一昨日、お寺へ春のお彼岸法要の塔婆を一日遅れで取りに行く。昨日はそれをもってお墓へ参る。お墓に参るのは嫌ではない。ところが我が家と関係あるお寺へ参るのは抵抗がある。それでもお墓の後ろに立てかけている古い塔婆2本をもって再度、お寺へ出向く。古い塔婆はお寺で処分される。
今朝、ふと思った。親を介護している時は我が人生で一番頑張った時期。まだ数年前のことなのに塔婆を受け取りに年3度(春・秋のお彼岸とお盆)もお寺へ行っていたのだろうか。塔婆は長すぎて自転車に持って乗れない。時間に追われた7年の日々。今ではお寺に関するこういったことを全く覚えていない。ただ、親を介護していた時、毎月参ってくださる父の月参りは介護優先でお寺に断りをお願いした。まずは生きているものが優先。そう思った。この判断は正しかった。もしも今でも月参りにお寺さんが来られるとしたらその方が優先して遊ぶことさえできなくなる。
お彼岸がくるたび、こういったことで罪作りなことよ、と思ってしまう。それでもやっぱり生きている本人が優先となる。これこそが罪作り?まあ、これも神様、仏様に大目に見てもらうことにしよう。
話は変わって昨夜のNHKの八丈島への旅番組。先日出かけた屋久島の旅の添乗員は八丈島の良さを教えてくれた。福岡空港から羽田、羽田から八丈島へは1時間のフライトだそうだ。のんびりしていいですよと話していた。何度か添乗したらしい。話を聞いていてまだまだ日本で行っていないところがたくさんあると気づく。もちろん八丈島も行ったことがない。
八丈島も屋久島同様、トビウオが有名らしい。このトビウオ、屋久島の旬はこれからで、刺身では食べず、焼いたり、揚げ物だったり、さつま揚げにしたりしていただいた。ところが八丈島では今が旬で、トビウオ一匹そのままをお刺身にして食べていた。魚はやっぱり生がいい。テレビを見ていてさぞかしトビウオのお刺身は美味しいだろうと思えてくる。
それにしても屋久島で食べたトビウオ。3度の食事に出てくる。それも大きな鯵くらいの大きさのトビウオが丸ごと一匹出る。他にもトビウオ尽くしで食卓に並ぶ。美味しい。それも4日も続くと、飽きてくる。我ながらなんと贅沢なことだろうとあきれる。
今朝は隣接する小学校の樹木から鶯の鳴き声を今春初めて聞く。某会の人のHPに鳥の鳴き声を「ぐぜり」と表現されている。この言葉もHPで初めて知る。お彼岸の時季も過ぎると本格的な春になり、鳥の鳴き声も頻繁に聞くことができるだろう。このお彼岸、「暑さ寒さも彼岸まで」、と季節の変わり目にも使われる。そしてあの世とこの世の境目にも使われる。誰がつくった言葉なのかお彼岸とはよく言ったものだ。
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