2014年3月31日月曜日

春が来た!

お天気のよさに誘われて今朝は7キロ洗濯が可能な洗濯機と遊ぶ。まずは寝具関係をすべて外して洗濯機に放り込む。いつもは一日おきに利用する洗濯機。それも、ベランダに干さず、部屋に干している。

今朝は洗濯物を3回に分けてベランダまで持ってあがる。棹は埃だらけ。タオルで拭くと真っ黒になる。

冬はベランダに洗濯物を干さない。そのため、スーパーで近所の人に会うと洗濯物がないが元気?と心配してくださる。今朝の洗濯物で我が家に春が来たことを告げているかもしれない。

昨日は一年に一度のフルート・クリニックの日。まるで冬の七夕。フルート・メーカーの人とも年に一度のご対面。昨日はニューフェースも見える。なんと言っても20回以上もお世話になっている。これがピアノだったらどうだろう。どこの家のピアノも毎年メンテをしているだろうか。その点、フルートはありがたい。

明日から消費税が上がる。昨日のクリニックではフルートの展示もされている。1千万円のフルートの展示はなかった。しかし、最高は750万円。これが700万円としても1日の違いで21万円の値上がり。

クリニックの間、隣の人は「買うなら今ですよ」と話し出す。この消費税分21万の違いはちょっとしたフルート購入可能。とはいっても750万円のフルートはひっくり返っても買えそうにない。ちなみに雅子様はうわさによると1千万円のフルートとか。

クリニックが終わると珈琲に行く。ありがとうございました!

今日はこれからぐんぐん気温も上がりそう。桜も今週が見ごろらしい。先日プールの帰りに見た桜並木。最近、最寄JR駅から3つ先のJR駅まで河川敷が整備された。

1つ先まで毎日往復する人や、川へ犬を連れて行く人など散歩道になっている。横には桜が植えてある。自転車で行くには最高の季節。ビール持参とまではいかなくても何か持参して桜を見に行こう。

2014年3月30日日曜日

Animo!

スペイン語を母語としない人がスペイン語を話す。話す人はスペイン人ではないが、ロマンス諸語の国の人。

3月のスペイン語教室は先生がペルーへ帰られているためピンチヒッターの出番となる。前回はルーマニア人。昨夜はスロベニアの人。

スペイン語を習っていてもほとんどわからない。それでも教室で座っていると話す人の癖がわかる。前回の人は授業中によく出たキーワードは“Tambien”(もまた…である)。

昨夜の人は“Tipico(a)”(典型的な)。先生から全く日本語を聞かず、スペイン語だけの教室。スペイン語は英語をローマ字読みすれば「よりらしくなる」と聞く。

先日ネットで遊んでいると日本人にとって一番楽な外国語はトルコ語と韓国語とか。主語、述語の並びが日本語と同じらしい。発音で言えばスペイン語が一番とある。

スペイン語で話され、何度か話に出てくるキーワードを電子辞書で探す。昨日も探しながら話を聞く。1年前は本当に何を話されているかチンプンカンプンだった。何度も話に出る単語は辞書を引いて覚えるしかない。

昨夜も出てきた“Caballo”(カバージョ)は馬の意味。日本語では馬と鹿でバカ。バカを反対にすればスペイン語の馬になりそう。こうやって覚えよう。

他にもスペイン語放送を聞いていると“Habitante”がよく出る。これは住民の意味。昨夜も頻繁に話される。昨夜はスロベニアの国についての話題。そのためか国の人々である住民が出るのも無理はない。

昨夜はエクアドルで任務を終えた青年海外協力隊の若い女性も見学に来ていた。2年近くも現地に住んでいるとスペイン語もペラペラだろう。忘れないようにとの気持ちから習うらしい。

外国語を習うには偉そうにしていては習えない。それはどんなモノゴトもそう。ましてこのご老体。わからないから習っているという強い気持ちがないと若者にはついていかれない。そして、皆の足を引っ張らないようにして楽しく学ぶにつきる。

まあ、なんであれ頑張って続けるしかない!?Animo!(アニモ!頑張れ!)

2014年3月29日土曜日

プール&プール

昨日は人とのつきあいについてぼやいてしまった。ストレスは人に関するモノ・コトが一番多いと聞いたことがある。かといってどんなことにもかかわらず、誰とも付き合わずに生きて行くことはできない。モノゴトにはすべて適宜があるということだろう。

昨年秋、人に声をかけてもらってハープ奏者のコンサート会場に伺う。自宅の一室をコンサートルームにされている。収容人員は椅子さえあれば3,40名?

グランドピアノ、何台かのハープも置いてある。昨日、その方から4,5,6月のコンサートの案内状が送られる。手書きで書いてある。もう少し親しければパソコンで案内状を作ってあげるのに…思ったりする。

コンサートにはゲストも来られる。またコンサート後にはティーパーティもあるとか。来月は予定もない日なので出かけよう。

昨日は他にもいいことがあった。午前中プールに出かけて1キロ泳ぐ。泳ごうとするといつもはないロープが張り巡らされている。泳いでいる人を捕まえてどういうことか尋ねる。試験的にロープを張ったらしい。

ロープで仕切られた1コースを我が物顔で泳ぐ。これは気持いい。プールで知り合った人がワンポイントレッスン日と教えてくれる。だが、始まる前に帰ると話すと、その人も昨日の先生が好きでない様子。皆、好き嫌いがあると思って可笑しかった。

ひとりで泳いでいるといろいろな人と顔見知りになる。以前、泳ぐ時、人と話していると隣町にプールがあると教えてもらう。

昨日は行楽日和。プールは国道沿いに建ててあり、その前は瀬野川が流れている。川の土手には桜並木。長いことこのプールに通っていても桜並木があるとは気づかなかった。満開の桜に気をとられ、その道を歩いていると駅から遠くなる。途中、人に聞いてきた道を引き返し、JRに乗る。

家に帰ってお昼を食べる。食べてもこの陽気に誘われて自転車で外へ出かける。ふと、プールで教えてもらった隣町のプールへ、と気持ちも動く。

途中、2人に尋ねてやっとプールにたどり着く。係りに管轄外だが利用ok?と聞くと大丈夫とのコト。また、市内は料金もかかるがここは60歳以上無料。

家から自転車で行かれるところにあり、料金もかからないとは願ってもないお話。住んでいる町は広島市。ところが元、郡部の町と市が混在し、他所からくる人はこの区別がつかないだろう。市、郡、市、郡、市、郡、市と交互に市と郡が入り乱れている。

行政も目くじらを立てて郡部は市の施設を利用できない、とは言われない。この逆もまた然り。すべてを市に編入すれば済む話と思うけど行政的には困難が伴うのだろう。

ともあれ、となり町のプールへ自転車で行かれる。自転車ならばJRに乗るのとは違って気軽に行ける。ただ、プールの広さが問題だけど…。来週、早速利用しよう。

今日はお天気も下り坂。人に振り回されず、わが道を行こう!

2014年3月28日金曜日

気を取り直して!

2年前、鉢植えのムスカリを購入。すぐに土に植え替えた。昨日見ると、2輪花をつけている。その横に同じく2年前、チューリップの球根10個を植えた。

今朝見るとチューリップは黄色い花を咲かせている。明日も他の色が咲くだろう。

今朝のFMはチューバの響き。なんとも言えずいい音を奏でる。何かで音を奏でることは神のご加護と読んだことがある。フルートを吹くこともそうだと嬉しい。

この何ヶ月、起床時刻が遅かった。先日健康診断で体重増加に気づく。これではいけない、と反省する。元来、セブン・イレブンの生活で、夜11時までには寝て起床は7時の繰り返しだった。母がダウンしてからは夜9時に寝て朝7時に起きていた。

これで体力が保たれた。ところが、母もいなくなり次第に寝るのが遅くなる。

母は自堕落な生活を嫌い、規則正しい生活をした。長生きの秘訣はそこにある!?

遅く寝ると起きるのも遅い。これではいけない、一日が短すぎる。

母もいなくなり、外へ出る機会も多くなった。自ずと人とも知り合う。誰彼となく知り合えば住所や電話番号を知らせる。これで女同士でもストーカーまがいのことがあると知った。知り合った日、家に帰って嫌な人とすぐに気づく。だが連絡先を知らせた後だった。電話にも出ず、手紙を貰っても無視していた。

一昨日は自身の掲載された雑誌を送付される。もちろん中を見ずにゴミに出す。

他にも夜な夜な長時間の電話をかけてくる人がいる。電話をかけてもらうのはありがたい。だが、女性同士の電話はどうしても長くなる。これがよくない。

電話は誰が掛けてきたのか番号が出る。番号を確かめても、夜かかってくる電話。長話をするとお風呂にもゆっくり入れない。さらに寝る時間が遅くなる。4日前、罪の意識を感じながらも受話器を外すことを決意。昨日、それを不思議がられて午前に電話がかかっている。

昨日の午前中は留守だった。電話をかけ直し、夜は電話に出ないようにしていることを正直に話すとわかってもらえた。

早寝早起きは体にも精神的にもいい。それなのにこれまで遅い起床が続いた。これでやっと本来のリズムに戻れそう。とはいってもかけてくる相手が悪いのではない。種をまいたのは自分自身。反省、反省!これにめげずに頑張れ!

