2018年10月31日水曜日

「睡眠不足と運動不足を放っておくと貧乏になる!?」

 今朝の最低気温は10度。明日は最低気温9度となる予報で寒くなってくる。日中は秋晴れの日が続き、行楽日和真っ盛り。本当に家にいるのが勿体ない。

 先日のネット記事に「睡眠不足と運動不足を放っておくと貧乏になる!?」がある。睡眠不足には決してならない自信がある。どういってもよく眠るタイプ。運動不足はそうならないようにと心掛け、余ほどのことがない限り自転車に乗って外に出る。これくらいでは運動不足は免れない。それを補うかのように週に1度1キロ泳ぐ。泳ぎの本来の目的は運動不足解消ではなかった。ただ泳げるようになりたい一心で水泳を続けている。いつのまにかこれも運動不足解消になっているかもしれない。https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20181027-00014061-argent-column (参照)

 運動不足解消にといっても水泳を週に2度は考えない。特に運動し過ぎると体に活性酸素が増える。これが結果的にガンになる。ナニゴトもそうだ。歩きすぎて膝をいためたり……とやりすぎは本末転倒。ましてや元々が運動音痴。やりすぎにまではどういっても至らない。元気に成りたい一心でやりすぎて命をなくせば何が目的かわからなくなる。これは何も運動だけでなく、ほかの習いモノ・コトもそう思っている。楽しみで習っているモノを習うのが苦になるのであれば習う価値がない。適当に、適当にそうでなくては長続きはしない。

 なんとか睡眠不足と運動不足に陥らずに済んでいる。だからといって貧乏でないかと問われれば決してお金持ちとは言えない。やはり貧乏は間違いない……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月30日火曜日

陽気に誘われて

 陽気に誘われて急遽、広島城で開催中の菊花展を見に行く。広島城で菊花展を見るのは今回で2回目になるだろうか。1回目は母を介護していた頃で車いすに乗せて介護タクシーで出かけた。旅行に連れ出すことができなくなっても可能な限り介護タクシー利用で繰り出した。春の平和公園の桜を見に、ANAホテルやリーガロイヤルホテルに泊まって旅気分を味わったこともある。しかし、立派なホテルであっても介護者にとっては家に勝ることがない。わが家はお風呂もベッドもトイレも介護しやすいように改造した。とはいっても外に出歩けない母にとってはまだその頃は頭もしっかりしていてホテルのルームサービスの食事は美味しかったようだ。
 
 JR新白島駅で下車し、広島城を目指す。その間、いろんなことが頭をよぎる。しばらく歩くと広島城に到着。前日までこの一帯はフードフェスタが開催された。その片付けの最中で、ゴミを拾う人の姿もあった。ともあれ目的は広島城での菊花展。何でもそうだけど2度目というのは1度目に母と見た時のような感動がない。まだ始まったばかりで展示品の搬入はこれからかもしれない。菊花展を見る人たちの中にはどこかの施設から見に来た人たちなのか、車椅子の団体がいる。母も車いすでの鑑賞だった。施設の人手も少ないのか、ほったらかしにされた人もいる。親の衰えた姿を思い出させる光景だった。

一昨日まで広島城一帯で開催されたフードフェスタ
その後はカラスが…
  広島城は鯉城と言われるようにお濠には鯉が泳ぐ。カープもこれにあやかって命名された。鯉の滝昇りのように上昇軍団を目指して……。
広島城

広島城の別名は鯉城
鯉がいる

広島城のお濠

菊花展の大輪の菊

大きな被爆ユーカリ

広島城のお濠は鯉が泳ぐ
  せっかく広島城に出かけたのに護国神社に参らなかったと後で気づく。その後、中央図書館やひろしま美術館付近の公園で絵になりそうなところを探す。まだ紅葉には早いようだった。
これは絵になりそう!?

紅葉までは至らず

 携帯万歩計は9353歩。最後は広島駅前のデパートでティータイム。気持ちいい秋の一日は終わる。明日も晴れるといいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月29日月曜日

『わたくしが旅から学んだこと』

 『わたくしが旅から学んだこと』(兼高かおる 2010年、小学館)を読んだ。以下はいつもの如く気に入った箇所からの抜粋。

★自分が住む家や、会社のデスク、毎日顔を合わせる人たちが目に入らない状況に身を置き、いい景色、それもできれば初めて見る景色を目の前にして過ごす。そうすれば、しがらみから解かれることができます。そして、出会い、発見して、感動する。わたくしにとって旅は常に「若さの泉」でしたし、今でもそうです。95p

★実際にその土地に行き、気候や湿度を感じ、街の音を聞き、においをかぎ、現地の人とふれあい、ご当地の食事をする。それでこそ、自分の中に収穫という財産が残ります。わたくし自身、世界中を歩き、異文化、異民族とふれあうことで、文字や写真で得ていた情報がまるで別のもののように、肌から浸透してくる経験をしました。まさに百聞は一見に如かず。96p

★外国に行くというのはお金と大切な時間、体力を使うわけですから、いろんな知識を吸い込んできて、自分の家族なり友人に伝えられれば、旅に要した時間、お金、経験も価値あるものになります。旅先で、いい人に会うか会わないかで、その国の印象が変わってしまいます。101p

★「自分が女性である」ことは事実。
 「自分が何歳かである」ことも事実。
その曲げられない事実を磨くのに、旅はいい機会だと思っています。
旅は女性を美しくする。これはすべての年代の女性に捧げたい言葉です。
旅に出ると、予想外にできることをあれこれと発見したり、逆に、こんなこともできないのかと気付かされたりします。自分を再発見して新しい女性に生まれ変わることもあるのです。108-109p

★歳を重ねてきた者だけが味わえる旅の醍醐味は、かつて旅したところへの再訪です。 ……日本も世界も変われば、自分自身の考え方や見方も変わります。若い時に旅した地をもう一度訪ねてみる。懐かしさを味わうとともに、新しい感動があるでしょう。110-111p

★わたくしはほかのことは飛び込むのですが、結婚にだけは飛び込めませんでした。そう、空にだって飛び込んだのに……。149p

★リタイアしたら自分が人生の主役。161p

  著者が「空に飛び込んだ……」はスカイダイビングのこと。自分自身は「結婚にだけは飛びこめませんでした」、どころかスカイダイビングにも飛び込んでいない。それよりも2001年8月、ジンバブエに行った際、旅の参加者の大半がバンジージャンプをされた。しかし、その場面を川岸から眺めるだけで怖くなってバンジージャンプも挑戦できなかった。その時のツアーにはご家族全員(両親と娘さん2人)ろうあ者がいらっしゃった。その1人の娘さんはツアーの若い男性とペアで挑戦された。それでも、どうしても挑戦する勇気がなかった。17年前に出かけた南アフリカとジンバブエの旅でのお話。バンジーに挑戦していたらその後の人生、もしかしたら大いに変わっていたかもしれない。どういっても110mの高さから飛び込むバンジージャンプは怖い!ジンバブエで見たバンジージャンプの動画がある。これをアップしよう!

 この本をブログにアップしているとじっとしておれなくなる。季節は秋、行楽シーズン。家にいるのがもったいない。今日は急遽これからどこかへ行く!?それがいいかも……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月28日日曜日

『迷わない』&クラシックコンサートを聞く

 歩いて数分もかからないところに区民文化センターがある。昨日午後はそこで開催されたクラシックコンサートを聞きに行く。プログラムには「フランス音楽の色彩~グノー生誕200年~」とある。グノーと言えば個人的にはフルートの発表会で吹いたグノーの🎵アヴェ・マリア🎵がある。プログラムには「グノーがバッハの『平均律クラヴィーア曲集第1巻』の『前奏曲第1番』を伴奏に、ラテン語の聖句『アヴェ・マリア』を歌詞に用いて完成させた曲です」とある。これをピアノ伴奏で独唱した人はこの曲は伴奏をバッハが、メロディーをグノーが作曲しているという。出演者を見るとどの人も経歴が素晴らしい。入場無料の演奏会は行かないと心に決めていた。しかし、チラシを見て行く気になる。ただ、無料の良くないところは未就学児だろうか、所かまわず演奏中であっても子どものぐずる声が聞こえてくる。これは演奏者にも聴衆にも失礼。演奏は素晴らしい。しかし、分別の分からない子ども連れの入場はいただけない。

 『迷わない』(櫻井よしこ 文藝春秋、2013年)を読んだ。以下は気になる個所の抜粋から。

★ビジネス文書も、親しい相手に綴る手紙も、さらには今やコミュニケーションツールとして不可欠なEメールも、基本的に同じではないでしょうか。誰かに向けて書いた文章は、きちんと相手に伝わってはじめて、「書かれた」ことになります。「要を得て簡」が大事なのは、万人、いや万国共通のことだと思います。48p

★迷わない。大事な局面であればあるほど、迷わない。そして希望を持ち続ける勇気を失わない。……決断のとき、必ず道は開ける、絶対大丈夫と、心の中で信じていたような気がします。期待値は実現するのです。160p

★老後が不安で就職に迷うという若い人には、「期待値は実現する」ということをぜひ胸に留めてほしいのです。不安だと思いつづけたら、不安が実現します。何とかなると思っていたら、本当に。何とかなります。173p

★一日一日、前を向いて、何とかなる、何とかすると考えて、自分の気力と体力、教育によって培った知の力を信じて、自分を信頼するのです。夢は必ず叶うのです。大いなる夢を抱いて、自分を信じていくのがよいのです。176p

★江藤淳さんが書かれていますし、柳田国男さんも書かれています。日本では死者と生者が同じ風景を見ている、と。亡くなった人の魂は日本の上空のどこかに浮遊しておられて、生きている私たちを見守っていてくださる。この上なく温かい気持ちで、日本に幸あれと、生きている人が自分の人生を生きられるように、安寧に幸福に生きられるようにと見守ってくださると思うのです。……そういう精神世界をつくるよう助けてくれるのが日本の宗教なのではないでしょうか。203p

