トラベル≒トラブルといわれるように旅にはトラブルがつきものだ。そんなトラブル続きの旅も楽しい旅に変わりなく、こういう経験も願ってできることではない。いつまでも記憶に残る旅となった。これから旅の話を始めよう!
第一日目 2016年10月22日(土) 広島✈上海🚌揚州 晴れのち曇り
広島空港に8時半集合。しかし、飛行機はいくら待っても飛び立つ気配がない。情報によると中国から到着するはずの飛行機はまだ中国から飛んでいないという。不安を隠し切れないまま空港で待機する。その結果は大幅な遅れとなる。各自¥1000の昼食用の金券が配られ、お昼を済ませる。これは初めての経験で初めて尽くしはその後も続く。
正午過ぎ、上海からの飛行機が到着するとの知らせが入る。定刻より4時間遅れ、出発ゲートも変更となって搭乗が始まる。機内食は軽食でヨーグルト、サンドウィッチ、フルーツ、お菓子などが出る。離陸後、飛行機は大きく揺れる。それも何度か揺れる。前日の地震も揺れが大きかったが、飛行機の揺れも大きい。
14時15分、上海到着(ここからは現地時刻表記。日本との時差は1時間遅れ)。気温22度、曇り。この日以降、日本に帰るまで太陽は拝めなかった。16時半、専用バスに乗って長いバスの旅が始まる。初日の揚州の夜の夕食は何と22時。日本時間では23時と遅い。長時間のバスの移動と遅い夕食でお腹は空いている。テーブルには26種類の美味しい料理が並ぶ。ほかにも麺類がある。この頃、日本シリーズでカープが日本ハムに3対1の勝利、と〇〇さんから朗報を聞く。皆でカープに乾杯!夕飯を終えると雨による高速道路での事故を怖れて慎重な運転となり、夜遅く無事ホテル到着。その時刻は深夜だった。揚州のホテルは皇冠暇日酒店。
広島空港で各自渡された金券 |
第二日目 2016年10月23日(日) 揚州🚌南京🚌杭州 雨
日付がずれての遅い就寝も午前6時起床と旅の朝は早い。バスは7時半にホテルを出発する。初日にずれ込んだ旅の日程は大幅にカットされて揚州の大明寺に向かう。車内で1万円≒628元を両替。揚州は昨年秋、広島県立美術館で開催された東山魁夷展でも馴染み深い。魁夷は鑑真和尚の故郷を唐招提寺の鑑真和上座像が安置される御影堂内の襖絵に「揚州薫風」として描いた。
大明寺は唐の高僧、鑑真和尚が住職を務めた日中交流の源である。鑑真和尚は聖武天皇の要請でたびたび日本へ渡航を試みるが失敗する。盲目となった鑑真和尚は日本において仏教徒の守るべき規律を伝えるために来日して唐招提寺を建立。その後、日本で亡くなる。1973年の日中国交回復後、揚州の大明寺に唐招提寺を模した鑑真紀念堂が建てられて鑑真座像も安置された。大明寺の門をくぐるとどこからともなく響き渡る読経の声がする。これは録音された音だった。
揚州はどこを観光しても街が新しくてきれい。聞くところによると15年前までは農地であったところを大通りに改めたという。中国では政治的な権力者の出身地が特別な街となって発展するそうだ。ここ揚州は江沢民の故郷で大発展するのも頷ける。揚州の特産は剃刀、歯ブラシ、漆などがあり、槐が市の花。大明寺の見学を終えて南京にある中山陵に向かう。途中、揚子江には一大都市をなす長い中洲がある。この上を潤揚大橋が架かる。この橋の名は揚州と鎮江を結ぶ鎮江大橋だった。ところが「江沢民を鎮める」との意から政治的考慮がされて潤揚大橋と名称は変わる。
1時間バスに揺られて中山陵到着。ここでバスを降りて専用の小型車に乗り換える。広い中山陵内では小型車乗り換えが3度あった。
中山陵の観光は小型車に乗り換えて |
中山陵は中華民国の初代臨時大統領だった孫文(孫中山)のお墓である。孫文は中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)の両方から尊敬されており、絶え間なく観光客が訪れる。1925年に孫文は北京で亡くなる。彼の遺言により、本人の遺体を臨時政府発祥の地である南京に埋葬するため、1926年~1929年の間に広大な中山陵がつくられた。