今日は気を取り直して朝からプールへ!今日も元気を出して!

2014年3月27日木曜日

ヴァニタス“Vanitas”

風は強く吹き、春が一気にやって来た。

今朝は西条に出かけて美術の講座を受講する。今日のテーマはジャンル画。毎度のコトながら初めて聞くキーワードが並ぶ。

先日、西洋の美術を習うにはキリスト教と西洋史の知識が欠かせないと気づく。まずはキリスト教を理解しようと思った。以前、人から送られた『聖書物語』を読む。しかし、これを読んでも簡単には理解できそうにない。

ともあれ今日はジャンル画。ジャンル画には静物画、風景画、人物画がある。ジャンル画を描く人はジャンル画家で、“手の加えられていない死んだ自然を模倣する者”。この反対に、“感じ生きている自然を模倣する者”は歴史画家。このことをディドロは『絵画論』で述べている。

静物画のジャンルのひとつにヴァニタス“Vanitas”があり、現代にいたるまで西洋美術に大きな影響を与えている。ヴァニタスは「空しさ」で旧約聖書の『伝道書』1節2章にあり、“Vnitas vanitatumu omnia vanitas”(コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい)の意。

近代の西洋画を見るとユリの花、月桂樹、砂時計、果物、楽器などが出てくる。これらは人生のはかなさと結びついている。

これはどういうことかネットで調べると砂時計は人生の短さ、今日、講義で見たレモンは、見た目は魅力的だが味わうと苦いという人生の側面をあらわしているらしい。

これからは西洋絵画を見る際、キリスト教との関係を知るとその見方もすこしは変わていくだろう。

2014年3月26日水曜日

やっと思うように吹けた!

昨日のフルート・レッスン。モーツアルトのK. 339を終えてK. 527の練習に入る。

フルートの発表会のたび、音合わせの♪ラ♪につまずく。この、ラをいい音で出せるようにすること。これがフルートを習っている間、気になっていた。

先生は何とかしてあげようと思ってくださった(?)のか、まずは立ち方、鼻からの呼吸、胸郭を広げるなどいろんな面から指導してくださる。ありがたい!

昨日、レッスン前に2日前に気づいた自分の納得したやり方で吹いているといい音が出る。家でいくら練習していい音が出せても、人前で同じ音が出せなくては価値がない。

家でもレッスン前でもいい音で吹けた!と喜んで先生の前で吹く。やはり同じ音が出た。

20年以上も音だしでつまずく。だからといって、昨日の吹き方を文字であらわすことはできない。どうであれ自分の体で覚えるしかない。

試行錯誤の末、やっと思うように吹けた。自分でわかったこの吹き方。吹いていると息も続く。先生はこの吹き方にプラスして口の中を広くする(口の中を縦にする?)ようアドバイスしてくださる。

今朝はまだ吹いていない。多分大丈夫。この何ヶ月、いやもっと長く、かなりフルートの出だしの音に気をつけてきた。それがやっと思うように吹けた。昨日はほんとうに嬉しかった。

いい音が出れば、曲を練習していてもさらに楽しくなる。

アジアを学ぶ勉強会で塾長はナニゴトも20年続ければ何とかなる、と話された。ほんとうにそう思う。

昨年7月の健康診断から7,8ヶ月経過。先日の健康診断で体重が2,9キロ増えている。ちょっと気を緩め、美味しいものを食べてラクに生きている。

体重の変化はないほうだと思っていた。ところが3キロ近くも体重が増えている。夏になれば元に戻るはず、とノンキにしていてはいけない。もっと体を動かさねば…。今日は雨。元気を出そう!

2014年3月25日火曜日

ブログから

我がブログ、中国からの閲覧はほとんどない。たとえあっても1日に1件程度。それが昨日は多い。きっと行方不明の教授の固有名詞が検索でひっかかったのだろう。少し怖くなり、すぐに名前は削除する。

誰がブログを閲覧しているのかはわからない。だが、国別の閲覧数は出る。出るといっても名もないモノが投稿する名もないブログ。外国からの閲覧は多分に別の意味があるはず。ともあれ、煩わしいことには関わりたくない。なるべく固有名詞は書かないようにしているつもり。それなのに昨日は著名な人だからと書いてしまった。

さて、その昨日、午前中はお寺の彼岸法要を終えた塔婆2本をお墓へ持っていく。お墓参りを済ませると陽気に誘われて、遠回りをして我が家へ帰る。長くこの町に住んでいても知らないところが多い。山の麓から海に向かって家は建っている。墓地近くの辺りから、下に降りての通勤、買い物、遊びなどさぞかし大変なこと、と思ってぶらぶらして歩く。

家に帰ってもじっと家にいるのがもったいない陽気。お昼を済ませるとわざわざ遠くのスーパーへ自転車で出かける。暇な時は家でスケッチでも、と思う。100円ショップでスケッチブックを見るといろいろとある。これが100円、と思いながらいろんなものを見て歩く。

なるべくモノを増やさないようにとの思いもある。ところが、その気持も束の間、何やかやとつい買っている。

画材一式は日本画教室においている。もちろん、それは100円ショップで買ったものではない。価格はそれこそ雲泥の差。

それでも家で遊ぶにはいいかなと思ってスケッチブックを購入。買ったはいいが家でじっとするのがもったいない。再度、近くのスーパーへ出かける。

これから気候もよくなる。家で本を読んだり、フルートを吹いたりするのは抵抗がない。しかし、絵を描く習慣がない。そのうち慣れるかもしれないが…。

毎日、さっちゃんのお気軽ブログを見ている。昨日は偉大なるお年寄りの再放送があるとブログで知る。しかし、予定の時刻にテレビを見るとさっちゃんではなく、ほかの人。ほかの人といっても100歳前後なのに、ボーリング、新聞配達、水泳、浅草の芸者さんとどの人も生涯現役で立派というほかにはない。これを見ていつもながら「まだ何でもできる」と思ってしまう。

昨夜、寝ようとすると姪から写メールが届く。アンコールワットから無事帰ったとのこと。すぐに電話するとこの連休を利用して出かけたらしい。かなり前、プノンペンのキリングフィールドの舞台となったところも出かけている。最近はそのあたりのツアーはないのだろうか。

今日はこれから雨になりそう。この雨が上がれば桜も本格的に咲きそう。今日はフルートのレッスン日。100歳に負けず元気を出そう!

2014年3月24日月曜日

『ひとりの午後に』


朝と日中の温度差が激しい。日中は春の陽気。昨日、プールの帰りのJRの窓越しからお花見をしている光景を目にする。まだ桜の花は咲いてはいない…。

昨日も1キロ泳ぐ。日曜日の午後、プール内の人は少ない。こういうときは気持もゆったりと泳ぐことができる。まさに至福の時。

気分よく泳いで家に帰るのはいいが、その後は夜まで鼻水と格闘。この鼻水や花粉アレルギーもネットで見るとストレスと関係あるとか。最近は鼻水も出なくなったと喜んでいた矢先の昨日の格闘。目に見えない何かのストレスがあるのだろうか。

昨日のことのついでに昨日の新聞記事。地元紙を見ると神戸大学の教授が中国に帰ったまま行方がわからないとの報道がある。

8年前、指導教官から一冊の本を渡された。それは『東トルキスタン研究』。本の著書は行方不明の教授。新聞記事を見てすぐにその人のことを思い出す。卒論で東トルキスタンと盛世才に関することを書いた。

中国についてとやかく言える立場にない。しかし、なんともわからない国である。

上野千鶴子『ひとりの午後に』(NTT出版、2010年)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。

米 話が合わないひとを、友だちとは呼ばない。かつて友だちだったひととも、いつまでも友だちでいられるわけではない。それぞれの人生経験の道筋で、ひとも関係も変わる。人間は変化する生きものだ。…だからわたしは、何歳からでも、いつでも、どこにいても、友人はつくれる、と思っている。「必要は発明の母」だから。

米 迷いと後悔の多い歳月と経験が、いまのわたしをつくってきた。昔より、少しはましになったと感じることができる。そう、「何で昔に戻れましょう」。若いときは柔軟だ、というのはウソ。若いときほど、アタマは固く、思い込みが激しく、固定観念でがんじがらめだった。それが次第に解きほぐされ、柔軟になってきたのは年齢のおかげだ。いまさら「なんで昔にもどれましょう」。

