「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」。これは『ビジネスエリートの新論語』(司馬遼太郎 文藝春秋、2016年第1刷)に出てくる言葉だ。この言葉にひどく共感する。親が亡くなった時、人から「うつ病になる」と言われたことがある。「うつ病?」と自問自答した。ところが人の期待(?)に反してうつ病になるどころか元気に暮らしている。人が鬱々と考えるのは閑な時、と思っている。暇を持て余すから要らぬ考えが頭を過る。何かに夢中になっている時はそのことに気を取られて嫌なことが頭に浮かばない。その思いがあるので「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」は身に染みてそう感じる。
生きているうちに司馬遼太郎の全作品読破が夢である。ところが『ビジネスエリートの新論語』は司馬遼太郎が誕生する前に福田定一の本名で書いている。そのため、『司馬遼太郎全仕事』に収められていない。その辺りのことをこの本の終わりに司馬遼太郎記念館館長の上村洋行が書いている。
自分自身、仕事をリタイアして早くも20年が過ぎた。ということで今さら「ビジネスエリート……」の本を読んで参考にしようとは思っていない。が、目下の夢が司馬遼太郎の全作品を読むことにあるのでこの本を読んだ。
以下は『ビジネスエリートの新論語』から気になる2箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」――ブレーク(54p)「人生観の年輪」
★昭和三十三年四月には京都の宗教紙「中外日報」に『梟のいる都城』を連載開始した。この小説は『梟の城』(新潮文庫、春陽文庫)と改題し、三十五年一月、直木賞を受賞。以後、小説家を専業とした。本名と筆名。この二つの名前が、こと執筆に関してはこの時点で分岐したことになる。同時に本名の作品については改めて本として出版しない方がいい、と考えていた。没後、私もその考えを守ることにし、『ビジネスエリートの新論語』もそのつもりでいた。それを改めたのは、この作品が司馬遼太郎の誕生直前であったこと、かねがねその文章のなかに小説家の覚悟の片鱗を感じていたこともあった。それに、約六十年という時代の流れがある。……サラリーマン社会が活力を持ちはじめたころの、福田定一(司馬遼太郎)がとらえたさまざまな事象から発するメッセージとともに、小説家の素のようなものを、この本から嗅ぎ取ってもらえないだろうか。(200p)「『司馬遼太郎』誕生のころ」上村洋行
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