2025年10月31日金曜日

等彌(とみ)神社!?

 今年の夏は暑かったし、また長かった。3日か前にやっと扇風機を片付けたと思ったら、すぐに暖房機の出番となる。昨日、電気代の明細書が郵送されてきた。暑かったはずなのに使用したキロワット数が昨年同月よりもかなり少ない。電気代は7000円くらいと安かった。ガスはないので電気代しか要らない。この中に電気温水器代、エアコン代が含まれる。エアコンは昨年と今年、新たに買い替えた。また、冷蔵庫も買い替えたのでこれらすべてが省エネによるのか電気代が安くなる。

 今日は一日雨の予報だ。最低気温13度、最高気温16度で一日の気温差があまりない。明日からの来月はまた気温が上がるとか。年を経て、一番気にするのがお天気だ。晴れればうれしいが雨だと外にも出にくくなる。外にでなくなれば運動不足になりかねない。まだまだ過ごしやすい気候が続くので雨が降ってもなるべく外に出かけよう。

 今朝は夢を見ていた。来月末に出かける予定の奈良の旅。その中で神の森町バス停が夢に出る。そのバス停近くに等彌神社がある。談山神社に参ったたあと、この等彌(とみ)神社に参る予定だ。その名前が出て来ず、名前を探し出す夢だった。やっと等彌神社の名がわかったころに目が覚める。このごろは起きているときなども固有名詞などが出なくなると「あ」から始まって「ん」まで一通り調べる。そうすると出てこない名が出てくる。昨日は「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎が出なかった。この時はどうやっても頭に浮かばないので仕方なくスマホで「嫌われる勇気」の著者は?で検索してわかった次第。

 先の等彌神社の件は神社の名前が珍しいのか覚えにくい。そのこともあるのか夢を見たようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月30日木曜日

『ペルシャの幻術師』

 『ペルシャの幻術師』(司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)を読んだ。『ペルシャの幻術師』には他に7編の短編が収めてある。今から30数年前にイランに出かけ、テヘラン博物館の見学もしたはず。だが、その時「悪魔の石」を見たかどうかは覚えていない。10数年前からこのブログで旅の行程を書き記している。しかしそれより前は何処の国へいつ行ったかのメモしかない。そう思うとウインドウズ10のセキュリティがどうなろうと何かの手段でブログは続けよう。

 以下は『ペルシャの幻術師』から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ただ、いつの時代か、廃墟の中から、一個の宝石が発掘された。深紅の色を湛え、指頭ほどもあった。それが、伝説の幻術師グラペット・アッサムの所持したものかどうかは分明でないが、その後ながく、ペルシャの幻術師の仲間で、法流を継ぐときの印可の証として伝承されたという。こんにち、テヘランの博物館に収蔵されている「悪魔(シャイターン)の石」がそれである。一二八一年、日本の弘安四年の夏、忽必烈(フビライ)の蒙古軍十四万が玄界灘を押渡り、同閏七月一日、博多湾頭を襲った狂颷(きょうひょう)のために、生存数千を残して悉く滅んだ。大鷹汗(シンホルハガン)ボルトルの死より二十八年ののちである。その後、百年を経ずして大蒙古艇国「元」は亡び、成吉思汗(ジンギスカン)の夢は、草原の彼方へ消えた。(49p)

2025年10月29日水曜日

大型ゴミ

 久しぶりに2階へ上がって掃除をする。ふと気になる押入れを開けると大型ゴミに出していない蒲団が残っている。もう何十年も使っていない蒲団だ。1年前にリフォームする際、2階はそのままにした。布団類はその前にかなり処分したがそれでも昨日見ると7枚もある。大半は掛布団で敷布団は1枚だけ。すぐに市の大型ごみに電話する。来週の火曜日に受け取りに来るという。最初に電話したときは昔の布団なのでかなり重いため3枚だけお願いした。ゴミとして出すにも玄関外まで出すのは大変だからだ。しかし、いくら重くても一度に処分する方が気は楽。すぐに再度電話して敷布団だけ残して計6枚お願いした。

 この6枚を2階から1階に降ろすのは大変。布団は割れ物ではないので2階から落とす。1階に落とした布団をとりあえずほかの部屋に置く。それをゴミ集荷の当日玄関の外まで運ばねばならない。これを持ち運ぶのは重いので引きずって出そう!ゴミの代金としてすぐにコンビニに行きチケットを購入。@¥250×6枚で計¥1500。

 ほかにも気になるものがある。それは母が買ってくれた着物類だ。これはどう思ってもゴミには出せない。そして2階にあるスピーカーとデッキそしてプレイヤーがある。50年くらい前の価格でピアノと同じくらいした。これもどう思ってもゴミにはできない。母がいた当時は2階に寝ていたのでこれで音楽を聴いていた。今は、年に数回掃除のために2階へ上がるのみ。当分はこのままにするしかなさそうだ。

 そして2階には箪笥が2棹ある。この中にはほぼ何も入っていない。ひとり暮らしだと市の大型ゴミの係が2人来て降ろしてくれる。が、これもそのままに……。

 1年前のこの頃はリフォームをお願いして工事が始まる前だった。早いものであれから1年になろうとしている。生きてるうちはいくら処分しても何やかや要らないものが増えてくる。そういえば昨日の処分で木綿のハンカチが32枚も出て来た。今、ハンカチは木綿ではなくタオルハンカチをつかっている。この32枚のハンカチをネットに入れて洗濯機で洗った。使う予定はないが洗濯を終えて干す際、夏以外は木綿のハンカチはかさばらないので利用しようかな、と思ったり。というかもったいなくて思い切って捨てられない。もう何十年も使わなかったのにいざ棄てるとなると捨てられない。これはなぜ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月28日火曜日

アルビノーニのアダージョ

 10数日間で気温は大きく変わり今朝の最低気温は10度で最高気温は19度と低くなる。昨日はプールで泳いだ。プールは隣町の循環バスに乗っていく。同じバスに乗った人と同じバス停で降りた。スーパーの前にあるバス停は車がひっきりなしに通る。下車後、車に気を付けて降りた人と話す。30年ぶりに歯科へ行った帰りだという。かなりの年配の人だが30年も歯科に行かずに生活できたとはすばらしい。内科に30年くらい行っていないが自分としては1年前から歯科通いが続いている。歯が丈夫な人を尊敬してしまう。その人はプールの近くに住んでいるらしく以前はこのプールで泳いでいたそうだ。

 昨日は500m泳ぐ。そのうちクロールは25mで、あとは背泳ぎで泳ぐ。なじみの人と話すと1キロ泳ぐようにという。この1,2年くらいまでは1キロくらい泳いでいた。が、無理して泳ぐこともないと500mで泳ぎ終える。気長にモノゴトを続けるには細く長くするに限る、との思いがある。そういえば昨日、初めてブラジル人が水中歩行していた。日本に来て2年だとか。

 今朝、スマホの動画を見ているとゴールウエイのアルビノーニのアダージョの演奏がある。スマホでは見られるのにパソコンでは思うようにならない。やっぱりこの曲は聞いていても素晴らしい。他の人の演奏をアップしよう!
 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2025年10月27日月曜日

浄瑠璃寺の外観

浄瑠璃寺入り口

 ウインドウズ10のサポートが終了してパソコンを起動するたび何やかや表示が出る。パソコンのセキュリティは2027年3月まで契約していても、新たにインストールしないとそれは無効とか。昨日、ダウンロードしてインストールを試みる。が、新たに課金されるとある。それも今よりも金額がかなり高い。いずれにしてもウインドウズ11に買い替えなければ問題は収まらない。その思いからインストールはやめた。

