2011年12月26日月曜日

『道づれは好奇心』

夕飯後、BSの「長江 天と地の大紀行 第一回チベット大峡谷と理想郷」を看る。それを看ていて「やっぱり中国が好きなんだ」と気づかされる。というか中国の大地や民族が好きなのかも知れない。旅心に誘われる。

旅といえば先日、お礼のメールをしてただ一人返事が来なかった人からも夕方返事をもらう。全員、携帯番号にショートメールで送信した。そのうち何人かは携帯のメールアドレスを知らせてもらう。今日の人もそうだった。その人からのメールには「人の気持を大切にされる方ですね」とある。メールをもらったモノよりもそう書いて送ってくれたヒトのほうがよほどそうである。ありがとう!

旅といえばなんといっても「好奇心」。それにふさわしい本があった。『道づれは好奇心』(澤地久枝 講談社、2002年)である。

以前、筆者の澤地が琉球大学やアメリカの大学に通う姿をTVでみたことがあった。そのとき私は会社に勤めていた。若者に混じって楽しそうに学ぶ筆者のその姿を看たとき、とても感動し、「いつか私も…」と思ったことがあった。そのときのことなどがこの本に書いてある。筆者が大学で学んだのは1999年頃。4年後、私のその夢は叶う。今さらながら何事も「思いを抱き続けばそれは実現する」を実感する。

なんといってもこの人は素晴らしい!こういう人の本を読むと「今から…」と思うし、勇気をもらう。今ブログに投稿しながら改めて読んでいるともうこれは我がバイブルとしか思えない。よいも悪いも「好奇心」はある。これからも筆者のように「好奇心」を持ち続けよう!

筆者は本のタイトルどおり、「好奇心」と言うキーワードを頻繁に使用している。そのキーワード、全部を拾い集めた。すべてをブログに投稿するには長くなるので一部は割愛した。以下がその引用である。

「…行けないはずの場所へ行ったということにわたしは興奮した。たっぷりと満たされるものがあった。なにが満たされたのか?それはわたしの好奇心。封じ込められていたものがこのいっときに解放され、喜んでとびはねているようだった。わたしは子供のときから好奇心の強い人間だった。…やりたいことはかならずやるという厄介な習性。その中心に位置しているのが『好奇心さま』なのだ。これは生まれつきのものか、自分で育てたものかわからない。物心ついたらそうだった。」(11p)

「もしもなんに対しても興味をもてなくなったら、時間があり、経済にゆとりがあっても、わたしはひょいと気軽に旅に出るだろうか。カタクリの開花を見たいという思いだけで出てゆく一人旅。旅のさきにはかならず未知の世界が待っている。そういうわたしの道連れは、好奇心。貪欲な好奇心がわたしの心を揺さぶり、ひょいと身軽に腰をあげさせる。七十歳をこえればそれだけの衰えは確実にやってきている。それでも、好奇心を道づれに遠くまで歩いてきた。好奇心によって生かされた今日までの人生。わたしが特別な人間であるわけがない。」(17p)

「『教えることはしない』人生をえらんだが、いまではなにをしても許される境遇に身をおき、すべては自分でえらぶのだ。伝えたいことがないわけではない。初めての経験への好奇心と冒険心がわたしを揺り動かした。という次第で一九九九年度前期の半年、『非常勤講師』として週に一日、九十分の講座をもつことになった。」(20p)

「いつも好奇心を道づれの人生を歩いてきて、『沖縄』の原風景というべきものが心にある。それはなんなのか。じっくり自分と向き合うことになった。…好奇心のかたまりのわたしが記憶する事柄は、まことに自己中心身勝手なものだった思う。」(39p)

「これが現実なのだと思った。『だからダメだ』と思うことはするまいと考えた。この状態から前向きの知的好奇心が生まれることに希望をもとうと。…この日をさかいに、わたしの文章はすこしは変化したはずである。通じない日本語は、さしあたって端を書けるときの障害になる。」(101-102p)

「学ぶことと伝えることとは、わたしにとっては切り離せない一つのものだった。自信をもって伝えるためには十分に学び直す必要があった。スタンフォードの一学期間と、琉球大学の二年間、わたしは学ぶ生活に徹したことになる。それを実現できたのは、自分がそんなにものを知らないかという自覚と、未知のことにほんのすこしでも近づきたいという意欲、いや好奇心のたまものだった。学生たちがわたしの好奇心に感染してくれるといいのだけれど。『知りたい』『知ろう』という気持ちがなくては、積極的な行動は生まれない。この気持の底にひそんでいるのが好奇心なのだ。関心と言ってもいいし、知識欲と言うこともできる。わたしの人生では、『好奇心』とよぶのがいちばん適切であるようだ。」(104-105p)

