2011年7月23日土曜日

長い一日

やっと慌しい一日が終わろうとしている。

昼前、平和記念公園内のメモリアルホールである立花隆の講演会を聞きに行く。「戦争×(と)文学」と題された講演である。立花の講演は15年位前にも聞いたことがある。そのときはNHKの主催のシベリア抑留画家香月泰男の話であったが今回は集英社の主催である。どちらもキーワードの「戦争」は同じであるが、前者は立花が無名の時代であり、香月の作品をゴーストライターとして書いていた経緯がある。

相変わらずプロジェクターを使用しての講演。だが今回はアシスタントがプロジェクターを操作していた。もう70歳を過ぎ、癌を患っているとかで姿形は以前見た立花とは雲泥の差がある。だが話しぶりは決して衰えを見せずまだまだ健在だ。

現在すすめているプロジェクトは、講師を務めている立教大学の立花ゼミの「デジタルミュージアム『戦争の記憶』」とか。

講演のはじめに立花は5月に母親の橘(立花の本名は橘)龍子を亡くしたと話す。アサちゃんと同じ位の年齢だった。立花は長崎で誕生し、中国満州で終戦を迎える。満州から日本に帰る途中、広島を通過している。母と兄はそれを記憶しているが立花はあまり覚えていないとか。

東大に入った年の1959年、安保闘争、原水爆禁止運動が始まり自らも学生運動にのめりこむ。1960年、オルダー・マストン・マーチがイギリスで開かれ、知人と2人で出かけるのだが、軍資金が足りない。当時の東大総長の茅誠司に直談判すると読売新聞にTELしてくれてスポンサーになってもらう。だが次第に学生運動も嫌になる。

現在立教大学で教えている。その学生からショックを受けたという。それはジュニア世代の学生(1986年生まれ以降のポストコールドウオーキッズ)と社会人で入ったシニア世代(1956年生まれ以降のもはや戦後ではない世代)である学生も全く戦争を知らないと。これではいけないと思い数年前から戦争を語り継ぐ運動をしているという。

その運動は立教大学の立花ゼミの「戦争の記憶」であり、海外の戦争の記憶(ベルリン アウシュビッツ)、朝日新聞連載の広島・長崎の記憶もあるという。

それには体験を語る「デジタルミュージアム」が必要であり、「モノからコト」が大事となる。バーチャルリアリティを使って伝えることとか。

バーチャルにはGoogleのArt Projectなどがあり、ワルシャワの蜂起ミュージアムやアウシュビッツやニュークリアバンカーのプラハ、ベルリンがあるという。

立花の熱を帯びた話しぶりの底辺には(脱イデオロギーで結んでいるけど)まだまだ左翼思想が垣間見える。日本の今おかれているこの期に及んでも民主党を推し、自民党でなくてよいという。これにはいくらなんでも納得できない!おかしいのではないの…と思ってしまう。

ともあれ立花の張り切っている様子はわかる。何といっても知名度は抜群だ。

講演が終わると一緒に行った人の車に乗って食事に行く。そこで2人して立花のことなどを話す。その人とわかれた後は夜まで少しぶらぶらし、スペイン旅行の説明会に行く。会場に行くと誰もいない。会場の予約は聞いていた話と違う。すぐスペインヘ一緒に行く知人の携帯にTELして話を聞くとその会場で待つようにとのこと。しばらくすると人がやって来た。その女性と話をするとフルートの知人と同じ合唱団に属している人だった。これでホッとする。

6時半から8時まで旅の話を聞く。説明する人は合唱団の指揮者の先生だ。やっと旅の概要がわかった!

長い一日は終わった!後は明日ゆっくり考えよう!もう眠たくて仕方がない!

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