままに好きなことを楽しんでやっているだけ。

これを聞いて「この2つをブログに書くね」と知人に話す。だが、知人と別れるときその1つの言葉を忘れ、聞き返すとこれまた覚えていない!?

それも帰りのバスの中でふと思い出す。

屋外で飲むビールは話を盛り上げる。まるで東南アジアのリゾート地にいるような錯覚を起こす。それだけ屋外は開放感がある!?

この会の幹事である知人によると来月は豪華にするらしい。期待してます!

話は変わって、今朝は先生の休講日。若い女性と学内のレストランで待ち合わせる。ところが、そのレストラン、待ち合わせたところで「本日貸切」とは・・・。残念!すぐに彼女の所属する学部のカフェへ移動する。ランチ、飲み物、ケーキセットを注文する。

話を聞くと彼女の両親は40代半ばくらいとか。若い!立派にしつけられているようだ。

これからもいろんな人と接して元気をもらって頑張ろう!

2012年6月14日木曜日

『二月の雪、三月の風、四月の雨が輝く五月をつくる』

昨日夕方、久しぶり予約した本を取りに図書館へ行く。借りてきた本は『二月の雪、三月の風、四月の雨が輝く五月をつくる』(内館牧子 潮出版社、2012年)。

本の内容の3分の1は筆者が仙台で過ごした社会人大学院生時代の模様を書いている。何と入学が2003年。この年、私も社会人大学生として学び始めている。

当時、筆者の言った、同じ院に入るのでも「養老院より大学院へ」はマスコミをにぎわした。そのキャッチフレーズに圧倒されたことを思い出す。

第1章で「五十四歳で大学院へ それは土俵を守るため」では、「感動の嵐に襲われた」(23p)のフレーズが何度か出てくる。このキーワード、いつかブログで使わせてもらおう。

「土俵を守るため」に大学院で学ぶとはその発想が面白い。そしてその学ぶスタイルの究極が「喜び組」設立。このキーワード、今は亡き某国の大統領が作ったことで有名。

彼女の周りに若い男子学生の取り巻きを作る。「このトシで大学に入ると、何かとついて行けないことが多いから、『喜び組』を作ったの。そうよ、イケメンの男子学生ばっかり数人集めて、細やかに私を助けるよう命じたのよ」(60p)。

その学生たちに履修登録までやってもらっている。これには驚いてしまう。その最後には「大学院の若い院生たちと私が、ずっと友達でいられる可能性も十分にある・・・」(61p)として筆者が80歳になったときの彼らをナイスミドルの「喜び組」を想像する。

他にも「オールAで留年」(44p)として成績表を本に載せている。これは私だって・・・といいたい。院生時代の2年間の成績はすべて「優」だった。大学院の成績は当てにならない!?何と言っても大学院は学部と違う。大学院は自分で研究課題を見つけ、それを論文にすることが求められる。

ということで、「オールA」に関しては疑問符?

筆者の『養老院より大学院』(104p)は本になっている。

学部生になる前、半年近く図書館へ通ってさまざまな本を読んだ。中でも、社会人大学生になった人の本は参考になった。当時、ブログをやっていれば、少しは記録も残せたのに残念!

筆者は人間の最大の武器を「本気」(152p)とする。それは不可能を可能にすると。それを東北大学相撲部が体現してくれたという。確かにそうかもしれない。やる気になれば誰だって「本気になれる」。

あとがきで、本のタイトルを『マザー・グースの唄』からもじっている。

March winds and April showers Bring forth May flowers.”(259p)

筆者はこれに「私は自分で『二月の雪』も加え、自分流の解釈をしました。つまり、二月は雪が降り、三月は強い風が吹き荒れ、四月はにわか雨にたたかれることが多い月です。いずれも、ありがたいとばかりは言い切れない自然現象です。でも雪や風雨や、そういうイヤなことが、輝く五月をつくってくれるのねと、少し元気が出たりします。逆に考えると、イヤなことが全然ない人間は、のっぺらぼうでつまらなくて、たいして輝かしい五月しかつくれないのよねと、いくらでもい自分を力づけられるわけです。私自身、色紙にこう書きながら、自分を鼓舞しているのかもしれません。」(260p)

筆者は数年前、心臓の手術をしている。大病を患いながら自分を励ましている。いつもながら凡人は見習わなくてはいけない。

今日は夕方から、フルートの知人たちと飲み会。毎月例会としている。だが1ヶ月の経つのは早い。先日のフルートの先生のコンサートで会って以来だ。そのときはゆっくり話も出来なかった。今日は先日会った合唱団の人の話もある。電話で事後報告済みだけど・・・。

今、部屋の温度29度3分、湿度53%。暑くなりそう。きっとビールは美味しい!?

