お天気がいい日が続く。こんな日は家にいるのがもったいない。昨日午後は予定通りプールで泳ぐ。更衣室に入ると春から会っていなかった顔見知りと出会う。しばらくプールを休んでいたそうだ。これから冬に向かうとプールの水を温かく感じるようになる。昨日もそうだった。
以下は『翔ぶが如く』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、2015年第17刷)の気になる箇所を抜粋したもの。いつもの如くここに記そう。そういえば越後の旅でガイドから司馬遼太郎の『峠』の話題が出た。この本はまだ読んでいない。『翔ぶが如く』全10巻を読み終えたら『峠』も読もう。まだまだ司馬作品への熱は冷めそうにない。
★……西郷は焦土を望んでいるのではなく、民族に内在する勇猛心をひき出すことによって、奈良朝以来、あるいは戦国このかた、太平に馴れた日本民族に精気をあたえ、できれば戦国期の島津氏の士人がもっていた毅然とした倫理性を全日本人のものにしたいという願望があった。西郷の征韓論がそれにつながるかどうかはともかく、かれが新国家の基盤に一個の高貴な原理性をすえようとした思想は、その後の日本国家がついに持たなかったものであった。20-21p
★「伊藤・山県程度の二流の人間が明治国家を作った。悲しむべきことである」という、大げさにいえば民族的詠嘆ともいうべきものが、西郷の死から今日まで脈々として日本人のなかに流れつづけている。38-39p
★後年、西郷が死んだとき、たまたま征韓論では積極的な敵方にまわった薩摩の黒田清隆が、天をあおぐような述懐として、「惜しき仁者を死なせた」と嘆じたのは、西郷の本質を多少ともうがっている。西郷は単なる仁者ではなく、その精神をつねに
無私な覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆をうごかしうるところの大きな秘密であった。人間は本来無私ではありえず、ありえぬように作られているが、しかし西郷は無私である以外に人を動かすことができず、人を動かさなければ国家や社会を正常の姿にひきすえることはできないと信じている男だった。79p
★「右大臣、よく踏ン張り申したな」
といったことは、板垣が生涯わすれることのできない西郷の強烈な人間風景になった。西郷はじつはこの玄関を出たとき、自分の政治的敗北を心中認め、すべてをすてて故郷に帰ることを決意していたのである。その決意の中で岩倉の踏ン張りを劇中の人のように鑑賞してほめあげたという点はいかにも西郷の香気がある。西郷はその香気でもって、その追随者を魅了してきた人である。90p
★西郷は、十月二十八日、東京を発つ。ついにかれは生涯かれの詩にいう「京華名利」の都府に帰ることはなかった。
西郷が同時代人にも後代のひとびとにも形容しがたいほどの詩的情感をもって敬愛されたのは、新政府における最高の栄爵につつまれつつ、それをすてて孤影東京を去るというこのあたりの情景にあるであろう。145p
★西郷は骨髄までの詩的行動者であった。
あるいは西郷ほどのそういう行動律をもった革命家は世界史にいないかもしれず、西郷がその生死で綴った詩の余韻は後世の詩心を慄わせつづけている。147p
★詩の中にある「英雄」とは西郷をさしている。英雄とは元来後世が贈る呼称だが、生きながらにして英雄と称せられたのは明治期にあっては西郷以外になく、たとえば肥後佐賀出身の、西郷と同僚の参議江藤新平でさえ、三条実美に対し、――太政官は英雄の心を知らない。と、西郷を格別に扱っている。173p
★いま、西郷が去った。
この頭上のきらびやかな存在が去ることによって山県は自動的に東京における陸軍をにぎることになる。が、山県はなおも天才を戴くくせをやめず、このあと大久保を戴くが、その大久保も明治十一年に非業にたおれると、山県は大久保の遺した官僚組織を徐々ににぎってゆき、やがて明治中期以後、文官と軍人の二つの世界における官僚組織の頂点に立ち、晩年は明治権力の法王的な存在として、何者からも敬愛されず、しかも何者からもその魔力を怖れられるという男になってゆくのである。193p
★新国家の創成期に、国家についての設計案をもっている者は、かならず非業の最期をとげる。江藤は佐賀ノ乱をおこし、西郷は西南ノ役をおこす。大久保は自分の設計案に執着するために頑強にその権力をまもり、江藤をほろぼし、西郷を葬る結果になり、やがてはみずからも非命に斃れる。251p
★大久保は自分が政治をおこなっているのでなく、絶対的な権威をもつ天皇の負託によって政治をおこなっている、大久保は天皇の一官吏にすぎない、ということをたえず態度で示した。これ以外に、たとえば野にくだった西郷に対抗する方法はなかった。ひるがえっておもうと、明治初期の官僚のなかで天皇の権威をこのようなかたちで政治思想化した人物は、かれ以外になさそうである。283p
★買いかぶりは、薩摩人の一特徴である。薩摩の気風として他人の長所を愛し、少々な人物ならこれを大きく買いかぶってしまう。それがかえって好結果をもたらすことが多い。買いかぶられたほうに器才さえあれば、やがては買いかぶられの寸法に適うほどに成長してしまうからである。器才のない見せかけの人物が買いかぶられることもあるが、かといって実害はない。やがてぼろが出て自然にその人物をおもしろく輩出させたということがあるであろう。345p
★英雄とは西郷先生のことです、と海老原はいった。宮崎は小さくうなずいただけであった。
(西郷よりもむしろ、ルソーを奉ずべきではないか)と宮崎は内心思うのだが、しかしルソーについての日本での先駆的存在である宮崎も、このときはまだその名前をほのかに聞き知っている程度に過ぎなかった。348p
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
0 件のコメント:
コメントを投稿