小寒も過ぎ年賀状も出揃った感がある。そんな中、今朝2枚の寒中見舞いを受け取る。
1枚はエレクトーンを習っていたときの人。お母さんを亡くされていた。その文面には「是非お会いしたいです!!」と書いてある。すぐにTELした。久しぶりに声を聞く。
昨年、互いに母親を亡くしていたと知る。彼女は私よりもずっと若い!また亡くなられたお母さんも私の母よりも20歳も若い。電話で聞く言葉すべてがよくわかる。互いの親の緊急入院の時期も数日違いでほとんど同じ。当時、同じ気持を共有していた…。彼女は一人娘。私もそう思われていたみたい。3人姉妹の真ん中なのによく人から一人娘?といわれる。
彼女は相変わらずボランティア活動で頑張っている。もうすぐにでも皆に会いたい!と話は盛り上がる。早速日程を調節して皆で会う準備をしよう。
もう1枚は年賀葉書に「寒中御見舞い 春よ来い!」と書かれた賀状。葉書には一般的な年賀の文はなく、寒中見舞いとして出されている。
差出人は青年海外協力隊でブータンに行き、それを本に書いた人。ブータンといえばこの人がすぐに頭に浮かぶ。
元日、母の訃報を知らせていない人からいつもどおり年賀状を受け取る。毎年ブータンに関する写真年賀状を下さる人から元日に年賀状が来なかった。「何故?」と気になっていた。それも今朝の葉書きを見て納得する。
この人は東京の大学で図書館業務に携わっている。そのためか、文面には3.11の震災後から今日まで「津波により全壊流失した図書館の再建まで支援活動続行中」と書いてあり、図書館の復旧活動をされている様子が伝わってくる。その経緯をこの葉書で知った。
葉書は昨年4月8日に撮影された気仙沼の写真が印刷されていた。
年賀状に替えて、寒中見舞いにされた理由もわかってきた。
そして葉書きの最後には手書きで「11/17ホテルニューオータニで歓迎レセプション ブータン国王とお会いしました!」とある。以前メールで「レセプション参加は…!?」と書いてあった。それが参加できたとのこと。本当によかった!
寒中見舞いとしては先日もらった社会人大学時代の友人も年賀葉書に「寒中お見舞い申し上げます」と書いてある。若い人なのに私とのことを「不思議な御縁を感じました」と記してもらい、優しい気持が伝わってくる。
また寒中見舞いとは少し異なるが、フルートの先生の年賀葉書には「新年のご挨拶を申し上げます」とあり、旅行友だちも「本年もよろしくお願いいたします」とある。共にめでたい言葉は書かれていない。この人たちも震災を考慮されたのだろう。
初春、訃報の知らせを兼ねて寒中見舞いを出した。だがそれは差し出した人に今朝のような感動を与えただろうか。ふと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