 というか、今、パソコンの利用はブログ専用になっている。25年前にパソコンを初めて買って4,5台パソコンを買い替えた。パソコンの設定は初期よりもだいぶ簡単になったが、それでもかなり頭をつかう。今のパソコンが利用できるまで使ってその後の事は考えまい。すべてはブログを辞めればいいことだ。最終的にブログを続けたければ新たなタイトルでタブレットから投稿しようと考えている。そう思うとだいぶ気持ちが落ち着いた。

 今朝も来月の奈良行きの帰りの新幹線を予約する。OKだ。予約の前に昨夜から気になっていた談山神社と等彌神社のバスの便である。等彌神社は桜井駅から徒歩で15分の所にある。談山神社は桜井駅からバスでゆき、談山神社を観光後、等彌神社のある神の森町バス停で下車し、観光後に桜井駅まで歩こうとなった。そのためのGoogleMAPを検索すると道順が詳しく表示される。このGoogleMAPに慣れれば人に尋ねなくてもよくなる!?使い方に慣れるように練習しよう。

 今朝は他に浄瑠璃寺に出かけた和辻哲郎の『古寺巡礼』を再度読む。和辻の出かけたころの浄瑠璃寺は道が舗装されてなくバスに乗っても大変だったようだ。途中から徒歩で出かけている。「仏前に一つづつ置いてある手燭(てしょく)のような格好の木塊に画かれた画もおもしろかった。しかし何よりも調和した堂の外観がすばらしかった。開いた扉の間から金色の仏の見えるのもよかった。あの優しい新緑の景色の内に大きい九体の仏があるシチュエーションは、いかにも藤原末期の幻想に似つかわしい」(51p-52p)と書いている。これを読むと「開いた扉の間から金色の仏の見える……」のくだりは先日の浄瑠璃寺では考えられないことだ。開いた扉どころか全くといいっていいほど堂内に明かりはなく、手探りで歩くほどだ。当然、仏様ははっきりとは見えない。時代が変わればこうも変わる!?これもすべては九体の仏像保存にあるのだろう。

浄瑠璃寺九体阿弥陀堂の外観

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月26日日曜日

司馬遼太郎記念館会誌「遼」と来月の奈良行き

 司馬遼太郎記念館会誌「遼」2025年秋季号が送られてきた。友の会通信欄を見ていると同じように読んでいる人がいる、と思った。それは『司馬遼太郎が考えたこと』である。が、よく見るとそれは自分がアンケートで記入したことだった。また松原正毅の「『裸眼での意味』――生成AIの展開の時に」を読むと「万巻の書を読み、無数の資料に目を通し、できるかぎりおおくの現地の場に身を置くことにつとめた司馬遼太郎さんの実践の奇跡をみれば、『裸眼で』という姿勢の実相が明瞭にうかびあがってくる。それは、『みずからの足であるき、みずからの目で見、資料を多角的に検証し、そのうえで思索をめぐらす』という姿勢である」。これはモノゴトを色眼鏡で見ない!?

 2日か前から来月の奈良行きについて思いを巡らす。予定では談山神社、等彌(とみ)神社、そして柳生の里に位置する円成寺を予定した。ところが円成寺はどう考えても交通の便が悪い。仕方なく急遽、次回の奈良行きはリベンジ旅になりそうだ。それには昨年7月の長谷寺行きで熱中症になり、もう一度行こうとの思いがあった。そしてもう1つは談山神社。このお寺はこの春出かけたが一番大事な十三重塔を見逃している。ほぼ毎日のようにネットで談山神社のライブ映像を見ていると定点観測なので常時、十三重塔が映し出される。観光客の数も涼しくなったためか連日押し寄せている。これが紅葉時期となればさらに増えるだろう。

 来月に行く場所は決まった。どちらも出かけた所なので気楽に行けそうだ。ただ等彌神社は初めて行く場所だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月25日土曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その3

 2025年10月21日(火)から22日(水)までの2日間、奈良・斑鳩の里と木津川にある浄瑠璃寺、岩船寺の旅をした。その2から続く。

 2日目 2025年10月22日(水)

 宿はJR奈良駅近くのワシントンプラザホテル。前夜の夕食では時間も早かったためかホテル内のレストランで食事をする人は少なかった。が、朝食の時は多くの人だ。広いレストランを見渡すと3分の1くらいは一人旅のようだった。夕食は飛鳥鍋やてんぷら、そしてお刺身などいただく。朝食はバイキングではなく和食御膳をいただいた。初めて利用したホテルだが何もかも感じがよくて、またJR奈良駅にも近い。そして何よりもホテル代がリーズナブルだ。奈良行きの宿はこれからここに決めよう。

 宿を出てJR奈良駅まで歩き、関西本線に乗車して加茂駅で下車。何とJR奈良駅は電光掲示板の不具合でホーム内はアナウンスの音がけたたましい。係に聞いて乗車ホームに行く。

 加茂駅で下車後、コミュニティバスに乗車して岩船寺に向かう。バスを待っていると東京の4人組と出会う。ますは岩船寺に向かい、その後、浄瑠璃寺に行くという。岩船寺に着くと小雨が降っている。山の中に位置する岩船寺と浄瑠璃寺。雨で足元が滑らないように気を付けて歩く。

 バス下車後、すぐの場所に岩船寺があった。観覧チケットを購入後、本堂内に入ると中は暗い。本尊の阿弥陀如来坐像・四天王立像など見るが暗くて単眼鏡で見る。いただいたパンフを片手にどんどん奥に進むと鐘楼がある。この鐘は報恩感謝の鐘で、撞くと境内に響き渡る。辺りは山道であり、また雨でぬかるんでいる。滑らないように五輪塔、三重塔、十三重石塔など見て歩くと春日神社、白山神社の矢印がある。そこまで山道を歩いて行くとぬかるんだ道になる。これ以上行くのはやめて引き返す。
岩船寺

鐘楼


五輪塔
十三重石塔

三重塔
春日神社と白山神社
 岩船寺の観光を終えるとバス停にもどって浄瑠璃寺行きのバスを待つ。奥まった場所にある観光地のバス便は1時間に1本しかない。予定のバスに乗れないと山奥で一人取り残される。しばらくすると浄瑠璃寺に向かうバスが到着。乗客は少ない。この2つのお寺は若一調査隊のYOU TUBEを見て知った。ここを参拝した人たちはどうやってここを知ったのだろう。

 浄瑠璃寺は当尾の里にあり、九体寺(くたいじ)とも言わる。本堂は九体阿弥陀堂で九体の阿弥陀如来像が収めている。
浄瑠璃寺(九体寺)庭園
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂
三重塔
左が此岸、右が彼岸をあらわすそうだ
 庭園をめぐって九体阿弥陀堂に入ると中は真っ暗だ。ふと見るとお堂の隅にずらっと人が座っている。隣に座るように、と言われた。が、行儀座りに慣れていないので立って仏像を見て歩く。が、室内の明かりが暗くて手探りで歩く。この暗さでは単眼鏡で見ても仏像は見えにくい。今回の旅ではどこもここも秘仏の前では暗さだけが印象に残る。

 浄瑠璃寺のバス停で観光客の人と話すと暗さについておなじことを言われていた。これは目の良しあしとは関係ないようだ。秘仏を灯りから守っているのだろう。
ムラサキシキブ

 2日目の岩船寺と浄瑠璃寺の旅は予定よりも早く切り上げてJR奈良駅で下車し、駅に隣接するお店でお昼を食べる。その後、予定の新幹線まで時間があるので旧駅舎を改造したインフォメーションセンターのスタバで珈琲を飲む。ここでしばし休憩。奈良駅の電光掲示板の故障はその時点ではなおっていた。帰りも行きと同じく大和路快速で久宝寺で乗り換えておおさか東線で新大阪まで行く。万博は終わっていたが相変わらず新大阪駅は人であふれていた。

 楽しい旅は終わった。来月もまた今年4回目となる奈良へ行く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月24日金曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その2

 2025年10月21日(火)から22日(水)までの2日間、奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅をした。出かける前から天気予報では2日間とも好天ではないとある。案の定、曇り空と小雨のなかを歩く。ましてやこの両日とも、気温が急降下して最高気温13度。寒さは大丈夫だった。が、悪天候は残念!