米 ひとはひととひとの「あいだ」にいる。自分が「ましになった」と感じることができるのは、ひととの関係が受け入れやすくなったということと同じことだ。定型のない「友情」に男も女もない。それぞれの歳月を重ねて現在にたどりついた同性・異性の友人たちと、残りの時を豊かに分かちあいながら、年齢を重ねていきたい。

米 本を読んで実物に会ったら「イメージがちがいすぎる」とも言われた。あたりまえである。研究の成果はわたしの一面でしかない。この本のなかで、わたしは禁を犯して感じたことを語りすぎたかもしれない。これもまたわたしのべつの一面である。

米 「ひとりの午後」にも、ささやかなよろこびやしあわせはある。断念や抑制もある。それは日射しが翳るまで生きてきた者に与えられるご褒美のような、人生の味わいだ。

2014年3月23日日曜日

『しあわせの5・7・5』

「春眠暁を覚えず」の諺どおり、よく眠る。遅い目覚めも遅く寝るのであればまだいい。ところが早くから寝ても起きるのが遅い。いくら寝る子は育つといっても、これでは不規則な生活になりそう。とはいっても、起きている間は何やかやと動き回っている。おかげで元気。これも“まあ、いっか”と思ったりする。

遅い目覚めはメールチェックも当然遅い。先ほどメールを見ると新たな会合へ誘ってくださるとのことだった。すぐに電話をして参加したい旨、連絡する。

自由な身になり、人からいろいろな会合へ誘っていただく機会が増えた。宗教や政治的なことでなければ誘ってくださるところへは積極的に参加しよう、との思いがある。とはいっても、“あれっ”と思える人には近づかない。

すべてを知っている人はいないにしても、自分自身、本当にたくさん知らない世界がある。そう思えば、誘っていただくお話は知らない世界を知るいいチャンス。ありがたい。

話は変わって、昨日は日本画教室へ出かける。3連休の真ん中とあって、半分の人は欠席。先日、アイリスを5本購入して開花を待つ。ところが、アイリスは開花せずじまい。

モチーフを考えながら狭い庭に出ると、ガクアジサイが新芽をつけている。これは画材になる、と思って教室へ持参。もしかしてダメかもと思ってイチゴも買っていく。

先生に見ていただくと紫陽花は面白いといって、その枝を横にして描くよう言われる。

スケッチブックに描いていると、描き始めから消しゴムを使用していると早くも先生から注意される。消しゴムを使っているからスケッチに時間がかかるとのことだった。

“またも消しゴムで注意を受けた!”とその言葉で目が覚める。なるべく消しゴムを使用しないで描いていくといい具合に描けた。薄く水彩絵の具で絵を完成していく。

それもいきなり塗るのでなく、はじめは他の色で薄く塗り、後でその色付けをする。

紫陽花を早く描き終え、イチゴをその下に描くようにと先生。一つのイチゴを後ろ向きにして描く。

イチゴは簡単なようで難しい。ナニゴトも簡単なものほど難しいと絵を習いだして知る。特にイチゴのつぶつぶが難しい。そこに先生の手が入るとイチゴらしくなる。

昨日は以前、中国でお土産に買って帰った顔彩を先生に見てもらう。他にも中国で落款を7つ買って帰った、と話す。先生は次回の教室で色紙に描こうと言ってくださる。

中国へ行くたび、何を思ったのか落款を買っていた。それも大小7つも…。それも姓名入りは2ヶで他は下の名前だけ。やっと落款も日の目を見られそう。

今日は遅い目覚めでもうお昼になってしまった。これから泳ぎに行こう。その前に、昨日お寺で貰った塔婆もお墓に持っていかなくてはいけない。塔婆は明日にして、今日はこれからプールへ行こう。

プールといえば昨日も水着を買ってしまった。どんどん泳がないと新しい水着の出番がなくなりそう。

今日も元気を出して頑張ろう!

以下は最近読んだ近藤勝重の『しあわせの5・7・5』サブタイトル「足して引きひとつ残ればいい人生」(幻冬舎、2014年)。またいつものように気になるところを記そう。

* この世に、自分とかかわる一切を黙って受け入れてくれるものは、それほどたくさんはありません。数少ないその一つが文章です。文章には散文があり、韻文があります。川柳は俳句と同様、韻文の短詩に分類されますが、短いぶん、言いたいことが端的に表されています。胸がすく、胸がすっとする。そう、小気味よいのです。6p

* 「心に花が咲く」の「咲く」という字は、昔、口偏に笑うと書いていました。そもそも「咲く」というのは「笑う」という意味なのです。77-78p

* 心理学の本に「性格は身につけた衣装」とありました。衣装を変えれば、性格までとは言わないまでも、気分はずいぶんと変わるものです。79p

* どんな出来事があっても、何となくいいほうに解釈するということは重要です。それが「根拠なき自信の源」です。…視野を広く持つべし、というのが世間一般の常識ですが、ストレスに強い特徴的なのは、目先の小さいことに集中できることだそうです。視野を広くすればするほど案じることも広がる。そのぶんストレスも強まる。むしろその逆をいって目の前のことにとらわれる。これ、案外、いいんだそうですよ。87p

* 孤独は一人より二人の方が深いと言われます。100p

2014年3月22日土曜日

モロッコに魅せられて

墓地から見渡す市街地
お彼岸の中日、お墓参りに行く。水汲み場に行き、お墓の花入れを洗っていると、近所の人に声をかけられる。姉の同級生だった。

30歳で一度会社を辞めている。当時、ひとりでいるとは予想さえしていなかった。働くことはせず、せっせと花嫁修業(?)中。その時、昨日、声をかけてくれた人に機械編みを習っていた。

あれから何十年も経過して再会すると全く誰だかわからない。先方はすぐにわかったらしく声をかけてもらう。

一度もクラス会に来ない、と姉のことを話し始める。姉は元気で、飛び跳ねていると言って姉の携帯番号を知らせる。

昨日も末っ子?と聞かれる。どうも大阪千里にいる妹の存在が薄い。だが、姉は逆。姉の友だちからよく妹さんでしょ?と声をかけられる。

近所の人は妹である私が母を車椅子で連れ歩いていたとの印象があるらしい。昨日の人もよく親を看たね、と言ってくださる。ありがたい。

昨日は一日中寒かった。夜になっても寒い。久しぶり午後7時から10時までTVを見る。途中お風呂に入ったけど3時間も見た。

そのタイトルは「菅野美穂が行く“色彩の王国”モロッコ1500キロメートル紀行」。もう見ていてたまらなく行きたくなる。モロッコは各都市が色で区分されている。カサブランカは“Casa blanca”で白い家の意。街は「白」。こういうように街が色分けされているとは全く知らなかった。

いろんな旅番組を見ても、途中飽きてくる。ところが菅野美穂は旅にピッタリ合う人で飽きるどころか。この人の魅力もあるのだろう。

やっぱり一番関心を抱く国はイスラム圏。イスラムはわからない国。これまで出かけた国もやっぱり印象深い国はイスラム圏。ずーっと関心を抱いている国モロッコ。しかし、付近の地域の政情不安もあって行かずじまい。

昨夜のハイライトはサハラ砂漠を駱駝で行く光景。駱駝は敦煌の鳴砂山で体験済み。だが、まだ元気なうちにもう一度駱駝に乗りたい。

夢は夢で終わらせてはいけない。いつか是非チャンスを…。そのためにも元気でなくてはいけない。今日も元気を出して頑張れ!

2014年3月21日金曜日

お彼岸とおはぎ

人事異動の季節がやってきた。今朝の地元紙を見ると、県のトップクラスの掲載がある。今から30余年前、4ヶ月ほど県でアルバイトをした。当時の新人も今や偉い人に。新聞掲載の顔写真を見ると全く同じ人とは思えない。30余年の歳月はこれほど人を変える?と朝から吃驚する。

とはっても自分自身、若いつもりでも人から見ればオバチャンorおばあさん。人のことは言えない。

それにしてもあの溌剌とした青年がいまやおっさん顔。これも人生?

今日はお彼岸の中日。それにしても何故お彼岸におはぎを食べるのだろうか。先ほどネットで検索。

それによると、おはぎの材料である小豆の赤色が災難から身を守る効果があるらしい。そしてこの邪気をはらうという習慣が先祖の供養と結びついたという。

赤が災難から身を守るということはもしかして還暦祝いに赤い色のものを贈るのもそのため!?

それならば、身の危険を感じる場所へ出かける時は赤いものを身につけるといいかもしれない。手始めにブレスレットの赤はどうだろう。台湾で赤い珠でできたブレスレットを購入している。

これを腕につけて出かける!?

今日はこれからお墓参り。塔婆は明日にして…。今日も元気で!