★母は、私のためにここにいてくれる、私のために一生懸命、生きてくれている。私の親しい年長の方がそう言ってくださいました。そして私もそう感じます。世話しているのではなくて、母は独身のままの私を案じて、この子はいつまで経ってもひとりだわ、見守ってやらなくては、と心配して私のためにここにいてくれるのだと、実感します。高齢の親と一緒に過ごす時間を持てるのは、かけがえのない幸福です。223p

★私はいま、母と丸々一緒にいることができます。これは私たちの先祖の日本人が考えていた幸福の形であろうと感じます。日本人の幸せの形をお裾分けしていただいているような私はいま、とても幸せです。派手ではありませんが、穏やかな温もりと充足感に包まれた揺るぎない幸福の中にいると思います。224p

★百三歳の母ですが、笑顔は以前より多くなりました。そのことを私は何よりの幸福と思っています。母は迷わずに、いつも全力を尽くして生きてきた人です。私も迷わずに全力で生き続けたいと願っています。225p

 櫻井よしこの母は今年の春、106歳で亡くなっている。著者が母親とのことを書いた箇所は自分自身、親の介護を経験しているので痛いほどよくわかる。なかでも「世話しているのではなくて、母は独身のままの私を案じて、この子はいつまで経ってもひとりだわ、見守ってやらなくては、と心配して私のためにここにいてくれるのだと、実感します。高齢の親と一緒に過ごす時間を持てるのは、かけがえのない幸福です」の件は全くその通り。母が亡くなり、部屋を片付けていると家計簿らしきノートの2ページにわたって赤のボールペンで大きく10か条ほど書いた文があった。母が80歳の9月15日、「眠れぬ夜に……」の書き出しで私宛に書いている。親が80歳は私が50歳のときになる。その頃は母のことを顧みず、自分のことばかり考えて自由奔放に過ごしていた。それでも母はいろいろと気遣ってくれていた……。

 本を読んで櫻井よしこに親近感を抱く。昨夜は兼高かおるの本を読んだ。この人も独身のままに生きている。母親への気持ちは櫻井よしこと相通じる。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月27日土曜日

線路わきに咲くコスモス

 行楽の秋、といいながら昨日はプールで泳ぐ。出かける途中、近所の人と遭遇する。話をすると朝5時前に起きて2時間近く散歩をするという。これを聞いてもうびっくり。それも毎朝の行事らしい。人それぞれとはいっても朝5時前に起きる、このことだけで恐れ入る。到底真似はできない。睡眠時間を聞くと6時間も寝ないとか。朝が早いからそれも当然かもしれない。

 早起きは三文の徳とはいっても絶対にできない。ここは絶対がつく。よく寝ないと体も頭も悲鳴をあげる。寝不足が一番の大敵なので早起きだけは無理!

 その点プールはいい。季節も時間も問わずプールがあればいつでも泳げる。昨日は曇り空。金曜日の午後のプール、人は少ない。それも極端に少ない。お蔭でゆったりした気持ちで泳ぐ。

 プールに行く途中、呉線のそばに誰が管理するのか小さなお花畑がある。泳ぎ終えた後、線路わきに咲いているコスモスなどを携帯で写す。わが家の近くも線路が通っており、いろんな花が咲いていた。しかしこの頃はJR側が草の大半を何かで覆っている。そのため線路わきも殺風景になった。もっと以前は畠として野菜などを植えていた人もいた。それは危険なので地面を覆うのだろう。

 画像は携帯で写したもの。花の名前はコスモスしかわからない。コスモスも家の近くで見ることがなくなった。自転車に乗って10分くらい行けばコスモスが見られる。誰が手入れするのかありがたい。

 先日の新聞の宣伝に 重松清の『どんまい』(どんな人生にも、打席(ピンチ チャンス)はまわってくる)が載っていた。今日からカープはソフトバンクと日本シリーズを戦う。若者が使う「推しメン」は1軍と2軍を行ったり来たりする。ファン心理として推しメンが2軍に行くと野球の応援どころではなくなる。しかし、この本のサブタイトルどおり「どんな人生にもピンチとチャンスはまわってくる」ように2軍をピンチと思わず、いつかはチャンスがやってくると思って推しメン応援しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


線路わきに咲く花


線路わきに咲くコスモス


線路わきに咲く花

2018年10月26日金曜日

「ノブレスオブリージュ」

 昨夜、ブログを表示すると画面がいつもとは違っている。これは変、と何度か修正を試みる。どこか触って変になったのだろう、と気にしながら眠る。今朝起きて表示するとこれまで通りの画面でホッとする。パソコンのバッテリー云々でいっとき、イライラしてパソコンを使用していた。ところが完全にバッテリーがなくなると電源接続で心配なくパソコンは使用可能になる。バッテリー云々以来、久々に昨夜はパソコンに振り回された。まあ、何とかなると気楽にしていればいいものを気にしだすとじっとしておれない性格。諦めてもう寝よう、という気になるまでが大変だ。それももう心配しなくていい。

 話は変わって先日NHKのEテレ「知恵泉」で「こんなカッコいい男になりたい 白洲次郎(前編)」が放送された。番組HPによると「多くの実業家や文化人に愛され多大な影響を与えた男・白洲次郎。長い海外経験で『欧米流スノビズムを身につけた』次郎を支えた知恵とは。戦中・戦後の人生をたどる前編。多くの実業家や文化人に愛され、吉田茂のブレーンとして、GHQとの交渉にのぞみ、戦後日本を形作った日本人・白洲次郎。その生きざまを通した『知恵』を二回シリーズで届ける第一夜。手が付けらえないほど、やんちゃだった若き次郎は、父の命で大正八年英国に留学する。後に『島流し』とまで本人が語った彼の地で知る『英国人気質』は、その後の生き方の原点となった。流行雑誌編集者が読み解く『次郎・かっこいい男』」とある。

 この中で取り上げた言葉その1★あたりまえのことをあたりまえにやる

 白洲次郎は「ノブレスオブリージュ」があった。この意味は「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで『貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ』の意」とある。日本で言えば「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のようだ。

 その2★言うべきことは言う

 白洲は先の戦争の時、マッカーサーに天皇からのプレゼントを持参した。その際、「そこにおいて置け」と言われた白洲は「戦争に負けたけど奴隷になったわけではない」、と考え、「そこにおいて置けとはどういうことか」と激高した。GHQは白洲に対して「従順ならざる唯一の日本人」と言ったそうだ。

 その2は自分に言い聞かせたい。どういっても人と話していて自分の意見を言えないもどかしさ。その後に悔しさが残る。この言葉に反するように母は常々「言いたいことは明日言え」と言っていた。それがあるのかもしれない。とはいってもここまで生きてくると自分の言いたいことは言わねばならない時もある。今週はこの続きがある。
 
 また話は変わって11月初めに開催される演奏会のチケットが送付されてきた。これは演奏会のプログラムにはせてあったチラシの情報で知る。某公立大学芸術学部主催のピアノ演奏会で演奏者の経歴は華々しい。それにしても親切な団体だ。楽しみ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月25日木曜日

テープ処分&海外旅行中止の知らせが入る

 一昨日ビデオテープとカセットテープを処分しようとした。ゴミに出す日は11月2日、それまでには日数がある。ネットでこのまま出していいものか検索するとテープを1,2か所、切断して出すようにとある。昨夜、夕飯後にビデオをケースから出して鋏で切る。それも数十巻をケースから出しては切っていく。結構大変。これが終わると次はカセットテープをケースから出しては切る。ラベルを見ると大体1986年ころから1995年にかけての10年間だった。今から30年前後の頃になる。

 その後にWindows95が発売される。当時は職場のパソコンを使用し、しばらくしてわが家にもパソコン登場となる。ということはビデオやカセットに夢中になっていたのはパソコンの出現前のことだ。パソコンがあれば外国語放送も年中、それも四六時中、NHKの国際放送などで聞くことが出来る。それまでのようにテープに録音しなくていい。世の中の進歩が個人の趣味嗜好にまで変化をもたらす。

 テープを切った後、ゆっくりしていると電話がある。何と新年に出かける予定の某交流会主催の海外旅行が参加人員3名不足で中止とのこと。11月初めに行くつもりだった海外旅行も中止になったばかり。それが新年に出かける旅も中止とは残念。海外の代わりに国内の旅を検討されているとか。どこであっても楽しい人たちとの旅は出かける!電話の主としばらく雑談して話を終える。しかし、出かける予定で決めていた壮行会を忘年会に替えて皆で集まるという。これはいい!

 ということで海外へ行く予定がまたなくなった。こうなると自分で楽しみを見つけないといけない。次は春の海外を目指していく先を探そう!それにしてもアジアの旅は2巡目に入り、我が海外旅行歴50回目を目前にして足踏み状態が続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月24日水曜日

今朝のFMは🎵タンゴの歴史🎵



 今朝のFM・クラシックカフェから流れる音楽はピアソラの🎵タンゴの歴史🎵。演奏者はフルートの第一人者パトリック・ガロワ。動画でガロワのこの曲の演奏を探すが見当たらない。朝食を食べながら聞くガロワの軽快な音楽。時に寂しさも漂う。ピアソラ作曲の曲は去年のフルート発表会で🎵天使のミロンガ♪を吹いた。しかし、今朝の曲は知らなかった。ピアソラ曲集を持っているので後で楽譜があるか調べよう。

 昨日はフルートレッスン日。レッスン前に先生から開口一番に聞いたのは音楽コンクールに出られて予選を通過し、東京の本選出場というめでたいお話。ピアノとフルート2本のアンサンブルで出場されている。昨日のブログではないが生きている限り皆、「人生発展途上」にある。おめでたい話を聞いて思わずその言葉が出てしまった。

 さらっている曲はボロディンの弦楽四重奏第二番。曲の感じは何とかつかめたので後はリズムに乗って吹く。そして早い指使いや替え指で吹く個所は一つずつの音を丁寧に吹く。この練習が待っている。難しくてどうにもならないと思っていた。これも練習していると何とか曲になっている。

 ともあれ!今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2018年10月23日火曜日

人生まだまだ発展途上!

