明け方は雨。それも次第に晴れる。昼過ぎ自転車で外にでる。帰宅すると、スペインへ行った写真を整理。いろんな人から写真をもらうので、相当な枚数になる。全部を日付順に並べられない。しばらくどこで写ったのか考えてしまったり…。
幸い知人からもらった写真には日付が入っている。着ている服で日付を確認して自分で撮った写真を合わせていく。他の人からのものはバラバラなので別にまとめることにした。かなり時間がかかる。
夕飯を食べて蓮池徹著『拉致と人生 夢うばわれても』(PHP研究所、2011年)を一気に読む。
長く生きてきて涙を流しながら本を読むということはなかった。ところがこの本は120頁という短い本(文字も大きい)なのに38頁付近から本の最終頁まで涙がとまらない。
「拉致」という誰もしなくていいコトを経験する。その思いが同じ筆者の『半島へ、ふたたび』よりももっと本音で語っている、と感じた。
筆者はたびたび北朝鮮で引越しをしたことから「ちょっとした会話からでも、相手の真意を必要以上に探ろうとします。…この出来事の背後に何があるのかを、考えざるを得ない。…これは何だろうと詮索することが、習慣になっています。…拉致という、本当に苦しく、絶望的な体験を生き抜くための知恵として、ごく自然に身についたのだと思います。」という(38-39p)。
拉致されて以後、一生懸命に「帰せ」と訴えたという。それも次第に無駄なことだと知り脱力感と虚無感が襲う。そのことを筆者は「私が拉致によって閉ざされたのは、夢と希望です。」そして北朝鮮の人から「勉強しろ」といわれる。
そこで「『じゃ、やろう!』そうすれば、何かがわかるかもしれないと。私には生きるための情報が必要だったんです。そのためには言葉が必要で、根底にはとにかく生きよう、という強い意志があったのです。」と述べている。(55p)
筆者が外国語を学ぶ動機は暇人がスペイン語を学ぼうという気持ちとは比べようもない。生きていく手段として外国語を学ぶ、切実さが痛いほど伝わってくる。
それをもとめて書いている。「孤独でしたが、死ぬことまでは考えませんでした。それよりも自分は生きなきゃと。生きるためには、言葉を知らなきゃ。知るためには、言葉を勉強しなきゃ、みたいな感じでした。」(56p)
拉致されて筆者は「夢」を断たれる。その夢について「夢というのは結局、自分で考えて、自分で選択して、その実現のために努力する過程です。私の考え方では、…」とのべて北朝鮮にはそれは皆無だという。「夢なんていうのは、自分で封殺しました。最後には。」といっている(59p)。
ネイティブに話せない北朝鮮の言葉を子供たちには在日朝鮮人として日本で生まれ育って、北朝鮮に帰国したと信じ込ませる(61p)。そこには日本人としての悔しさ、腹立たしさを押し殺したという。
そんな絶望の状況でも「非常に厳しい状況でしたが、たまには日本の料理を作って、食べることができたというのは、ある意味、力づけられました。自分で努力すれば、こんなこともできると、自分の意識を高めていたんです。」という(67p)。
北朝鮮に拉致されていた頃、キム・ヨンジャが訪れ、「イムジン河」が放送されるのをTVで見る。その河に自由に行ける鳥になりたいと思う。(83p)。
また他の海を見てもそう思ったという。だがそれも「いやいや、こんな思いを持っちゃだめだな」と必死にその気持ち押さえつけたという。(84p)「そこをぐっと抑える。抑えて、抑えて、暮らす。」と。(86p)
筆者は拉致の経験から政府に対して「解決するならば、絆を全部つなげられる解決法を追求してください。」とお願いする(95p)。
帰国した筆者は翻訳の仕事に挑戦し始める。その底辺には「何か自分の中に持っているもので道を切り拓いて生きたい、という考えがあってのことでした、」(101p)。
翻訳家として生きようとした筆者には友人に翻訳家がおり、エージェントを紹介してもらう。(104p)
初めて翻訳した『孤将』は反日的かと思ったという。だが「孤独な人間の強さや弱さ、愛や憎しみ、苦悩これは誰にも通じるところがあるんじゃないか。また歴史上、相手側は日本をどう見ているかを知りたい人もいるんじゃないか…」と思ったという(106p)。
筆者は自由のある日本で暮らせることを「夢を持ち、夢を追い、努力する、という楽しい過程は、取り戻せたと思います。」といい、思っていたような生活ができつつあるという。(111p)
さらに筆者は「“生きる”ために大切なものは、絆と夢」の二つだという。その二つを回復させるためにみんなに応援をお願いしたいという。(113-119p)
最後に筆者は互いに違うところを知り、理解しあって日本と朝鮮半島の関係を見ようという。そのために筆者は自分なりの視点でその違いを知らせていく。それは翻訳であったり本を書くことで果たしたいという。(121p)
この本のタイトルである「夢うばわれても」について書くのを忘れている。
筆者は翻訳を通して「拉致によって閉ざされた自分の夢、遮断された夢」をつないでいきたいという。それは拉致されるまで学んでいた「司法試験を目指す」気持ちは薄れていった。だが「何をやるかは問題ではなくて、どうやって夢を追うかが大事なことなのです。」と。(101-102p)
皮肉にも筆者は拉致されていた国の言葉を、再起の礎にしなければならない。だが言葉には罪はないとする。(102p)
拉致に関しては何も手助けできない。だが何とかならないのだろうか…。
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