2012年6月13日水曜日

キーワードはルーマニア

今朝は昨日のブログの動画「ひばり」を修正する。この動画を聞いていると聞きおぼえのある曲だ。手元にあるCDをみるとその曲が収録されている。CDを聞くときいかに曲名を見ていないかがわかる。昨日フルートの先生にCDを買う旨、話したばかり。ところがすでにCDが家にあったとは・・・。

「ひばり」はルーマニアの曲でジプシー音楽。フルートの先生の話によると、ヴァイオリン奏法も正規の方法とジプシーの奏でる方法があるらしい。古澤のほかの動画を見ると、彼自身、ルーマニアのジプシーたちにその奏法を教わっている。

またルーマニアといえばフルートの先生も随分前に演奏旅行で2,3度出かけられている。さらにルーマニアといえば「望郷のバラード」の天満敦子がいる。

好きな人たちは皆、ルーマニアと関わりがある。こうなってくると「ルーマニアへ・・・」と気持をせかされる。

今朝はまた、先日出かけた旅行社から、皆で写った旅の写真入葉書が送られてきた。

旅といえば先ほど、他の旅行社へTELして海外旅行を申し込む。来週、その説明会がある。

一人で参加しようとした。だが、ふと頭に浮かんだ人がいる。社会人大学生の頃知り合った人だ。その人に先ほどTELすると、なんと行くという。

互いに親の介護をしながら大学へ通っていた。来週の説明会で数年ぶりに会う。互いに一人となった今、ゆっくり話もできるだろう。

そういえば、旅に一緒に行く暇人はいるようでいない。仕事もせず、親の介護もなく、健康で旅好きな人は少ない。今回声をかけた人は仕事をしていた頃、あまり海外に出かけていないらしい。そのため今年になって2月、3月と続けてヨーロッパへ行ったという。

ともあれ、元気なうちに遠くへ出かけよう。国内も行ってないところは沢山ある。福島から青森まで一度も足を踏み入れていない。行ける日を夢として残しておこう!

そして、ルーマニアへもいつか必ず行こう!ジプシー音楽を聞きに・・・。

2012年6月12日火曜日

ミニミニ・ファン・クラブ誕生!?

どんよりとした曇り空。ときおり雨も降る。

今朝は講義を受けている講座の試験日。習いはじめて丁度2ヶ月。久しぶりの試験だ。

3年前まで社会人大学生として6年間通った。その間、何度も試験を経験している。その頃は、テスト時間は45分だったように思う。それが今回は何と90分。これは講義の時間と同じ

1時間半も集中して答案用紙と格闘する。早い人はさっさとテストを終えて教室を出て行く。時間までに書き終えても念のため再度見直す。結局最後まで教室にいた。

答案を出し終えると先生はなんとなく「ご苦労さん」と言われているように思えた。ホッとする。

今さら学んでこれを如何こうするつもりはない。それでも学ぶからには話せるくらいまでにマスターしたい。そして、来年、コミュニケーション講座を受けてみたい。いろいろ欲張っても、と思うけどやれるところまでやりたい。これが今の夢!

テストは一服の清涼剤だ。頭がカラッポになる。これがいいのかもしれない。

その後、市内へ移動する。今日はどこへも寄らずフルート教室へ行く。早めに到着するとドアが開いている。また音も聞こえない。おかしいと思って部屋に入ると誰もいない。一人で練習しているとしばらくして先生が来られる。

レッスンに入る前、先日の立ち方の話から、古澤巌の話になる。なんと先生は子供さんが生まれるまで、古澤の追っかけをしていたという。そして当時の古澤の話を聞くと知らないことばかり。古澤の曲で「ひばり」が特にいいと話される。ネットで検索すろとあった!

