昨日から雨が降り続く。今朝は暗かった空だが少しだけ明るくなる。雨が止むのだろう。今日でカープの試合はすべて終了する。今年、退団する選手のうち2名は今日午後の試合に出場するとか。晴れるといいが。そう思いつつも今年のカープの試合はまったくといっていいほど関心がなかった。当然テレビの試合も見ていない。やっぱり試合は勝ち試合がいい。
『梟の城』(司馬遼太郎 新潮社、令和元年百二十九刷)を読んだ。この作品は司馬遼太郎の直木賞受賞作。この本を読む前に『大盗禅師』などの忍者関連の本を読んでいた。そのためか面白く読めた。以下は気になる箇所からメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★(これが、乱波(らっぱ)の目か……)この目は、自分の人生にいかなる理想も希望も持ってはいまい。持たず、しかもただひとつ忍びという仕事にのみひえびえと命を賭けうる奇妙な精神の生理をその奥に隠している。その奇妙な生理が、この男の目に名状の仕様のない燐光を点ぜしめている。……そう思ったとき、宗久の胸のうちに氷がとけるような自然な感情が流れはじめた。……宗久は起ちあがって重蔵に近づき、その厚い肩をかるく打った。(113p-114p)
★(願うてもないくノ一じゃ)五平は、木さるをくノ一の術の対象にしか考えていない。くノ一とは、女という文字を三つに分解してみればわかる。忍者の隠語である。伊賀甲賀の忍者にとっては、所詮、女とはくノ一にすぎなかった。伊賀の施術者たちはこれに偽装の愛を与え、真実愛することを避けた。くノ一の術だけでなく、乱波の術はすべて、おのれの精神を酷薄に置くことによってのみ身を全うしうることを教えている。(167p)
★「われは何じゃ」「梟じゃよ」洞玄はからりと赤い口腔ををみせて笑ってから、「忍者は梟と同じく人の虚の中に棲み、五行の陰の中に生き、しかも他の者と群れずただ一人で生きておる。これで、ひとなみのさむらいの暮らしが出来ると思うか。――そういう余計な心配をするよりおぬし」(310p)
★重蔵は身の危険を感じて反射的に土のそばから跳びすさった。そのとき、木立のなかから、梟の声が聴えた。それは梟のものではなく、忍者が吹く梟笛の音であることを、重蔵は知った。(417p)
★梟の声はただ一声啼いただけではなかった。東に一声すると、西が呼応する。やがて周囲の樹林すべてが、湧くがごとく梟の声を放った。(418p)
★二人はその家の前を通って村の中に入ったが、風雨に堪え残った粗壁の残骸がそこここに墓標のように立って、どこの樹で鳴くのか、ときどき梟の声がきこえた。(573p)
★太閤個人の今日の生存は、重蔵の肉親の悲劇と同質のおびただしい墓標の山の上に成り立っているものだった。太閤みずからをもその無名の墓標の中に叩き込む以外に、彼等の怨みははらされようのないものであった。むろん、重蔵のこの行動の発源が、そうした暗い復仇(ふっきゅう)の精神からのみ出ていたものではなかった。それを遂げなければ、重蔵の生涯は成立しそうになかったのだ。それは忍者の哀しみともいえた。いつの場合でも他人から与えられた目的のために、おのれと他をあざむき通すこの職業の生涯にとって、太閤を殺すという一見無意味の一事は、唯ひとつの真実ともいえはしまいか。この一事によってのみ、重蔵の虚仮(こけ)な生涯は、一挙に美へ昇華するように思えたのである。(しかし、あの女は……)重蔵はふと呟いた。……自分の忍者としての人生に、女が入り込んでくる部屋があろうとは、もともと考えもしなかったことである。(621p-622p)
★「とんだ、茶番であったな、秀吉」重蔵は起ちあがって、くすりと笑った。気の毒でもあり、おかしくもある。自分の身勝手さがおかしかったのである。しかし、これで永いあいだ体のどこかで鬱していた悪血(おけつ)が吹き散ったような爽快感もあった。思えば、人生は不満にみちている。抑鬱が重なれば、それを晴らすために人間の精神は、もっともらしい目的を考えつくものだ。重蔵は秀吉を殺そうとしたが、それは殺さなくても、殺すに価(あたい)するような激しい行為さえすれば、抑鬱は、自然、霧消もする。(――とすると、この男こそ、いい面の皮だった。わしはこの男を殺すことで、ここ数年の暮らしを楽しめたが、しかし、この男の得た所は、藪から棒に殴られるだけだったことになる)くすり、と笑った重蔵のゆとりの中には、そういう人間の精神の滑稽さをわらう感情がある。重蔵の精神の小道具にさせられた秀吉は、相変わらず蒲団の中でころがっていた。……(秀吉、もう会うこともあるまい)重蔵は部屋から消えた。(641p-642p)