 一日目 10月21日(火)
 
 出かける前、10月22日(水)から法隆寺の秘仏が開帳されると知って出かけた。秘仏公開となればさらに観光客が増えるので前日に出かける。法隆寺は斑鳩寺と言われる、と出かける前に知った。斑鳩とは斑鳩鳥に由来するとか。法隆寺南大門をくぐり、まずは西院伽藍を観光する。拝観入り口で入館券2000円を払って大講堂、大宝蔵院、そして東院伽藍にある夢殿を目指す。大講堂を見物後、外に出ると鐘がなる。ふと「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の正岡子規の句が頭に浮かぶ。近くに係がいる。鐘は何処からなるか?と問うと西円堂からだという。再度、引き返すのも面倒なのでそのまま先を急ぐ。そして係はその碑が目の前にあるとも教えてくれた。
法隆寺金堂と中門そして五重塔
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の碑

 法隆寺から中宮寺に向かう途中で見たこともない木を見つける。せっかく写したのに何の木か文字が読めない。後で確かめよう。
これは何の木?
 旧斑鳩御所と言われる中宮寺の本尊である如意輪観音菩薩像はレプリカで実物は奈良国立博物館に収めてある。

 予定では斑鳩3塔である法起寺、法輪寺をめぐる予定だった。そして中宮寺跡のコスモスも見るつもりだったが時間が足りずに諦める。法隆寺参道に戻る途中、藤ノ木古墳の掲示を見て急遽、見に行く。南大門から歩いて5分くらいのところにあった。その途中にはのどかな風景が広がり、ささやかながらもコスモスが咲いていた。
藤ノ木古墳
藤ノ木古墳 中は入られない
ささやかに咲いていたコスモス
 1日目の予定を終えてバスでJR奈良駅前にあるワシントンプラザに泊る。この続きはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月23日木曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その1

  2025年10月21日(火)と10月22日(水)の2日間、奈良方面の旅に出かけた。1日目は奈良・斑鳩の里法隆寺と中宮寺、2日目は地理的に京都に位置する木津川市にある浄瑠璃寺と岩船寺への一人旅だ。両日ともさっぱりしたお天気ではなかった。また、30度超えの日々から急転して昨日の木津川市は最高気温13度、最低気温は11度と寒くなる。しかし、薄手のウインドブレーカを持参していたので寒さは大丈夫だった。

 宿は今回、JR奈良駅近くのワシントンプラザに初めて泊まる。ここは2食付きなのにリーズナブルで次回からの奈良行きはこの宿に決めた。翌日、JR奈良駅から加茂駅まで乗車し、加茂駅で岩船寺行きのバスを待っていると東京からの4人組と出会う。話をすると宿の話になった。ワシントンプラザに泊ったというと高級だ、と言われる。金額を知らせると驚かれた。4人組は近鉄奈良駅近くのパン屋が経営する宿に泊まったそうだ。12月の京都行もすでに京都のワシントンを予約している。

 年に何度も奈良に行っている。が、その都度、乗り換えの近鉄に迷っていた。これからは新大阪駅から奈良まではおおさか東線で久宝寺まで乗車、そして久宝寺に到着すると同じホームから奈良までの大和路快速が出ている。この方法が迷わずに奈良まで行ける。

 初日の観光は斑鳩3塔の法隆寺、法起寺、法輪寺、そして法隆寺に隣接する中宮寺を回ろうと予定していた。が、久しぶりの法隆寺は境内も広く、ここだけでも多くの見所がある。法隆寺を見学後、中宮寺に参る。本来ならば中宮寺跡の歴史公園も見るつもりだった。が、係に聞くとコスモスは遅れており、かなり歩くという。また、そこから法起寺や法輪寺に行くにはさらに何十分もかかる。また帰りの距離も考えねばならない。お天気が良くないこともあって中宮寺の観光で、後は断念する。

 しかし、そう決めてもまだ少し時間がある。法隆寺南大門まで戻ると藤ノ木古墳の案内がある。ここからだと藤ノ木古墳までは530mらしく田園を眺めながら歩いて行くと整備された藤ノ木古墳が見えた。後で知ったのだがこの古墳は文化庁と斑鳩町が所有管理する国の史跡とある。道理で行き届いていると感じた。

 藤ノ木古墳は法隆寺から歩いて数分先なのに観光客は全くと言っていいほどいない。ただ、若い2人連れがいた。お昼は法隆寺境内の東茶所で自販機の紙コップに入った珈琲を買った。ここでお昼代わりのツナサンドを食べてもいいか、許可を請うとOKとのこと。広い境内を歩いても食事処は見当たらない。が、自販機やちょっとした展示物、そしてお土産物を売っている。足も疲れていたのでここで少し休憩する。そして藤ノ木古墳のベンチに座って2つ入った残りのツナサンドも食べた。まるでピクニック気分だ。古墳の中は覗けるだけで入られなかった。

 藤ノ木古墳から法隆寺参道までは1キロある。参道前にある茶店の芳庵に入って暖かい麺類をいただく。やっとここで食事にありつけた。

藤ノ木古墳
中には入れず外から見る
 法隆寺参道からバスに乗ると次のバス停で全員降ろされる。その理由は聞かなかったが次に来たバスに乗ってホテルに行く。ワシントンプラザに初めて泊まるが夕食は飛鳥鍋とてんぷら、そして刺身がついていた。いつもならばビールで一人乾杯のところ、メニューにある生ビールは品切れとか。アサヒビールがサイバー攻撃で被害に遭っている。その影響なのか瓶ビールしかないという。いくらビール好きでも瓶ビール1本は多すぎる。グラスワインを注文した。ところが出て来たワインはまるでビールのようにグラスの上まで注がれている。これを見て思わず係と笑った。なみなみと注がれたワインを飲んだ。途中で酔いそうになる。

 翌日はJR奈良駅から関西本線に乗車して加茂駅へ。ここから岩船寺行きのバスに乗る。岩船寺を観光後は同じ路線の浄瑠璃寺で下車。少し雨が降っている。が、傘をささなくても歩けた。岩船寺は1時間の観光、浄瑠璃寺は2時間の観光と食事時間1時間を予定していた。ところがこの界隈には食事処はなく、また浄瑠璃寺もそれほど広くなくて1時間の観光でよかった。予定の時間が残り、奈良駅まで行って近くにある興福寺を観光しようと思いつく。が、雨の中をリュックを背追っての観光は大変だ。浄瑠璃寺の停留所で知り合った人はこれから木津川駅で降りて蟹満寺へ行くという。山口からの一人旅で新大阪20時のチケットだとか。それまでの日帰り旅だという。
 
 木津川駅で別れて奈良駅で下車。駅構内にある食事処で暖かい三輪にゅう麺をいただく。食事後、隣接する古い駅舎を利用した奈良のインフォメーションセンターに入る。ここのスタバで珈琲を飲んでしばし休憩。広島市内でスタバに入ることはほぼない。が、旅先でのスタバは旅気分を増加させる!?

