2011年7月21日木曜日

『昨日の旅』

清水幾太郎の『昨日の旅』(文藝春秋、1977年)を読んだ。図書館で借りた本だが、30年以上も前の本であり、書庫に置かれていたためか本独特の湿気たにおいがする。それを我慢して読んだ。

一気に読めるほどの本でない。結構時間をかけて読んだ。

著者の清水は昭和50年と51年の2回にわたって計3ヶ月アメリカ、メキシコ、ペルー、チリ、ブラジル、スペイン、ポルトガルを旅している。本書ではそのうちの大半をブラジルとスペインに紙数を費やしている。

後半部分の大半を占めたスペインについて「かれこれ二十年前、スペインの内乱を熱心に勉強したことがあって、終始、その記憶が私を刺戟していたし、同時に私の訪れたスペインが、フランコの死とファン・カルロス一世の即位という大転換にあったのが、謂わば私の仕合せであった」(あとがき)と述べているようにスペイン内乱後の状況が本書でよく読み取れる。

前半部分のブラジルについては「サン・パウロからジェット機で四十五分のリオ・デ・ジャネイロに、オーギュスト・コントの学説および宗教を奉ずる一団のブラジル人がいて、その人々に会うということである」(16P)とブラジル行きの目的を書いている。そのリオにはコントの人類教の堂々たる教会があり少なからぬ信者がいた。(16P)

清水は自分の大学卒業論文でコントの学説の一部を取り扱い、コント主義者たちに会いたいと思うようになる。この旅でそれを実現した。

コントは『三段階の法則』を唱えた。人間の精神の進歩には、精神的、形而上学的、実証的の三つの段階があるという主張だとか(130P)。

コントのモットーは「秩序と進歩」である。1889年ブラジルの新しい共和国の出発と同時に新しい国旗が制定された。そのとき新しい国旗にはコントのモットーが入れられたという。清水はブラジルとの関係を陸軍徴員として昭和17年ビルマへ運ばれる身のとき、大阪梅田新道の角にある喫茶店の壁にある国旗を見てブラジルまで来たという(133P)。

ブラジルに比べて無宗教である日本の国旗に関しては国旗の持つ意味が軽いとか(135P)。だから「日の丸を無視し、侮辱して、その行為を『平和主義』とか『良心』とか『節操』とか称するインテリは、実は、過去の重みに堪え得ない繊弱な人たちなのであろう」(157P)という。

清水はブラジルを後にしてスペインの独裁者であるフランコの死を目前にするスペインへ飛ぶ。「フランコの死があれば、それは単に八十二歳の老人の死ではない。ファシストという名称の適否は別として、何処かでiron ruluという言葉を見かけたが、複雑な事情を抱え込んだスペインに統一と発展とを生んだ―――押しつけけて来た―――人物の死である。ヒトラーの要求を斥け、危うく第二次世界大戦にスペインが巻き込まれるのを防いだ人物の死である。…何処から見ても、フランコの死があれば、それは、一人の老人の終焉ではなく、一つの時代の終焉である。…是が非でもスペインへ行こう。行って、転回点のスペインを見よう。行くのならフランコは生きているうちに行かねばならぬ。…行くのなら新しい眼を持たねばならぬ。しかし、それをもつための勉強をしてはいない。それなら勉強の手始めにスペインへ行ったらよいではないか。」(169ー170P)と思ってスペインへ行った。

フランコが亡くなった翌日、ファン・カルロスは国王に即位する。

スペインの魅力について清水は「観光客がスペインを発見したのは一九五三年、発見されたスペインには、ヨーロッパの多くの国々の人間が気違いのように憧れる青空があり、太陽があり、海岸がある。また八世紀間に亙るイスラム文明のイスラム文明が夥しくあり、それと闘争し混淆したカトリック文明の建造物がこれも夥しくある。スペインの自然と文明とが人々を魅了した。」(220-230p)と述べる。

著者は日本の安保闘争について「一つの小さなスペインであった。そうだ、あのドサクサの中で、私は、私たちは『トロツキスト』として非難されていた。」と。そのうえで「私たちはそう特別なことを考えていたわけではない。安保改定阻止という目標である以上、結果は駄目かもしれないが、やれるだけのことをやろう。岸内閣を倒そうという位」だったという(301P)。