2014年3月20日木曜日

血圧

定期健診で血圧を測定すると、最高が146、最低が90と言われる。「これは違います!」と強引に押し切り、数分後再度測定。

鼻から息を吸って、とまるでフルートのレッスンの感じで係りは言う。

再度測ると先ほどとほぼ同じ結果が出る。どうしても合点がいかず、「血圧が高くなったことはないからこれも違います!」と再度きつく言う。

「それじゃ、10分後に今度は手動で測りましょう」と係り。

別に血圧が少々高くてもどういうことはない。親の血圧が高い方でなかったし、自分自身も高い、といわれたことはない。むしろ低い方だった。

それがいきなり146の数値。吃驚する方が勝って何度も測りなおす。

3度目に手動で測ると126と80.これでも80はいつもよりも高い。

「これくらいは普通ですから」と係り。

昨日の健診では悪いところはなさそう。ホッとする。

気が小さい。もしもどこそこが悪いといわれれば気になって仕方がなくなる。

ここまで生きてくるとたとえ悪い結果があっても近藤誠の本ではないがすべてを年齢のせいにする。そして諦めるのがよいとか。

それもそうかもしれない。

周りの友だちなどを見ると血圧とコレステロールを下げる薬を飲んでいる人がいる。

今のところその心配はない。だが、検査結果の数値に目くじらを立てればそれこそ、血圧が上がりそう。

そのためにも、あまり気持ちを荒げず、穏やかに過ごしたいものである。

昨日は健診後、遠くのスーパーへ自転車で出かけ、春の花の苗とレモンの木の下に撒く燐酸カリウム入りの肥料を購入する。

昨日は狭い庭に植えて肥料も撒いた。今、一昨年植えたチューリップが大きく葉っぱをつけている。葉っぱの中を見ると蕾もある。あと数日でチューリップも咲きそうだ。

他に冬に植えたラディッシュも葉っぱを大きく広げている。

たまに間引くと小さい根っこが赤い。でも、まだ丸くなく、根っこは細くて長い。

これも丸くなると絵の材料になる。他にも先日植えたアネモネ。これも次々と花を咲かせる。

こうして花を愛で、血圧を上げないように気持ちをゆったりさせて楽しく過ごそう!

2014年3月19日水曜日

天佑

昨日は所属する研究会に出席する。会場は医学部講義棟のセミナー室。これまで受けたどの講義室よりも立派な部屋。中へ入るだけで気後れする。

勇気を出して座ろうとすると、学部時代の先生と目が合う。座るようにと促されても、末席に座る。

会が始まり、ザーッと見渡すと出席者は20数名。そのうち半数近い人を知っている。

遠くは東京、千葉や大阪などからの出席者もおられる。

今回の会に出席しようと思ったのは、昨年、恩師が著わされた本にある。そして、中華民国の誕生に当時の日本人はどのように関わったのかにも興味をもった。

久しぶり、3時間半もの長時間、恩師の著書の合評会に出ると、まざまざと5年前の記憶が蘇る。それよりも前の6,7年前かも知れない。親の介護をしながら、本を読んでレジュメと格闘した日々を…。

思い出しながらも、まだ頭は大丈夫、まあどうにか人に着いていけるとホッとしたりする。

発表者3人のレジュメで、恥ずかしながら「天佑」がわからない。先ほど調べると「天の加護」の意。

中華民国の誕生を当時の日本人法学者、世論などから論じている。

本のタイトルにある「日本人」というキーワードからもコメンテータなど日本史の専門家2,3名も出席。

日本史と中国史の面からの両方で質疑応答に入る。

途中休憩があり、学部時代、専門に入るように何度も誘われた先生から声をかけられる。これにはびっくり。7年ぶりのご対面。先生を見ると頭も髭も真っ白。

時に、この先生の専門で学んでいたら今とは違っていたと思うこともある。だが、その当時は決心がつかなかった。

この先生から何故、この場にいるのか不思議がられる。学部を出て以後、今日の恩師の中国近代史の教えを請うたことを報告すると納得される。

先生と話したあとは重たい雰囲気の合評会の気分も和らぐ。合評会が終わると懇親会場へ皆でタクシーに分乗して移動する。

懇親会はさすがに先ほどまでの雰囲気とはガラッと変わる。

どの先生もよく飲まれてお店に並んでいる銘酒が次から次に出てくる。

さすがに東京や千葉から来広の人はジェントルマン。若さもあり、センスもよくて…。

ひとりずつ自己紹介があった。この中でひとりだけ研究に携わっていないと思われる私。

大学にたまに出没して先生方にお会いすると何をしているのかを聞かれることがある。昨夜はボケ防止で参加したこと、友人からの言付けも話す。それは恩師の助手時代を知る友人のこと。先生はすぐに思い出され、友人のことをわかってくださった。場は一段となごむ。

そして、昨夜のびっくりは学部時代の恩師から「〇〇さん、以前より若くなったね」。お世辞であってもこれには驚くと同時に嬉しかった。当時は忙しくて身なりなどかまっていられなかった。そう思われても仕方ない。

学部時代、そういわれた先生が一番苦手なタイプだった。ところが、2年前、恩師の退職記念に出席してお酒の場で話をするといい先生に思えてきた。

教師という仕事場での顔と遊びの場での顔はかなり異なる。

昨日はどの先生もそう。よく飲み、よく飲み、よく飲み…。

先生と言う職業は昔からよく飲む人のイメージがある。まさに昨夜はそうだった。

ともあれ、長~い一日は楽しいうちに終わった。出席をためらっていたけど勇気を出して出席して本当によかった。

帰りは中国人留学生2人と一緒にタクシーで広島駅へ。

皆から若さと元気を貰った楽しい一日は終わった。さあ、今日も元気を出して!

2014年3月18日火曜日

迷う

雨がシトシト降り続いている。本来ならばお墓参りにいくところを雨のためと言い訳して行かずにいる。それでも気持ちは行くべきか行かざるべきか揺れ動く。今日はごめん!と断りを言ってお寺の塔婆を貰う日を墓参りとしよう。 

先日、友人の習っている先生のアトリエにおじゃまする。その時、車が道にはみ出すようにしてとめてあった。

 先生とあった際、ブログ更新のお願いをする。人からブログのことを言われると響くのか、何ヶ月も更新されずにいたブログの更新がされている。 先ほど最近のブログを見ると案の定、駐車違反の請求書が届いたとの投稿がある。 そして違反を指摘する前に「この車お宅のですか」と声をかけてくれてもいいんじゃない?ともある。 

取り締まるばかりでなく、違反しないようにと注意を促すことがあってもいいかもしれない。 とはいっても免許がない。。だから、こういうこととは無関係だけど…。 

占いに凝るタイプではない。ところが、ヤフーを見てもGOOを見ても星占いの表示がある。 ヤフーでは今日の占いは58点、GOOでは一番いいとの表示がある。

これじゃ、どれが当たっているのかわからない。いい加減なものである。 いくら信じないといってもよくない表示であれば、お墓参りをすべきでは、と迷ってしまう。 でもやっぱり、今日のお墓参りは取りやめ、お彼岸にしよう。

アトリエの先生が問いかける「小春おばさん」ではないが、「バア、今日は参られん、ごめん!」、謝るしかない!? 「その代わり、今日は午後から久しぶり研究会に頑張って参加するよ!」。

2014年3月17日月曜日

「気分がいいんじゃ!」

春の訪れは駆け足でやってくる!?今日はジャケットも要らないほど温かい。少し急ぎ足で歩けば汗もでてきそうな春の陽気である。

今朝は合唱の練習日。昨年6月、友人から誘われて入った合唱団。当時は人数も少なくなって、会の存続も危ぶまれたとか。ところが今は人も増え、大盛況と会計係も喜ばれる。 来月には会計監査も兼ねてのお花見もある。

練習も終わり、有志でお昼を食べに行く。その時、合唱指導の先生は大きな車から降りてきて、しばし立ち話。運転できないと話すと驚かれ、「そのようには見えない!」と言われる。

