岩波書店の情報誌『図書』3月号に片岡義男が「孤独という状態の有効活用」と題して書いている。
片岡は「小説を書いているときの僕は、孤独であるという状態のきわめてポジティブな有効活用をしている」と述べている。また小説を書くときのひとりきりの状態は、孤独と呼ぶに値するという。
「なぜ、書くのか」と問われれば、「書きたいから書くのだ。書きたい、と僕が僕ひとりだけのこととして、願望する。その願望を、僕ひとりが、実現させる」という。さらに「書きたい、という動機づけは、自分の内部からのみ、立ち上がってくる。孤独という状態がなんらかの肯定的な力があるとするなら、書きたいと願う気持ちは、そのような力のひとつだといっていい。書きたい、という気持ちを抱くにあたっても、他の誰をもいっさい加えることなく、僕は自分ひとりだ」ともいう。
そのうえで小説家である片岡は「論理が文章を書かせる。小説とは、論理の展開していく筋道の様子だ」と述べる。そして話が展開していく筋道が物語となる。その物語は「ある程度以上に抽象化された」ものが文章となって小説となる。「ある程度に抽象化された」なにごとかとは「アイデア」であり、それを提示する手段が「小説」だという。その「小説」という手段に選ばれた機会に読者は片岡の孤独に反応しているというのである。
なにやら理屈めいたややこしい話である。
ともあれ、片岡は孤独な作業を行って小説を書いているのは間違いない。そこには孤独という状態が有効活用しているというのである。
もしかしたらブログを書くのも孤独という状態の有効活用なのかもしれない。アサちゃん亡き後は「孤独」という状態が痛いほどよくわかる。その気持ちをブログに投稿する、という手段で有効に活用する。そう思えばそれはそれで精神面にとっても「孤独」解消となり、良いことなのかもしれない。
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