 いいお天気につられて自転車に乗って秋の桜を見に行く。家から数分自転車に乗ると2級河川が流れている。その両岸は桜並木。春の桜と比べて秋の桜のなんと地味なコトか。自宅JR最寄り駅から上り方面は山陽線に沿って河川敷が広がる。ここは格好のジョギングコースであり、ウオーキングコースでもある。途中、土手から河川敷に下りて自転車を押して歩く。夏であれば日差しを遮るものがなく暑くて歩けない。しかし、今は秋。日も照らず歩くにはうってつけだ。かなり歩くと新幹線の高架橋がある。ここまで歩くとJRの隣駅に近い。途中で引き返し、土手のベンチに座ってしばし休憩。家に帰ると1時間半の散歩であった。

 動きも勢いづいてお昼後は2階に上がって年に数回の掃除タイム。何気なくライティングヴューローを開けるとCDが束になっている。その傍を見ると要らないようなものがある。このCDに勢いづいて、ビデオテープとカセットテープを処分する。

 母が元気なころまでは2階を占領していた。しかし16年前から2階にはほとんど上がらず下で過ごす。2階の布団類とアルバムは気になっていた。昨日はそれよりもビデオとカセットテープを処分する。リンゴの段ボール箱2個に入ったビデオとカセット。今やビデオデッキも処分して見ることはできない。ただカセットはCDラジカセで聞くことは可能。それでもビデオテープ70巻と多くのカセットテープを処分する。処分するのはいいのだが、洋服箪笥の上に段ボール箱で入れている。これを降ろそうとするが重くて動かない。踏み台に上がってもダメ。仕方なく少しずつ動かすと何とか降ろせた。これを2個降ろす。

 ビデオテープの中身を見ると中国関係のものが多い。その中に外国に出かけた際にツアー仲間から送られたビデオが10巻くらいある。さすがにこれは捨てられない。いまは海外で知り合ったツアーの人からはDVDでいただくことが多い。他にも動画で配信されたりする。

 ビデオやDVD。これをいただく旅は楽しい旅のなかでも最高に楽しい旅。そんな気がする。どういっても今では行かれない国や地域がある。そして自分自身も体力面を言いたくないけど、今となっては体力、気力が追い付かない国もある。そう思うと若い頃に出かけてよかったかもしれない。

 次はカセットテープ。これを見ると自分の趣味嗜好がわかる。とはいっても大半は中国語とロシア語に関係あるテープ。30数年前はかなり外国、それも中国やソ連にのぼせていた。というか見知らぬ国への関心と言った方がいいかもしれない。今ほどメディアの発達していなかった時代、短波放送やラジオの外国語講座やテープで外国語への関心が高まった。今思えば自分自身も人並みに何かにのぼせていた時代もあったんだ、と思わずにっこり。1巻、別のところにあったカセットテープは「ばあの声」と書いている。姪たちが母のことを「ばあ」と言っていた。母は自分がいなくなっても「写真など見てどうするん」と言っていた。じゃ、カセットの声はどうする!?

 ついでに、と2階で目に着くものを見ている布製の手提げバッグがある。なかを見るとなぜか1枚、銀行振り込みの紙がある。社会人で過ごした大学への機械で振り込んだ領収書だ。50数万円の金額。年間でこの金額は6年では……。そしてほかにも入学金30萬円弱を2度振り込んでいる。大金をはたいて大学に通う。これも自分で働いたお金。誰からもとやかく言われない。

 自分でこれっと、思うことは結構、行動に移している。もしもその時、行動していなかったならば人生に置いて悔いが残る。そう思えば「人生まだまだ発展途上」(これはある人のメールから勝手に引用。いい言葉)、これからもやりたいことをやって……。久日振に自分に頑張れ、と言いたい!

 ブログ投稿後にひとこと。ライティングヴューローには写真もあった。今から20年くらい前までの集合写真がたくさんある。ブスはブスなりに心から楽しそうに笑って写っている。これを見て、さて今は涙を流してお腹を抱えて笑うことがあるだろうか、と自問自答。やっぱり笑っている写真はいい!それにしても有名無名のいろんな人と写っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月22日月曜日

「生活の質を劇的に向上 今すぐできる5つの方法」

 2週間前のネット記事に「生活の質を劇的に向上 今すぐできる5つの方法」がある。それは以下の5つ。

1. 整理整頓
2. シャワーをして着替える
3. 軽い有酸素運動
4. 他人と比べない
5. 自分のために何かをする

 この文の結びに「時々自分のために何かをすれば、まさに自分が今必要としている活力ややる気を回復できる」とある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181007-00023304-forbes-bus_all (参照)

 2週間前と言えば日本画作品展やほかの行事が終わってかなり草臥れていた。その時にこの記事を見て一番ひかれたのは2、の「シャワーをして……」の記事。別にシャワーでなくてもいいのだがまずは身なりを整えると一日がしゃきっと始まる。そう感じた。この5つのうち、1、の整理整頓は得意ではない。だが、布団など大型ゴミとして出したり、と気にはしている。3、の有酸素運動は用事がない日であってもとりあえず朝は自転車で外へ出ていく。これで一日の行動が決まる。4、は偉い人は皆さんそうおっしゃる。大事なことかもしれない。そして5。これはどういっても一番大事にしている。自分のために何かをしないで誰のためにするのだろう。

 先日、徹子の部屋に松島トモコが出ていた。なんと73歳になるという。その母親は97歳で、近年認知が入ったそうだ。親の介護保険関係の申請で生まれて初めて役所なるところへ出かけたという。73歳が97歳を介護する。これは大変。しかし、これまで面倒をかけてきたので今さら親を施設に預ける気は毛頭ないと言い切る。母は88歳の時、大腿骨骨折という早朝の一瞬の出来事でそれまでの親娘の立場が逆転した。まったくと言っていいほど家のことはせず、ただ自分だけのことしか考えていなかった。それからは思うように動けなくなった母を何とか守ってあげたいと考えた。この辺りの気持ちは松島トモコと同じ。

 ただ違うのは親娘の年齢差が松島トモコよりも離れている。そして介護した年齢も50歳代から60歳代で、73歳のそれとはかなり若い。ましてやあの可愛い顔は以前と全く変わらず、それでも仕事をしながら介護をするとはとても立派なことだ。ただ松島トモコの声は出にくそうだった。

 親の介護を通して思うのは「誰かのためにする」とは結果として自分のためになっていた。どういってもたとえどんな状態の親であっても「ここにいる」だけで幸せだった。いつまで続くかわからない介護。そんなことさえ思ったことがない。毎日同じことの繰り返しであっても充実した日々だった。そう思えば「自分のために何かをしないで誰のためにするのだろう」との先の言葉はすべては自分のためかもしれない

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月21日日曜日

柿の葉のスケッチ

色づいた柿の葉(写真)

 一年のうちで今が一番ともいえるほどいい季節になった。昨日の日本画教室では食べられない無花果の巨木を色付けする。3時間の日本画教室は結構長い。途中のカフェタイム後、教室の人が持参された柿の葉をスケッチする。この何気ない葉っぱに魅かれてしまった。写真に写すが携帯写真のため実物ほどの鮮やかな葉っぱの美しさがない。

 たかが葉っぱ、されど葉っぱ、であっても紅く染まる葉の色具合と虫食いの程度が絵にはもってこいになる。かなり感動してスケッチする。お蔭で早く描けた。しかし、これに色を施すようにと先生。樹木の色付けが上手く行かず、色付け?と聞いて驚きが隠せない。色鉛筆でやっていると、先生は埒が明かないと思われたのか2人が水彩で色付けしているところで一緒にするようにとわざわざ絵皿に絵具を溶いてくださる。そして溶かれた絵具で葉っぱや小枝に色を施す。これをいつか本画に仕上げたい。しかし、葉っぱの付いた枝だけではなんだか寂し気。柿を1個、加えよう。

 教室が終わると5人はCAFEで休んで帰宅する。葉っぱ付きの柿の枝。大事に持って帰ろうとするがJR車内で葉っぱが落ち始める。家に着くと1枚の葉っぱがついているだけであとは落ちていた。幸いバッグに落ちていたので家でこれをひろげて写真を写す。しばらくは無花果の巨木の本画作成が待っている。その後に葉っぱを描こう。

 昨日、日本画作品展に出した画集が出来上がる。以下の3点は今年の作品展に出品。記念としてブログにアップしよう。出来は良くないけどすべては自分の記念!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


「樹ー〈出羽三山〉」6F 日本画

「落ち葉を集めて」6F 日本画


「睡蓮」M 8 日本画

2018年10月20日土曜日

🎵グリーンスリーブス🎵

 昨夜、3110で始まる電話がかかる。それも録音を流してアンケートに答えるやり口の電話だ。もちろん電話には出ない。後でネットで検索すると掛かってきた電話番号の掲載がある。太陽光発電に関する電話のようだ。いずれにしても電話登録をしていない電話には出ない。それにしても次々と新たな悪だくみを企てる輩がいるものだ。

 先日、NHKの西日本豪雨災害による被害者の受信料免除のお知らせが届いた。何人かに聞いても誰も届いていないという。挙句の果ては、だまされているから注意するようにとも言われる。どういっても詐欺まがいの書類ではない。もしかして収入が低い貧乏人にだけ送付された?と思ったりするが、NHKが各戸の収入具合を把握するはずがない。人の言葉で動揺しながらもNHKのHPを検索。するとやはり免除の記述がある。