「フルートを吹くから運動はできるでしょう」とまで言われる。残念ながら運動は水泳のみ。

水泳といえば、昨日もプールに出かけ、気分よく1キロ泳いだ。

今日の歌の練習も楽しく終わる。

自宅JR最寄駅で降りて、陽射しを避けるため、いつもと違う道を歩いていると開花したアイリスが八百屋の店先に並んでいる。

次回の日本画の画材にするため、5本入り一束を購入しようとお店に入る。だが誰もいない様子。仕方なく大きな声で店の主を呼ぶ。

何度か呼ぶとやっと目の前に主が現れる。知らない人なのに主は「羊羹を食べんさい」といって2切れくれる。「お茶も飲む?」と聞かれ、お茶を入れてもらう。

昔ながらの八百屋さんで主の威勢のいいこと。「元気がいいね」「いただいて悪いね」と話すと「今日は気分がいいんじゃ」と主は言う。

まるで関西のオバチャンのように歯切れがいい。

羊羹とお茶をご馳走になり、話をする。思わず「まるで鶴瓶の家族に乾杯!みたいじゃ」と話すと嬉しそうにお寺の注文品を用意し始める。

スーパーが街にない頃、子供なのに隣町のこの八百屋でよく買い物をした。今の主は当時の人ではなく、ここへ嫁がれたお嫁さん。とはいってもかなりのお歳。

どんな仕事であれ、一生懸命元気で働く人を見ると気持がいい。この店の主の言うように一緒に話していても気分がいい。人には元気で接したいものである。

この20日でこの町で一番先にできたスーパーが閉店する。それなのに、今日の八百屋さんは盛況かどうかは知らないがお店を継続中。

主の元気がお店の経営にも反映して繁盛するのだろう。ささやかながら応援できれば…。

2014年3月16日日曜日

「記録」でなく「記憶」で

今朝は姉の電話で目を覚ます。母の命日のお墓参りを今朝にするとの電話だった。おかげで今日は早い起床となる。

今朝の地元紙に詩人の伊藤比呂美の本紹介がある。その中で伊藤は著書『父を生きる』に「親の晩年に伴走した娘の3年半の記録であり、父への挽歌」と述べて「親を送り終えるということは、大人になり終えるということ。…」という。

自分自身を振り返れば“親の晩年に伴走した娘は7年”で、「記録」はないが「記憶」は生きている限りあるだろう。

今となれば、まだ元気で、何でもしようと思えばできるときに親を送り終えたことは幸いなこと。したいことをし終えて静かに去っていく。これが理想である。

そのためにはボケずに生きないといけない。先日、姪は「ボケない5か条」を送信してくれた。

1 人の世話をよくし、感謝できる人
2 仲間がいて気持ちの若い人
3 ものをよく読み、よく書く人
4 よく笑い、感動を忘れない人
5 趣味の楽しみをもち、旅好きな人

いつまでもこうでありたい。

このうちの趣味でいえば、昨日、習いに出掛けた日本画もその一つ。昨日はモチーフとしてフリージャを持参する。友人が持ってきてくれる土筆は遅くなり、フリージャを描く。先生はいつもの如く花瓶に花の向きを確認して活けてくださる。

絵の時間は3時間。2時間近くはデッサンに時間がかかり、色づけは短時間になる。ゆっくりなので何を描いているのか人から見れば滑稽だろう。それも仕方ない。途中、ケント紙が破れるといって先生は消しゴムの使用頻度を危ぶまれる。

大人しく描けばいいモノを消しゴムをトントンさせてにぎやかなこと。言葉はしゃべらなくても消しゴムの音がうるさいかもしれない。それくらい夢中で描き、先生の「消しゴム…」の言葉に「また言われてしまった」とハッとする。

生徒の一人から色紙を2枚いただく。先生は「この色紙に描こうかね」といってくださる。そして顔彩の話も出る。

顔彩と聞いて、以前、中国から買って帰ったことを話すと持参するようにとのこと。使用の可不可はともかく、次回は持参しよう。

今日はお昼は18度の予報。暖かくなりそうなのでプールへ行こう。今日も元気を出して!

2014年3月15日土曜日

第337回広響定演を聞きに行く

今日は最低気温1度の予報で冷え込んだ朝を迎える。昨日の地震で改めてこの世の中、いつ、何が起こるかわからないと知る。寝るときはいつでも飛び出せるような恰好で寝て、究極はしたいことは先延ばしにせず何でもすぐにしようと思ったりする。

昨夜は広島交響楽団第337回定演の日。プログラムを見て前回の定演でビオラの1人が指揮者と楽団員から花束を受取った理由がわかった。

その人は前回で定年退職なのか長年務めた楽団を去っていた。今回の定演ではコンサートマスターが楽団を去る。市長ほかの花束贈呈もあった。

昨夜、ネットを見ていると大阪市音の募集に50数倍の楽器パートがあったとか。演奏だけでなく事務的なこともするらしい。全国から各パートに応募者が殺到。

これほどの倍率で楽団員になったとしても月収は14万、年収は200万円で退職金なし。“好き”だけで音楽をするのは大変。それでも応募した人は当然、何よりも音楽が好きな人たちだろう。

昨夜の演奏テーマは“核心へ”と題され、演奏曲目は以下のようであった。

♪ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲Op.43

♪シベリウス 四つの伝説Op.22(レイミンカイネン組曲)

最初の曲はピアニストにイタリアのアレッシオ・バックスを迎えての演奏。前から8列目の席だが、生憎右側の席のためピアノを引く指は見えず残念。

アンコールはピアノのソロでクライスラーの“愛の喜び”(多分そう思う)だった。他にも昨夜限りで退団した人のアンコールでヴァイオリン独奏もあった。これもよかった!

指揮者である秋山和慶は指揮を始めて50年。地元紙ではその人の経歴を毎日、掲載している。楽団も50年、指揮者も50年。ずっと続いて欲しい。

今朝の地元紙には他にも台湾へご一緒した団長の記事掲載もある。かしこまって某贈呈式をされている。

今日は午後から日本画教室へ。友人は昨夜遅く、土筆が沢山生えたといって、教室へ持ってきてくれるという。今日のモチーフは先週のアイリスはしおれてしまい、フリージャを購入。土筆とフリージャ、さてどうするか先生に相談しよう。

午後からは温かくなりそう。今日も元気を出して!

2014年3月14日金曜日

イコノグラフィー

桐島洋子著『人生はまだ旅の途中』(大和書房、2013年)を読んだ。

この中で著者は広島について以下のように書いている。

「3SIV]とは海外駐在経験者たちに最も住みやすいと人気があるサンフランシスコ、シドニー、シアトル、バンクーバーの四都市のことだが、日本では札幌、広島、博多が、転勤族が魅せられる赴任地の三傑だといわれる。

特に広島は、原爆投下という壮絶なジェノサイド(大量虐殺)の犠牲になりながら逞しく立ち直ってめざましく発展し、いつまでも恨み言を言い募るどころか、逆に明るく温かいホスピタリティーで旅人を癒してくれる見事な都市である。もちろん都市部だけではなく、海に向いても山に入っても魅力の尽きない懐の深い県なのだ。

だから私は、外国の友人が訪れると『わざわざ日本までやってきて、世界のヒロシマを素通りする気じゃないでしょうね。東京と京都だけで日本を見たことにはならないのよ』と、ちょっと凄んだりして、強く広島行きを勧めるのである。」(99p)

生まれて今日までこの広島に地に住んでいる。話す言葉は広島弁。広島よりも都会はちょっぴりコンプレックスを抱きながらも広島が大好きである。

その広島で真夜中の2時過ぎ、大きな地震発生。揺れの長いこと。これほど長い地震は初めての経験。目を覚ますと揺れの収まるのを待って携帯のワンセグでTVを見る。まだ地震情報はしていない。しばらくすると震度5強とか。ところが市内は震度4。

震度4でも強い揺れ。3.11の震災の震災の強さを改めて実感。

ワンセグを見るのをすぐにやめて再度眠る。朝まで熟睡していた。

起床後、テレビを見ると3時過ぎにも余震があったとか。震度2だった。これには全く気づかず寝ていた。

今朝、最寄駅に行く途中、近所の人に出会う。地震の話になり、余震に気づかなかったと話す。「寝る子は育つよ」と言って笑われてしまった。

午前中、JRで西条まで出かけて美術講座を受ける。本来ならば、今日午後、合唱団から某所で慰問演奏会がある。それは欠席。夜は広島交響楽団の定期演奏会へ行く予定。

今日の美術講座。始まる前、受講生の1人から近代西洋画家の年表とその時代の出来事の一覧表をいただく。ありがたい!先生からは西条の銘酒入りケーキの差し入れがあり、美味しくいただく。そして、珈琲を飲みながら楽しく講座は始まる。毎回知らないキーワードが羅列し、今日は「イコノグラフィー」ほかが出てくる。後でネットで調べよう。

ディドロの『絵画論』から“文学に於いては論理的な文章がデッサンにあたる”とか。そして“デッサンは存在者に形を与え”、“存在者に生命を与えるのが色彩”。

今日習った中でイコノグラフィーとこの3点に興味がある。また“色彩はひとつの言語である”と知る。

全く美術に疎い。そして西洋画はキリスト教と西洋史を抜きにしては難しいと改めて知る。

日本画を習っている。美学の素養はないが「デッサンと色彩」は日本画にも当てはまりそう。理屈で絵は描けそうにない。それでも絵を描く時、今日習ったことが頭の隅っこにのこっていて、生かされればいいのだが…。

