2023年2月2日木曜日

『定年後にもう一度大学生になる』

  図書館で書架にある司馬遼太郎の本を探していた。低い位置にある本なのですわって探した。その時、隣で本を探していた人の足があたった。その人は必死で本を探していたに違いない。「すみません!足があたって……」と言って謝られた。この声を聴いて顔をあげてその人を見ると知ってる人だ。「〇〇〇さん」というと向こうも覚えておられた。図書館は静まっている。その中で2人の声が響き渡りそうで話すのも気が引ける。

 迷惑がかかると思って先に図書館を出た。出るとき入り口辺りを見るとカートが置いてある。さっきの人のに違いない。そう思いながら隣接する生協へ買い物に行く。買い物から帰ろうとすると先の人に出入り口で出会った。出会うときは出会うものだと思いながら立ち話をする。さっきは図書館内で話せなかった旨、話す。

 その人とはもう30年余り前の広島アジア大会の時に一緒にブータンの言語であるゾンカ語を習った。それから何度か道でバッタリ出会ったりしたこともあるが近年は会うことがなかった。それが図書館で偶然会った。「あの頃は楽しかったね」、と話される。今年90歳になるとか。新聞やラジオ、テレビで新たな本を知るとリクエストされるという。歳を取ってもシルバーカーでなくカートを利用し、さらには図書館などの本を読む。そして買い物はもちろん家の食事もご自分で作られている。家では娘さんと同居されており、お元気そうだ。

 それにしても顔を見るよりも先に声でその人が判るとはどういうこと!?眼よりも耳が効くとは我ながら驚きだ。別れ際、「大学で学んだよね」とほめてくださる。この時たまたま『定年後にもう一度大学生になる』サブタイトルとして「一日中学んで暮らしたい人のための『第二の人生』最高の楽しみ方」(瀧本哲哉 ダイヤモンド社、2022年第1刷)を借りたばかりだったのでそのタイミングの良さにも驚く。

 当時はまだブログをやってなかった時期であり、借りた本から共感する部分をメモした。本を書いた瀧本氏は若い頃大学で学ばれたが、二度目の入試は一般入試で入学されている。4年の大学を卒業した人は大学院に入る人が多いがもう一度学部生で入学されていた。この辺のことも興味をもって読んだ。自分自身は一般入試でなく帰国子女たちと一緒に受けたAO入試だった。午前の筆記試験の後はお昼休憩があり、午後からは面接試験があった。これは面接官がずらっと並んだ中の個別の面接試験であり、かなり厳しい質問が飛び交った。またきつい嫌味も言われた。(これほどの屈辱を味わってまで大学生にならなくてはいけないのか)、と何度自問自答したことか。そのすべては面接官がどのくらい勉強に打ち込む気力あるのかを試していたに違いない。が、合格したときの嬉しさは今でも忘れられない。

 今朝、姪から届いたメールを見ると「勉強が面白いって言うのは、知らないことを知ることなんかね。新しいことがいいんかね」と書いている。どうも文化史の講座が面白いようだ。姪は働きながら大学で学んでいる。

 以下はその本から共感する箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★卒業証書を手にする、いい会社に就職する、資格試験に合格する、といった何らかの目的のために勉強するのではありません。この齢になって学歴をもらっても、ほとんど意味はないのです。将来を考えずに、ただただ今知りたいことを勉強することの楽しさは、一度味わったら止まらなくなります。「学び」そのものが大学に通う目的になると、勉強はこのうえなく楽しいものになります。(5-6p はじめに)

★4年間を過ごしてみて確信したことがあります。それは、「二度目の大学生」という生き方は、知的好奇心を存分に満たしてくれるものであり、若者との交わりを通じて、「第二の人生」を心豊かにしてくれるものであるということです。(19p)

★私が京都大学に入学した2015年の春に、萩本欽一さんが駒澤大学仏教学部の社会人入試を突破して入学されたことを知りました(『日本経済新聞』2015年2月27日朝刊)。……私は自分の合格発表後にこのニュースに接して、何だか同級生みたいでうれしくなりました。(42-43p)

★……私が京都大学に入学したことについて批判的な意見も少なくありませんでした。ひとつは、その歳になって大学に入って税金を使って勉強しても、社会に還元する時間は残されていないのだから、税金の無駄遣いだというものです。もうひとつは、私が京都大学に入学したことによって、1人の将来ある若者が不合格になり、その若者の進路の妨げになったという意見です。(49p)

★これまでの社会貢献のご褒美として、中高年が20歳前後の若者と一緒に大学に通って、「学ぶ」喜びを味わってもいいのではないかと考えています。(50p)

★大学は学問をする場です。そして学問をするのに年齢は関係ないはずです。誰にでも門戸は開かれています。真剣に学問をしようと決意して入学するかぎりは、「若者に席を譲れ」という批判に遠慮することはないと思います。(51p)

★大学での学びは、中高年のその後の人生観を変える力を秘めています。(65p)

★大学の中で老け込んでいる暇はありません。どのような仕事をしてこられた方であっても、定年後に大学生になって若者と交わっていると、いきいきとした毎日を過ごすことができます。(86-89p)

★私はよく考えもせずに学部に入学しましたが、大学院生となった今となっては、学部で専門科目、教養科目、さらには他学部の専門科目まで幅広く勉強したことが、大学院生になってからの研究にとても役立っていると実感しています。(88p)

★京都大学の入学料は28万2000円、年間授業料は53万5800円です。国立大学は大学や学部によって若干の違いはあるようですが、ほとんどの大学が文系学部、理系学部共に、京都大学と同じです。……入学金や授業料などの学費、書籍代などは不可欠ですが、それ以外の支出をとにかく抑えることで乗り切れるのではないかと思います。私は生活費を徹底的に切り詰めれば何とかなると思って、無収入の学生生活に踏み切りました。(91p)

★会社勤務と根本的に異なるのは、ストレスがないことです。授業に出て講義を受ける、先生や生徒と議論する、レポート課題を作成する、定期試験を受けるなどは、心地よい疲れです。毎日若者たちに囲まれて生活するので、気持ちの上でも張りがあります。(107p)

★第一志望の大学に不合格になって、残念ながら意に沿わない大学に進学された方であれば、強い挫折感を味わったことでしょう。私自身がそうでした。しかし、人生二度目の受験はまったく違います。……普段の生活の中で時間的、気分的に余裕のあるときを見つけて細切れに勉強すればいいのです。……マイペースで好きな科目の勉強をしていると、若い頃に戻って学び直すことになって、勉強そのものが楽しくなります。(110-111p)

★定年を迎えた世代が大学の中でいきいきと活動するようになれば、社会全体の活力が増してくることも期待できます。「二度目の大学生」という生き方は、定年を迎えた方だけでなく、長く自営業をしてきた方、家事や介護などで家庭を守ってきた方などにとっても、第二の人生を豊かにしてくれるように思います。(181p おわりに)

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