フルートのレッスン曲から古澤のCDを聞く。それがきっかけで昨年暮れ、コンサートに行き、ますますファンになる。ところが先生は随分前からのファン。これを聞いて嬉しくなる。今日はミニミニ・ファン・クラブの誕生!?

2012年6月11日月曜日

HPを見て

雨が降りそうで降らず、何となくスッキリしない一日。

昨日「サクセスフル・エイジング」のブログを投稿する。だがその意味が今一歩わかっていない。公益財団法人長寿科学振興財団のHPをみるとそれは「幸福な老い」とある。しばしそのHPを眺めていると書いてあることは立派だ。だが、いくら読んでも、教科書を読むようで面白くない。

国の外郭団体が作製しているHP。もっとわかりやすくすれば、と思ったりする。またこのHPを見ている人がどれくらいいるのだろうか。

気分を変えていつものヴァイオリニストの古澤巌のブログを読む。なんとフルーティストの山形由美と幼馴染で同級生だとか。先日の宇部のコンサートでは宇部在住の山形の母親も聞いていたという。また昨日のブログでは「立ち方」について投稿している。

「立ち方が、すでに謎。話にならない。
身体の可能性を求めて
日向から毎月、合気道を教えに来ていただいている。」

先週、フルートの先生から立ち方の基本を復習したばかり。プロの人でもいつも基本を大事にしている。そして体の鍛錬を怠らない。そういえばフルートの先生も専門家について身体のことを教わっていると聞いたことがある。

フルートであれ、ヴァイオリンであれ、身体を使って音を奏でる。そう思えば、何をするにも身体の鍛錬が大事であり、「立ち方」がとりわけ基本となるのだろう。

先のサクセスフル・エイジングもこのように基本的な、誰でも理解できるようなHPにしてアピールすればいいのに・・・。

2012年6月10日日曜日

サクセスフル・エイジング

お昼を食べた後、NHKラジオを聞きながら早くも夕食の準備をする。ラジオは途中から聞いたので内容全部は把握していない。

その中で「サクセスフル・エイジング」、「人は良薬」などのあまり聞かないキーワードが出る。聞きながらその話に関心を持ち、最後まで聞く。

エイジングだけあって「趣味」の話題がでる。話している人は趣味の定義づけとして「高校受験にでないもの」とし、それには「音楽、絵画、運動、工芸」があるという。

この言い方がおもしろい。言われてみれば、特別な学科を除いては高校受験でこれらはあまり課されない。

さらに音楽を趣味とすると、楽器を習ってその発表会に出る。そのとき人との関わりがある。それが習う励みとなり生きがいにもなるという。これをアナウンサーは「人は良薬ですね。」とラジオの講師に話す。

だいぶ先だけどフルートの発表会が秋にある。

習い始めた年から今まで発表会で満足に演奏しているとは言いがたい。それでもフルートの発表会をとおして、またフルートを習うコトで生きがいになるならそれは素晴らしい。

それはさらに「サクセスフル・エイジング」となる。

そのために、と考えていろいろと習っているのではない。それでも、もしかして心の隅にはそれもあるかもしれない。

ともあれ、今日は火曜日のテストをクリアすることに専念しよう!

2012年6月9日土曜日

後回しにせずに

今夜は近くに住む幼馴染のワカちゃんと一緒に食事に行く。行き先は最寄駅近くにあるお店。ここは以前若い銀行員に教えてもらったところだ。女2人夕方5時から出かける。

前に行ったときはその日のお客は私たちだけ。ところが今日は次々とお客が来る。その客は皆若い!仕事帰りの雰囲気が漂う。土曜日に仕事をする人たちだろうか。幼馴染は絶え間なく来る客を見て「ボーナスが出た!?」。

ボーナスといえばもらわなくなってちょうど10年になる。勤めていたときは6月15日と12月15日だった。早いところでは10日くらいには出るのだろう。

今日もビールで乾杯。ワカちゃんは娘さんが遠くに出かけてまだ帰らないらしく、気ままな様子だ。

家の近くに食べ物屋がないと思っていた。ところが今日行ったビル内にはいろんなお店が入っている。7時半までそこにいた。外に出ると外はまだ明るい。夜は今からの感じである。