 そういえば奈良駅から加茂駅に乗ろうとしたら奈良駅構内の電光掲示板がすべて点灯していなかった。何もかも人の手でなくITの時代だ。こういうこともある?とびっくりする。帰りの電光掲示板は正常だった。楽しい旅は終わった!この続きはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月20日月曜日

1981年放送の日曜美術館「私と八木一夫 作家司馬遼太郎」を見る

  10月1日からあらたになったNHK ONE。初日早々からアクシデント発生で評判の悪さを露呈した感があった。個人的にどうにかNHK プラスからNHK ONEに移行できた。が、移行の率は以前の6分の1との情報もある。前より手続きが面倒になったことにもあるだろう。

 昨日、NHK ONEで1981年に放送された日曜美術館「私と八木一夫 作家司馬遼太郎」を見る。今から40年近く前の映像だ。そのころの司馬遼太郎を知らないので興味深く見た。八木一夫は司馬遼太郎の本を読んで名前は知っていた。が、詳しくは知らずにいた。

 八木はいわゆる陶芸家ではなく細工して作品に仕上げている。このことを司馬は語るのだが何やら哲学めいてここに記すことが出来ない。

 昨日は他にも来月、博多へ高島野十郎展を見に行くのでおとなびをネットで予約した。広島⇔博多間はのぞみだと1時間もかからない。安くするためにこだまで往復予約した。その際、先日、興福寺の多田俊映氏の講演で聞いた〇△□に関係ある聖福寺(しょうふくじ)にも立ち寄る予定でいる。年が明けた2月くらいまであちこちと旅を予定している。真夏の猛暑日の3か月間、おとなしくしていた。秋から冬にかけて大いに外に出よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月19日日曜日

大慌ての一日

赤いトウモロコシを入れたご飯

 昨日は大慌ての一日だった。日本画教室に行く前に福屋八丁堀店によって依頼していた時計を取りに行く予定だった。1時間以上も早めに家を出て広島駅改札を抜けた。ところが、バスに乗ろうとするとICOCAがない。さあ、大変!その間、1分も歩いていない。すぐに駅改札にもどってICOCAの紛失を係に告げる。が、持物をよく調べるように、と言われるのみ。

 仕方なくバスに乗る。運賃は小銭がなくて千円札を両替して席に座る。八丁堀近くになってバッグを触ると何かある。ICOCAだ。あれほど持物を全部出して探したのにその時は見つからなかった。ICOCAは旅に出かけるため用にと1万円チャージしている。そのICOCAが見つかった。先日買い替えたバッグだが、これにまだ馴染んでいなかったようだ。

 興奮冷めやらぬまま、時計売り場に急ぐ。ついでに別の壊れていた時計のバンドも交換する。依頼していた時計のバンド交換は2万円ぐらいかかると言われていた。ところがクレジット決済を見ると依頼品は12000円でもう一個のバンド代は6000円。合計19800円(消費税込み)。

 汗で傷んだ時計バンドを2個交換した。そして先日新たに買った時計を入れると3個の時計がつかえるようになった。

 時計の件は落ち着いたがまだ先のICOCAの慌てた余韻がある。市内バスで日本画教室に移動中、スマホに電話が入る。全くと言っていいほど電話で話したことがない人だ。

 バス停に到着後に電話をかけ直すと別の日本画教室の人だった。この人に電話で知らせなくては、と思った矢先の電話だった。それは前夜のEテレのスイッチインタビューに出演の青山俊董尼僧のことだ。先方も同じ気持ちだったようでその旨、知らせてくださった。しばし電話でこんにちの尼僧さんのお元気な姿を称えあう。

 その間、先の大慌ての際、間違い電話を別の日本画の人にかけていた。その人が何か急用、と思って何度も電話がある。教室に着くとそのお詫びをする。ICOCAがなくなったと思って駅の忘れ物センターに電話するのを間違えてその人に掛けたようだ。

 何もかも落ち着きのない性格がよくない。気をつけよう!

 なお、NHK ONEで青山俊董尼僧の女優とのインタビューを見るといいことを話されている。92歳になるそうだがお元気だ。その話の一部から。

  毎日の人生のひとつひとつにどう取り組んで生きてきたか

  自分の人生とどう取り組んできたか 

  どう向き合って生きてきたか それが真ん中

 昨日は、先日もらった赤いトウモロコシを入れてご飯を炊いた。トウモロコシの芯はいれなかった。赤い塊はトウモロコシの芯の破片が入ったようだ。芯を入れて炊けば赤飯のように赤くなったかもしれない。が、美味しく炊きあがった。来年からもトウモロコシの季節には炊き込みご飯にして炊こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月18日土曜日

世羅高原の余韻


  一昨日のせらの旅でもらった赤いトウモロコシはネットで検索すると大和ルージュというようだ。奈良県で初めて赤いトウモロコシを作ったとか。赤さを維持するため電子レンジでチンする。チンした後、これをどうやって食べる?と思って再度ネットで検索する。ご飯を炊くときこれを入れるといいとある。その前にチンしたトウモロコシを包丁で粒をそぐ。粒のなくなった芯は縦に切ってこれも一緒に電気釜で炊く、とある。しかし我が家の包丁がよくないのか2つに切れない。そのまま粒と一緒に電気釜に入れよう。

 トウモロコシはもう何十年も食べていない。先日の旅でもう1本買わせるためか100円の割引券がついていた。トウモロコシを食べたいと思わないので1本で十分だ。その券が欲しいといった人にあげた。

電子レンジで4分チンした赤いトウモロコシ
 今朝の地元紙を見ると今夜のEテレに司馬遼太郎が出演とある。寝るのが早いので明日、NHK ONEで見ることにしよう。NHK ONEと言えば昨夜のEテレのスイッチインタビューに青山俊董尼僧の出演があった。これもあとからNHK ONEで見よう。今、92歳と新聞にある。青山尼僧を知ったのはいつも書いているように九州のお坊さんたちと出かけたスリランカの旅での話にある。その名をその時知って以降、広島での講演会に何度か出かけた。が、コロナ禍での講演会は中止が余儀なくされる。広島での最後の講演会には皆さんで記念写真を、との思いも果たせずじまいに終わった。青山尼僧のその後がテレビでわかる!?

 昨日は他にも桂文枝のブログにいい言葉がある。その一部を勝手に引用させていただこう。

 天然は夕日を美しく
 人は晩年を美しく

 いい言葉だ。個人的に若い頃よりも今の方が何倍も何十倍も楽しい。その面では「人は晩年を美しく」は「人は晩年を楽しく」に置き換えて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2025年10月17日金曜日

「世羅高原のコスモス鑑賞と赤いトウモロコシの収穫探検」日帰りツアー

  2025年10月16日(木)、天気予報は午前中から雨だった。が、元気を出して「世羅高原のコスモス鑑賞と赤いトウモロコシの収穫探検」と銘打った日帰りツアーに参加する。参加者は35名。皆さん、日ごろの行いがよいのか傘マークの予報に反して雨は帰るまで降らなかった。ただ、今朝のカンカン照りの空を見るとやはり青空の下での観光がよかった、とも思う。

 広島駅ペデストリアンデッキに集合後バスは途中トイレ休憩を挟んで仙石庭園に向かう。この庭園は個人が25年前に手掛けた庭園で、主は現在86歳。昨年まで某記念病院の院長だったそうだ。庭園の面積は4ヘクタール(12000坪)。坪数を聞いてもピンとこないが縮景園とは比べられないほどの広さはわかる。ガイドの案内でついて歩く。が、石の数は3000個以上もある。庭園の奥まったところでガイドがかがんで何やら拾った。それはアメリカ楓(ふう)の落ちた実だった。トゲトゲした実を見て、欲しくなってもらった。ついでに落ちていた葉っぱも持って帰る。その実は木の下にたくさん落ちていた。それも拾って持って帰った。