 この免除はNTTコミュニケーションもある。これはメールで送信された。しかし、この点についてはどうも個人的には免除されそうにない。

 怪しい時代、何が真実なのか難しくなりつつある。そうはいっても人を信用しないのも寂しい世の中だ。

 個人でなくても某大手企業は地面師による数十億円という損害を被った。人をだましたり悪だくみをする輩はだまされまいとするヒト、モノ、コトなどなんでもお手のものかもしれない。ましてや命までも奪う事さえ厭わない。

 1,2か月前からあまりにも外のドアホンを鳴らされるのでコンセントを抜いたままにしている。お蔭で変な人の訪問がなくなった。というかこちらにはわからず仕舞いでとてもいい。いつの日か家の固定電話もなくして携帯だけに……となる日が来るかもしれない。それくらい固定電話には変な輩からかかって来る。

 気を取り直そう。来春、某ホームコンサートで吹く予定の🎵グリーンスリーブス🎵。まだ先のことだけど、習っているフルートの練習曲の合間にこの曲を吹いている。途中から曲が転調し、アレンジがある。吹いている楽譜と動画のそれとはかなり異なるが、時に、こういう曲を吹くのも気晴らしになる。今朝の動画はその曲から。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月19日金曜日

研究会誌&プール

 所属する中国近代史の研究会から『史〇研究』が送付される。今回から頁数も増え、分厚くなった。だが、年4回発行の回数は減るそうだ。本には年間購読料の振込用紙がはせてある。これを見ると金額はこれまでよりも1割安になった。年に2、3度ある会合へは近年、日本画と重なって出席していない。1度でも欠席すると次第に足が遠のく。他にも比較文化の会にも所属している。こちらは自発的に入った研究会でなく、人から勧められて入った。1回だけ参加してその後は出席していない。情報はネットで送付されても、これまた足が遠のく。欠席続きの研究会も自発的に始めた中国近代史の会は死ぬまで所属し続けよう。昨日の本にこの研究会誌も含まれる。だが、これは処分という対象には決してならない。

 昨日と言えば午前中はお墓参りをして午後はプールで泳ぐ。泳ぐだけのプールも顔見知りが増える。昨日も2人から「久しぶり」と声をかけられる。そう言われてもいつ知り合った人か全く覚えていない。プールの中は水着を着て水泳キャップを被り、ゴーグルをつける。そのためか、体に特徴がなければだれなのか覚えが悪い。これは目の悪さと比例するのかもしれない。

 区のスポーツセンターのプールが半年間修理のため閉館。そのためか、午前のシニア専用と比べて午後は一般に開放されるのでプールの人は多い。人の多さを見極めて多くなれば浅い方で泳ぐ。これを見ていた人は「遠慮していたら泳げんよ」と親切に言ってくれる。そう言われても人の多さでぶつかる方が怖い。そのためか、深いところで泳いだり、浅い所へ移動したり、あるいは水中歩行へといろんなパターンでプールに浸かる。プールで泳ぐと疲れるのか今朝の起床時間はなんと8時45分。今からこう遅い起床だと冬はどうなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月18日木曜日

電話で…

 秋らしいお天気が続く。この先の予報もしばらくはいいお天気になりそうだ。一昨日、布団4枚と毛布2枚を大型ゴミに出す。他にも毛布3枚を今朝の燃えるゴミにナイロン袋に入れて出す。今回と春に2回、布団類を大型ゴミに出した。これでやっと押入れに空間が戻る。ここに何を?と思った。木製パネルに描く絵は年に3枚程度しか描かなくても5年も経てば増えてくる。とりあえず空間に絵を置こう。他にも気になる個所は2階の押し入れの布団類とアルバム類。アルバムはデジカメに変わる前に写した写真等をご丁寧に保管。かなりの量があって重たい。

 とりあえず今年は1階の布団類を捨てた。他に本が気になる。なるべく買わないようにしていてもなぜか増えてくる。10年前に一度古本屋に売ったり、資源ゴミで出した。気になる本として中国に行き始めの頃に中国で買った大きな辞書や兵馬俑のこれまた大きな写真集がある。ある人の本によると本は決めた本棚に入る程度の量にする、と書いてあった。確かに一定量を決めてそれ以上は捨てれば本は増えない。徐々にこのやり方にかえよう。

 ブログ投稿中、旧友から電話が入る。昨夜電話してつながらなかったヒトからだ。自分のなかでは一番の恩人。春にその人から兄さんの不幸を聞いた。今年中には会おうと思いながら、そのままになっている。12月中旬に開催される堀文子の展覧会。この展覧会を兼ねて友だちに会うことにする。電話でそう告げると急ブレーキをかけて肋骨を打ったという。肋骨、と聞いて最近、別の友だちが4本肋骨を折っている。電話の友は幸い、骨が折れるまでには至らなかったようだ。だが、冬の季節の車の運転を気に掛ける。12月は雪が降るかもしれない。県北に住む友はそれを気にする。雪のない日を選んで出かけると話す。

 元気?と聞かれて元気、と話すと次は水泳の話になる。初めて水泳を教えてくれた人だ。今でも泳いでいるというと驚かれる。お蔭で今のところ元気だけが取り柄だけど……。

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2018年10月17日水曜日

BSドキュメンタリー「ヒトラーは“ジャンキー”?」を見る

 一昨日、NHKのBSドキュメンタリー「ヒトラーは“ジャンキー”?」を見た。番組HPによると「ヒトラーの主治医モレルの日誌には、ナチス総統が薬物を常用し麻薬の依存症に陥っていく過程が記録されていた! ナチス・ドイツの“暴走”は、麻薬によって加速したのか?ドイツで2016年に出版され、世界的な注目を集めた『第三帝国“薬中”の真実』。番組は、著者ノーマン・オーラーの調査を元に、ヒトラーが薬漬けになっていく過程とドイツの興亡を、新たな視点で描いていく。第二次世界大戦開戦の頃のメタンフェタミン。米国の参戦後、不眠症を訴えたヒトラーが手を出したオイコダル(オキシコドン)という鎮痛・麻薬作用がある“劇薬”・・・日誌には、ヘロインやモルヒネの文字も!」とある。

 悪徳非業のヒトラー。この番組で薬と注射漬けのヒトラーが衰亡していく姿を垣間見る。オイコダルとコカインは不安を抑える前者と気分が高揚する後者。ヒトラー専属医はしだいにこの両方を同時にヒトラーに対して使いだす。これによりヒトラーの手は震えだし握手さえできなくなる。投与をやめようとしてもヒトラー自身にその判断ができない。ヒトラー専属医のモレル医師によると脳が侵されているという。その頃、ソ連軍が押し寄せてきて薬を作る工場が爆撃を受け、破壊される。最後にヒトラーは自殺する。その何時間か前に挙式をして、奥さんと共に青酸カリを服毒し、拳銃で自らの頭を撃つ。ソ連軍によって地面に置かれた遺体。その上に油をかけて焼かれる。

 亡きがらの一部である下あご。これはソ連側が保管。ほかにもヒトラーの頭蓋骨と思われるものをソ連は保管する。しかしソ連の公文書館によると頭蓋骨保管は生物的なことであり、文書での保管はあってもその面では何とも言えないらしい。生物学的に調べるにしてもヒトラーのDNAのサンプルがなく、本人の頭蓋骨かどうかの判定は困難を極めるようだ。ともあれ、それらしき頭蓋骨をソ連は保管している。

 番組はヒトラーの暴走が薬物依存症によるのか、それとも本人の性格なのかを追っていく。だが、それは今でもはっきりしない。

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2018年10月16日火曜日

『近代日本の中国観』

 岡本隆司『近代日本の中国観』、サブタイトルとして「石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで」(講談社、2018年)を読んだ。本の裏表紙には次のように書いてある。

 【リベラリスト・石橋湛山。巨人・内藤湖南、「王道政治」を「満州国」に見ようとした 矢野仁一、「科学的方法」で中国社会を解こうとした橘樸(しらき)、そして桑原隲蔵(じつぞう)、仁井田陞(たかし)、宮崎一定、谷川道雄などなど――。東洋史の学統に連なる多士済々の俊秀たちは、いかに中国と格闘したか。その論述をていねいに読み直し、「日本人と中国」という、有史以来の大テーマに挑む力作】

 はずかしながら石橋湛山という名前は知っていても詳しいことを知らずにいた。この本を読んで一番の収穫はこの人を知ったことにある。読んでいる途中、図書館で半藤一利の『戦う石橋湛山』を目にする。植民地政策をとっていた近代の「大日本主義」。しかし石橋湛山はそれを非難する「小日本主義」を貫く。去年からのヒトラーに続いてしばらくは石橋湛山に目が行きそうだ。ネットでこの人を検索すると父親は日蓮宗の総本山身延山久遠寺の元法主で石橋は僧侶でもあった。別に日蓮宗がどうこうでなく、わが家が日蓮宗なのでちょっぴり縁を感じただけ。とはいってもお寺とは縁遠い。それでも母が健在の時、家族で2度ほど身延山に参っている。いろんなことを思い出しながら本の気になる個所をここにメモしよう。

★中国に関係のある、あるいは関心を寄せる人々は、多かれ少なかれ、みな心を痛めている。あるいは、いかに中国に好意をもち、理解しようとする人も、口にしないにせよ、多かれ少なかれ顰蹙・憤懣を禁じ得ないのではなかろうか。……日本人一般が「嫌中」になったのも、故なきことではないのである。……双方に求められるのは、目前の思わしくない情況を相互理解の機会に転換させてゆく意欲である。5p

★本書のめざすところは、困難な日中関係に苦悩し、中国をみつめつづけた先人のまなざしをふりかえりながら、そうした可能性を探ってみるにある。7p

★領土・軍備の拡張を「時代遅れ」で、国際的理念に違っている、とみなす思想が「小日本主義」の前提・根底にある。それはあくまで政治上の立場・信条であって、経済利害に徹した分析結果ではない。「大日本主義」の向こうを張ったアンチテーゼではあっても、それを無用にしてしまうジンテーゼではなかったし、またそうはなりきれなかった。だとすれば、そんな「小日本主義」が直接の論争の対象とした中国を、石橋はどのように見ていたのか。その中国観は時代の推移とともに、いかに変化していったのか。中国の現実とどう関わっていたのか。かれが日本の輿論から孤立した理由をさぐるには、そこをあらためて考えなくてはならない。21p