今夜の広響定演に行くまでこれからフルートの練習をしよう。今日も後半分、頑張って…。

2014年3月13日木曜日

旅のトラブル







今朝は雨。一日中雨がシトシトと降るのだろうか。こんな日は自転車で外にも行けない。プールに行こうと思ったけど、木曜日はクラブの利用が多い。日曜日に行くことにして今日は一日家で大人しくしよう。

先日出かけた京都の旅。寒くて、寒くてどこへ行ったのやら、何を見たのやらさっぱりわからない。ブログ用にと写した写真もお寺めぐりが多すぎてどこのお寺かさえもわからず。これじゃダメじゃ。

貰ったパンフと入場券で写真と照らし合わせてもわからずじまい。こうなるときれいな花をブログにアップするしかない。

ということで、どこで写した場所かすべてわからず。

ところが、今回の旅では国内なのに珍しくアクシデントがあり、ここだけはしっかり覚えている。2日目の朝一番の観光地である〇心寺大法院でのこと。まだ入門時刻ではない。ところが、スケジュールに書かれている時刻に入ると、「寒い中、ようこそ」と言って寺院内の緋毛氈の敷かれているお座敷に座らされる。

寺の係りが院内を説明する。そのうち抹茶とお饅頭が出る。偉い丁寧なこと、寒いからだろうか、と思った。

その矢先、トラブル発生。お茶をいただく団体が違っていたらしい。それからが大変。係りのつっけんどんな態度、掌を返すとはまさにこのことだろう。係りは怒りだし、障子戸をガチャっと音を出して逃げ出す始末。これが日本でも数本の指に入るほどの寺院の態度だろうか。呆れてしまった。

寺院内には数え切れないほど院がある。そのひとつの院の係りの態度の悪さ。すべてはお金?

観光客である我々は誰彼となく、「お金を払えばいいんでしょ」との言葉。たかが千円足らず。添乗員も会社に電話ばかりせず客である我々に事情を説明すればすむこと。

同じ旅行社でもブランドがある。その違いがこの結果になる。

ツアー客からはいつもタバコを吸っている添乗員に対して不満も出る。添乗員は寒いといっては背を丸くして動かず。客である我々は勝手に係りの言うまま観光する。その同じお寺で最後の観光の時であった。

添乗員が動かないため、ツアー客が呼びに行ってやっと入場可能。チケットは添乗員が払う。それを払ってもらわないと観光できない。それにしても誰が一番悪いのか。

旅の最後のアンケート。添乗員を責めるのも気が引ける。タバコを吸わない、しっかりした添乗員でないといけないと書きたいけど書かず。

思い出すことがある。海外旅行を始めて3度目の中国行きのこと。朝になって添乗員が集合時間になっても来ない。呼びに行くと寝ている。これには吃驚。

今回の旅の最後のあいさつで添乗員は「1,2トラブルがありました」「添乗員になるには…」と話し始める。悪い人ではない。楽しい旅だった。しかし、「仕事」をおろそかにしてはいけない。それもアルバイトでなく大の男の添乗員である。

とはいってもこのトラブルのおかげで〇心寺だけはどこへ行ったかがわからなくても、しっかり覚えていることだろう。これもまあ旅の思い出となれば由となる!?

2014年3月12日水曜日

ボケないための十か条

昨夜寝ようとする頃、姪からの着信メールに気づく。ブログを読んでくれたらしく、なんでもブログに投稿しているといわれる。申し訳ない。両親と出かける旅行について自分の気持ちを書いている。

母と姪と私の3人で、あるときは姉一家、妹一家も加わって国内をよく旅した。すべての経費は母親任せ。裕福ではないけれど、あの世へは何も持っては行かれない、生きてるうちに…と言っては父がなくなって以後、母は旅することを楽しみとした。

その当時のことを姪は「よく旅行したね。楽しく過ごせてよかった」と書いてくれる。

姪が両親と行く旅は一緒に行くだけで親孝行との返信メールをする。だから旅費は親に出してもらえばいい。

姪はメールの最後に「ボケない十か条知ってる?〇子ねえ完璧よ。」とある。

先ほど早速ネットで調べると以下のようだった。

ボケないための十か条

①常に感謝し、心にゆとりのある人

②本や新聞をよく読み、日記を毎日つける人

③手足をよく使う人

④人の世話をよくする人

⑤ハイカラな人

⑥酒をたしなみ、歌を歌うなど陽気な人

⑦友人が多く、付き合いのよい人

⑧趣味が多く、理想をもつ人

⑨奉仕精神旺盛な人

⑩異性に関心をもち続ける人

⑤を好奇心旺盛と置き換えればもしかして完璧!?

昨日は他にもフルートのレッスンを受ける。先生から1ヶ月くらい前、5回、間違わずに吹くようアドバイスされる。これはかなり効き目がある。

こうして吹いていると何故、間違えるのか、何故その音が出ないのかを考える。そのたび、いい音を出そうと試みる。昨日は“口を閉じる”コトについて先生に話す。フルートの穴に如何に息を漏らさず吹き込むか。これが大事なのではと勝手に想像。

いろいろと思いつくことを先生に話すので変に思われそう。

それでもレッスンのたび、少し楽器を外側に、指はレガートに、ブレスを長く…と、いろいろとアドバイスをいただく。K.339は一番高いファの音を長く吹く練習をするしかない。この練習はロングトーンの練習にもなる。頑張って練習しよう!

今日も元気で!

忘れてはいけない。今日は父の祥月命日。いなくなって丸24年。あの日は寒かった。皆元気で頑張ってるよ!

2014年3月11日火曜日

“A cada pajarillo,parecele bien su nido”(住めば都)

昨日と一昨日、京都に出かけた。出かける前、日本画教室でモチーフにしたアイリス。そしてアイリスと束になっていたスイトピー。忙しくしていてキッチンの流しの容器に水をつけたままにして行った。

今朝見るとどちらもいきいきとしている。次回の教室ではアイリスが開花するはず。先生は開花したアイリスを描こうと話される。今週末までアイリスを元気に保つことにしよう。

1泊2日で出かけた京都の冬の旅。寒いこと、寒いこと。冷たい、が当てはまるかもしれない。この時季だけ見ることができる襖絵などを見て歩く。どのお寺でも靴を脱ぐ。そのため、足の先の感覚がなくなりそうに冷たくなる。

昨朝は特に冷たく、雪が降り続く。お昼をしょうざんリゾートでいただく。少し山に向かうところにある大きな観光施設。食事中、窓ガラス越しに見る光景は前が見えないほどに降る雪。

いくら降っても広島は暖かいはずと気にせず外を眺める。しばらくすると雪も止む。それにしても冬の京都は本当に寒い!

一日目の夜は夕食がついていない。今回の旅は19名中、ひとり参加が7名。このうち3名で近くのお店に歩いて出かける。

ドリンクは飲み放題にして食事は3人で注文。それを割り勘にする。独身女3人、見知らぬもの同志、飲んでは食べる。なんとも楽しい!ひとりは看護婦さんだったとか、ひとりは55歳の旦那さんを以前、がんでなくされている。

元看護婦さんは結婚して東京に住む息子がかわいくてならない様子。だが、離れて暮らしている。嫁がにくい気持を話し始める。息子さんの名刺を見せてもらうと大企業、それも最先端の企業に勤務。

それを旦那さんと死に別れた人が息子とは子離れするようにとしきりに諭す。

その2人とは正反対の生き方をしている。何がいいのか悪いのか、わからない。だが、子離れしていない人はしきりに不満をあらわにする。

日常を離れるために旅に出る。旅に出たならば旅を楽しめばいい。

辺境の地が好きと話すと、外国へは行かないらしい。大きな体格ででっぷり太っていて人がよさそう。足に負担がかかるようで階段はスイスイ歩けない様子。

家から外に出るといろんな人に出くわす。そのたびに、いろんな“人生”を目の当たりにする。そして、何と平凡すぎる人生と自覚する。

そう思って、宿の部屋に入る。この旅行は旅行社側から今回のところへ行き先を変更された。そのためか、他の人は5,6階に宿泊。ひとりだけ12階へ。部屋は新しくて広い。

携帯を見ると姪から着信メール。

「中国には行かないと思うけど、この前、昆明で無差別テロもあったんよ。ウイグル族らしい。本格的に危ない時代になった。〇〇ちゃんも気をつけて、飛行機と行き先を選びます。〇子ねえも注意してね」と書いてある。

すぐに電話で今の状況で中国行きはありえない、5月に中欧へ行くと話す。それを聞いて安心してくれる。だが、人にはどこ、ここへ行くとはあまり言わない方がいい、と姪から諭される。その辺は、大いに自重あり、かも。姪はGWに自分の両親とフランスへ行く。「3人で行くんでしょ?」と話すと、「3人分は旅費も高いよ」と姪。

とはいっても全費用は親である姉夫婦が出してくれるよ、と姪に話す。

京都から帰ると姉から電話がかかっていた。かけなおすと、義兄がTVに出るとの新聞記事。郷土史研究会に所属している義兄はその番組に出たらしい。話をすると取材されたDVDを貰ったとうれしそうに話す。

姪に電話した話をすると、旅費はいくらかしらない様子。すべて子供である姪に任せているのだろう。

どこへ出かけてもそこに“住めば都”。

出かける前日のスペイン語の教室。臨時に来られたルーマニア人の先生は「どこが好きですか」と生徒に質問される。その返事は「我が家」“Mi casa”。その理由として「住めば都」の諺を教えてあげる。

A cada pajarillo,parecele bien su nido.“住めば都”

どこへ出かけてもその場、その時を楽しめばいい!