 途中、きれいとは言えない池がある。午前中のためか蓮が咲いていた。さらに進むと秋の七草のひとつ、フジバカマがある。残念ながらアサギマダラの飛来は見られなかった。
アメリカ楓
アメリカ楓の落ちたのを拾った実
フジバカマ
蓮の花
 お昼近くになったが花の駅世羅に向かう。ここでは200万本のコスモス鑑賞と赤いトウモロコシの収穫を体験する。そして赤いトウモロコシを1本取って各自持ち帰る。赤いトウモロコシは初めて見た。が、トウモロコシそのものは子供のころ、我が家の庭に植えてあった。子供のころに植えてあったものは胡麻もある。そしてコスモスも植えてあった。しかし、今はもう遠い過去の事でただただなつかしさしかない。そういえばイチジクも桃も橙もあった。今は、何もない。

 花の駅世羅のパンフを見ると「コスモス500万本カラフルな花畑」とある。この数を聞くたび、多いということをこう表現するのが日本的!?決して数を数えた人はいないだろう。
さすがにコスモスは秋桜

一面真っ赤なコキア畑がひろがる
いろんな花が……
大谷選手を模した花絵 
 ここから集合場所に戻る途中、木道を歩いていると大きな蛇が目の前にいる。大声で叫んでも広すぎて誰の耳にも届かなかい。係に話すと全く問題にならない様子の顔だった。が、こちらはただ恐怖しかない。
一面コスモス畑
 遅いお昼をせらワイナリーでいただく。旅の案内を見るとここのお昼はJAL国際線ファーストクラスのシェフ監修とある。エコノミークラスしか乗った経験がないので残念ながらその違いがわからない。ただ、ご飯が美味しかった。おかずが足りず、お皿の白いご飯だけで全部食べた。食事後、再度、バスに乗って世羅高原農場花夢の里に向かう。先ほど見たコスモスに堪能したのかツアーで知り合った人と話をしていてここでの写真を撮っていない。ここは190万本のコスモス鑑賞とうたっている。

 久々にツアーに参加した。ただ一つ残念だったのはせっかく田舎に来たのにススキを目の前で見られずに終わったことだ。いつかススキの原っぱへ行きたい!そして、この勢いで来週は奈良に行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月15日水曜日

プールへ

 最高気温30度の昨日午後、プールで泳ぐ。プール内の水温と外気温が同じなのかドアなどは開け放たれている。いきなりの背泳ぎで泳ぎ続けると見知らぬ人から声をかけられる。背泳ぎができない人なのか、うまく泳いでいるといわれる。人から褒められて気を良くして泳ぎ続ける。結果、クロールは25mしか泳がず、375m(7往復半)は背泳ぎで泳いだ。

 背泳ぎは息継ぎを気にせずに泳げる。また浮いたまま天井を眺めながら泳ぐので帰りのバスを気にしなければもっと泳げる。が、泳いだ後のことを考えると無理は禁物。そのこともあるのかこの頃は500m(10往復)以上は泳がない。何事も細く長く続けるにはこのくらいがちょうどいい。

 更衣室で着替え中、足の不調を訴える人は病院に通うよりもプールの方がリハビリになるという。以前、近所の老夫婦から病院で手術を勧められたが3か月水中歩行をするうち、それもよく成った話を聞いたことがある。そのこともあるのか通っているプールは泳ぐ人は2,3人もいないが水中歩行は何人もいる。泳ぐのに慣れるとたまにする水中歩行は結構きつい。というか泳ぐ方が楽しい!

 つくづく思う。30代半ば、強引に水泳を誘ってくれた友だちに感謝してもしきれないと。友だちと前回話した時は病状が重いと言っていた。自分が協力できることは何もない。が、ただただ友だちの体がよくなりますように願うのみである。

 まだまだ暑く、すっきりとした秋晴れとはほど遠い。今週と来週は外に遊びに出かける。遊ぶには晴れがいい!さてさてお天気は……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月14日火曜日

『戦国の忍び』収録の『下請忍者』

 『戦国の忍び』(司馬遼太郎・傑作短編選)(司馬遼太郎 PHP研究所、2014年第1版第3刷) )には『下請忍者』『忍者四貫目の死』『伊賀者』『伊賀の四鬼』『最後の伊賀者』が収めてある。そのなかの『下請忍者』を読んだ。以下に気になる箇所を記そう。

★「儲けるのは、スグリだけやな」与次郎が、腹の立つのはそれだった。スグリというのは、村主(すぐり)、妙手(みょうしゅ)の字を当ててもいい。往古から伊賀に土着する平姓(たいらせい)の郷士で、与次郎のばあいは、百地小座衛門がそれに当たる。忍者の世界では上忍(じょうにん)ともいう。忍術伝説でいえば、百地三太夫などが上忍にあたり、講釈で活躍する猿飛佐助や霧隠才蔵などは下忍になるわけだ。いまの保険会社でいえば、上忍は代理店主にあたり、下忍は勧誘員ということになるだろう。(10p)

★(わしは伊賀を遁(に)げた。また伊賀に帰っている。むかし孫悟空という唐の猿が、ついには釈迦の掌(たなごころ)のうえでしか走れまわれなんだように、わしも伊賀者の宿命のなかから、しょせん、あがき出らぬものかも知れん。そうやとすれば、たかがスグリの一人や二人を斬ったところで、わしの運命がどうかわることもない)与次郎は、刀と半弓を草むらのなかへ捨てた。身を守る武器がもはやないとなると、かえって気が楽になった。そのまま楽々と死の国へ踏みこんでゆけそうに思えたのである。(45p)

 短編集の『下請忍者』を読み終えて『司馬遼太郎全仕事』をチェックする。そこで気づいたのは短編小説集のうち出版社によってダブって収めてある本がある。昨日借りた『ペルシャの幻術師』を見るとこれにも『下請忍者』が収めてある。先のそれはPHP文庫に収めてあり、後の方は文春文庫にも収めてある。他にも新潮文庫等も他の短編集が収めてあるようだ。

 司馬作品を生きてるうちに全部読み終えようとしている。が、すべて網羅するのは大変かもしれない。おおよその司馬作品を読み終えればそれでいいとも思ったりしている。とはいえ、まだ読み終えていない本は沢山ある。気長に楽しみながら読むことにしよう。

 今日も暑く成りそうだ。プールで泳ぐ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月13日月曜日

「涙」と「汗」

 昨日は最高気温33度だった。今日は30度、と暑く成りそうだ。先ほどスーパーから帰ると真夏並みに汗が流れる。ふと「涙の数だけ強くなれるよ~」の歌詞が浮かぶ。では「汗をかいた数」は何にたとえられるのか。スマホに問うと「可能性の数」や「努力の数」に例えられるそうだ。自分の意図としてはそういったきれいごとではなく、単純に暑い日にかいた汗はその量によって体に影響がある、などを知りたかった。が、言われてみればスマホの回答通り何の汗であれ「可能性」や「努力」に関係するかもしれない。というのもじっと何もせずにいれば汗も動いたときほどはかかない。

またも桔梗が咲いた!
 スマホの結論としては「涙」は過去の経験から得られる内的な強さだとすれば、「汗」は未来を切り開くための原動力や行動そのものを示すという。それにしてもたかが涙と汗がこれほどの意味があるとは面白い。

 未来を切り開く原動力にするためにもせいぜい動いて「汗」をかこう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月12日日曜日

日本画作品展終わる

 今年の日本画作品展は無事終わった。昨日、午後4時前、搬出のため会場に行く。10月中旬というのに最気温31度で暑い、暑い。行く前に新たになった広島駅ビルのミナモアの本屋に立ち寄る。奈良のガイド本を購入しようとしたら品切れだ。やっぱり本はジュンク堂に限る。そう思って帰りに寄った。