★かつて「日中友好」の名のもと、日本人が中国ナショナリズムを批判することには、一種のタブーがあった。石橋湛山と「小日本主義」への高い評価は、じつはそのタブーと無関係ではない。近年の中国、およびそれをめぐる情況の変化は、ようやく中国ナショナリズムの歴史的な特質・本質を忌憚なく議論できる場を作り出しつつある。それなら、石橋に対する評価基準も見なおさなくてはならない。彼の等身大の中国観を同時代の知識人と比較するのが、その有効な補助線となり、ひいてはわれわれの中国認識の深まりにも資するのではなかろうか。34p

★自らの研究で実なき中国の「王道」を知りつくしていた矢野仁一には、それが理想の「王道」を真に実現すべき好機と映る。還暦を越えてなお、積極的な「満州国」支持をつづけて情熱と学殖を傾けたのも、中国伝統の文化をこよなく愛し、「満州国」に住む「支那人」の幸福と「名誉」を願がったればこそであった。その「純粋」な善意は、かくて侵略主義と一体となりはてる。それはやはり悲劇というにふさわしい。……なぜ中国共産党の評価が高いのか。社会主義・共産主義を支持したからではない。毛沢東の革命がいわば、かれの久しく夢見てきた「王道楽土」を実現しつつあったからである。……かつての中国では、どうしても達成できなかったものが、毛沢東統治下の中国で、確かに現出した。その偉大な達成を果たしたはずの、同じ中国共産党が支配する今の中国を、地下の矢野に見せたらいったい何というだろうか。60-61p

★内藤湖南がはじめて世に問うた著作は、一八九七年一月刊行の『近世文学史論』。数え三十二歳の作で、徳川日本の学問文化をとりあげたものである。それがいかに上方で興り栄えたか、そして三百年間を通じて、どのように江戸へ波及し、江戸文化を形成したかを、余蘊なく論じる。……この「近世」とは現代に直接する過去という意味であって、この書物もしたがって、遠い昔の文化史ではない。75p

★内藤湖南の「応仁の乱について」

 だいたい今日のに日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っておれば、それで日本歴史は十分だといっていいのであります。(『東洋文化史』)76p

★「唐宋変革論」とは、……唐代までを貴族が支配的だった「中世」の時代、宋代以後は「平民」の勃興した「近世」だとする、内藤湖南の代表的な持論にもとづいた学説である。かれの中国「近世」論そのものをさすことも少なくない。86p

★内藤湖南が時代を区分し、体系化をほどこした「東洋史」は、中国の文化を基軸としていた。それは「民族」の観点からも適用できる学問枠組みとなり、現在に及んでいる。そこから湖南の学問は文化史といわれる。98p

★モースの「ギルド」論、ひいてはその根幹を読み誤った西洋基準を前提にするのは、湖南・矢野より下、橘以降の世代に共通してみられる現象であり、それは日本におけるる西洋式アカデミズムの確立と普及、その裏返しの「支那通」離れ・軽視の高まりとも、揆を一にしている。……石橋湛山の「中国観」を生んだのと同じ知的土壌といってよい。147p

★「樸学」(ぼくがく)という漢語がある。本来の字義としては、いにしえの素朴な学問、という意味で、具体的には、漢王朝の時代の原始儒教のことであった。しかし下っては、もっぱら中国の清代考証学のことを指す。それが漢代の儒教を研究の中心としていたのであって、二〇世紀のはじめにもなお実在し、少なからぬ成果を上げていたものである。176p

★近代日本の眼に映った中国像は、多種多様だった。それは「支那通」と呼ばれた人々の出自・関心・対象が多岐にわたったことと並行する現象である。軍人もいれば、文人もいた。半ばいかがわしい「大陸浪人」も含まれる。206p

★学説や理論・知識は、すべからく外来語で表現し立論すべし。古くは、漢語、新しくはカタカナ語の概念、いまならさしずめ、英語のプレゼンだろうか。それを駆使すれば、とりもなおさず知的であるとみなす「知識人」がおびただしい。それぞれ明治の「支那通」と対象のアカデミズム・インテリにあたる。外来の難解な漢字・漢文で知性をつくりあげてきた日本人の歴史的習癖であって、かつての漢学・漢語が横文字に置き換わっただけ、知の組成・体質はいま現在も、変わっていない。おそらく東洋学・中国学にとどまらず、また文系・理系を問わず、あらゆる分野でまったく同断であろう。……中国という対象は、きわめて難解なのである。日本人はそんな隣人と未来永劫つきあっていかなければならない。かつて「単純な一片の理屈を振りかざし」た結末は、周知の侵略と破局だった。それでも「友好」「反日」「嫌中」……御題目とレッテル貼りで騒いでいるのだが、遺憾ながら現状である。中国とその社会、そのしくみと動きを、借り物の思想・概念で断ずるのではなく、自分の目でじっくり、しっかりみつめてゆくこと。近代の不幸な関係のなか、中国をみつめてきた先人の経験は、まずはただそれだけに取り組み、それだけを成し遂げるよう、われわれに託しているように思えてならない。210-211p

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2018年10月15日月曜日

『もうレシピ本はいらない』

 稲垣えみ子の『もうレシピ本はいらない』、サブタイトルとして「人生を救う最強の食卓」(マガジンハウス、2017年)を読んだ。1日の食費600円(1食あたり200円)で冷蔵庫ナシの生活は真似しようにもできそうにない。元朝日新聞記者の著者は50才を過ぎて会社を辞める。それに伴って生活をスリムにする。その底辺には収入に見合う生活があった!?冷蔵庫がない生活、これがこの本の最大のテーマかもしれない。それゆえ、野菜はすべてともいえるほど干し野菜にする。食事の大半は玄米食とお味噌汁。この味噌談義も本のページを割く。

 ヒトが生きていく上での生活スタイルはヒトそれぞれ。外野がどうこういうことではない。誰もができないモノ、コトだから本になる。並の考えでは本にはならない。ネットで見るとAERAがシリーズで稲垣えみ子の記事を掲載中。これも興味を持って読もう。

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 以下は本からの抜粋。

★高額のお金も、広い台所も、華麗なる調理道具も。特別な技能や才能も、そうそのいずれもなーんにもなくたって、自分が心からおいしいと思う食事を、誰に頼ることもなく、超短時間でウッシッシと作り、生涯にわたって延々と食べ続けることができる。そんな自分を作り上げることにまんまと成功したのです。……それは私です。イナガキは最強なのであります。25-26p

★豪華なものは飽きるのだ。つまりは、「美味しすぎるもの」は飽きるのである。38p

★自立するということ。自分の足で立つということ。それはしんどいこともあるけれど、誰もが本当はものすごく憧れているに違いない。なぜならばそれはつまるところ、自立することができれば、自分に自信が湧いてくるからだ。何があってもなんとかなる。自分の力で生きていける。それって自由だし、かっこいい。何より自分自身が気持ちいい。で、自立って、つまるところ自分の力で食っていくことです。……だから、レッツ料理。260-261p

★料理は自由への扉だ。だから自分で自分の人生を歩きたければ、誰もが料理をすべきなのである。男も、女も、子供も。自分で料理をする力を失ってはならない。それは自らの自由を投げ捨てる行為である。268p

2018年10月14日日曜日

6年目に突入した日本画

 「ナニゴトもいいことは長く続かない」、母からいつも聞いていたこの言葉。いいお天気は長く続くかどうか。ともあれこれから先もしばらくは秋晴れのお天気が続きそうだ。一昨日、図書館からの帰り、踏切の遮断機が下りている。それも長く下りたままだ。それもそのはず、3か月ぶりにJR貨物が通過する。コンテナの数は48個だった。新聞によるとJR貨物の9割が運行されるという。ようやく災害前の生活にもどりそうだ。

 日本画作品展後の教室は絵を習って6年目に突入する。あっという間に5年が過ぎた。絵がうまくなった気配はない。しかし美術館や画廊に出かける癖がついた。絵を習う前から、苦手意識のあった絵。美術館友の会に入り、なるべく絵を見るようにしよう、との思いはあった。

 絵を見れば見るほどどんな絵が好きかわかりだす。これは音楽もそうだ。長く広響の定演を聞いていると音楽に対する好き嫌いが増してくる。美学の講座で先生は絵の良し悪しは好き嫌いで決まる、と話された。そう思えば音楽も当てはまるかもしれない。

 昨日の教室では大きな食べられない無花果の巨木の色付けをする。しばらくは巨木というか樹木ばかりを描くつもり。大きな無花果の葉を点、点で描いていく。水干絵具を膠で混ぜる際、あまりにも鮮やかな黄緑を溶いた。どう見ても鮮やか過ぎる。先生に決めてもらった黒っぽい色を混ぜて点描写していく。その前に向う岸の葉っぱを色付けする。先生のアドバイス通りに点描写すると自分が思うよりもうまく描ける。ここで感動している場合じゃない、と思ってもついつい眺めながらの自己満足。いつもながらこの心境にならなければ絵も続けて習えない。これでいい、とまた自己満足。

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2018年10月13日土曜日

今月の日経新聞「私の履歴書」から

 まさに今朝はこれぞ秋!清々しい朝を迎える。図書館に出かけて日経新聞を見ると今月の「私の履歴書」はヴァイオリニストの前橋汀子の記事がある。前回は5日まで読み、まとめて昨日までを読む。記事に登場する音楽家の名前は世界を股にかけた人の名が並ぶ。以前『私のヴァイオリン』という前橋の本を読んだことがある。当然それと似たような記事だが、それにしてもヴァイオリンを弾くために生まれてきたような人生を歩んでいる。昨日読んだ記事の中にはロシア語は大人の男性ばかりに交じって1人中学生が日ソ協会で学んでいる。ロシアでヴァイオリンを学ぶという憧れを子供心に抱いていたとは恐れ入る。どの個所を読んでも並の人ではない。学校の進路でも途中から自分で考えて親に相談なく行動に移す。

