2017年2月11日土曜日

『梁啓超』

 『梁啓超』、サブタイトルは「東アジア文明史の転換」(狭間直樹 岩波書店、2016年)を読む。久しぶりの本らしい本だ。一気に読む。読み終えると以前、特別講義のゼミで共に学んだ博士課程後期の人を思い出す。ネットで調べると1年半前に博士号を取得されていた。年齢は私より2歳上。9年間も在籍されての快挙だ。素晴らしい!若い頃、博士課程前期まで学ばれている。その後、大学の先生をされて退職後に後期課程で学ばれる。久々に共に学んだ頃を思い出す。そして、がむしゃらだった気持ちを呼び戻す。

 要らぬことが長くなった。この本を読むきっかけは先日見たBS放送大学で知ったお話。それは「中国」の創造者が梁啓超ということにはじまる。読んだ本にその個所があった。

★そもそも、「世界の中の中国」を梁啓超が認識したのは一八九〇年、十八歳の時のことである。科挙試験受験のために上京しての帰路、上海で『瀛環志略』を手にとってはじめて、地球上には「五大州の各国」が存在することを知ったという。この時梁の中華的天下観念はゆらぎ、世界と祖国と自分の関係という近代人に必須の視座を初歩的に獲得したのである。ただ、それから十年あまりのちの「中国史敍論」〔清議九〇号〕において、祖国に国名のないことを恥じ、いろいろと悩んだすえに、自尊自大の名称であることを自覚しながら「中国」を用いると決めていることに注意しておこう。99p

他にも気になる個所を記そう。

★「近代東アジア文明圏」を中華文明の本拠へ移入する上で決定的に重要な役割を果たしたのが、本書で取り上げる梁啓超という人物である。…日本の明治・大正時代を生きて昭和初年におよんだ人物である。梁啓超は戊戌政変がおこった一八九八年から一九一二年にかけて十四年間、清朝政府のお尋ね者として日本で亡命生活を送った。日清戦争と第一次世界大戦にはさまれた時期である。その間、明治日本に蓄積された新知識を極めて積極的に吸収し、清国を立憲的な国民国家に改革するために縦横無尽の活躍をした。7p

★文学革命を重要な内容とする新文化運動は、その多くの側面において梁啓超により口火を切られていたのである。36p

★明治維新後、日本では西洋書の翻訳が爆発的におこなわれ、何千何万ものあたらしい述語が生産された。…言葉ひとつを取っても西洋近代文明との接触が「近代東アジア文明圏」の形成にむけて大きく変容しつつあった時代の日本において、梁啓超は『新民叢報』の刊行に携わったのである。99p

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