2014年2月28日金曜日

『ひとり達人のススメ』

一昨日、西条で講座受講後、近くにあるスーパーに立寄る。知らない町のスーパーはちょっとした旅行気分。菜の花2本、ガーベラのピンクと黄色各1本、菖蒲1本のセットになったものとアネモネのポットを購入。アネモネはブルー。薔薇も最近はサントリーがブルーを開発している。このブルー、人の眼をひきつける。

すぐにポットから出して庭に植える。今朝、庭を見るとアネモネはブルーの存在感を示している。庭といえば他にも、以前に植えたはつか大根が緑の葉っぱを生き生きさせる。いい具合に育ったら、絵画のモチーフになりそう。

一昨日は他にも、所属する研究会の開催と懇親会のメールを受取る。会に所属するだけで会合への参加はあまりしていなかった。しかし、これからは積極的に参加しようと決意。その旨、メールで申し込む。だが、懇親会への参加はためらう。

返信メールには主の指導教官も懇親会へ参加されると書いてある。迷いを振り切って参加する旨、返信メールをする。

会への参加を決める前夜、共にゼミを学んだ福山の人に電話する。その人は若い頃、博士課程前期を修了され、短大の講師をされている。5年前からは社会人として博士課程後期で学ばれている。

電話では3月までに1本の論文と9月までに、さらに1本論文を書かねばならないとか。これを聞いて、のほほんと暮している自分を恥じる。2歳上の人だが、その意気込みは凄い!研究会の参加はできないらしい。

頑張っている人の話を聞いて、研究会にもどんどん参加しようという気持になる。友人の言葉ではないが、誰もが参加できる研究会ではない。学んだ折角のチャンスを逃さず、どんどん会合にも目を向けよう!

以下は、以前に読んだ本の抜粋。

それにしても、母を亡くしてから「孤独」「ひとり」など、なんと淋しいキーワードの本ばかりを読んでいることだろう。今はその気持も少しは薄れてきた。これからは他の方面の本も読むようにしよう!

『ひとり達人のススメ』サブタイトル「『ひとりに』は、覚悟から生まれた強さがある」(山折哲雄 主婦の友社、2013年)

本の裏表紙には「ひとりになることを考えたり突き詰めたりすることは、むしろ楽に人生を終えることにつながるのであり、最期に幸せな状況を手に入れる生き方なのかもしれない。そういうふうに、『ひとり』に関する価値の転換ができるかできないかというのは、これからの課題ではないかと考えています。」

「我が国は、西ヨーロッパと違って、どうにもコントロールできない地震という災害から免れることができない。そして、私たちは、このような不安定な自然な中で、結局はひとりで身を処して生きていかなければならない…。ひとりで生きるというのは、悲しみの中のひとりであり、寂しさの中のひとりです。それが無常ということの究極の生き方かもしれない。だからこそ、そのひとりであることを雄雄しく引き受けていこうではないかと、凛とした生き方を促す。」(53P)

「インディビジュアルをいくら突き詰めても、心は震えない。ところが、日本語のひとりを突き詰めていくと、心が震える。その違いは大きいと思うのです。…ひとりの本質を知ることは、そのものに人間としての強さを作り出す。ひとりを知ることによって、各々の人間の可能性と強度を育む、それ以外にないと思うようになったのです。いじめのような問題を乗り越えていくためには、特にそうではないかと。」(70p)

「理想的な生き方とは、裸で生まれてきて、仕事をして、金を儲けるなら儲け、そして、また裸になって死んでいくというもの。たとえ大金持ちになっても、貯えはすべてどこかに寄付などして、さっぱり裸になって死ぬのが理想ということです。…『散るさくら』や『散るもみじ』の句の心境になり、最期は無一文、もっといえば無一物になり、たったひとりで死んでいく。私たちの世代で、これが理想だという人間は実際にそれができるかどうかは別として、かなり多いと思います。」(76-77p)

「ひとりになることを考えたり突き詰めたりすることは、むしろ楽に人生を終えることにつながるのであり、最期に幸せな状況を手に入れる生き方かもしれない。」(77p)

「団塊の世代というのは、経済が目覚しく右肩上がりだった時代に生きてきたためか、その言動を観察していると、比較的、閉塞感や悲哀感というものを味あわずに生きているように見えます。そういう世代の人たちこそ、ここで立ち止まって『ひとり』を考えるべきなのかもしれません。寿命も延びて、ますます盛んな団塊の世代。お金も貯め込み、旅行だ何だといって生きていることを謳歌しているように見えます。彼らにあるのは、『死生観』のうちの『生観』だけで、『死観』はないように見える。団塊の人々がこのままでいくと、先ほどいったように、死が目前に迫ったときに直面するのは恐怖や未練のみとなるはずです。」(78p)

「団塊世代も含めて、多くの人が、欲望を抑え、『死生観』の『死観』を持つようになったら、どんなにいいことか。そうすれば、死を怖れたり、孤独死をいやがったりすることもなくなるはずです。むしろすすんで『孤独死』を受け入れるようになるかもしれません。」(82p)

「今、特別養護老人ホームのような場所に行くと、植物状態、痴呆状態になっている人が、ものも言わず横たわっています。…常々『ああはなりたくない』と考える人は増えるでしょう。あのようになるならば、この孤独という牢獄で、それこそ陋巷で最期を迎えようと思ったとしても不思議はありません。どんなにボロボロでも、たとえ汚れていても、住み慣れたところで終わりたいと思うはずです。しかしながら、社会は、自宅でひとり亡くなることをよしとしない。新聞やテレビは『孤独死』と騒ぎ立てる。…やはり人間は、『ひとりで生まれてきて、死ぬときもひとりだ』ということを、よくよく自分に言い聞かせていくほかはない。生きてるすべての者にとって、重要なキャッチフレーズではないでしょうか。」(91-92p)

「震災に限らず、病気や不慮の事故などで大切な人に先立たれてしまったとき、人は絶望の谷に突き落とされ、なかなか這い上がることができません。そこで鍵となるのが、死者の鎮魂め。いわゆる鎮魂です。なくなった者への鎮魂ができたと自分なりに納得できた人は、やがて立ち直って前を向くことができます。だから亡くなった人との対話が、できるか、できないかが、非常に重要になってくるわけです。」(108-109p)

「年の初めは神社への初詣から始まって、春や夏のお彼岸とお盆にはお墓参りをする。大晦日になればお寺に除夜の鐘をつきに行く。現代の日本人は信仰心が薄いといわれますが、神仏にかかわる行事は生活の中に染み込んでいます。このような風習は死者との対話の機会でもあるのです。だから大事にしなければならない。」(110p)

「ひとりであるということは、実は『考える』ということ。ひとりだから、ものごとをじっくり考えることができるというわけです。」(132p)

「ひとりになれない人間は、結局は『比較地獄』に陥ることになる。たえず他人と自分を比較せずにいられない。…群の関係がしばしば陥りがちな『嫉妬地獄』から身を離すためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。」(157p)

「私たちは、最期は自然に包まれながら、その中に帰っていきたいという意識を持っています。循環と再生が約束された自然を道連れにしていると、我々はひとりでいることも、そしてひとりで死ぬことも決して寂しいとは思わない。」(187p)

「その時が来るまで、ひとりで足腰を鍛えておけ!」(191p)

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