今日は午後からフルートのレッスン。これからフルートの練習をしよう。今日も元気で!

2014年3月8日土曜日

寒桜

先日、自宅最寄駅で咲いていた桜は寒桜とか。このごろはメディアで取り上げないのかと思っていた。一昨日、NHKのニュースを見ているとローカルで放映。寒桜とテロップが出る。以前は全国区で取り上げられていた。もしかして全国放送されたかもしれない。

桜といえば、家の近くのお宅にもさくらんぼの木がある。この桜も毎年、満開の時季が早い。まさに今が見ごろで咲き誇っている。

ソメイヨシノは25日頃が開花とか。春はすぐそこまで来ている?

昨日は午後からプールに出かける。いつもどおり、背泳とクロールで1キロ泳ぐ。高校生や社会人のクラブが1コースを占有していない時を見計らって泳ぐようにしている。昨日もスケジュール表を見ると大丈夫な時刻。ところが、なぜか高校生のクラブが1コースを利用。

これは困った!と思いながら横で泳ぎ始める。案の定、背泳ぎで荒波にのみこまれそうになる。水面に顔をつけていてもザブーッと強い水が顔を覆う。

泳ぎを途中でやめて、離れていたコースを泳いでいる男の人にコースを代わってもらうようにお願いする。その人は「余り関係ないと思うけど…」といいながらも心安く代わってくれた。ありがたかった。

その後、泳ぎを再開。確かに水は波打つ。だが、クラブから少し離れていると思うと気持ちが和らぐ。

相変わらず泳いだ後は鼻水と格闘。寝るころには収まり熟睡する。

今日はこれから日本画とスペイン語の教室へ。今日も元気を出して!

2014年3月7日金曜日

焼き牡蠣のフルート定例会

炭火に置いた網には焼き牡蠣が…

春が来る前の悪あがきなのか、寒い日が続く。

昨日はしばし寒さを忘れて焼き牡蠣のフルート定例会。場所は三越屋上。夏はビヤガーデンで1000席椅子があるらしい。

屋上と聞いてかなり厚着をして家を出る。白いテントが迷路のように張り巡らされ、お客は早めに集合した我々3人だけ。後から人も増えてくる。係りは暖かい備長炭を足元と牡蠣を焼く網の下に置いてくれる。

上から下からと暖かい。若い兄ちゃんが焼いてくれた牡蠣をどんどんお皿においてくれ、そのはしから焼き牡蠣は各自の口へと入っていく。足元には食べた後の牡蠣殻もバケツに入る。

この暖かい光景は小さい頃、近所にあった焼き芋屋を彷彿させる。そう話すと知人もそれを覚えている様子で可笑しかった。大きな五右衛門風呂みたいな釜にサツマイモを入れて炭で焼いて売っていた。小学校低学年の頃だろうか。思い出すだけで懐かしい。しかし、尾道の人は仙台育ちでご存じない!?

その横には貸し本屋もあった。スーパーなどなく、どの家も似たり寄ったりの生活レベル。各戸には縁側があり、勝手に子供たちは他所の家の縁側に集まって借りた本をまわし読み。

街中でこうした光景の駄菓子屋や居酒屋を見かけることがある。良き昭和を懐かしむのだろうか。

さて焼き牡蠣、かなりの数をいただく。横にはビール、そしてワイン。他にもアルコール類はいろいろとある。昨夜は焼き牡蠣のほかにアルミ箔で焼いたバタじゃが、焼きそばもいただく。いずれも美味!

春とはいってもまだ寒い冬の夜に焚き火をしているような暖かい気持になる。昨夜もよく食べ、よく飲み、よくしゃべって楽しく過ごす。「まだ明るいね」といって帰ろうとすると、外は暗いとか。真っ白なテントの中にいて、夜空の暗さに気づかず。

家に帰ると、次に出かけようとする旅行を取りやめるとの友人の電話がある。海外旅行の半分くらいはひとり参加。友人には悪いけどひとりで参加する旨、連絡する。

旅といえば、先ほど、宮崎の方丈様からお寺の機関紙が届く、その中にメモがある。

「トルコへ行って来ました。毎日5,6時間走るきつい旅でしたが、楽しく、珍しく満足でした。ただ、十日すぎても出した絵葉書が届かず心配です!!」と書いてある。

これを読むと一緒に行けばよかったかなと思う。だが、利用する航空機がひっかかり、トルコ行きは諦める。

1年前にご一緒したときも楽しい旅だった。その楽しさが伝わって来る。

方丈様から今朝は元気をいただく。ありがたい!

それにしても、旅行や習い事などで親切にしていただいた人はいつまでも友だちとして続いている。これは本当に心強く、ありがたい!

今日はこれから気をよくして泳ぎに行こう!今日も元気を出して!

2014年3月6日木曜日

『生きるということ』

空気が冷たい朝を迎える。日中は10度の予報で寒い一日となりそう。

昨日は眼科へ行く。視力がよくないので定期的に出かける眼科。この季節、鼻水が出ると決まったところに単純ヘルペスが出る。これが眼にできると大変。

女性の眼科医は鼻の下にできたヘルペスを見て眼でもどこでもOKの塗り薬をくれる。眼科でヘルペスの薬をもらう羽目になるとは、驚いてしまう。塗り薬はステロイドでないコトを確認する。

家に帰って塗るとすぐに治りそう。ヘルペスは帯状疱疹のように一生に一度しかかからないものと、単純ヘルペスのようにしょっちゅうかかるものがある。

特に帯状疱疹は体力が弱ったり精神的なダメージでなりやすい。今から24年前、父が亡くなる。その時、帯状疱疹にかかった。花を活ける剣山に載せられているような痛みがする。半端でない痛みだった。

単純ヘルペスも体力が弱っているときになるのだろうか。元気そのものでも、この季節の鼻水は困り者。

黒井千次の『生きるということ』(河出書房新社、2013年)を読んだ。

★…なんのために<書く>のか。<書く>とは確かめることであり、<生きること>の検証であり、その地点からまた歩き出すための深呼吸であるからだ。13p

★(図書館で借りて、身銭を切らずに本を読むことについて筆者は)これは鏡を見ることなしに生活するようなものだ。…かりそめにも何かを読もうとする以上は、そこに自分を映し出す鏡のあることには気づいている。読んだ本が面白いか面白くないかの感想は、鏡に映じた自分の姿に他ならない。鏡の中の自分をはっきり見ようとするならば、鏡に光を注いではならない。自分を映し出すためには、自分が光を受ける必要がある。そして借りた本は、曇った鏡であると知るべきだろう。125p

この図書館で借りて本を読むことについては著者のいうとおりかもしれない。痛いところをつかれた気がする。ほとんどの本は一度読むと二度とは読まない。また、狭い家に本が貯まりすぎると処理に困る。

5年前、学校と縁がなくなった時点で古本屋に300冊くらい本を売った。その時、3000円もらった。それからというもの、本は借りるものとの思いが強い。

図書館で借りるといっても著者のファンになるとなぜか借りた本を読むだけではその著者に失礼になる。そのため、その時は読んだ本を購入するようにしている。それはめったにないコトだけど…。

ともあれ、今日も元気を出して楽しく過ごそう!