近くにある新しくできたビジネスホテルのカフェに行くと4時で閉店。区民文化センターのカフェも7時で閉店。仕方なくその近くでわかれて帰宅する。

今日のワカちゃんとの話題は同級生のこと。ワカちゃん自身も同級生と結婚。だが旦那さんは10年前に癌で亡くなっている。

先日ワカちゃんは同級生5人と会ったという。そのうち3人は旦那さんが亡くなっている。

昨日ばったり出くわした同級生は5年後にまた同窓会をすると話す。今でも亡くなっている人がいるのにその頃には何人いなくなるのだろう。想像するだけで怖い。

そう思えばできるときに、できることをしたいものである。後回しにせずに今・・・。

2012年6月8日金曜日

想いは届く!

久しぶりしとしとと雨が降る。

講義を聞きに出かけようとして玄関を開ける。外を見ると2軒隣に住む男子同級生が歩いてくる。その同級生から先日行われた同窓会の話を聞く。雨も降っているし、学校へも出かけなければならない。忙しそうにしていると同級生は「〇〇さんが会いたいといってたよ」という。

先日近くに住む幼馴染からその人が今回の同窓会に東京からわざわざ出席した話は聞いていた。その話を聞いて東京のその女性に会いたかった、と幼馴染と話したばかり。

それが今朝会った人から開口一番に先方も会いたがっていた、と聞いてただ驚くばかり。

想いは届く!

話を聞いていると東京のその女性は両親、兄夫婦をなくし「お一人さま」だとか。

中学時代、その人と親しかった。ところが賢いその女性は市内の私立高校へ進学。大学も東京の大学で離れ離れになってしまった。当時、ほとんどの人はTVを見て育ったがその家はTVよりもステレオを聞き、兄たちも近所では賢いことで有名な家だった。

今朝の話によると、長年教師として勤め、今はヴァイオリンを習っているという。それも彼女らしい。今日ばったり会った同級生から中学時代の名簿をもらう予定にしている。入手次第、東京のその人に連絡しよう。

同級生とわかれ、講義を聞きに大学へ行く。先日休んでいた彼女にやっぱり風邪をうつしていた。申し訳ない。

至近距離で先生の講義を受けている。特に我々2人は一番前に陣取っている。うつるはずである。

彼女はまだ本調子ではなさそう。それでも来週の休講日に一緒に食事をしようと約束する。

その前に試験がある。久しぶり、若者に混じってテストを受ける。さてさてその結果は・・・。先ずはこれまでの復習をしよう!さあ頑張って!

2012年6月7日木曜日

プールで

ブログ投稿ごとにラベルをつけている。つけているというよりも私的なジャンルわけをしている。

今日は晴れているものの風が強い。喉が痛かったりしてしばらく泳いでいない。そんなときジャンルわけは役にたつ。4月23日に泳いで以来、プールへ行っていないことがわかる。

喉も治った。今日は他の予定を入れず、泳ぎに行く。

午前中、課題をまとめ終えるとプールへ行く。といっても先日の声が出ない辛さを知っている。大丈夫?と自問自答して出かける。

プールに入るとまずビート板を使って1往復する。それを終えると、いつものおっさんが声をかけてきた。声をかけるだけならいつものこと。ところが今日は声を出して笑っている。ビート板を持って泳ぐ、その速度が遅いという。

そしておっさん自身も板で泳ぐとき、横でバタフライの人が泳いでいるとアップアップするとか。

おっさんが笑うようにビート板で泳ぐとあまり進まない。いかに泳ぐとき足を使わず手だけで泳いでいるかがわかる。足の練習のために使用するビート板。だがどうも進まない。それでもそのときの足は形になっているとおっさんは褒めてくれる。