中山陵へ向かう道
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昼食は南京の16種類の料理をいただく。昼食後は杭州までバスで移動する。車内で通しの中国人ガイドの話を聞く。「上には政策あり、下には対策あり」とか。これは中国国内の経済対策の意だろう。ガイドは自身のマンション購入を例にあげて話を進める。この時のキーワードが「2億円」。なお、中国のマンションは国が土地を所有し、個人は建物を70年借り上げるとか。ガイドはマンション購入時の話から始まり、売却すれば2億円と話が大きくなる。この2億円は日本に帰ってからも話題となるほど盛り上がった。
途中、ドライブ・インでトイレ休憩。まるで日本を思わせるドライブ・イン。店内の「便利店」は日本のコンビニだろう。だが、一つ違うのはトイレにトイレットペーパーがない。これは今回の旅行中、ホテル以外、どんな立派な建物であってもそうだった。
第三日目 2016年10月24日(月) 杭州🚌寧波 曇り
8時にバスは出発して西湖に向かう。西湖遊覧で乗船前、日本シリーズを戦っているカープ勝利の報告が入る。中国に来てから3日目。だが、ガイドによるとそれよりも数日前から晴れの日はなく、お天気が良くないらしい。旅の間の天候の悪さを〇〇団長は「成都の犬は太陽を見て吠える」と話される。面白いと思ってこれについて調べると司馬遼太郎や柴田錬三郎の本に書いてあるとか。お天気の良くない成都では太陽を見ると犬は驚いて吠えるのだろう。
杭州の西に位置するから西湖と名がついたらしく、うまく言い表している。20分ほど西湖を船で遊覧して島に上陸する。湖の大きさは南北3.3km、東西2.8km、外周15kmあり、1周するにはマラソンで1時間半かかるそうだ。「健康は足から」が中国の人の今の健康観とガイドは話す。
西湖 |
西湖に浮かぶ九獅石 |
島に上陸するとどこを見ても風光明媚。中国近代の水墨画家である黄賓紅像も建っている。
黄賓虹像
黄賓虹像の掲示 |
旅のメモに「千山万水」と書いている。調べると「たくさんの山や川。山や川が続くこと。深山幽谷の形容。また、旅路の長くけわしいことの形容」とある。これはもしかしてハードスケジュールのなか、よく歩いた旅のことを誰かが話されたのだろう。
10時、ケンタッキー・フライド・チキンでトイレ休憩。「KFC」は「肯徳基」と表記。あたりを見渡すと赤いジャージ姿の人を多く見かける。この赤い団体はいったい何者、と思って一人に声をかける。メモに記してもらうと簡体字だった。後で調べると「木蘭拳」であり、重慶からやって来た女性の団体だった。木蘭拳は唐の時代から1400年以上伝承されてきた「花架拳」と呼ばれる中国武術であり、遺跡に描かれた壁画の飛天の姿から編み出されていた。
赤い団体 |
中国のKFC |
バスは六和塔へ向かう。宋代に建築された六和塔は銭塘江の高潮を鎮め、また灯台の役目もする国宝級の塔である。生憎、時間がなくて塔には上れない。だが、上から一望しなくても目の前は銭塘江だった。お昼は上海ガニをいただく。この辺りは樹齢500年の古木が保存されていた。
六和塔入り口 |
樹齢500年の古木
お昼を済ませると紹興酒と魯迅の故郷である紹興に向かう。紹興はかつて越国の首都であり、「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」発生の地域でもある。途中、バスに合流した現地のガイドによると紹興は3つの特徴があるという。
①
美人が多い。
② 水の都であるため醸造業や紡績加工の従事者が多い。
② 水の都であるため醸造業や紡績加工の従事者が多い。
③
魯迅や王陽明、王義之などの有名人の出身地。
