2014年3月16日日曜日

「記録」でなく「記憶」で

今朝は姉の電話で目を覚ます。母の命日のお墓参りを今朝にするとの電話だった。おかげで今日は早い起床となる。

今朝の地元紙に詩人の伊藤比呂美の本紹介がある。その中で伊藤は著書『父を生きる』に「親の晩年に伴走した娘の3年半の記録であり、父への挽歌」と述べて「親を送り終えるということは、大人になり終えるということ。…」という。

自分自身を振り返れば“親の晩年に伴走した娘は7年”で、「記録」はないが「記憶」は生きている限りあるだろう。

今となれば、まだ元気で、何でもしようと思えばできるときに親を送り終えたことは幸いなこと。したいことをし終えて静かに去っていく。これが理想である。

そのためにはボケずに生きないといけない。先日、姪は「ボケない5か条」を送信してくれた。

1 人の世話をよくし、感謝できる人
2 仲間がいて気持ちの若い人
3 ものをよく読み、よく書く人
4 よく笑い、感動を忘れない人
5 趣味の楽しみをもち、旅好きな人

いつまでもこうでありたい。

このうちの趣味でいえば、昨日、習いに出掛けた日本画もその一つ。昨日はモチーフとしてフリージャを持参する。友人が持ってきてくれる土筆は遅くなり、フリージャを描く。先生はいつもの如く花瓶に花の向きを確認して活けてくださる。

絵の時間は3時間。2時間近くはデッサンに時間がかかり、色づけは短時間になる。ゆっくりなので何を描いているのか人から見れば滑稽だろう。それも仕方ない。途中、ケント紙が破れるといって先生は消しゴムの使用頻度を危ぶまれる。

大人しく描けばいいモノを消しゴムをトントンさせてにぎやかなこと。言葉はしゃべらなくても消しゴムの音がうるさいかもしれない。それくらい夢中で描き、先生の「消しゴム…」の言葉に「また言われてしまった」とハッとする。

生徒の一人から色紙を2枚いただく。先生は「この色紙に描こうかね」といってくださる。そして顔彩の話も出る。

顔彩と聞いて、以前、中国から買って帰ったことを話すと持参するようにとのこと。使用の可不可はともかく、次回は持参しよう。

今日はお昼は18度の予報。暖かくなりそうなのでプールへ行こう。今日も元気を出して!

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