ビート板を離すといつものようにクロールと背泳ぎを交互に泳ぐ。今日は1ヶ月余り泳いでいないので500m泳ぎ、350m水中歩行。次回から1キロ泳ぐことにしよう。

500m泳ぎ終えたところでまたおっさんが声をかけてくる。背泳ぎの際、プールの最後の壁まで泳がず、1、2メートル手前でやめている。それを見ていたらしく、それは頭が壁にあたるからだろうという。おっさんもそうだとか。

クロールの場合は前が見える。ところが背泳ぎでは天井しか見えない。当然前は見えない。壁に頭が当たるのが怖い。上手な人は手を壁に当ててターンする。ターンは出来ない。プールに壁から5メートルのところにロープが張ってある。そのロープを見るとしばらく泳いで泳ぎをやめる。その辺りが壁より手前になる。それをおっさんは言うのである。

いずれにしても、このおっさん、人の動作ばかり見ているのだろうか。今日は他にもどこに住んでいるのかと聞く。JRで来るというと、おっさんは先に帰るらしく、こちらをむいて「気をつけて帰りんさいよ」という。

単車で5分くらいのところから来るらしく、近いのでいつも来ているのかもしれない。それにしてもおっさんにとってプールは恰好の遊び場!?それはプールに来る人皆そうかもしれないが・・・。

2012年6月6日水曜日

合間に

毎日雨が降りそうで降らない。日一日と暑くなっていく。

今朝は来週試験があるので頑張らねばと思いながらもその気にならない。気の向かない時は何をやっても効果がない。気分をかえて髪を切りに美容院へ行く。

1年余り前までは美容院へ行く時間もないほどの日々だった。当然髪をカットするどころではない。

ところがすべてに解放された瞬間、一番先に言われたことは姪からの「〇子姉(ねえ)、美容院へ行ったら・・・」。その言葉を聞いてすぐに美容院へ行く。それからというもの、いつでも美容院へ行こうと思えば行けるはずなのになぜか好きなところでない。

その度に思う。もしかしてムスリム!? 頭を触られることが好きではない。

これから暑くなっていく。流れる汗で髪が顔につくと離れない。その瞬間が嫌なので長い髪は禁物。それで今日は美容院へ行く。

家に帰るともうお昼前。だが昼食も食べず宿題をする。さすがにお腹もすいてきたなあと気づいたときは午後2時。

何かをするとき、気が乗れば夢中になる。それもいい意味では良いのかもしれない。ところが他のことがおろそかに・・・。先ほどお昼を食べ、しばしパソコンに向かう。パソコンに触れながら先日気にいった岸洋子の歌を聞く。その合間にブログ投稿。

ブログといえば毎日3、4人のブログを見る。どの人も個性があっておもしろい。またそれぞれの分野で活躍している人たち。音楽家では何と言ってもヴァイオリニストの古澤巌。この人のブログには感心する。もしかして哲学者?と思える。

これほどのことを書けるなら本も出しているのだろうか。

昨日のブログもまるで哲学者。ブログタイトルは「七色の空」。全部をブログに投稿することは著作権違反?よくわからないので少しだけカットして引用しよう。

「祈りを捧げる時、何を祈るのか

日々、様々な時が刻まれ、過ぎて行く。

(中略)
菩提樹の木の下で、

七色の空の下で、宇宙と繋がる時。

何を祈るのか。
永遠の真理は、

七色の空の彼方にある。」


全部を読まないとそのよさは半減するかもしれない。それでもあえて一部をカット。

繊細な心の持ち主なのかどうか知らない。また私自身、詩のセンスも持ち合わせていない。それなのに文に惹かれる。一流の音楽家の所以だろうか。いずれにしても素晴らしい!広島での演奏会があればすぐ聞きに行くのに・・・。その人のブログによると明日は宇部でディナーショーとか。

2012年6月5日火曜日

目立ってもいい!?

午前中は曇り空だったが午後から晴れ上がる。

お昼前、講義を受けに大学へ行く。講義室に入るといつもいるかわいい女性が来ていない。授業が始まってもあらわれない。いつも元気な彼女にもしかして風邪をうつしたのだろうか。心配しながら講義を受ける。来週はテストがある。先生はそのことをしきりに話す。

講義を休んだとき彼女から講義のコピーをもらっている。金曜日に今日の講義ノートのコピーを渡そう。とはいっても彼女ほどきれいに書いてはいないけど・・・。

講義後、いつものように市内へ移動する。広島駅に着くと、駅ビルのカフェに入る。お昼を食べる時間が早すぎる。講義が終わるとお腹もすいてくる。以前は大学のカフェに寄って市内へ移動していた。

今日からフルートの開始時間が10分ずれる。そのため、とりあえず市内へ出てゆっくりすることにする。

今日のフルートのレッスン前、先生は着ている服がいつもと違うと話される。身の回りに関して全く頓着しない。少しはしゃれっ気を出せば人生変わっていたかも、と思うけど無頓着だ。

先日、デパートのカタログで鏡と一緒にブラウスを2枚購入する。まだ残り1枚は届いていないけど、先に着いた方を今日着て出た。そこを先生はいつもと違うと判断される。なかなか鋭い。

レッスン前、しばし雑談。若い先生からいろいろファッションのアドバイスを受ける。

顔が地味だからかなり派手な恰好をしてもいいはずなのに、なぜかそうも出来ない。先生曰く。「してみれば・・・」。上から下まで派手派手にすれば人生、やっぱり変わる!?

さてフルートのレッスン。今日は口の震えもほとんどなくなる。だが、ドの♯が震える。高いソの♯の音を出す際、左手の小指がキイに楽に当たるようにフルートの持ち方について聞いてみる。すると先生は、長らく話されていなかった立ち方の基本を言われる。

今日は教えてもらった基本の立ち方にかえって音を出す。震えも少ない。当分、これに注意しよう。

フルートの発表会の全体合奏、ソロそしてソノリテなど基本練習、練習曲をさらう。全体合奏はまだ譜面を見ただけで今日は拍子について聞く。そしてフルートの人から贈られた全体合奏のパート譜の入ったCDを受け取る。

〇〇さん、CDありがとうございました。今日先生から頂きました。練習します!

レッスン後、レッスンが始まる前に先生と話したことが頭の隅にあり、駅ビルに立寄り服を見る。ちょっとかわいいブラウスを見つける。ブラウスの方が着て欲しくないというかもしれない。お店の若い店員に「これを着ると逮捕される?」と笑っていうと「大丈夫です!」。買ってしまった!

近いうちこのブラウスを着てレッスンに行こう。とはいってもフルートのレッスン日は大学へ行く日と重なる。大学へはなるべく目立たないようにして行ってる。それでなくても年老いているので目立つはず。その考えが良くない!?

先生は言われるでしょう!誰も人のことなど気にしないよ、と。多分!

先生、今日はいろいろとありがとうございました!アドバイスどおり、この夏は10年ぶり、スカートに挑戦します。美しくなりすぎたらどうしよう!?そんなこと絶対にない!?そうですよね!いつかゆっくり話しましょう!

2012年6月4日月曜日

不意の来客

狭い庭に咲くアジサイ

アジサイの花が咲く季節となった。今年のアジサイは例年よりも咲いている。

そんな梅雨前のこのごろ、長く会っていない人と会う。先日は県北に住む人と会い、昨日は不意の来客と会う。

昨日午後、家を一歩も出ていないと気づき、自転車で出かけようとする。外に出てレモンの木についている小さな実を眺めているとチャイムがなる。玄関へ回るとなんと中学時代の同級生が立っている。それを見てびっくり!

その人とは30年くらい会っていない。すぐに家に入ってもらって話し始める。昨年母を亡くし、外に出ることが多くなった。それも暇さえあれば自転車に乗って外に出る。

昨日会ったその人はJRの踏み切り付近で見かけるたび声をかけたという。しかし、列車の音でその声も聞こえない。そういうことが何回かあり、昨日我が家にやって来た。

彼女とは中学まで一緒だった。その人が嫁いだ先まで遊びに行ったこともある。だが、互いに忙しくその後は音信不通となる。

我が家を訪ねて留守ならばメモを置いて帰ろうとしたらしい。ところが何分か違いで家にいた。

話していると、彼女はお母さんの介護で週2回実家に来ているという。99歳になるその人の母親は介護2。介護2は母を介護していてよくわかる。やっと歩ける程度。介護するなかで一番神経を使う状態だ。どの人も親の介護で大変のようだ。

ところが親よりも先に同級生が亡くなっている。我が家の前に住んでいた幼馴染の男子同級生も先月肝臓がんで亡くなったという。その人は高校時代は甲子園を目指し、野球で東京の大学へ入っている。ところが道を広くするためその人の家は立ち退きになり、最近の様子は知らない。それが、彼女によると先月、中学時代の同窓会があり出席した人から不幸を聞いたという。他にも亡くなった人もいるらしい。

昨日の彼女は表面的には中学時代と全く変わっていない。ところがアルコールを呑まないのに肝臓が悪いとか。

人に会えばどの人もあちこちが悪いと話す。皆、無理して生活しているのだろうか。

最近立て続けに2人の女性と2、30年ぶりに会う。会うことは嬉しい。だが珍しいことがあると何かなければいいが、と考えてしまう。そう思うこともないのかもしれないが・・・。

そんな話を今日も我が家でいつもの幼馴染と話す。皆何が起きてもおかしくない年齢に差し掛かったということだろうか。やっぱり元気が一番!

2012年6月3日日曜日

♪愛を歌って♪

昨夜ブログ投稿後、YOU YUBEでシャンソンを検索する。素晴らしい曲に出会う。岸洋子が歌う「愛を歌って」。余りにも気に入ったので寝るまで何度も聞く。歌詞はまだ覚えられないけどメロディーは単調なのですぐに覚える。今朝起きても聞いてみる。やっぱりいい。早速この動画をブログに投稿。とはいっても動画はなく、曲のみらしい。この動画をYOU TUBEに投稿した人は以下のように書いている。

この歌を、今悩み苦しむ人々すべてに捧げたい。映像は、ありません。
の歌を初めて聴いたのは、10数年前、FMラジオ放送でした。一度聴いただけでその歌の世界に魅せられ、涙していました。その後、この歌をどうしてももう一度聴きたくて­、あちこち捜し回り、ある中古CD・レコードショップでこの歌の入っているCDを見つけたのですが、その時の喜びは忘れられません。」
 
ちょっと物悲しげな曲。だが、この人の言うように今悩み苦しんではいない。それでも気に入った!

今朝は地元紙の朝刊に海外旅行の説明会の知らせが掲載されていた。そこは是非とも行きたい国。何もためらわず、説明会出席のFAXを流す。幸い旅行時期は大学の夏休みで大手旅行社の主催。海外から帰って1ヶ月も経っていない。それなのに声も治ると俄然行きたくなる。その合間にこの曲を・・・。いい曲です!
「愛を歌って」  B.Meinunger: 作詞、万里村ゆき子:訳詩、R.Siegel:作曲
 
 Sing Sing 歌って! あたらしい歌を 
 Sing Sing 明日(あした)へ つなげる歌を 
 いま 子供たちは どんな言葉 歌うのだろう 
いま おとなたちは どんなメロディー くちずさむのか 
 
Sing Sing 歌って! 終らない歌を 
Sing Sing 誰かに 出逢える歌を 
いま 男たちは なんのために 生きてるのだろう 
いま 女たちは どんなことを 凝視(みつ)めているのか 
 
Love Love 愛して! 生きていることを 
Love Love 感じて! めぐる季節を 
 笑うことは むずかしい 泣くことよりも 
許すことは むずかしい 悩むことより  歌うことは 美しい つぶやくよりも 
 想うことは 美しい 避けることより 
 いま 娘たちは どんな夢を 見てるのだろう 
 いま 若者は どんな世界 もとめてるのか 
 
 Sing Sing 歌って! あたたかい歌を 
LoveLoveみつけて! ほんとうの愛を 
 Sing Sing 歌って! 終らない歌を 
Love Love 愛して ! 生きてることを 

2012年6月2日土曜日

数日良くなかった喉の調子も戻ってきた。朝起きるとまず誰もいない部屋で声を出してみる。声が出ると次に歌ってみる。調子が悪いと高い音は全くでず、音が外れる。

昨日くらいから高い音も出るようになった。歌も歌える。

歌といえば、先日我が恩人と慕う人と会った際、歌の話が出る。そして歌を聴いたという。そのときは彼女の前で「歌を歌った?」と聞き返した。

その日、家に帰って思い出した。彼女の結婚披露宴で歌っている。

人前で歌うことはカラオケはあるけど、大勢の前で歌うことはあまりない。バイト時代、忘年会で歌わされたことぐらい!?