紹興の美人を「珍魚の美しさ」と表現し、北方からの移住者も多い。現地ガイドはどう見ても漢族には見えず、話を聞くとシルクロードあたりの血が混じっているという。「象潟や雨に西施が合歓の花」と芭蕉が詠んだ西施は紹興の生まれで春秋時代の越の伝説上の美女。象潟は秋田県にあり、秋田美人で知られている。
大書家王義之の聖地である蘭亭を見学する。参加者には書を極めておられる人もいる。園内に掲示してある見事な文字をカメラで写す。中でも行書の手本として有名な「鵞池」は王義之の直筆と伝えられる。石碑亭には文字を彫った石碑が建ててある。園内は樹木に覆われ、清流が流れていて自然にあふれる。「鵞池」と名がつくとおり、池に遊ぶ鵞鳥を見かけることができた。蘭亭は義之が名士らと曲水の宴を張った庵であり、『蘭亭集』の序にまとめている。
蘭亭碑 |
蘭亭に入る道 |
王義之直筆と言われる「鵞池」の文字 |
鵞池で遊ぶ鵞鳥 |
王義之はここで曲水の宴を張った |
蘭亭を後にして紹興酒の工場を見学。紹興酒は米と小麦から造られ、アルコール度数は15度前後。紹興酒の古い年代物は「老酒」といわれる。見学した工場の名前は『阿Q正伝』からつけられる。工場内に入る前からお酒の匂いがする。それもそのはず、醸造中の多数の壺が辺りに置いてある。製造過程を聞いた後は5年物と10年物の2種の紹興酒を試飲する。長く寝かせたお酒は価値があるそうで試しに飲んでも美味。いずれも年代物に比例してお値段も上等になる。ふと横を見れば工場の傍を列車が走る。この列車で紹興酒は各地へ運ばれるのだろうか。
1時間の工場見学を終えてバスは寧波に向かう。寧波での夕飯をいただくお店辺りは新しくできた街らしく、繁華街のイルミネーションも綺麗に飾りつけされている。街を散策して気分よくバスに乗る。ところがホテルに着く寸前の21時前、バスは故障する。数人ずつに分乗してタクシーでホテルまで帰る。中国の大通りは日本と比較できないほど広い。小雨降るなか、行きかう車は多くてもタクシーは止められない。やっと乗り込んだタクシーはかなり走っても11元(11×16=176円)だった。もらったパンフによると3kmまでの初乗り運賃は11元と明記がある。夜遅くの慣れないタクシー乗車で疲れも増す。この日の万歩計は9313歩と後で知る。寧波のホテルは陽光豪生大酒店。
紹興酒を醸造中の壺
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工場の傍を走る列車 |
左は10年物、右は5年物で古いほど色は濃くなる |
寧波の夜の繁華街
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朝早くバスは出発して寧波にある天童寺に向かう。寧波は遣唐使の着いた港として日本と結びつきが深い。中国のなかでも有数の禅宗寺院である天童寺は日本人僧侶で臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元が修業を積んでいる。前日夜、夕食前後に寧波の街を散策するとお店が新しい。5年前、建築ブームに乗って寧波も新たな街となったそうだ。
天童寺ではガイドにお参りの方法を倣って参拝する。各自9本の線香をもらい、3本ずつを3箇所に立ててお参りする。その仕方は3拝3礼。1回拝むごとに両掌を交互に裏表にひっくり返し、五体投地のように頭や体をひれ伏して拝礼する。ガイドに続いて教わった方法で〇〇さんが「手が治りますように!」と大きな声で参拝される。この後、ツアーの参加者もこれに倣って真剣にお参りする。ひれ伏して参拝すると日本での参拝よりも不思議とご利益が増す気がしてくる。
参拝後辺りを見るとまたも赤い団体を目にする。先の団体と違って背中には上段に「凱麗国際」、下段に「優美赢天下」の簡体字が見える。聞くところによると「凱麗」は ”KALLY ”で化粧品会社の団体だそうだ。下段の意味を辞書で調べると「美しさは天下に勝つ」の意だった。