 何かで名を成す人はすべての発想が凡人とは異なっている。そうでなければ人より上には行かれないのだろう。前橋汀子のヴァイオリンをどんなきっかけで聞くようになったのかは忘れたが、2,3度聞いている。とにかく「華がある人」という印象が強い。

 ヴァイオリニスト、この響きがいい。前橋汀子以外にも、天満敦子、古澤巌、堀米ゆず子…のヴァイオリン演奏を聞いている。この秋は広響で諏訪内晶子がゲストで演奏する予定で、これは楽しみ!他に何を習いたいかと問われればヴァイオリン、と言いたい。ところが、これは実現不可能だろう。それでも習ってみたい。

 ヴァイオリンを習うかどうかは兎も角としても、生きているうちに何か一つこれまでやっていないことをやりそうな気がする。それはさてさて…。我ながら何をし始めるか楽しみなところでもある。

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2018年10月12日金曜日

自転車&水泳

 今朝は秋を感じる。最低気温13度、と冷え込んだ。この先1週間のお天気は晴れの日が続くようだ。先日、市に依頼した大型ゴミは16日の火曜日に取りに来てくれるという。当日の予報は曇り空。布団と毛布をゴミとして出すので晴れてもらわないと困る。

 1昨日、大型ゴミを出すチケットを購入しようと生協に出かける。図書館経由で生協に着くとチケット購入はすっかり忘れている。帰りに近所の人と出会うと「何で生協へ?」と聞かれてもまだ気づかない。夕飯を食べてやっと生協へ行く目的に気づく。市に予約してもチケットを貼り付けないと受け付けてもらえない。昨日は再度、生協へ出かけてチケット購入。この大型ゴミ、他に2階のモノもある。これも少しずつ降ろしてゴミとして出すしかない。

 親を介護する際、1部屋をお風呂と洗面所に改装した。その際、古いタンスや机など大部分を処分した。今になって思えばそのことも親のためではなく自分自身のことになっている。いろいろとその頃を想うと母は最後の力を振り絞って娘のことを考えてくれたようだ。そう思う度に親のありがたさを感じる。今、こうやっておれるのも親のお蔭かもしれない。

 話は変わって昨日のプール。数日、疲れを感じていた。昨日は小雨降る中、自転車でプールに出かける。雨降りのプール。プールの天井は天窓ふうになっている。そのためプールの真上には電燈がない。横からの電気の明かりで泳ぐ。途中明るくなる。雨も止んだようだ。

 午後2時のプール。見知らぬ人から「午前のプールがいい」と言われる。とっさに出た言葉は「午前は嫌な輩がいる」と言ってしまった。どうもプールでは有名人のようだ。人の好き嫌いが激しい。これも困ったこと。他にも怪我の話をする人もいる。いつまでも話し続けると体が冷えてくる。適当に話すのをやめて泳ぎ続ける。いつもの如く泳いだ後は気分がいい。自転車に乗れる間はプールで泳げそうだ。この2つは自分のなかではセットになる。自転車と水泳、いつまでも続けよう!

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2018年10月11日木曜日

旅のカタログから

 定期検診で出かける眼科。昨日の眼圧は13と16。平日の眼科、というかどこでもそうだけど爺婆ばかりが目に付く。昼間に出かけるスーパーも同じような光景が見られる。この頃は買い物も女性だけでなく爺様1人も多い。どういっても幅を聞かせているのは団塊の世代。この世代は日本の高齢化をリードし、消費においてもターゲットになる!?

 昨日届いた関西のJ〇Bの旅のカタログ。これは旅の通販で同じ会社の旅をランク付けする。それはプレミアム版。団塊の世代も古希前後に達する。それを当て込んでか、国内の旅であっても海外並みに旅費が高い。何かを記念する旅として売りこめば、すぐに飛びつく利用者が多いことによるのだろう。

 ナニゴトもそうだけど記念日というものに縁がない。定年退職記念、還暦祝い、古希の祝い…の記念の旅とすれば、また人さまにそう話せばそういう旅になるだけのこと。何度も旅を重ねていればわざわざ特別に名づけることもない。とはいっても海外旅行をし始めてから来年になると50回目の記念すべき回に達しそうだ。海外旅行1回目は1986年8月、今から32年前になる。途中、9年間のブランクを経て旅を再開して丸7年。回数から言えばブランク後の方が1年に出かける海外旅行の頻度は高い。ブランク前は勤務していたのでお盆、お正月、GW などに出かけていた。そのため、旅費は当然高い。また辺境の地を優先して出かけたことも高い要因になる。

 命に係わるトラブルもなく、楽しい旅を続けてこられた。これからは今まで通り元気で楽しく旅を続けられるかどうかの先は読めない。それでも某交流会の人たちや旅好きの人は何歳になってもパスポートを10年ごとに更新されている。そしてお元気に旅を続けておられる。それを見倣ってこれまで通りの旅を続けよう。それには気力と体力が欠かせない!

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2018年10月10日水曜日

ボロディンの弦楽四重奏第2番&秋の日本画展


 新たにさらう曲はボロディンの🎵ノットゥルノ「弦楽四重奏」より🎵。曲の中ごろには頻繁にトリルが出る。正規の指で吹くトリルもあればそうでないのもある。レッスンで習った替え指。忘れないうちに吹く個所を替え指で練習しよう。この曲は譜面を見た感じでは吹き易そうに思えた。ところがさらうにはかなりの日数を要しそうだ。ともあれ、練習するしかない!

 レッスン後、某金融機関の秋の日本画展に出かける。絵を見に行くのにかなり逡巡する。というのは先日の作品展に出した絵2点を受け取りに画材屋へ行く予定がある。思い切ってまずは日本画展に向かう。「日本の美、燦々と。」と題された展覧会。どういっても金融機関が院展などに出品された作品を買い上げ、それらを展示している。並の画家でなく、一流の画家たちの絵が並ぶ。この絵を見た後では作品展は見られそうもない。それくらいどの絵も素晴らしいの一言に尽きる。

 ここでいただく美味しいお茶。昨日は画材屋へ急ぐあまり、お茶をいただく時間がない。しばらく歩いて画材屋へ到着。本来ならば2点の絵を家まで送ってもらうところを今回は受け取って帰る。家で絵を開封する。これはかなり大変。6号の絵で草臥れていては大きな絵は描けない。それくらい額縁が大きくて重い。次の日本画作品展からは6号と小さいサムホールの2点で出品、これがいいかもしれない。

 それにしても日本画の人は皆さんお元気。86歳が2人おられて、搬入、搬出も当番も皆と同じようにされた。うち1人は話を聞くと日本画歴30年で先生が教室を立ち上げた時からのメンバーだそうだ。そういう人たちが何人かおられるようだ。また詩吟を習われたり、ボランティアで食事の配送をご自分が車を運転してされている。86歳で車を運転するだけでも素晴らしい。その上、旦那さんが1年半前に亡くなられて1人暮らしだそうだ。背筋はしゃんとしてとても86歳とは思えない。他にも驚いたのは視力が1.5だそうだ。遠くからでも展示してある画のタイトルが読めるという。絵を5年習っていて今年初めてお話した。世の中、身近なところに素晴らしい人がいらっしゃる。

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2018年10月9日火曜日

「人生が変わる『断捨離(R)思考』」から

 昨日のダグニーさんは公共図書館で講演をされている。ブログの最後に「世界のもっとも古いブロガーだけでなく、世界で最も写真写りの老婦人を自慢できます。私は写真の笑顔を練習している、それが動作します。図書館から家に帰る途中の木々 の紅葉を鑑賞する時間があった。今緑である非常に少数の木があります。ほとんどは、黄金になる葉を持っています。それは彼らが彼らは葉を落とす前に、imaximalt が点灯したかったかのようです。8/9 2018」とある。(日本語翻訳機能使用)尚、この日のブログタイトルは「葉沈殿時間」。

 この中の世界で一番年齢を経たブロガーであり、一番年老いた女性の写真を自慢されている。また老いることを樹木の紅葉し果てる様子に照らしている。
 ”imaximalt ”は翻訳されず、意味がつかめない。だがブログのタイトルからすると赤く染まった葉っぱが枯れ落ちるまでには一瞬の美しさを保ち続けるのをご自分に照らして鑑賞されたのだろう。ブログの画面には黄色い美しい花が添えてある。

 話は変わってネット記事を見ると相変わらず断捨離の話題がある。以前よりは鳴りを潜めた感がある断捨離。わが家も昨日は大型ゴミに出す布団と毛布を出しやすい場所に移動する。「断捨離」はあまり好きな言葉ではない。断捨離はモノだけでなく、コト・ヒトも当てはまる。心に負担になる煩わしいモノ・ヒト・コトは断捨離する、これに尽きそうだ。そうしないとそういった煩わしさがストレスとなり、これは体に良くない。そういう意味での断捨離は言葉としてはいい表現になるかもしれない。すべてはフットワークよろしく身軽にする。これに尽きる!?https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181008-00003194-thankyu-life (参照)

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2018年10月8日月曜日

某合唱団定期演奏会に出かける

 西日本豪雨災害から3か月が過ぎた。未だにJRは本来のダイヤで運行されず、貨物列車も当然走っていない。地盤の緩い箇所は徐行運転らしく、まだまだ本来の運行にはほど遠い。そんな矢先、昨日も尾道からの某合唱団演奏会助っ人組は西高屋駅辺りで列車が止まったまま、との情報が入る。何とか演奏会には間に合って良かった。だが、いつ何が起こるかわからない。

 某合唱団の定演はもらったプログラムによると今年で第26回定期演奏会とある。フルートを習い始めて以来、この合唱団の演奏を聞くようになった。プログラムの演奏者名簿を見ると5分の1とはスペイン旅行に参加した人たちで顔見知り。昨日もそのうちの数人から来年予定されているらしいポーランドとポルトガルの旅に誘われる。どちらも出かけた国。行く行かないは別にしても声をかけてもらえるのは有難い。

 プログラムによると「『レクイエム』は『死者のためのミサ曲』もしくは『鎮魂曲』とも言われ、文字通り亡くなられた人の魂を鎮めるために書かれた音楽です。しかしフォーレの『レクイエム』でかなしみを静かに湛えている音楽は、まるで残された私たちの魂を慰めるため、救おうとするためにここに在るかのように響きます」と書いてある。

 演奏会の曲目はそのフォーレの曲とサンサーンス作曲のレクイエムやパイプオルガン独奏もあった。いずれにしても厳かな曲ばかりで盛況のうちに終わる。

 平生如何に楽に生活していることか。この1週間のハードスケジュールで思い知らされる。というか、日本画作品展も演奏会も人が多く集まる。これに圧倒されて草臥れ果てるのだろう。今日から気分を入れ替えて新たな秋が始まる!

