齋藤孝の『孤独のチカラ』(新潮社、2010年)を読んだ。
アサちゃん亡き後、自然と浮かんだキーワードが「孤独」。図書館の蔵書検索で調べると新着情報として今回読んだ書名が出てきた。
齋藤の代表作として『声に出して読みたい日本語』がある。齋藤は明治大学教授でありながら数多くの書を著している。この本もそのうちの一つ。
本の裏表紙には「私には《暗黒の十年》がある。それは受験に失敗した十八歳から、大学に職を得る三十二歳までに体験した壮絶な孤独の年月である。しかし、人生のうちで孤独を徹底的に掘り下げ過去の偉人たちと地下水脈でつながる時期は、成長への通過儀礼だ。孤独をクリエイティブに変換する単独者のみ、到達できる地点は必ず存在する。本書はそんな自らの経験を基に提唱する『孤独の技法』である」という。
齋藤は「孤独を乗り越えるために」「3つの手法」を書いている。
1手先のことに集中する
2翻訳、英語本にトライ
3マニアな読書
2としての「翻訳、英語本にトライ」は「翻訳や、原書を読むことは、孤独の時間の使い方として非常におすすめしたい作業だ」(74P)という。それは「必ず自分ひとりの時間に、一日のうちの時間なり枚数なりのノルマを決めてすること」と述べる。著者はさらに「日本語で書かれたものは、ときに音楽に近い感覚でするりと読めてしまい、没入できないことがある。そんなときこそ、原書に挑戦するといいチャンスだと私は思う」という。
これについては全くそう思っている。げんに2年前から中国語の本を訳し始めた。ところがアサちゃんの介護で忙しくなり、それもすぐに中断する羽目になった。それをアサちゃんが亡くなり、生活リズムが180度の変換を遂げたとき、また翻訳しようと思いついた。その翻訳も著者のいうようにノルマを決めてするほうがいいのかもしれない。
齋藤は「孤独」について「水が救ってくれる孤独」をあげている。「言葉は、自分の内側だけ堂々めぐりさせていると自分を傷つける刃になりかねない。しかし、外に向かって上手に表現できるならば、胸中を吐露する道にもなる。言葉が自分の心の穢れ、澱を流す役割をしてくれる。つまり、ひとりのときにはため込んでも、人と会ったときには吐き出す。この循環ができるとベストだ。」、「昔の日本人は、庭にししおどしや、枯山水など、水の流れを身近に感じさせるような風景をつくっていた。水には、どこまでも流れ流れていくイメージがある。心もまた基本的に、水のようにとどまらないものだという感覚があると健全だ」と。(86P)
さらに身体面において齋藤は「孤独に押し潰されないためには、身体との一体感を大切にし、仲良くしておくことが基本である」という(93P)。
それにはヨガや禅、太極拳などをしたときの充足感をあげる。即ち、体は気分と直結しており、体に意識を向けることで宇宙と一体化したような雄大な気持ちになれるという。(93P)
これについて我がやり方には水泳がある。だが今のところそれも積極的にする気持ちがない。時間が経てば自然とやりたくなると思う。それまではあまり無理強いはしないようにしよう。
いずれにせよ、本でも何でも尊敬できる人がいいと思うやり方は参考にしたい。
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