背中に記された「凱麗国際」「優美赢天下」の簡体字
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天童寺も小型バスに乗り換えてお参りする。広い境内は大きな箒を手にして清掃する人の姿もある。環境美化に努めているのか、どこでもこの光景をよく目にした。境内を一通り回ると2時間以上が経過する。天童寺の周りは天童森林公園になっているらしく遊歩道も整備され、瓢箪などのお土産屋もあった。
チケット売り場
大きな箒で境内を清掃する人 |
ふもとから見る天童寺全景 |
ふもとからの光景
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天童寺天王殿 |
日本道元禅師得法霊蹟碑
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天王寺法堂 |
降龍泉 |
瓢箪を売るお店
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11時前、バスは「天童寺を出発して昼食場所に移動する。旅の途中、あまりにもスケジュールがハード過ぎるとのことで行く先々の予定は大幅にカットされる。それでもバスの移動は結構ハード。旅の疲れを癒すかのようにバス車内では無錫出身のガイドが♪無錫旅情♪をアカペラで歌う。歌が終わるとガイドとここでお別れ。バスの故障で運転手さんは翌朝3時までバスの修理をして朝早く起きている。睡眠不足は否めない。ましてや寧波から上海までの長いバスの旅をこのガイドは心配してくれる。とにかくバス車内をにぎやかにして運転手さんが睡魔に襲われないように、との言葉を残してバスを降りる。これを聞いてすぐに中国滞在中の通しのガイドに報告する。状況を察してくれたガイドは上海に着いた日に話した「2億円」の話題などでバス車内は賑やかさを増す。お昼をいただいた後、ひたすらバスは上海に向けて走る。
寧波から上海に向かう途中に杭州湾海上大橋が架かる。この橋は全長36㎞の長さがあり、杭州湾を南北に縦断する海上大橋である。6車線あり最高速度は100㎞/時。2003年の認可から5年後の2008年5月に開通する。13時半の寧波出発から途中1回ドライブ・インでのトイレ休憩がある。その後、ひたすらバスは上海に向けて走る。上海に着くまでガイドは夕食のお店の予約タイムを気に掛ける。予約時刻にいなければ予約はアウトになるらしい。このお店は人気店で予約確保は困難を極めるという。17時、無事上海到着。旅の最後の晩餐はガイドが選りすぐったという30種類の料理が食卓に並ぶ。美味だった。
36㎞の道が続く杭州湾海上大橋
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上海のホテルは静安寺というお寺のエリアにある。このエリアは繁華街であり、昔から定期的に開催していた廟市(お寺主催の自由市場)に始まる。静安寺はお寺の境内だけではなくこの界隈全体を指すらしい。どういってもホテルから見下ろすと目の前に繁華街が広がる。夕食後、ガイドと一緒に数人で街へ繰り出す。薬局、文房具店、スーパーなどのお店を覗きながら人込みの中を歩く。通りではストリートミュージシャンが奏でる楽器や歌でにぎやかなことこの上ない。上海の夜を満喫する。この日の万歩計は12129歩だった。 上海のホテルは王宝和大酒店。
静安寺の通りの表示
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第五日目 2016年10月26日(火) 上海🚌上海 雨