 広島駅から紙屋町に向かう電車を見ると行列ができている。始発なのにこの行列に並ぶのは酷すぎる。そう思ってバス乗り場に向かう。JRと広電がドッキングする前はこれほどの混みようではなかった。ところが新たになった広島駅は狂うほど人がいる。

 バスで紙屋町まで行き、展示会場に入る。昨日は出かける前から暑さで草臥れていた。そのため会場で展示会が終わる時刻まで立っているのは耐えられない。搬出時刻までロビーに座っていると他の教室で習っている人がやってきた。いろいろと話していると搬出時刻になる。展示品を外して段ボールに詰める。これは結構大変。3点の作品の配送は業者にお願いした。

 会場を後にしバスセンターからバスに乗って駅前福屋のジュンク堂に向かう。『奈良ゆとりの旅』を検索してもらって本を購入する。このお店は本当に感じがいい。しかし、たまにしか本を買わないので買う度、いつも申し訳なく思う。昨日はたまったdポイントで決裁した。

 今日はなんと最高気温32度の予報だ。こう暑くては何かが狂っているとしか思えない。今朝の地元紙を見ると春と秋が短くなって夏がその分、長くなったとか。冬は同じらしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)展示品を搬出する前、「こも神社の大楠」と「桔梗」の絵をそれぞれ別の人から褒められる。しかし、「室生寺の五重塔」は誰からも褒められなかった。近年、ほとんど大木を描いている。樹木には神が宿る、と言われる。絵がうまく描けるように樹木の神様にあやかる!?

2025年10月11日土曜日

歯科へ

 今日は最高気温31度と真夏並みの暑さになりそうだ。先ほどスーパーから帰るとチャイムが鳴る。近所で工事が多いせいかそれに便乗した訪問のようだ。画面越しに話していると屋根がどうじゃこうじゃという。新聞に屋根に関する訪問で怪しい業者の記事が出ている。もちろん話は聞かない。が、モニターを見ているとあそこがここが、といわんばかりに指さして我が家を見ている。本当に怖い世の中になった。

 昨日、予約の歯科に行き、歯科医に診てもらう。少しずつだが歯の並びもよくなる。それでもまだまだだ。次は1か月後の予約で歯のクリーニングとか。治療に半年か1年くらいかかると言われたがその通りになりそうだ。いくら長くなっても歯は大事と思っている。通いつづけよう。

 今日で今年の日本画作品展が終わる。夕方、作品の搬出作業がある。街中に出たついでにまたもジュンク堂によって持っているのとは違う奈良のガイド本を購入しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月10日金曜日

静かな日々!?

 昨日から近所の家の解体工事が始まった。工事は来月いっぱいかかるようだ。その挨拶に業者が来た後、静かだった気持ちが慌てだす。お昼過ぎ、トイレに行くと足元がぬれている。(ナニゴト?)と思って雑巾で拭く。が、(なぜ水が?)と考えてもよくわからない。すぐにいつもの電気店に電話する。しばらくして見に来てくださった。いろいろと見てもらったが水漏れはないらしい。

 昨日から今朝にかけてトイレに行く度、(水漏れは?)と気になる。今のところ大丈夫のようだがそれにしてもどこから水が……。

 毎日静かに過ごしている。ところが何かあるとそれは一変する。ましてや今週は予定が混んでいる。なるべく静かな気持ちで暮らしたい。その矢先、近所の人はゴミに出していた新聞紙が欲しいと取りに来た。そして解体工事のためかダンプカーが出入りする。当分、静かな日々は期待できない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月9日木曜日

日本画展当番日

  昨日は日本画展の当番日だった。午前中の3時間半の当番は平常、気ままに過ごしているので結構きつい。午後の当番の人がやってきて早めに解放される。いかに自由気ままに過ごしているかがこの期に及んでよくわかる。と同時に束縛のない日常がなんと幸せな事かと改めて感じる。

 他の当番の人と話していると一人は25年、もう一人は30年ほど日本画を習っているという。この秋から習い始めて14年目に突入するがそれでも長く習った気がする。25年や30年も習っている人たちは描いた絵もたくさんあるに違いない。

 昨年、家をリフォームした際、かなりのモノを処分した。その中に絵に関するものもある。これ以上モノを増やしたくない気持ちが昂じて絵を描く木製パネルも一度描いた絵をつぶして再利用している。それも3度目は無理とのことで新たなパネルを買わなくてはいけない。昨日、搬出日に業者に購入したパネルを持って来てもらえばいい、との先生のアドバイスに従う。ある人は3度目に利用するにはパネルに貼った鳥の子紙を剥いで新たに貼ればいい、とか。しかし、なかなかうまく剥げないらしい。鳥の子紙でなくても壁紙でもいいそうだ。リフォームの際、業者に余った壁紙をもらった。それを何とか利用すれば、とも思ったりする。

 昨日電話で鳥の子紙を貼ったパネルを注文すると以前よりもかなり値上がりしている。パネルはかさばるので何とか増やさずに絵を描きたい。これも我が人生の先が長くない、と意識する現れ!?そう思うと毎日が楽しくなくなる。その点、いくら費用は掛かっても旅はいい。どういっても心は満腹になるがモノとしては増えない。これがいい。

 当番を終えるとお昼を食べて八丁堀にある某金庫のギャラリーへ秋の日本画作品展を見に行く。いつもとは違って知らない人の作品が多かった。昨日は最高気温32度、と真夏並みの暑さだ。今日も暑く成りそうだ。

 日本画展が終われば行楽の秋!元気を出して遊ぼう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月8日水曜日

朝からぼやく!?

 真夏と同じような暑さが続く。昨日は一日よく動いたので朝までぐっすり眠る。今週は作品展関連などで連日出歩く週となりそうだ。今日は朝から曇り。だが蒸し暑い。せっかく街中に出るからには、と予定を入れて出かける。

 作品展は年に1度あるが、その時しか会えない他の教室の人たちと会う機会でもある。自分を含めて皆さんと会えば年々、老いを感じる。新たな人が入ればそれも幾分和らぐかもしれない。が、それはほぼない。

 朝からぼやいても仕方がない。今日も元気を出して頑張る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月7日火曜日

2025年日本画作品展

 今日から習っている日本画の作品展が始まった。今朝は画材屋さんを中心にして搬入した作品の展示をする。展示には1時間半くらい要した。展示が終わると予定していた日本の書展を見に行く。その前にバスセンターのフードコートでサンドと珈琲の軽いお昼を食べる。紙屋町から広電に乗り、八丁堀で白島線に乗り換えて県立美術館前で下車する。この地下ギャラリーで今日から開催の書展を見る。多くの展示作品のうち知り合いの3作品を主に見る。いつも展示会を知らせてくれる某会の人は昨年母親を亡くされた。その意味なのか「……雲の一人となる」の山頭火の句を書いていた。もう一人は数年前に個人で台湾ツアーに参加した際、知り合った人の書だ。さらにもう1人はフルートを習っていたときの仲間の作品だ。

 久しぶりの県立美術館なので書を見た後は隣接する縮景園に入る。しかし、今日は真夏と同じくらい暑く、また花なども咲いていない。すぐに外に出て広島駅まで歩く。駅前の福屋に入ると折り畳みの日傘を購入。さすがデパートだけあってそれほど高価でもない日傘なのに丁寧に接してもらう。次は同じ館内のジュンク堂に行って京都の旅のガイドブックを購入する。クオカードで購入するが消費税分はⅾポイントで支払う。福屋は何かにつけてdポイントが重宝される。その後、またもカフェに入ってしばし休憩。一休み後はまだ遊び足りないのか1階に立ち寄ると軽そうなバッグがある。それを購入。ところがここはテナント店なのでデパートのような応対ではない。バッグを買っても袋代がいるという。

