2011年7月17日日曜日

『老いの才覚』

3月に図書館に予約していた曽野綾子の『老いの才覚』(KKベストセラーズ、2011年)の順番がやっときた。昨日午後からは外に出ず一気に読み終える。

最近の新刊本のキーワードはシンプル、すっきり、収納、断捨離、老い…など「人生の後始末」に関するモノが多い。この本もそうである。

書いてあることは当然のことであり改めて…とも思えるコトだ。それを凡人は文章で言い表せず、作家は判りやすく書く。その辺がやはり作家なのだろう。

読者としては我が年齢よりも高く設定しているように思った。「老い」は誰でもやってくる。だから読者層は誰でもよいのかもしれない。

いつものように気にかかるところを記したい。

人間が死ぬまで働くということについて「与える側でいれば、死ぬまで壮年だと思います。おむつをあてた寝たきり老人になっても、介護してくれる人に『ありがとう』と言えたら、喜びを与えられる。そして、最終的に与えることができる最も美しいものは、『死に様』だと私は思っています。子供たちは今、死ぬということを学ぶ機会があまりないから、それを見せてやることだけでも大した仕事だと思います。…どんなよぼよぼになっても、与えることができる人間は、最後まで現役なんですね。」(72p)

ヒトの死ぬ瞬間を見たのはアサちゃんが初めてだった。曽野に言わせればアサちゃんは最期まで仕事をしていたコトになる。

親と成人した子供との関係についてうまくいく秘訣は「友人との関係と同じように、もし私を受け入れていただけたら、仲よくしてください、という気持ちでいたほうがいいと思います。」(78p)という。

若い頃はアサちゃんとべったりではなかった。よく衝突もした。ところがアサちゃんが怪我をして親子の立場が逆転する。そのころからアサちゃんが愛おしくなり大事にするようになった。歩けなくなっても、食事ができなくなっても、話ができなくなってもアサちゃんを介護するときが一番幸せだった。嫌だと思ったコトは一度もなかった。最期までみてあげたかった…。久しぶりその当時を思い出し涙があふれ出る。

冠婚葬祭について「八十、九十まで長生きして、自分の家で老衰のように穏やかに亡くなった親たちには、社会的な晴れがましさなどもう必要ありません。大金を使うこともなく、故人が心から愛していた人たちに囲まれて、このうえなく温かいお葬式ができたのも、世間がどうであろうと、『うち流』を通したからでした。」(103P)と「うち流」を通してよいという。

我が家もアサちゃんの書き残したメモのとおり「うち流」で執り行った。誰からも香典はもらわず、すべてアサちゃんのお金を使い、コトがすべて終わった日、アサちゃんの子供、孫たちとホテルグランヴィアに宿泊して食べ飲んでにぎやかに過ごした。費用はすべてアサちゃん持ちで…。きっとにぎやかなその場にアサちゃんも居たかっただろう。だが、それはもう…。

一人で遊ぶ習慣について「一人旅は、知恵を働かさないといけないし、緊張していなくてはならないから、惚け防止にも役立ちます。毎日料理すること、時々旅をすること。それが私の精神を錆つかせない方法です。」(113P)という。全くそう思うし、そうしている。

人の生涯について「その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で『会ったか』によって、はかられるように私は思います。人間にだけでなく、自然や出来事や、もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。何も見ず、だれにも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は人間として生きてなかったことになるのではないか、という気さえします。」(114P)と。

好奇心旺盛だけが取り柄のモノとしてはそのとおりとまた納得する。

人の一生について「雨露を凌ぐ家に住んで、毎日食べるものがあった、という生活をできたのなら、その人の人生は基本的に『成功』だと思います。もしその家に風呂やトイレがあり、健康を害するほどの暑さや寒さからも守られ、毎日乾いた布団に寝られて、ボロでもない衣服を身につけて暮らすことができ、毎日、おいしい食事をとり、戦乱に巻き込まれず、病気の時には医療を受けられるような生活ができたなら、その人の人生は地球レベルでも『かなり幸運』です。もしその人が、自分の好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、愛も知り、人生の一部を選ぶことができ、自由に旅行し、好きな読書をし、趣味に生きる面も許され、家族や友だちから信頼や尊敬、好意を受けたなら、もうそれだけで、その人の人生は文句なしに『大成功』だった、と言えます。」(164ー165P)という。

生活条件の厳しい世界を旅し、それを目にした著者だからこそ、そう感じるのだろうか。そうだとすればいろいろある日本だが、皆人生「大成功」の人ばかりになる。いいことだ。

旅といえば何故かイスラム圏の国が多い。イスラムの国の人々は自然条件も厳しい地帯に居住している。それをみるたび、恵まれた国に生きてると思ったことは何度もある。

毎日の凡々とした日々は著者の言うように旅を通して非日常を味わい、活性化を図るのもいいかもしれない。それにはまず、心身共に健康が一番。

午後からは合唱団のコンサートを聴きに行く。ブログを投稿中、知人からTELが入る。会場の世界平和記念聖堂は暑いとか。うちわも配られるらしい。

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