2014年3月5日水曜日

声帯を閉じて

今朝の雨も今は止む。

それにしてもいつの時代も紛争がたえない。今年の年賀状に「2月に母になります」があった。そう寄こした友だちは大学院の同じ研究室で知り合ったウクライナ人と結婚。今日は3月5日で、もしかして赤ちゃんとご対面ズミかもしれない。

ウクライナは旧ソ連領。友だちの旦那さんであるウクライナの人は以前にあったとき、博士論文作成の傍ら、某音楽大学で英語を教えておられると聞いた。

ロシア語ならばまだしも英語と聞いて少々驚く。ロシア語は当然話せても、好きになれないのだろう。

政治的なことはわからない。しかし、ロシアがウクライナに軍事介入するという親が子をいじめるようなことは決してあってはならない。

朝からこう思うのも、出かけようとしている国が紛争地域に近すぎることにある。

旧ソ連時代に出かけたモスクワ、レニングラードやソ連領シルクロードのウズベキスタンなど、どこもすばらしく、何の違和感も抱かずに出かけた。

ところが、東西の冷戦も解けて世の中、平和になると思えた。それなのに、世界各地で紛争は続いている。

話は変わって、昨日のフルート・レッスン。さらっているK.339。いい感じで吹く。だが、音符をなぞっている。曲は8分の6拍子。その中に付点二分音符が2小節と6分の1小節の長さの音がある。それも一番高いファの音。この音が曲者で、ロングトーンの練習は欠かせない。

先生から声帯を閉じて(喉を広げて)練習するよう教わる。ちょっとした先生のアドバイスでいい音が出せるようになる。頑張って練習しよう!

レッスン後、デパート内で友だちとバッタリ出会う。その人とは一昨日もオペラの会場で出会った。昨日は25年習っている英語の勉強の帰りとか。今は太極拳の先生。会うたび、「習いに来て!元気になるよ」と言われる。それを聞くと「毎週プールで1キロ泳いでいる!」と元気をアピール。

最近、以前知り合った人に泳ぐ話をすると聞いた相手は吃驚する。この反応が面白い!そのたび“人は進化し続けま~す!”と言いたいね。

今日も元気で!

2014年3月4日火曜日

昨日の合唱から

次に出かける予定の旅行社から書類一式が届く。中身をみると何と面倒なことか。書類を見て気づいたのは海外での傷病や事故での救援者費用。クレジットで海外傷害保険が付帯されている。これまで保険をかけずに出かけたことも多かった。

書類を見ると「無制限」の利用例を羅列し、救援費用も馬鹿にならないことをしきりにアピールする。ここまで言われると「無制限」で保険をかけざるをえない。

朝からブツブツ言っても仕方がない。言われるままに行動するのも魔よけかもしれない。

さて昨日の合唱。バスガイドを若い頃されていた人がいる。その人は前に出て一人でその頃の歌を歌われる。聞いたこともない歌だった。

病気をされて以前ほど声が出ないとぼやかれる。今では想像もできないが、当時のウエストは60cmと標準サイズだったとか。

歌が終わってお昼を食べているとお花見、慰問、クリスマス会の話が出る。お花見は会計監査を兼ねるらしい。

この会計はバスガイドをしていた人がされている。この人はボケ防止も兼ねて会計をされているとか。何か役を持てば練習も休まないことにもあるらしい。

会長から、その話を聞いた後、クリスマス会でフルートは欠かせないと言われる。副会長からはある曲を歌うのでフルートで伴奏するように頼まれる。

フルートは、ただ、自分で吹いて楽しいことだけで習っている。一緒に歌ったりしてフルートを吹く機会があればそれもいいことかも知れない。

今日はそのフルートのレッスン日。K.339はかなり練習したつもり。出かけるまでもうちょっと練習しよう。今日も元気を出して!

2014年3月3日月曜日

オペラ&合唱

今日は合唱の練習日。朝早くから家を出て、先ほど帰宅。お昼を5人でいただいた後、友人宅に寄る。

友人宅で裏の畑に植えてある水仙をもらう。水仙は芳香を放つがそのにおいはきつい。友人は油絵の画材の水仙などの花をバケツ一杯と大きなキャンバスをタクシーに載せて習っているアトリエに向かう。その車に同乗してアトリエに行く。

絵画のアトリエに入るのは初めて。中に入ると油絵の具のにおいなのかシンナーのような匂いがする。このにおいと水仙のにおいは似すぎている!?

五感の中で一番発達している(?)嗅覚。花粉症なのかそれとも水仙のにおいか、はたまた油絵の具の仕業か、鼻水がとまらない。

アトリエで初めて油絵の先生とご対面。先生のブログを見ていると話すと、「更新します!」とのこと。「小春おばさん、今晩は!」で始まる先生のブログに再度、お目にかかれそう。

アトリエを出て友人に話す。「油絵はにおいがきつすぎて習えない。習っているのが日本画でよかった!」と。

友人と話していて昨日の話になる。なんと互いに同じオペラを聞きに行っている。これを聞いて吃驚!

オペラのチケットは出演した知人からいただく。だが、始めにもらったチケットは財布とともに行方不明。再度、チケットをいただく。ありがたい!

知人は歌あり、ダンスあり、演奏あり…と話していたけど、さぞかし楽しかったことだろう。

今回は日本語上演でわかりやすかった。タイトルは喜歌劇“こうもり”。喜劇の要素が随所にあり、面白い。やはり生の舞台は見ごたえ十分で迫力がある。

先ほどJR最寄駅で降りると同級生と出会う。先日、美学の人が同窓会で話題にしている同級生の話をすると吃驚する。しばし、こころは半世紀前にタイムスリップ。

楽しい話題はいつの時代のことでもいいものである。今日の同級生も笑って聞いてくれた。

今日も暮れようとしている。それにしても鼻水は何とかならないのだろうか…。

2014年3月2日日曜日

桜が咲いた!


自宅最寄駅にある早咲きの桜
昨日、友だちと分かれたあと自宅最寄駅1番ホームで見事に咲いた桜を見る。この桜、早咲きの桜なのか、例年テレビなどで取り上げられる。さて、このごろは?

線路そばに植えてある大きな桜。ソメイヨシノとは違って花の色は濃いピンク。携帯で写すと、今一歩、色が悪い。

桜の木は近くで写真を写せない位置にある。駅を出て家に帰る途中、首を上にして写真に撮る。

この桜を見ても確実に春は来ている!

友だちは長く東京に住み、夫の転勤で広島へ。♪東京へはもう何度も行きましたか~♪の歌ではないけれど、何度も、は行ったことがない。修学旅行を含めて3,4度。

その人と昨日は長い時間、楽しく話す。話を聞いていると、今のお仕事は10数年前に大学院へ入られて資格を得てされている。元々、東京でも有名な大学を卒業され、大学院に入るため、予備校へも通われたらしい。

それまでも第一線で活躍され、すばらしい生き方をされている。こういう人の話に刺激を受けて、元気を貰う。ありがたい!

元気といえば昨日の桜。桜といえば春。そして春は旅行。

今朝の地元紙を見ると、某旅行社の通販事業の開設チラシがある。この旅行社の関西や関東の旅行は以前よく出かけていた。ところが、母の介護で旅行もままならぬようになると、ぴたっと案内も来なくなる。それは見事なものだった。

ところが今朝のチラシのいいところを発見。それは国内の大半の出発時刻が8時過ぎと遅いこと。これはいい!これまでの旅行社は出発時刻が7時前後と早い。そして、すべて1名様参加OKがいい。

この一枚の業務開設チラシの影響か、それとも旅行シーズン到来の影響か、地元紙の旅行募集広告は全面2ページと一部が6ページもある。そして、大手旅行社3社が旅行募集を競う。

今日のチラシの入った旅行社を含めると4社が入り乱れて旅行募集もし烈な競争となるのだろうか…。

今日は午後からフルートの先生と知人が出演するオペラ観賞に出かける。今日も元気を出して頑張ろう!

2014年3月1日土曜日

マイペース、マイペース

今にも雨の降りそうなどんよりとした朝を迎える。昨日はPM2.5 か花粉症の季節の到来か、プールのあと久しぶり鼻水と格闘する。

なんと言っても集中力が全くなくなる。それでもどうにか夜はぐっすり眠る。

昨日も背泳ぎとクロールで1キロ泳ぐ。プールに入ろうとするとワンポイント・レッスンを終えた人と出会う。昨日の先生は前回の先生と異なるとか。

ナニゴトを習うにも先生との相性がある。これはすべてに当てはまりそう。

前回の先生はユーモアのセンスはゼロ。全く面白みに欠ける。ところが昨日の先生はそうでもないらしい。

上手な人は習わなくてもいい。出来が悪いから習っている。先生はやっぱり褒めながら教えてくれる人がいい!

泳ぎ終えて更衣室にいる人と話をすると、毎日泳いでいるという。プールの場所は同じところではないらしい。どこで?と尋ねると隣町の福祉センターのプールという。誰でも無料らしい。

以前にも誰かに聞いたことがある。一度自転車で様子を見に行くといって昨日は別れる。

教えてもらったプールは自転車で行かれるところ。これは便利。

それにしても週に一度1キロ泳ぐと自慢げに話しているけど、聞いた人は毎日泳いでいる。もしも毎日泳ぐとしたら、健康になるどころか体に負担がかかりすぎて病気になりそう。

ナニゴトも適当に楽しんですればいい。そう思って今日もマイペース、マイペース。元気を出そう!