こも神社の大楠 F6  日本画

室生寺の五重塔 F6 日本画

桔梗 サムホール 日本画

 上の3点の絵は記念にアップしよう。こも(薦)神社の大楠は大分県の中津市にある。室生寺の五重塔はどう見てもうまく描けていない。サムホールに描いた桔梗の地塗りはパネルにマーブリングをして描いた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月6日月曜日

鉢植えの桔梗

 鉢植えの桔梗が2鉢ある。先日、咲き終わった花柄を摘むと新たな芽が出て再度、桔梗が咲いた。それも咲き終わって花柄を摘むとまたも花が咲く。そして新芽もまた出た。しかし新たに芽を出した花も葉っぱも小さくなる。これが今年の桔梗の見納め、と思ってスマホで写す。狭い庭には他にもカランコエやセダン(万年草)が咲いている。地植えのナデシコは先日まで花をつけていた。10月も半ば近くになるとナデシコも今季の花の時季を終えたようだ。

薄紫の桔梗とその蕾

 今年の夏は暑かったせいか庭に行くとブヨ(蚋)にあちこち刺される。特に夕方がよくない。今朝はあらかじめ虫よけスプレーを振った。お陰で蚋に刺されずに済んだ。

 雨がやんで昨日は最高気温が31度だった。今日も暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

鉢植えの桔梗 蕾と新芽がついている

庭にはびこるカランコエ

セダン

2025年10月5日日曜日

トドワラを描く

  降り続いた雨も上がった。久しぶりにカンカン照りの朝を迎える。昨日までの気温とは打って変わって今日は最高気温30度。朝から蒸し暑い。先ほどスーパーから帰るとあの9月の暑さと同様、顔から頭から汗が流れる。まだまだ暑い日は続くようだ。スーパーではまたもシャインマスカットを購入。今回は三次産で560g 1078円(税込み)。他の葡萄と比べて今年は安い。

 昨日は日本画教室の日。今は北海道で写した野付半島のトドワラを描いている。トドワラとはトドマツの枯れたもの。これは簡単そうに描けると思ったら枯れ枝を描くのは難しい。気長に描くしかなさそうだ。

 今週は日本画作品展がある。平常、街中にはたまにしか出ないが、今週は毎日のように出る!? 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月4日土曜日

『梟の城』

 昨日から雨が降り続く。今朝は暗かった空だが少しだけ明るくなる。雨が止むのだろう。今日でカープの試合はすべて終了する。今年、退団する選手のうち2名は今日午後の試合に出場するとか。晴れるといいが。そう思いつつも今年のカープの試合はまったくといっていいほど関心がなかった。当然テレビの試合も見ていない。やっぱり試合は勝ち試合がいい。

 『梟の城』(司馬遼太郎 新潮社、令和元年百二十九刷)を読んだ。この作品は司馬遼太郎の直木賞受賞作。この本を読む前に『大盗禅師』などの忍者関連の本を読んでいた。そのためか面白く読めた。以下は気になる箇所からメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(これが、乱波(らっぱ)の目か……)この目は、自分の人生にいかなる理想も希望も持ってはいまい。持たず、しかもただひとつ忍びという仕事にのみひえびえと命を賭けうる奇妙な精神の生理をその奥に隠している。その奇妙な生理が、この男の目に名状の仕様のない燐光を点ぜしめている。……そう思ったとき、宗久の胸のうちに氷がとけるような自然な感情が流れはじめた。……宗久は起ちあがって重蔵に近づき、その厚い肩をかるく打った。(113p-114p)

★(願うてもないくノ一じゃ)五平は、木さるをくノ一の術の対象にしか考えていない。くノ一とは、女という文字を三つに分解してみればわかる。忍者の隠語である。伊賀甲賀の忍者にとっては、所詮、女とはくノ一にすぎなかった。伊賀の施術者たちはこれに偽装の愛を与え、真実愛することを避けた。くノ一の術だけでなく、乱波の術はすべて、おのれの精神を酷薄に置くことによってのみ身を全うしうることを教えている。(167p)

★「われは何じゃ」「梟じゃよ」洞玄はからりと赤い口腔ををみせて笑ってから、「忍者は梟と同じく人の虚の中に棲み、五行の陰の中に生き、しかも他の者と群れずただ一人で生きておる。これで、ひとなみのさむらいの暮らしが出来ると思うか。――そういう余計な心配をするよりおぬし」(310p)

★重蔵は身の危険を感じて反射的に土のそばから跳びすさった。そのとき、木立のなかから、梟の声が聴えた。それは梟のものではなく、忍者が吹く梟笛の音であることを、重蔵は知った。(417p)

★梟の声はただ一声啼いただけではなかった。東に一声すると、西が呼応する。やがて周囲の樹林すべてが、湧くがごとく梟の声を放った。(418p)

★二人はその家の前を通って村の中に入ったが、風雨に堪え残った粗壁の残骸がそこここに墓標のように立って、どこの樹で鳴くのか、ときどき梟の声がきこえた。(573p)

★太閤個人の今日の生存は、重蔵の肉親の悲劇と同質のおびただしい墓標の山の上に成り立っているものだった。太閤みずからをもその無名の墓標の中に叩き込む以外に、彼等の怨みははらされようのないものであった。むろん、重蔵のこの行動の発源が、そうした暗い復仇(ふっきゅう)の精神からのみ出ていたものではなかった。それを遂げなければ、重蔵の生涯は成立しそうになかったのだ。それは忍者の哀しみともいえた。いつの場合でも他人から与えられた目的のために、おのれと他をあざむき通すこの職業の生涯にとって、太閤を殺すという一見無意味の一事は、唯ひとつの真実ともいえはしまいか。この一事によってのみ、重蔵の虚仮(こけ)な生涯は、一挙に美へ昇華するように思えたのである。(しかし、あの女は……)重蔵はふと呟いた。……自分の忍者としての人生に、女が入り込んでくる部屋があろうとは、もともと考えもしなかったことである。(621p-622p)

★「とんだ、茶番であったな、秀吉」重蔵は起ちあがって、くすりと笑った。気の毒でもあり、おかしくもある。自分の身勝手さがおかしかったのである。しかし、これで永いあいだ体のどこかで鬱していた悪血(おけつ)が吹き散ったような爽快感もあった。思えば、人生は不満にみちている。抑鬱が重なれば、それを晴らすために人間の精神は、もっともらしい目的を考えつくものだ。重蔵は秀吉を殺そうとしたが、それは殺さなくても、殺すに価(あたい)するような激しい行為さえすれば、抑鬱は、自然、霧消もする。(――とすると、この男こそ、いい面の皮だった。わしはこの男を殺すことで、ここ数年の暮らしを楽しめたが、しかし、この男の得た所は、藪から棒に殴られるだけだったことになる)くすり、と笑った重蔵のゆとりの中には、そういう人間の精神の滑稽さをわらう感情がある。重蔵の精神の小道具にさせられた秀吉は、相変わらず蒲団の中でころがっていた。……(秀吉、もう会うこともあるまい)重蔵は部屋から消えた。(641p-642p)

2025年10月3日金曜日

NHK ONEへの移行

 10月1日に NHKプラスはNHK ONEへと移行した。ところがその際、利用するgmailなどは大量のため制御不能に陥った。昨日午後、トラブルの解消?と思いながらNHKプラスを見ると午後2時過ぎに解消したとある。ところが前日はわかったのに昨日はどの画面から変更手続きをするのかがわからない。何とかわかったが途中で何度も躓く。それでも何とかNHK ONEに移行できた。次はNHKプラスにはなかったプロファイルを設定しなければいけない。これはどうも本人確認のようだ。プロファイルを決めれば次回からそこをクリックすればNHK ONEの利用可能となる。これはもしかしてだれがどの番組を見ているか、データを集めているのかも、と思ったり。