旅の最終日の朝も早い。旅の参加者は上海には何度も来ている。スケジュールを変更して豫園の観光はせず、アーケード街の豫園旅遊商場を散策。どういっても旅の間中、お天気が良くない。ましてやこの日は冷たい雨が降り続く。アーケードを抜けたあたりに湖心亭がある。ここに入るまでの橋は「九曲橋」といわれ、真っ直ぐでなくジグザグに架かる。これは「人間はジグザグに歩けるが、まっすぐにしか進めない悪霊を池につき落とす」という中国の古い言い伝えによるらしい。池の中心に浮かぶ湖心亭の茶館で一休みする。ガイドの話では「いいお値段」、とのこと。百聞は一見に如かずで、ここはお店に入ってお茶を飲む。ましてや冷たい雨の中の散策で体も冷え切っている。茶館の入口で茶葉を決めて入ると茉莉花茶@68元≒1100円。確かに高い! 出てきた温かいお茶とお茶菓子。いきなり飲むとお店の人はお茶をいただく作法があると教えてくれる。お茶碗に付く蓋を茶器に添え、茶葉を口に入れないようにする飲み方だった。
湖心亭は釘を一本も使っていない建物として有名らしく、1855年に上海最古の茶楼としてオープン。2010年に改装されて今のようになる。2階に上がると席は130あり、テーブルや椅子はアンティークだった。お客は私たち以外、ほとんどいない。冷たい雨も降っていて温かいお茶を飲んでホットする。
夕飯前のテーブルのセッティング |
ジグザグの橋を抜けると湖心亭 |
湖心亭のお茶とお菓子
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湖心亭の店内 |
お店の入口に並ぶ茶葉の見本
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湖心亭の入り口 |
昼食場所は昨夜と同じレストラン。だが、メニューは異なる。人気店らしくお昼もお客は多い。広いレストランは個室も備わり、部屋番号はすべて800番の数字で始まる。「8」はお金がもうかり縁起が良いとされる中国語の発音の「発財」に似ていることによる。だが、「発財」の言葉は日本語にはない。日本語でも末広がりの「8」は縁起が良いとされているのでこれと同じ意味かもしれない。とはいっても「804」や「814」などの「4」が付く数字は部屋番号になかった。
上海の有名人気レストランの個室 |
お昼を済ませると空港に行く時間までスーパーに立ち寄る。ここで、茶館で飲んだ茶菓子を探すが見当たらない。店員に尋ねると似たものを探してくれる。他にもお茶の葉の売り場を聞くと先の店員が率先して連れて行ってくれる。以前の中国にはないことで「何と親切」、と感動する。その後、早めに上海浦東空港へ向かう。この時点ではまさかこの日の広島への飛行が取りやめになると想像した人は誰もいないだろう。だが、その後に待っていたのは出国準備が済んだ後の飛行取りやめだった。
情報不足のまま空港で待機する。先に椅子に腰かけていた若い女性が手にするのはスマホ。カープの日本シリーズの試合が気になる。てっきり日本人と思って声をかけると中国の人だった。話す日本語は流暢。ましてや今どき珍しいほどの清楚な女性。〇〇さんの奥様と2人でその女性のスマホを借りてカープ情報を知る。1対1の同点だった。スマホの女性は日本人がなぜ野球に興味を示すのかわからない様子だった。まずはCarpの説明から話をする。幸い〇〇さんの奥様のショルダーバッグがカープのグッズだった。その説明から日本のプロ野球へと話題は尽きない。
話している間も若い中国の女性からこぼれる笑み。日本と中国の関係はいいとはいいがたい。しかし、一人一人と接すればとても良好な関係になる。その日に飛行機が飛ばないとの情報のなか、話をしていると気持ちがほぐれる。楽しい時間を共有した。若い女性は会社の同僚数人と5日間、広島へ出張するとのことだった。