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2018年10月7日日曜日

日本画作品展終わる&春の院展

 この5年間、習っているフルートと日本画の行事が秋のある1週間に集中していた。ところが今年は9月と10月に分散し、いくぶん気が楽になる。ところが毎年ある某合唱団の演奏会が10月になる。今年の日本画展は5日間の開催が4日間になった。例年通り5日であれば合唱団の定演とぶつかる。定演と言えば今日は広響の定期演奏会。しかし、某合唱団の受付の手伝い優先で広響は聞けそうにない。

 芸術の秋、何かと気ぜわしい1週間が今日で終わろうとしている。昨日は日本画展の最終日。午後4時の搬出までそごうで開催中の春の院展を見る。家を出ようとすると台風25号の影響で可部線の運行中止がテレビの速報に出る。強風のためらしい。こんな中、自宅最寄り駅まで家と家の間を風をよけて歩いて向かう。何とかJRに乗って広島駅まで到着。JRの混乱は帰宅の時がひどかった。最寄り駅まではJRは運行されても、西日本豪雨の時と同じくそれ以降の駅は運行不能だった。今朝、ネットで調べるとすべての列車の遅れはないようだ。そういえば、昨日届いたNHKの書類に「受信料免除」の知らせがある。わが家は被害がなくても住んでいる地区が被害に遭えば全世帯免除されるようだ。これは初めての経験で免除期間も決まっている。

 さて春の院展、絵を見ても音楽を聴いても派手さがあるよりも一見地味に見えるモノ・コトに惹かれる。これはヒトの場合もそうだ。派手さはなくてもその中に秘めた強い気持ち、これに惹かれる。自分自身もそういう風でありたい。昨日も一番に惹かれたのは谷善徳の「春水」。画面一面茶色っぽい。しかし何かを訴えている絵。これがいい。同人の人の絵はどれも素晴らしい。なかでも福王寺一彦「三日月」、清水達三「百剣山渓谷」、倉島重友「春の水」は特にいい。他にも一般から石村雅幸「宮守」、山内喬之「冬ざるる」が気に入る。これらは院展のHPでも見ることができるのでメモとして名前を記そう。

 自分たちの作品展終了後、5人でそごうの2階のカフェに入る。改装されてカフェがきれいになっている。新しく入った人は「大人のお店」と話したけど確かに落ち着くお店だった。後日、別の場所で打ち上げがあるらしく、その時はまた絵の話題で持ちあがりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年10月5日金曜日

『しょせん幸せなんて自己申告。』

 2002年9月、会社をリストラされて早くも丸16年が過ぎた。この間は一番濃密な人生を過ごした、との思いがある。そうでなくては会社を辞めた意味がない。とはいっても悪いことに由る早期リタイアではない。この辺りは、はっきり書かなくては誤解を招く。

 ともあれ、長年の会社勤めを終えて新たな人生を歩む。もしもリストラという運命に合わなければ今ほど動き回っていたかどうか怪しい限り。動き回るお蔭で元気なのだろう。また会社から離れると勤めていた時のようなストレスがない。これもありがたい。勤めることは勤務している時間の人生を切り売りしているようなものだ。ナニモノにも束縛されない、すべてが自分の時間。これはどういっても幸せなコト。

 一昨日、日本画作品展で4時間ほど当番をする。この時間の長いこと。如何に平常自由に過ごしていることかがよくわかる。以前、海外の旅に出て(海外旅行をし始めの頃で今よりも随分若かった)添乗員はいいことを話した。旅に出ることはすべてが自分の時間。これは幸せなことだと。その言葉を聞いた時、いいことを言う添乗員と思った。時間は大事に使いたい!

 起床後のお天気も台風25号の影響で怪しくなりつつある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『しょせん幸せなんて自己申告。』(綾小路きみまろ 朝日新聞出版、2017年)からの抜粋。この本のタイトル通り、「しょせん幸せなんて自己申告」、そう感じる。自分で幸せと感じずに誰がそういってくれよう!?

★私はいつも富士山の美しさに心魅かれます。なぜ美しいかといえば、孤独だからです。富士山は独立峰なんですね。ほかに山も何もないところに、一人ですとんと立っている。だからごまかしもきかないし、嘘もつけない。人間関係に疲れたときは、その潔さに心が洗われる気がします。…誰もが独自の人生を、独自の孤独を抱えながら生きている。富士山と同じように、それぞれの人生が、一つの世界遺産みたいなものなのかもしれません。97p

新・伊勢神宮と南紀ぐるり周遊2日間の旅

 「新・伊勢神宮と南紀ぐるり周遊2日間」の旅に参加する。タイトルの上面には「リニューアルしました!国産伊勢海老付きの選べる夕食をお楽しみ!」とある。旅のカタログを見て南紀の熊野三山に惹かれて参加を決める。他にホテルの宿泊ランキングが総合で84点にも惹かれる。今回カタログを見て気づいたことはホテルの点数が表示されている宿はランクが上であり、食事も良い。これから旅の参加を決めるときの参考にしよう。また、1人参加追加料金(今回は8000円)が発生する国内の旅はなるべく参加しない。この2点に気を付けよう。あれこれ書いていると文が長くなりそうなので写真を主にしてアップしよう。

 第1日目 2018年9月27日(木)晴れ 広島🚄新大阪🚌伊勢神宮🚌鳥羽

 9月27日(木)~28日(金)の2日間、伊勢神宮と南紀ぐるり周遊の旅に出かける。参加者は25名。大半は夫婦連れの参加者でその中に1人参加する。広島駅8時35分発のぞみ8号で新大阪まで乗車する。新大阪駅10時10分着後、貸し切りバスに乗り替え、西名阪自動車道を通って名阪関ドライブイン到着。ここで松阪牛すき焼きの昼食をいただく。ドライブインのお店の入り口でカープ優勝記念の看板を目にする。お店はお好み焼き屋で広島と何かの縁があるのだろう。

 
Carp優勝記念のお店



 50分の食事休憩後、伊勢自動車を通って伊勢神宮を目指す。ところがバス運行上の都合なのか真珠店での買い物が先になる。このお店は前回、伊勢に来たときに入っていた。なぜお店に寄るのか知らないが購買意欲はわかない。30分、店内にいて伊勢神宮外宮にバスで移動。このバスは大型バスだが観光客は25名。座席は割り当てられて夫婦で仲良く座られている。これが外国旅行だったら、そして席が空いていれば間違いなく一人ずつ座る。国内旅行と外国旅行の違いを垣間見る。

伊勢神宮外宮


伊勢神宮外宮入り口

 伊勢神宮外宮を参拝後、集合時刻まで時間がある。ガイドは亀石の橋を渡るとすぐ近くに風宮などがあるという。まずは近年、若者でブームのパワースポットから歩き始める。
伊勢神宮外宮鳥居

生命力あふれる伊勢神宮の樹木

近年のパワースポット

 伊勢神宮外宮近くのパワースポット、縄で周りを囲んでいる。近づくと熱いパワーが出ているらしい。気のせいか熱い気もしたが…。さてさて。
亀石

 亀石の小さな橋を渡って多賀宮、土宮、風宮を目指す。この3か所は各自で参拝。すぐそば、と聞いていたがかなり上まで歩く。途中、若い女性に声をかけるとひとり旅だった。先に参拝済みらしく、上までついてきてくれるという。道がわかったところで別れる。ということで上にある多賀宮→土宮→風宮の順に参拝。
多賀宮に続く階段
 

 階段を上がっても多賀宮まではさらに階段が続く。多賀宮参拝後、階段を下りて土宮、風宮を参拝。前を歩いていると伊勢神宮を警護(?)する人たちを目にする。
多賀宮

土宮

風宮

 伊勢神宮を警護する人たち(?)

