今日の産経新聞を読んでいたら「母の不在の寂しさ」という題で久田恵がエッセイを書いている。
毎日のように図書館に出かけ、日本の有力な新聞を読んでいる。気のせいか、やたらと介護や人の死の記事が目に付く。久田の記事もそうであった。
「親を喪う」とは自分自身だけが寂しさと向き合うわけではない。今朝の新聞記事もまさに今の心境とよく似たエッセイであった。
「一人ぼっちになった・・・」という記事である。それは家族のあるものにとってもそうらしい。
不思議といえば不思議。もともとヒトは一人で生まれ一人で亡くなるもの。そう思えばどんな境遇にあっても皆一人と思う気持ちに変わりがないのかもしれない。
久田は「どんな高齢になっても、親を喪うと、まるで荒野に一人ぽつねんと残されてしまった寂寥感に包まれるのだ」という。
そんな一人ぼっちの寂しさを久田は「一人暮らしをしていると、夜は必ず一人になる。まぎらわすものがないから、時々、どっぷりのひとりぼっち感に浸る。不在の母を思ったり、父を思ったりする。記憶のそこではほこりをかぶって眠っていたものが、ふと目覚めてきたりして、なにやらそれが、甘美なひとときとなっていくこともある。寂しいのもいいものである」と締めくくる。
一人暮らしになって間もないものにとっては「寂しさ」をなかなか肯定できない面がある。それでも久田のいうように記憶のかなたにあるヒトを思うとき、それがつかの間の甘美なときになるのなら、それもまた楽しいことになるのだろう。
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