2017年3月3日金曜日

『欽ちゃんの、ボクは、ボケない大学生。』

 『欽ちゃんの、ボクは、ボケない大学生。』(萩本欽一 文藝春秋、2016年)を読んだ。どういっても73歳で駒澤大学に入学とは素晴らしい。若者に交じって大学生活を送られている。読んでいて笑いとペーソスに溢れる。これはいったいなぜ?欽ちゃんの人柄がそうさせる!?ともあれ、読みながらやっぱり大学生はいいなあと再度実感させられる。時は春、大学情報に目が離せない!どういっても頑張っている人の言葉には重みがある!

★年をとったらプラスマイナスゼロの生き方をしよう。忘れたっていいさ、忘れてもそのぶん新しいことを覚えればいいさ――。それが大学に行ってみようと思った理由だった。ぼくはね、「老人」という言葉が嫌いなの「老人」ではなく「年寄り」と呼ばれたい、という思いがある。だって、「老人」はただただ老けていく人と書くけれど、一方で「年寄り」という言葉は「年が寄ってくる」と書くでしょ?向うから寄ってくるものであれば、それを避けることができるんじゃないか。25p

★「大学には将来、お金を稼げるようになってから行けばいいからさ」とぼくが言ったときの、彼女(欽ちゃんの母親)のほっとした顔を思い出す。その意味では、ぼくが大学に行こうとするのは、遅すぎる親孝行っていう気持ちもあるんだ。34p

 「遅すぎる親孝行」とまではいかなくてもこの件はよくわかる。リストラ後に家でじっとしていては体に悪いと言って母は働くことはやめて放送大学で学ぶようにすすめてくれた。毎日ラジオを聞いていた母が仕入れた情報だった。学んだ先は放送大学でなく運良く入学できた地元の大学。6年後に修了証書を手にして母と記念に撮った写真は欽ちゃんのいうように「遅すぎる親孝行」になったかもしれない。

★「人生は勝つか逃げるかだ」 そんなふうに考えたほうが、人は幸せに生きられるんじゃないだろうか、ってね。人生にとって負けるという体験は、みんなが思うよりもずっと危険なものなんだ。だってさ、人は負け続けるうちに、その心にいつしか「別に負けてもいいや」という気持ちが染み付いてしまうから、そうなると勝てる戦いにも負けるようになってしまうよ。これは決して大学では教えてくれないことだけれど、若い友達にぼくが人生の先輩として伝えられることがあるとしたら、その生き方こそが世の中を最大限に楽しく生き抜くためのコツなんだよ、ってこと。112p

★コント55号も次に若い連中と始めた「欽ドン!」や「欽どこ」でも、その考え方は全く同じだった。自分が楽しいうちに逃げて、ぱっと別のことをやり始めちゃう。要するにそれがぼくの人生であり、貫いてきた生き方なんだね。117p

★学校でも仕事でも、毎日を楽しく生きるためには一つでも「嫌」を背負ってはダメだ。…それが自信のない試験に出ないぼくの理由でもあるんだ。…逃げてしまえば結果がないから、心には何も残らない。そうやって勝った試験だけを心に残していきたい。120-121p

★これを大学での日々に置き換えれば、教育というのは欠点をなくすことではなく、そんなふうに欠点を長所に変えることでもあるとぼくは思うんだ。163p

★何かをできないと感じるのは、その「何か」が苦手だということ。でも、考え方を少し変えると、苦手なことだからこそ、新しい何かが生み出される可能性がある、とそんなわけでぼくは思っている。181p

★「どんな世界にいても、ぼくらは成功や失敗をする。そのなかで何かを続けていく秘訣は、成功したときに喜ぶ時間を短くし、同じように失敗したときも悲しむ時間を短くすることだよ」それはプロフェッショナルであり続けるためのぼくの基本姿勢だった。199p

★要するに、喜びも悲しみも所詮は一時のこと。過ぎ去った過去にこだわらず、常に「次」へ気持ちをを最大限に持っていく人だけが、様々な世界で生き残っていくんだ。200p

★嫌な言葉は初めから聞かなかったことにして、避けてしまえばいい。そうすれば「嫌」にぶつからないでしょ。つまり自分が心地よいと感じた誰かの言葉に、導かれるように自分の行動を決めるんだ。239p

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