2023年1月9日月曜日

『司馬遼太郎の世界』を読む

 携帯に電話がかかるがすぐ切れた。かけ直すと先方が何かの勘違いですぐに電話を切ったという。そのついでに話をすると年末に大変なことがあったという。そして膝が痛くて元気ではないともいう。この頃、自分自身も歳を取ったが友だちも皆同じく年を取っているので体の不調を訴える人が多い。特に膝が痛い人が多い気がする。しかし自分自身、今はどこも痛くないので人の不調の話を聞くときは気をつけて話さないといけない。

 『司馬遼太郎の時代』を読み、そのなかに出てくる『司馬遼太郎の世界』(文藝春秋編 文藝春秋、一九九七年第八刷)に興味を持った。司馬遼太郎が亡くなった後、関係ある人たちが追悼して書いている、さらには司馬自身が書いた年譜も収められている。エピソードなどを読むとかなりそそっかしい面があった人に思える。それもまたいい!

 以下に気になる箇所をメモしよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★司馬さんの歴史小説は、主人公に対する作者の好き嫌いがはっきりと読み取れ、読み進むにつれてその主人公への好悪が作者のと一緒になっている自分に気づくというくらい、そのマインドコントロール効果は強い。”所詮この世は好き嫌いで成り立っている”というビジネスマン特有のシニシズムに、その好悪の明確化がぴたりと合うところがいいのかも知れない。……ビジネスマンは心ならずも周囲に気兼ねして自分を殺す日常の中で生きているだけに、マイペースを貫く偏執狂に近い人間の生き方に憧れる傾向があるが、司馬作品の主人公にはそのタイプが多い。……小説といえば暗さがつきまとうものと相場が決まっている中で、司馬作品の画調は明るく暖かく、辛い浮世を生き抜く現代ビジネスマンにとって、こんな格好なカタルシスもない。それもこの人がもてはやされる理由の一つなのだろう。(「司馬ブームの核心〉」諸井薫)(149p)

★ペンネームは『史記』の司馬遷に遼(はるか)におよばぬという意味で司馬遼太郎とつけた。(「足跡 自伝的断章集成」司馬遼太郎)(429p)

★《……中国では花咲爺(はなさかじじい)のことを花神(かしん)という。蔵六は花神の仕事を背負った》(『花神』)(「戦後財界人幕末ヒ―ロ-見立て」野村隆夫)(154p)

★司馬遼太郎の最も好きな人物の一人は、村田蔵六であったという。刺客に襲われた蔵六は、大坂仮病院で死去した。司馬氏が、蔵六と同じ病院(大阪市中央区の国立大阪病院)で息を引き取ったのは、偶然とは思えぬ何かを感じさせる。(「戦後財界人幕末ヒ―ロ-見立て」野村隆夫)(154-155p)

★かつて田中道太郎氏は文藝春秋誌の巻頭随筆に次のようなことを記した。

「古来ギリシャの昔から、秀でた文学作品は次の三つの条件をそなえたものとされた。①面白いこと ②ためになること ③まことらしいこと……」

 司馬さんの作品は以上の三つを満たすだけでなく、読む者を鼓舞した。元気にさせた。(「『この国のかたち』事始め」堤堯)(207-208p)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ★高松塚から出て来た、赤やブルーや黄色のカラフルなだんだら模様は、今でも、韓国で、巾着なんかの模様になっています。高句麗は早くからあれを、好んだわけです。ですから、高句麗は、非常に日本の上代文化とかかわりのある存在らしい。(「遊牧文化と古朝鮮」司馬遼太郎)(306p)
 
★お坊さんが葬式を主導するようになったのは、ぼくは室町時代からだと思います(もっとも、この場合の坊さんは、非僧非俗のおこもさんのような、つまり聖とよばれる人だったようで、たとえば東大寺や興福寺の官僧は当時もこんにちも葬式をしません)。それまでは、お坊さんは葬式とは関係なかった。まだまだまともだったわけです。……戒名は要するに、仏典には存在しません。日本だけの俗風というべきもので、江戸中期、町人や百姓が力をもってきますと、寺ではしきりにこれをすすめました。このため幕府はしきりに禁止令を出し、百姓・町人で特に由緒ある者以外は、院号、居士号、大姉号なを点けてはいけないと禁じています。ところが昨今は大衆社会ですから、全部何とか院文字なんです。それは十万円、二十万円というお金によってつけます。仏説・仏典と何の関係もない戒名が、いま寺にとって大きな収入源になっているというのは、日本仏教の面白さの一つでしょう。(「日本仏教と迷信産業」司馬遼太郎)(321-323p)

★今度の旅の途中で高知市市民図書館に立ち寄った。ちょうど司馬氏の追悼コーナーがあり、多くの著作や色紙の写しなどが並べてあった。その一角に展示してある『昭和六十三年五月、桂浜で行った龍馬先生銅像建設発起人人物故追悼会に寄せた司馬氏のメッセージ』を読み進むうちに、感動に全身があわ立ち、しばし茫然と立ち尽くした。桂浜にある龍馬の像に語りかける形でつづられたメッセージの中に、次の一文がある。

<私は三十年前、ここに来て、はじめてあなたに会ったとき、名状しがたい悲しみに襲われました。そのときすでに、私はあなたの文章を通して、精神の肉声を知っていましただけに、そこにあなたが立ちあらわれたような思いをもちました。「全霊をあげて、あなたの心を書く」と、そのときつぶやいたことを、私はきのうのようの憶えています>

 この覚悟が『竜馬がゆく』という傑作を生み、日本中の若者の血を熱くたぎらせたのである。(「龍馬脱藩の道」ー『竜馬がゆく』安部龍太郎)(390-391p)                                                  

0 件のコメント:

コメントを投稿