2023年2月11日土曜日

『歴史と小説』

 今朝は日が射して暖かい一日となりそうだ。お天気がいいと気持ちが自然と外に向かう。ネット記事を読むと中高年齢者が元気でいるためには「外へ目を向ける」「行動する」など体を動かすことが大事とある。子供の頃は「動く」ことは大の苦手だった。ところが年齢を経て徐々に「動く」ことに目覚めていった。高齢者となった今、どんなお天気であっても最低限、午前中に一度は買い物を兼ねて歩いている。しかしこれくらいでは「動く」までには至らない。それよりも泳ぎたい。

 プールは隣町にある。コロナの新規感染者が日に日に減少している。隣町の昨日の感染者は4人と少なくなった。このまま減少傾向が続けばプールで泳ごう、との気持ちになる。1年ぶりのプールはさてさていつになるやら。楽しみだ。

 以下は『歴史と小説』(司馬遼太郎 集英社、1997年第30刷)から気になる箇所を抜粋した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「土佐は妙なところがある」と、ひとに語ったことがある。帯屋町あたりの喫茶店でぼにゃり道ゆくひとをみていると、どの土佐人の感じも、私が知っている戦国時代の幕末、自由民権運動時代の土佐人とすこしもかわらないような気がする。高知にあって私は多くの良先輩や友人を持ったが、それらのひとびとに接していてもこの思いは同じであり、かれらが明治初年にヒトとなっておれば自由民権運動に挺身するであろうし、幕末に生きていれば脱藩して京で奔走しているであろうと思われてくる。こういう思いは、他の土地ではしない。歴史も人間風土もいまも連続していると感じられるのは、日本にあっては京都と土佐のみである。京の旅は人間に接しておもしろいように、土佐の旅も、風景もさることながら、人間であるに違いない。……土佐人が日本の歴史のなかで果たした陽気な活動性――幕末にはあれほど悲惨な目に遭っていながら――は、こういうところに根をもっているのであろう。土佐にあっては、浦戸湾の風景もさることながら、旅人たちはここで土佐人というものに感じ入らなければ、せっかく海を渡ってきた価値がないように思われる。(230-231p)「旅のなかの歴史」

★日本では黒潮は薩摩の海岸をあらい、土佐を流れ、熊野海岸を奔って、やがて沖へ去ってゆく。この経路にある三つの地帯はあるいは同祖かもしれず、むしろその気質の共通性の多さから見て一つ民族であると断定したほうがおもしろいかもしれない。三地帯とも史上における共通性は剽悍で、進取の気性に富み、新しものずきであり、なによりも革命に縁がある。共通しているのはそれだけではなく、血液型は日本の他のどの地方よりもこの三地帯にはずば抜けてO型が多いそうである。(244p)「旅のなかの歴史」

★おもしろいことには、ノモンハンの下級指揮官を狂人にしたおなじ軍部が、その前年に、その日本戦車の示威(じい)運動として西住戦車長の戦死を大きくとりあげ、「軍神」として宣伝したことである。昭和の日本軍閥は軍神をつくるぐらいが能で、その本業である戦車の装甲や火力を大きくすることを怠ったといわれてもしかたがなかった。そのためにノモンハンで無用の血を流させたばかりか、かれらの無能のために大東亜戦争のばあいも、マレー攻略戦をのぞいては、日本の戦車連帯は火力と装甲がとぼしいために悲惨な戦いをし、ほとんど戦うことなく各地で全滅してしまった。西住小次郎はまだしも「軍神」としてうかばれたが、ブリキ同然の戦車にのせられて一発の弾もうたぬまにアメリカの戦車や火砲に串刺しされた戦車兵が、南方の島にいまもねむっているのである。……このきちがいじみた戦争のおかげで人間があまりにも多く殺されすぎた。「軍神」だけがその史に特別な栄誉をあたえられるのは、他の無名の死者への冒涜であろう。もともと平凡な青年に過ぎなかった西住小次郎は、いま熊本県上益城郡甲佐町の生家の墓地で、世間から忘れられてしまったことに安堵しているにちがいない。(266p-269p)「軍神・西住戦車長」

★人間にとって、その人生は作品である。この立場で、私は小説をかいている。裏返せば、私と同時代の人間を(もしくは私自身を)各興味をもっていない。理由は、最初にいったように「現代」では人生が完結していないからである。……突然なことをいえば、変動期が必要なんです。すくなくとも私にとっては変動期を舞台に人間のことを考えたり見たりすることに適している。自然、書くことが歴史小説になるのでしょう。おなじ歴史時代をあつかっても、元禄期や文化文政時代の泰平の情緒を背景にものをかくことは私にはできにくい。その理由は変動期でないということ、さらにはこの稿のどこかに書いたように風俗にはニガ手であるということ、それによるようです。(280p)「歴史小説と私」

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