2014年2月13日木曜日

『六十六の暦』

『六十六の暦』(澤地久枝 講談社 1998年)を読んだ。といっても1年以上前に読んだもの。その頃、澤地久枝の『道づれは好奇心』を読んで感動し、それ以来、著者の本を探しては読んだ。これはその1冊。またいつものように気になるところを記そう。

「旅立ちの日が近づいてくる。いつも旅立つ前はこんな気分だったろうか、と思いつづけている。なにか、さびしい気持。誰も引きとめる人のいない旅立ち。誰も両手をひろげて待ち受けている人のいない旅立ち。親しい友達はいるが、わたしの心が求めているのはもっと親密な異性であるのかも知れない。この数日、遠くなった恋の日のことがまるでたぐりだすように、つぎつぎと思い出されてくる。たくさんの嘘、たくさんの演技。たがいに気づかぬふりをしながら、ほんとうはどちらもよく気づいていた男と女のつきあい。そのむなしさに疲れ果て、傷つき果てて(相手も同じであろうけれど)、わたしの人生から異性の姿は消えた。でもね。
   誰もいない一人暮らしが何十年とつづいてきて、その揚句、新しい人生に向けて自分を試そうとするとき、『だあれもいない』一抹のさびしさはやはりあるのです。別れた男性たちへの執着など、もはやない。はじめから醒めてもいた。…死んでしまいたいと思うほどの現実にわたしは打ち砕かれていた。そういう日のあったわが身を、いとおしいと思っているわたしがいる。」100-101p

著者がスタンフォード大学へ聴講生として一人旅立つ日を前にした心境?海外旅行へ旅立つ日もこれに似た心境になる。誰も同じ!?

「スタンフォード大学はまことに恵まれた自然環境のなかにある。広大なキャンパス、リスやさまざまな小鳥の棲むおおきな樹々にかこまれて、初期の修道院を模した建物が並ぶ。早朝から夜八時まで十五分おきに無料のシャトルバス、マルガレータが走っている。十一月末の雨季以前には一点の雲もなく、拭い上げたような青空であり、新鮮な大気がみなぎっていた。暑かった。そして、ふくら雀のようにたくさんの新しい知恵と勉学への抱負に身をふくらませ、再出発の最初の関門をどうにか無事通りすぎ帰宅したというわけです。」105p

「六十七歳になってアメリカ滞在を志したのは、出来ないなりにアメリカの大学生活の一端にふれたかったということではなかったか。ほんとうのところは自分でもわからない。英会話の教室へ週一回から二回、一回八十分ずつのレッスンの通った日もあるが、効果はなかった。しかし、あるとき、アメリカ人の教師に言われた。『あなたにはコミュニケイティヴ。アヴィリティがあるから大丈夫』と。そう言われて安心し、十分の一でもわかればよしとしようとわりきって出かけたのだから、われながら困ったものだ。…」109-110p

これを読むと生きているうちに一度でいいから海外で暮してみたくなる。もっと大げさに言えば海外の大学に入ってみたい!夢は夢で終わらせてはいけない?スペイン語を頑張れば語学留学も夢ではなさそう。頑張ろう!まだ間に合う!?
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「国外への旅の機会は多いが、行ったさきの、土地の食事がわたしの好みである。梅干、塩こんぶのたぐいを以って旅をしたことはない。お国柄や土地柄、豊かさ貧しさを如実に感じさせてくれる食事の方が、旅人にとってはいい思い出になるし、それぞれのおいしさを味わうのがわたしのひそかな旅の悦楽ともいえる。」183p

「わたしは根本的に人間好きであることにかわりはないが、スタンフォード暮らし以来、植物や小動物、雲の動きや風の気配がひどく気になるようになった。木々の葉を風がゆすってすぎるのを見ているとき、胸をあつくするような『生きている』実感がある。そしてまた、感動してすぐ涙ぐむようになったわたし自身に驚いている。…七十歳が近づくことが具体的にどういうことであるか、身体上の変化、視力の衰えなどにより、逃れようもなく思い知らされている。でも、そうであるからいっそう、せめて心のやわらかさ、新鮮な感性を保ってゆきたい。感じる心を失わずにいたい。」236-237p

この本を読んだ時はなぜかブログ投稿をためらう。だが、澤地の本を読むといつもいい刺激になる。いつか夢は実現?

今日は午後から合唱の人の水彩画展を見に行く。その後で、台湾友好協会の講演を聴く。そういえば、昨夜の電話で岩国の人は台湾へ行くと話していた。近いうち台湾旅行記をブログにアップしよう!

外国ついでに書くと、昨夜のテレビはスリランカを放映していた。丁度出かけてから一年になる。変化のない生活をしていると海外の話題はマンネリ打破に効果大。今日も刺激を受けに外へ出かけよう。元気を出して!

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