 夜、寝る前近くになってスマホでのNHK ONEは登録できたがタブレットでは?と気になりだす。タブレットを起動してキーボードで試みる。が、何度か試みるうちキーボードがいつもと違いだす。ましてやgmailがこれまたいつものとは違う。タブレットのgmailに認証コードが送られてこない。何度も試みても送られない。途中で気づく。スマホに何やら音がする。スマホのgmailを見ると認証コードが入っている.しかし、gmailに慣れておらず何度も送られる認証コードだが新たに送られた方でなく古い方を入力していた。途中でそれに気づき何とかタブレットにもNHK ONEへの移行が終わった。

 次はタブレットのプロファイルが残っている。スマホの時はすぐできたがタブレットではなかなか思うようにならない。スマホに問うてタブレットの右上に表示される本人のアイコンをクリックするとスマホと同じようになった。

 タブレットのgmailアドレスとスマホのアドレスを同じにすれば物事は簡単だ。そのはずだったのにこの1,2日の変な使用方法で異なりだす。そのためタブレットのgmail受信履歴も表示されずにいた。が、昨夜、すべてそれは解消できた。

 そして次はNHK ONEのアプリは?と気になりだす。スマホもタブレットもNHK ONEのアプリをインストールしてやっとこれらの件は解決した。

 それにしても何か事あるごとに右往左往してしまう。そしてない頭を使うためか非常に草臥れる。幸い、よく寝る方なのでそれだけでも助かる。そして1件、物事が解決すると嬉しくなる。いつまでこういったことが出来るかわからない。が、せいぜいあきらめずに挑戦する!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月2日木曜日

ネットの時代?

 昨日、画材屋から日本画作品展の絵を今朝取りに行くとの電話があった。朝食後、段ボールに梱包した絵3点を家の前に出す。先ほど画材屋さんが取りに来られた。1,2年前までは9月が展示会の時季だった。が、その頃は暑くて展示会も10月になった。といってもまだまだ暑い。

 今月から奈良周辺の一人旅を予定している。今月の行き先の詳細は決めているが来月、再来月は詳しい行先を決めていない。来月は紅葉のシーズン。ただ談山神社だけは行こうと決めている。ネットで奈良の紅葉、で調べると知らない神社仏閣の紅葉名所が出てくる。その中から行先ごとのアクセスを見るといいところが2か所見つかった。再来月はここに決めよう。12月は京都方面に行くが宿だけは取っているので後日ゆっくり考えよう。

 今月は日帰りツアーにも参加する。これは催行決定を危ぶんでいたが昨日、旅行社からメールで最終案内が届く。この頃の旅はネットで申し込み、またネットで代金を支払う。そして旅の日程表などもメールで送られてくる。以前だったら旅行社に電話して行きたい旅を申し込み、催行決定ならば行程表が郵送され、添乗員からの電話があった。が、今は日帰り旅は添乗員からの電話がない。何もかも様変わりしている。ネットを駆使できなければ旅にも行けない!?

 ネットと言えば昨日からNHKプラスがNHK ONEに変更になった。が、その変更を10月1日、と決めつけたためか変更不可能となっている。それでも見逃し配信は閲覧可能だが。

 このようにネットがすべて万全とは限らない。いつ機能が回復なるか知らないが機能不全に陥ることもあると覚悟してネットを使わないと危ない、危ない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月1日水曜日

多川俊映氏の講演を聞く

 昨日はよく動いた一日となった。お昼を早く済ませて街中に出る。まずは福屋八丁堀店時計売り場に向かう。広島駅を出ると駅に直結して広電電車の乗り場がある。新たになった乗り場で宮島口行の電車に乗り、八丁堀で降りる。長く広島に住んでいる。が、新たな広島駅はまるで他所の地のような感覚に陥る。いつもなら八丁堀までは循環バスに乗っていた。しかし今回は路面電車に乗る。バスだと席に座れるのに、と思いながら電車に乗ると老婆と思われたのか行きも帰りも席を譲られる。ありがたい、と思えばいいのに素直に喜べないものがある。これはなぜ?自分ではまだまだ元気と思っていても人さまから見れば間違いなく老婆!?これが悲しいのかもしれない。

広島駅と直結した広電電車乗り場
 福屋に入ると時計売り場を探す。出かける前は大型電気店にしようか福屋で買うか、迷った。しかし、福屋の方が高くても安心できる。この頃は時計の購入者が少ない、と思ったらそうでもない。メーカーを決めていたのでその売り場に行く。行く前にネットで福屋のHPを調べた。手ごろな価格の時計がある。それを目当てに店頭で話してショーケースから出してもらう。ネットで見るよりも実物の色合いは違って見えた。他にも2点見せてもらったがあらかじめ決めていた時計を購入する。ところが次に行く講演会の時間が迫りだす。別の係には持参した時計の革バンド交換について話を聞く。結果、時間が足りなくなって革バンドはそのままにして売り場を去る。

 福屋からバスに乗って講演会場の国際会議場に向かう。急いだためか開演まで1時間もある。久しぶりの国際会議場に入ると席は前方に座る。講演のタイトルは「心とは――」、講師は興福寺寺務老院多川俊映氏。近年のこの講演会は以前のような線香臭さがなくなった。以前は近郊のお坊さんたちが出席して正面の仏様を拝んで講演が始まった。その際、何やら読経も流れる。これが嫌だった。

 いきなり講演者が出て来て講演が始まる。「心とは――」は「ころころころころかわる」からきているとか。話の中で司馬遼太郎と藤沢周平が出て来た。この2人のことがはっきりと聞き取れなかったが講師は司馬もいいが藤沢周平の方が好みのようだ。藤沢周平?と聞いてメモする。この作家名は知っているがその人の本を読んでいない。これは読まないといけない思いに駆られる。司馬に続いて藤沢周平も、とは大変だが元気でいれば読めるだろう。

 いろいろと聞いた話の最後に「〇△□」になる。これを提唱したお坊さんの名がまた聞き取れない。家でネットで「福岡 〇△□ てんがい和尚」で検索するとてんがいではなく仙厓(せんがい)和尚で見つかった。しかし、出て来た画面を見ると何やら難しそうだ。これは1度読んだだけではわからないと思い、スマホの画面に追加した。後でゆっくり読もう。

 仙厓和尚は今の人ではない。この「〇△□」を描いた絵は出光美術館にあるとか。そして仙厓和尚のゆかりのあるお寺は福岡の聖福寺(しょうふくじ)である。話を知るとこのお寺へも行きたくなる。

 講演終了後、外に出るとここは平和公園の中なので貸し切りバスが何台も止まている。そして外国人のなんと多いことか。平和公園前から八丁堀までバスに乗る。そのときもう1度福屋によって持参の時計バンド交換の話をしようと思いつく。売り場に着くとさっきの男性の係がいた。すぐに持参の時計をあずけて交換をお願いする。この交換はすぐにはできず1か月くらいかかりそうだ。また費用も高い。革バンドと発送費用で2万円くらいもかかる。

 福屋までバスで見る光景は平日の午後というのに何と人出の多い事か。日曜日?と一瞬勘違いするほど市内の人出が多い。広島駅まではまた市内電車に乗る。広島駅は何がある?、というくらい込んでいる。新たな駅ビルをふらつこうと思ったが人の多さにあきらめた。

 講演会で興福寺のパンフをもらった。奈良へ行くついでに興福寺へも行きたい。が、さてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!