「どんな心の持ち方で生きるか、きまりもない禁止の法律などもない。一人ひとりがえらぶことだ。好奇心人間のわたしの人生は、与えられた条件をいつもはみだし、生きたいように存分に生きてきた。その傾向はまだ失われていない。わたしが『外国人以下の日本人』と自称する理由は、数年前まで金閣寺、銀閣寺、龍安寺の石庭などなど、日本人なら当然一度は訪ねている場所へ一度も行っていないせいだった。『いつか、好きな異性と二人きりで』というかわいい夢をかなえられなかったせいもある。」(114p)

「この国の政治の動きに対して、たとえ孤立し、罵詈讒謗を浴びせられても、機会をみつけて変わらぬ志を述べる生きかたをかえないでいようと心を決めた。…そういう仕打ちが大手をふってまかり通りそうな世相が近づこうとしている。好奇心人間のわたしといえども、そんな不幸な世の中など見たくはない。…心は剛直に、生き方は柔軟に(できれば優雅にというのは高望みだが)生きてゆく。そのときも、わたしの有力な道づれは貪欲この上ないわが『好奇心』ということになろう。」(115-117p)

「だれも認めてくれなくてもいい。わたしはいつも、精いっぱい生きてきた。これがわたしの人生といえるほどの成果などなくても、一所懸命に生きた自分を認めてやろう。後悔はない。…ここまで生き、仕事もつづけてきて、なしうることのささやかさを思い知り、それがふつうの人生なのだとわたしは静かに肯定する。大きなことなどできなくていい、できない方が人間的だと思う。他人に強いる気はないけれど、わたしは自足できる答えに達した。」(172-173p)

「若い人にまじって大学で聴講をつづけていて、昨日よりは今日と変わってゆこうとしている自分に気づく。ささやかでありながら内容豊かな人生を生きるとはどういうことか、答えを今も求めつづけ、命を実感するわたしがいる。」(173-174p)

「『もうすぐ七十歳になるのよ』と言うべきだっただろうか。メディテーションはいざ知らず、好奇心と意志を支柱として、わたしは小さな旗をかかげて生きてゆく。『矩』は結局のところ、わたしの判断。それを踰えそうだ。ヴィザなしでアルジェリア国境の無人地帯へ三歩入る冒険をやってのけたように。」(190p)

「未知の世界に心躍らせる好奇心を押しつぶし、人とはチョッピリ違った行為をする冒険心をさげすみ、ひたすら老いることを嫌い、『ぼけ』をおそれる日々を送っていたら、人は老い、ぼけることをまぬがれない。」(193p)

「『好奇心がつよい』などと言わない方がいいと思う。『知りたい』」欲求よりも、こわいものから逃げようという本能の力がはるかにつよいのだから――。ヤモリはその一例で、そのほかにもきっとある。」(243p)

「好奇心が道づれの人生の恩沢を書いたが、わたしは節度と志のブレーキは保ってきたと思っている。そういう志を欠き、その上お金がらみになったら、パパラッチの同族になろう。パパラッチになるのは好奇心人間ではなく、『かくされたもの』を知りたいという人間の俗な好奇心につけいり、金銭の代償(成功報酬?)として他人のプライヴァシーをあばくことを仕事とする人たちだ。」(244-245p)

「感動はあとに自問自答をひき起こす。感動が呼びおこした『わたしも…』という新鮮な意欲。それがわたしのささえ。『好奇心』を道づれに、もうすこし、精一杯生きてゆこう。」(249p)

(あとがきから)「『道づれは好奇心』とタイトルをつけたこの本のあと、プランはあるが、当分書く気はない。わたしは一つの時代に区切りの線を引き、のこされた時代へのあたらしい出発を用意することになりそう。区切りのためにかつての旅や仕事の資料をまとめていて、わたしは“好奇心”というパートナーとともに生きてきたと思った。なんとも貪欲でこわいもの知らずの生き方をしてきた。『遠っ走りのチャー坊』だった幼児の日から今日まで、わたしが好奇心を養い育てたのか、生来の好奇心がわたしの人生を決めたのか、区別はつかない。よき人との出会いに恵まれて、倖せな人生であることの一端は、この本の挿画にのぞいている。すべての思いに感謝のおもいでいっぱいです。」(252p)

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