 伊勢神宮外宮境内にはたくさんの巨木がある。樹木には生命が宿っている。もしかして「画になる}と思って写真をとる。
伊勢神宮外宮内の巨木


境内の巨木
伊勢神宮内宮

 内宮参拝の前に五十鈴川御手洗場で身を清めるために手を洗う。内宮の正宮参拝後、神が現れた状態を表すという荒祭宮に参拝する。参拝後ははおはらい町散歩マップを持ってツアーの人たちとお土産屋を歩く。この日の携帯万歩計は11754歩とよく歩いた。
五十鈴川御手洗場

内宮の巨木

荒祭宮

五十鈴川にかかる浦田橋からの眺め

 1日目の宿は南紀勝浦温泉ホテルアルティア鳥羽。全室オーシャンヴューの部屋らしく、翌朝の朝日はまぶしいほどのいいお天気だった。ホテルの夕食は国産伊勢海老付きで和食か洋食かのどちらかが選べる。ここは洋風でいただく。

セッティングされた夕食
小さい白いのは水を加えるとお手拭きになる

近海カンパチとホタテと海老のクリュ
有機野菜のマリアージュポタジェ風
すだちのヴィネグレット

秋の味覚 カボチャの温かいスープ

アオサのパンとクルミパン

ウェーターが教えてくれた厨房
実際は写真よりも広く見える

 ホテルのレストランで1人で食事をいただく。この心境はいかがなものか。自分自身に興味がわく。係りに案内されてテーブルに着く。1人を考慮してくれたのか何とも親切な応対に驚いてしまう。生まれてこの方、食事に出かけてこれほどの感銘を受けたことがあるだろうか。パンが運ばれてきたころ、厨房の案内をされる。先日テレビで帝国ホテルの厨房を見た。生まれて初めての経験で思わず「ブログにアップするのはOK?」と問うと大丈夫とのことでアップしよう。テレビの中で旅先で有名人が1人食事をする場面がある、これを見ていつも食事後の係りとのやり取りを興味深く見ていた。今回の食事はまさに1人。1皿ずつ料理が運ばれ、お皿を片付ける度に料理の感想を聞かれて「美味しい!」を連発。
天使の海老と天然の真鯛のポワレ
フロマージュのリゾット
海の魚介のサフラン風味のソース
ブールフォンデュ仕立て

 料理の「天使の海老の意味が解りますか」と聞かれる。天使の海老とは天国に一番近い島であるニューカレドニア産の海老だからその名がついたとか。若い頃、天国に一番近い島ニューカレドニアが人気を博した。今はその作家は亡くなり、若い人はこのことを知らないかもしれない。
伊勢海老の蒸し焼き
ビスク仕立て 自家菜園のハーブをのせて

 和食と洋食が選べる食事でツアーの人は伊勢海老は和食だけに付くと思われた人もいたようだ。だが、洋風でも伊勢海老は付く。係りは食事前にそのことを告げた。海老の足の部分の下に大きな身があった。
オレンジのグラニテ
これはお口直しらしい。
パンにつけるオリーブオイルと調味料
そしてお皿

 食事後に、上の小さいお皿は何に使うのか気になる。係りに問うとオリーブオイルを入れるお皿だった。外国ではパン皿の中にオリーブオイルを入れていた。そう話すとそれでもOKとのこと。何でも知らないことは聞くに限る。
桜島鳥のサルティンポッカ風クラピネット包み
じゃがいものリヨネーズとプチレギューム
グリーンマスタードのソース
 

 ”サルティンポッカ”はイタリア語だそうで「口に放り込む」の意らしい。もうこの辺りになるとお腹がいっぱいになる。それでも美味しくいただく。
シェフ特製デザート3種から選んだのは
洋ナシのムースとグレープフルーツのジュレ
季節のフルーツと苺のソース

 テーブルに置いてある今夜のメニュー。その下には小さい文字で「今後も新たな地元食材を見つけては取り入れて新しい料理を創っていきたく思います。ごゆっくりとお召し上がりください」と書いてある。本当に1時間半かけてゆっくりと料理をいただく。これもすべては係りの人の親切な応対と料理の美味しさにある!
食後のコーヒー

 1人でいただく美味しい料理。本当に美味しかった。そして自分がどんな心境になるのか興味があった。ナニゴトも「案ずるより生むが易し」で楽しいうちに夕食を終える。興奮冷めやらぬうちに大浴場へ行く。隣の人に料理の美味しさを自分たちのツアーの人とばかり思って話すと違っていた。違っていても何とレストランで隣の席に座っておられたという。息子夫婦がそれぞれの両親を招待してくれて計6人の旅だそうだ。いい人だった。今宵のホテルはホテルアルティア鳥羽。

 第2日目 2018年9月28日(金)快晴 鳥羽🚌七里御浜(車窓見学)🚌熊野三山🚌紀伊田辺駅🚃新大阪🚄広島

 8時にバスはホテルを出発。出発前、ホテルの部屋から外を見ると鳥羽の海が見渡せる。雲一つない真っ青な空で今日も楽しい旅となりそうだ。
ホテルのベランダから鳥羽湾を見渡す

ホテルアルティア鳥羽

ホテル入口横

ホテルの部屋から

ホテルの部屋から
熊野速玉神社(世界遺産)
 
世界平和を祈る柳の御神木

熊野速玉神社

荘厳な朱塗りの本殿

もうで餅購入
ブログにアップすると話すとかしこまって写真に写る
しかし顔はアップしないと告げた

 伊勢・南紀のお土産はバス車内で注文を募る。注文を取った後、神社の境内に「もうで餅」のお土産と紀州みかんを売っていると教えてくれる。もうで餅を見つけて購入する。その時、売っているお婆さんにこの様子をブログにアップすると話すとOKだった。顔はアップしないと言ったけどかしこまって写真に収まってもらった。感謝!

購入したもうで餅

車内でいただいた昼食のお弁当

お弁当のメニュー


 バス車内での食事は何とも落ち着かない。また、食事後すぐに歩くのも体によくない。これからの旅は弁当でなくお店で食べるツアーにしよう。
なでしこジャパンの足跡の碑

選手の足跡があった

 大門坂(世界遺産)

 大門坂は歴史ある佇まいの石畳みの道で今回はその3分の1を歩く。人は上る時よりも下りに怪我をするらしく、日程表を変更しての観光となる。古い石畳の階段は結構きつい。途中何度か休みながら登る。
ここから歩く。結構きつい坂で息切れがする

大門坂に上る途中のお店

うっそうとした古い坂を歩く

大門坂

まだまだ坂道は続く
大門坂を歩く
この坂は絵になるがゆっくり立ち止まって写真を撮れない
那智の滝(世界遺産)&飛瀧神社
那智御滝  飛瀧神社案内板

那智の滝

飛瀧神社境内から見る那智の滝


飛瀧(ひろう)神社
那智大社の別宮で滝そのものがご神体
 

那智の滝
瀧の落差は133m

那智の滝

飛瀧神社から那智神社までの階段は133段

那智の滝案内板
那智大社への道

碁石の産地らしい

白い碁石は貝殻からつくるという

 熊野那智大社(世界遺産)
熊野那智大社

熊野那智大社手水口

道中に咲く花

道中で見た花

那智大社掲示板

今年の干支の犬が描かれた大きな絵馬

熊野那智大社


工事中の那智大社

熊野那智大社

那智大社から見る下界
 青岸渡寺

 熊野那智大社のすぐそばに青岸渡寺がある。熊野那智大社まで登って、そばにある青岸渡寺参拝後、急な階段を降りる。
那智大社のすぐそばにある青岸渡寺

青岸渡寺

青岸渡寺から見る那智の滝

クスノキの案内板


境内にある樹齢約700年のクスノキ

青岸渡寺を下る急な階段

階段を降りる途中にあった郵便局

青岸渡寺の帰り道

バス車窓から見る熊野川
熊野本宮大社(世界遺産) 全国熊野神社総本山

 
熊野本宮大社への道

熊野本宮大社入り口の狛犬

熊野本宮大社への道

熊野本宮大社 横に長いため全景を写し切れない

熊野本宮大社にあるポスト掲示板


熊野本宮大社ポスト掲示板

熊野本宮大社にあるポスト

 「このポストから母宛に手紙を出すと届く?」と冗談で聞くと「届く!」とのこと。天国へは手紙を燃やして、それが煙となって届くらしい。こう話されたのは「叶」の意味を「10回ほど口にすればモノ・コトが叶う」と教えて下さった廿日市からの参加者。他にも日本一の鳥居の行き先も教えてもらった。感謝!

10回口に出せば叶うらしい
廿日市市から来られた参加者からそう教えていただく

本来の熊野本宮大社の日本一の鳥居があった場所への案内


日本一の鳥居
バスの車内案内で寝ていた
この鳥居のことは観光中に教えてもらう
中国人や西洋人、そして中国からの僧侶らしき人も数人見かけた

すれ違いざまの人から教えられて見に行く

遠くから見る鳥居

晴天に映える緑の一面
絵になる!?

彦田社掲示板

彦田社

日本一の鳥居を目指す

日本一の鳥居掲示板

鳥居への道

日本一の鳥居の世界遺産標識

日本一の鳥居の手水口

日本一の鳥居の土台
ものすごく大きかった!

日本一の鳥居付近の光景

日本一の鳥居付近の光景

 熊野本宮大社の古い日本一の鳥居を見学する前、バスで寝ていて話を聞いていない。熊野本宮大社参拝後、時間がある。廿日市から来られた人に鳥居の話を教えてもらう。これは近くまで行かねばならないと急いで出かける。その前に鳥居付近にある彦田社を参拝。外国人、特に中国人や西洋人の観光客を目にする。なかでも中国の僧侶なのか袈裟を纏った人も何人かすれ違う。2日目の携帯万歩計は11123歩。よく歩いた。大鳥居を見た後、バスに戻ろうとする。だが、バスが見えない。すれ違いざまの夫婦に聞くと「紫のバスね」と探してくださる。少しするとバスが止まっているとわざわざ知らせてもらう。あまりにもいい人たちなので「優勝したよ」とCarpの話をすると意味が解らない様子。ここは南紀熊野。広島ではない。たち話をすると埼玉人らしく西武ファンという。束の間の野球談議をして別れる。

 全ての観光を終えてバスは紀伊田辺駅に向かう。何とものんびりとした駅で特急くろしお32号を待つ。まるで貸し切り列車の如く乗客は少ない。新大阪駅に向かうが天王寺駅近くになって列車が止まったり、ノロノロ運転となる。これでは予定の新幹線には間に合いそうにない。案の定、間に合わず、新大阪駅で1時間半くらい指定席購入まで待つ。こういう経験は日本国内ではあまりないので驚く。それでも何とかその日のうちに広島駅について楽しい旅を終える。やっぱり旅はいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう !