2011年7月31日日曜日

『全思考』

北野武の『全思考』(幻冬舎、2007年)を読んだ。この本は先日読んだ『超思考』の前に書かれている。内容的には似通っている。相変わらず思考の根底には母親の影響の強いことが伺える。

当然といえば当然のことかもしれない。我がブログだって、タイトル名を変えても相変わらずその中味はアサちゃんのことについて書いてしまうほどだから。

本の構成は「生死の問題」、「教育の問題」、「関係の問題」、「作法の問題」、「映画の問題」の第5章から成り立っている。なかでも「生死の問題」と「関係の問題」に特に関心を持った。

「生死の問題」の中で北野は母親との影響について冒頭で述べている。「ペンキ屋の職人で、仕事と飲み屋と家を、ハンコを押したみたいに行き来して、気が弱いくせに、飲んだくれて帰ってきては、毎日のようにお袋に手を上げる。仕事は毎日きちんとしていたけれど、稼いだ金はあらかた飲み代に消えていたんじゃないかと思う。そんな調子だから、ウチの生活はお袋を中心に回っていた。生活も家計も、子供の進路も何もかも、お袋が決めていた。昼は土木工事のアルバイト、夜は遅くまで内職。そういう生活の中で、あの時代に息子三人を大学に通わせ、娘も高校に入れた。美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』を、地で行く人だ。…お袋のモノの考え方に、縛り上げられていたわけだ。…母親が考えた以外の選択肢なんて、自分自身にも考えられなかったのだ。」(014-015P)

母親の呪縛の中で育った武が学生時代は死ぬことが怖くてたまらなかったという。(010P)「その死の恐怖を克服するために、俺が選んだ道は、一種の自殺だった。」という。(013P)その自殺とは「そうだ、大学を辞めよう」であった。(019P)

大学を辞めるということを「それは、それまで俺を育ててきた母親を捨てる、ということだ。母親にしたら、俺が死んだってそれほどは驚かなかったかもしれない。…それは言葉の遊びなどではなく、俺にとっては文字通り自殺するのと同じことだった。…その時の唯一の確かな答えでもあった。そういう風にして俺は大学を辞めることを決めた。」と書いている。(019P)

その後演劇に憧れて浅草に行き人気者となる。そして「事故」を起こす。その事故について「おネエちゃんの通っているのを写真週刊誌に撮られて、アタマに来てバイクを買った。『クルマだからバレるんだ。自転車かバイクで行けば、誰にもバレない』」と考えた結果が事故となる。(025P)

その事故により生きることに興味を失う。それでももともと何の色も着いてないこの世に「喜びだの悲しみだのの色を着けるのは人間だ」という。(037P)そこから人が死ぬということを論じている。そして人が死んだらどうなるかについては「『答えはわかりませんでした』という答えが正解なのかもしれない…」と。(042P)

「関係の問題」では綾小路きみまろの成功について書いている。「綾小路きみまろが売れたとき、俺は本当に嬉しかった。」(088P)「綾小路きみまろという芸人がブレイクして、この歳でもまだまだ十分やれるんだってことを教えてくれた。」(089P)

「同じ時期にこの世界に入って、同じように苦労した。だけど俺は25年前にはもう売れてたよという余裕が、頭のどこかにあるから喜べたのだ。あんまり恰好のいい話じゃない。売れてよかったと思う。他人の成功を素直に喜ぶことができる。それがどれだけ幸せなことか、この歳になってよくわかる。」(090)

その綾小路との関係の締めくくりを「同じ時代に同じ若手として舞台に上がっていた同士として、意識はしていたんだろう。テレビの仕事が忙しくなって、ほとんど浅草に足を運べなくなってからも、綾小路はどうしているのかな、なんて思い出すことがあった。あの人の才能を、心のどっかで認めていたんだろう。…25年も経って、いつの間にか世間に綾小路きみまろの名前が出てきたときには、…なんだか嬉しかった。すごいなあ、よかったなあって。」(118-119P)

武の本を読んでいつも自分をよく分析しているなあと感心する。だから何か一つをやり遂げれば覚めた目で自己を見つめ次々と新たなことに挑戦していく。並みの人間であればすぐに人気も廃れて消えていく。長く人から愛される所以はそこら辺りにあるのだろう。

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