2023年1月20日金曜日

『街道をゆく』(二十四)「近江散歩」

 いいお天気が続く。来週になると急激に冬型の気候になるとか。昨日から院展が始まった。見に行くなら温かい日がいい。行くか行かないか迷っているうちに時間が過ぎる。

 以下は『街道をゆく』(二十四)「近江散歩」(司馬遼太郎 朝日新聞社、2000年第7刷)から気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★近江路のなかで、行きたいと思いつつ果していないところが多い。そのひとつに寝物語がある。……「ねものがたりの里」など、一見、地名としてありうべきでなさうに思えるが、しかし中世にも存在し、近世ではこの地名を知っていることが、京の茶人仲間では、いわば教養の範囲に属した。別名「たけくらべの里」とも言い、この地名の起源についてはさまざまな説があるのだが、いまは触れない。『近江国輿知(よち)志略』という本が、江戸期に出た。輿地とは、地理ということばの、明治以前の言い方である。……別名を、「長久寺村」という、『近江國輿地私略』のころはすでに長久寺のほうが正称だったらしい。(25p)

★長谷川三郎は戦後の抽象絵画の流行に火をつけた画家であり、理論家であった。さらには敗戦直後の須田画伯に強烈な影響を与えた人でもあった。魅力的な説得力を持つ人だったようで、「スダ君、道元だって抽象思想なんだよ」といって、当事、写実画家だった須田画伯を動転させ、抽象画に転向させたばかりか、画伯のいまにいたる道元好きに最初の火を点じた。(33p)

★伊吹山は、胆吹山とも書く。古語で故宮のことを息吹ともいう。伊吹山は、たえず風や雲を息吹いている。古代人の山岳信仰では、山からおろしてくる風は神の息吹きであるとしていた。(44p)

★息吹もぐさが結構なものだというのは奈良朝のころから定評があったとはいえ、世々の遷(うつ)りによって一般には忘れられたかのようであったとき、この伊吹山麓の柏原の人で松浦七兵衛(亀屋左京)という快傑が出た。かれが大いに中興する。(48p)

★その夜の湖水を中景にして、彦根城の天守閣が照明をうけて白々とうかんでいるのを見たとき、ときめくほどに感動した。維新のとき、太政官令によって多くの城がこぼたれたが、明治天皇がこの城を見、その典雅さに感じ入ってぜひ残せということで残されたともいわれている。(72p)

★阿弥というのは、方外人(世間の外の人)のことである。僧服をきたり、経を誦(よ)んだりせずともよく、妻子があってもいい。ただ頭は丸める。いまひとつは、信仰の厚薄にかかわらず、時宗(時衆)の徒になることである。(81p)

★浜田庄司が三カ年の英国での生活で身につけたもっとも大きなものは、田舎だった。かれは田舎の自然だけでなく、そこの暮らしている人々の質朴さや自律性、田園の号合理主義、厳格さ、秩序美、あるいは実用であることが美になってゆくおもしろさなど、すべて自分の思想にとりこんだ。考えてみると、バーナード・リーチは、日本の田舎で日本を発見したハーンに魅かれて日本に来たのに対し、浜田庄司は逆だった。わざわざ英国まで行って田舎が持つ普遍的なよさを発見し、田舎というものを構成しているすべての要素を自分のものにし、そのことで創り手としての自信を得た。かれは英国の田舎から出発した、と書いたり語ったりしている。(131-132p)

★鉄砲の出現と普及が、戦国の群雄割拠の状態から、歴史を統一にむかわせたということは、たれもが異存がない。ただ大量の鉄砲による戦法を考えたのが信長であり、その供給をしたのが国友鍛冶であったことを思うと、田園にのこる小村のふしぎさを思わざるえない。(184p)

★中国人は、こういう温暖で湖沼にめぐまれた地のことを「天符」といった。浙江省と江蘇省のことがそうで、この両者が見れば天下の食力が足りた、とさえいわれた。日本でいえば、近江こそその天符ということばにふさわしい国だったろう。この国をゆたかにしてきたのは琵琶湖である。(211p)「

★「カイツブリがいませんね」よく知られるように、この水鳥の古典的名称は、鳰(にほ)である。水にくぐるのが上手な上に、水面に浮かんだまま眠ったりもする。本来、水辺の民だった日本人は、鳰が大好きだった。鳰が眠っているのを見て「鳰の浮き寝」などといい、またよしのあいだにつくる巣を見て「鳰の浮き巣」などとよび、わが身のよるべなき境涯にたとえたりしてきた。琵琶湖には、とりわけ鳰が多かった。「鳰の海」とは、琵琶湖の別称である。「淡海(おうみ)の海」という歴史的正称はべつとして、雅称としては「鳰の海」のほうが歌や文章の中で頻用されてきたような気がする。(229-220p)

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