2011年7月24日日曜日

『戦争の記憶』

昨日聞いた集英社の資料の中に「戦争×文学」の宣伝パンフが入っていた。その中に立花の記事がある。以下に記したい。

学生たちと「デジタルミュージアム『戦争の記憶』」という大きなウエブサイトを立ち上げようとしている。戦後六0年余を経て、戦争体験者のほとんどが、八〇代、九〇代になり、戦争体験をリアルに語れる人がこの世から消滅しようとしている。生き残りの戦争体験者の声を少しでも集めようとしたのだが、やりだしてわかったことは、それがすでにほとんど不可能になりつつあるという現実だ。

戦争の記憶の掘り起こしに最も有効な手段は、戦争の同時代たちが、文学、回想録、ルポルタージュ、ドキュメンタリなどの形で書き残しておいてくれた活字資料なのだということを知った。しかし、そのほとんどが、今では入手困難となっており、図書館に行っても見つけることがむずかしかった。…去年夏ヨーロッパ各地をまわってきたが、向こうでも戦争体験者が次々に亡くなっていく現実を前にして、社会をあげて戦争体験の掘り起こし、語り直しがはじまっていた。戦争の記憶が消えてしまったら、世界は歴史から何も学べなくなってしまう。…


戦争を知らない次の世代に「戦争の記憶」を受け継ぐためにデジタルという手段で語り継ごうとする気持ちが伝わってくる。

今朝の地元紙を見ると、立花の話よりも第二部の編集者たちの話の写真が掲載されている。貴賓席にはプレス関係者の席も確保されていた。今年に入って2月にも来広しているといってたが、地元紙には何の情報もない。講演の最後には「脱イデオロギー」と書いてあったが…。

政治や思想に余り関心がない。それでも極端に偏りすぎるヒトは要注意だ。筑紫哲也だって亡くなって脱税とか…。いいことばかりいってるヒトに限って…。どこまで信じていいかわからなくなる…。

むしろはっきりモノをいわない、いえないヒトのほうが信じられる気がする…。

その点、音楽はいい!音楽にはイデオロギーがない。音楽はヒトを裏切らない…。

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