安保闘争が終焉する頃、清水は気が狂ったほどスペインの勉強を始める。その結果スペインのPOUM(カタロニアを中心とする小さな政党)と日本の全学連を重ねていく。(304P)

そのことを「自分の経験をトコトンまで大切にし、それを不断に拡大し、それを丹念に鈍化して行くのが、インテリの条件である。インテリがスペインで懲りたのは、政府軍が敗れ、フランコ軍が勝ったためではない。日を遂って、自分の経験が美しい観念や立派な大義を掘り崩して行ったゆえであり、立派な大義を守るのには、自分の経験を否定せねばならぬ。つまり、嘘をつかねばならなかったゆえである。…自分の経験を棚上げして、平気で嘘をつく左翼官僚にならないとすれば、インテリは、自分の経験を固執することによって、『トロツキスト』や『スパイ』になるほかはない。インテリはスペインで懲りた。スペインで懲りたのは、イデオロギーに懲りたということ、政治に懲りたということであった。」(306-307P)と書いている。

このことは自ら安保闘争を経験したこととも関係している。清水は「戦後、そういう運動が何回もあって、すべてインテリが敗れた末、一種の総決算のような意味を帯びて、1960年の安保闘争があった。そこでインテリは最終的に敗れた。単に敗れただけでなく、私たちは、小さなスペインを見た。」と。そのとき「敗れた」と思ったのは、全学連や清水のような「トロツキスト」であり、共産党やその同調者は「民主主義の一大勝利」として祝ったという。ところが清水のような「トロツキスト」は自分たちの苦い経験を分析してスペインの研究を始めていく。(309p)

清水は「スペインは卑しいところがない」のが魅力だという。清水の父親は金もなく、学問もない人だったとか。その父親が清水をしかるときは「卑しいことだけはするな」であったという。5ヵ月後再度清水はスペインを訪問する。そのとき清水は「卑しくない人間を見るのを楽しみに、私はスペインへ来たようなものである」と書いている。(336P)

「卑しい」という言葉で思い出すことがある。アサちゃんもその言葉を「勿体無いも卑しいから」という風に表現していた。アサちゃんに食べすぎて苦しいと話すと、必ずそういって叱られた。勿体無い、勿体無いといって食べすぎるのは卑しいことだと。苦しいほど食べるなと。

「卑しさ」について清水は「戦後の日本では、国民が豊かになるにつれて、却って卑しさが増して来ているように思う。…『卑しいことだけはするな。』生きている限り、私は父親の言葉を大切にしようと思っている。」(337P)

清水は「孤独の意志」について「意志を持つ人間にとっては、困難なことは一つもない。」と聖イグナシオは言うとしたうえで凡人の清水には縁のない話だという。ところが清水は「私は意志というものに憧れを感じている。人間を人間として内部から支えるもの、結局は敗れるかも知れないが、内外の敵と戦って、何とか自分を卑しさから救うもの、それは意志ではないか。或いは、そういう側面を人間に発見して、それを意志と名付けるようになったのではないか。」と。(352P)

清水は当時のスペインについて「国内は疲れて餓えていたけれども、国外には、どこにも敵がいなかった」と考えた。(366P)

だから「すべての国がフランコの味方であった。それゆえ、内乱終結の四ヵ月後に起こった第二次世界大戦は、フランコの味方の間の戦争であった。…内乱に当たって、ドイツおよびイタリアが如何にフランコを助けてくれたか、宿敵イギリスが如何にフランコの敵を助けたか、それも問題ではない。どちらが勝つか、それだけが問題であった。」と。(366-367P)

その後、フランコはヒトラーとアンダイの停車場で会う。そのことを「色々と起伏はあったが、兎に角、アンダイでフランコは峠を越え、それでスペインが第二次世界大戦に巻き込まれるのを防いだ。アンダイはフランコにとって、勝利の土地である。そして、ヒトラーにとって、ヒトラーに占領されていたフランス人にとって、それは敗北の土地である。」と書いている。(376P)

著者である清水はスペインの旅をそのアンダイで終えている。

ここまで長々と書いてきた。ブログに入力するだけで相当時間を費やした。スペイン行きを前にして何もスペインを知らなかった。先に読んだ中丸明の本で『昨日の旅』を知った。これを読み終えて少しはスペインの近代の歴史が判ったような気がする。とはいっても、まだ見ぬ国スペイン。「百聞は一見にしかず」の言葉どおり、まずはスペインに行くしかない。

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