20数年前、彼女の結婚式が県北で行われた。共通の友人もいなくて市内から一人高速バスに乗って披露宴に行く。その前に、披露宴で歌を歌うように言われていた。人前で、それも大勢の前で歌ったことがない。デュエットで歌うので歌う人を探してもらうようにした。

当日、デュエットする人とは初対面。今ではどんな人と歌ったのか顔は全く覚えていない。歌った曲はなんと「居酒屋」。今ネットで調べるとこの歌詞はめでたいときに歌う曲ではない。まして、歌っている歌手は一番嫌い。テレビに出るだけでチャンネルをかえるほど嫌い。それなのにその歌を歌ったとは・・・。

歌といえば去年はYou Tubeでいろんな歌を検索して暇さえあれば歌っていた。今は何やかやとやることがあってそんな暇もない。

また暇といえば、その歌詞をみると、ないのは暇でなく、

♯♪絵もない 花もない 歌もない 贈る言葉も 洒落もない そんな居酒屋で~♪♭。

この歌を恩人に対して歌っている。本当に申し訳ない!今だったらもっとしゃれたシャンソンでも歌うのに・・・。

2012年6月1日金曜日

絵葉書が届く

やっと声の調子も戻ってきた。今日も朝から大学へ行く。講義終了後、講義棟の裏道を歩いて大学の中央口まで行く。その間の遊歩道はまるで山道を歩いているような光景。気持がいい。

お昼過ぎ、スペインへ同行した人と再会する。その人はスペインヘ一緒に行った知人と同じ合唱団に所属し、大学近くに住んでいる。その人に車で大学まで来てもらい合流する。

会うまでテニスをしていたらしくしきりに服を着替えるという。服はとりあえずそのままにして食事場所へ行く。大学付近は何年通ってもバスを利用するだけで全く地理に疎い。ところが今日の食事場所は一日に何便も通らないバス路線に沿って建っている。

辺りのお店は何と言っても市内に比べてゆったりとして広い。お店は「次郎丸」。ふるさとの味、団らんの間、とうたっている。昔の豪族の家の雰囲気がある。お客も車で来た人らしく年齢層も高い。平日の昼間だからそうかもしれない。

その女性は元は関西らしく、嫁いで今のところに住んでいる。6年前に息子さんのためにそれまでの家とは別に新たに家を建てたという。帰りに家を訪問する。真新しい家で庭も広い。家の間取りもすべて息子さんの生活に合わせている。

というのも、息子さんは事故にあわれて体が不自由とか。母を介護していたとスペインで話したことから今日会うことになった。多分息子さんのことが母の介護とダブったのかもしれない。

親の介護をするまで体が不自由な人のことはわからなかった。それも介護を経験してそういうこともわかってくる。

歩けなくなって旅行にいけなくなった母を旅行気分にさせてあげようと数年前、2度ほど2人で市内のホテルに宿泊したことがある。その話をすると息子さんや親たちをつれて行くという。明日利用した事がある旅行社のパンフを送ってあげることにした。

話しているとスペインヘ一緒に行った知人の話がやはり出る。何を聞かれても言える立場にない。それでも愉しい時間はあっという間に過ぎていく。

最寄の駅まで送ってもらって我が家に帰ると電話がかかっていた。福岡からである。2度も電話をかけておられる。もしかして・・・とかけ直す。何と中国から送った絵葉書が届いたという知らせだった。先日電話でどうしようもない国、と2人して話したばかり。今日はそれも申し訳ないことと笑って話す。

それにしても1ヶ月もかかって届くとは・・・。着いたことをとても喜んでくださる。そしていつも私のことを気にしているよ、といってくださる。ありがたい。こちらの話はほとんど聞こえないようだが・・・。何であれ絵葉書が届いてよかった!