広島空港行きのゲートで待っていると〇〇団長を見つけて声をかける人がいる。今回の旅を扱った旅行社の敦煌の旅御一行の添乗員だった。その人に指示されるまま、同一行動をする。しばらくすると、というかかなり待った後、飛行機はこの日に飛ばないとのことで夕食のお弁当の配給が始まる。どういっても「配給」の列に並ぶのも初めての経験。お昼をたくさん食べてもなぜか一気にお弁当を食べる。それでもお世話をしてくださる人は食べる暇もない。後でホテル到着後、お弁当と同じものがお皿に盛られて出る。遅くなってそれをいただいた人もいた。
すでに出国審査は受けている。当然、旅行の荷物は機内に預けたままだ。だが、その荷物を再度受け取ることに時間がかかる。カートで運ばれる山積みのスーツケース。一定の箇所にスーツケースは投げ出される。その周りを旅行者が立って待つ。簡単には運ばれてこない荷物。全員が荷物を受け取ったところで中国への入国手続きを済ませてホテルに向かう。とはいってもどのバスに乗るのかわからない。先の添乗員がスマホに写した車番を探してバスに乗る。やっとこの日に泊まるホテルに到着。
ホテル到着後は遅い夕飯を食べ、ビールを飲む人もいる。いろいろとあった上海空港での慌ただしい一日もどうにか落ち着く。ホテルの部屋割りがされ、広島便に乗る予定だった各国の人は入り乱れて遅い就寝となる。この時点では翌日の飛行時刻も定かでない。いつでも起きられる体制で寝るように、と先の添乗員の話を聞いてこの日は眠る。
第六日目 2016年10月27日(火) 上海🚌広島 晴れ
4時、けたたましいモーニングコールで飛び起きる。まだ明けやらぬ暗いうちからホテルを出て空港に向かう。上海を離陸した飛行機は無事広島空港に到着する。広島に着くと晴れている。太陽が燦々と輝く広島。改めて太陽のありがたさを知る。
上海空港で知り合ったスマホを手にする清々しい若い女性。名前の一字に「潔」がある。まさに名前通りの人だった。広島空港で荷物を受け取るとその人がやってくる。広島へのお土産を持参したのだろうか、中国特産の缶入りの茶葉を〇〇さんの奥様と私にくれるという。だが、こちらは何も持っていない。女性によるとこれほどまでによく接してくれた日本人は初めてだと話す。これを聞いて涙が溢れそうになる。どういっても〇〇文化交流が目的の旅の参加者は中国に関心を持っている。親子以上も歳の差がある若い女性。その人から広島空港到着後にこんな言葉を掛けられるとは…。そして中国の立派なお茶までいただくとは…。これは以前、ある文化人類学の先生から聞いて感動した「民族と出会うのでなく、一人の人間と出会うのです」にあてはまる。
今回の旅は都市を新たに作り直すなど観光地のインフラ整備が進められ、高速道路、大通り、ショッピングセンター、ドライブ・インなど以前、目にしたあのゴミゴミとした雑踏は感じられなかった。通りを走るバイクは日本では見かけない電動バイク。そのため音もせず、街が静か。これには驚く。中国は観光に力を入れている。しかし、日本人観光客と出会わなかった。また、テレビの日本語放送もチャンネルは知らされてもほとんど見られなかった。これは今の日中関係を表しているのかもしれない。
ここで旅の話も終わりになります。旅立つ前から中国付近では台風の影響か、お天気の良くない日が続いていました。そのこともあって旅の初日から帰国日までトラブル続きの旅でした。先日の旅の反省会で〇さんから「こういう経験もそうそうあることではない」と労りながらも笑って話されました。確かに願ってもできることではありません。いつまでも記憶に残る記憶遺産の旅となりました。また、旅の間、カープが日本シリーズで戦ったことも記憶に残るでしょう。そして、のちのちまで楽しい旅の話題となるでしょう。トラブル続きの旅をその都度ご配慮くださった〇〇団長をはじめ〇〇さん、そして旅をご一緒した皆さま、本当に楽しい旅をありがとうございました。これからも元気で楽しい旅を続けましょう!
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