2021年8月31日火曜日

『老いる意味』

 この2年9か月、暑くても寒くても司馬作品にハマっている。それより前、読む本と言えば小説の類はほぼ皆無でエッセイが主体だった。時に、図書館で予約のエッセイなどを確保すると何かに飢えたかのように一気にそれを読む。昨日がまさにその日だった。『老いる意味』(森村誠一 中央公論新社、2021年)、サブタイトルとして「うつ、勇気、夢」を読んだ。

 小説、それも長編小説は時代背景がわからないことにもよるが、文字や文字の意味がわかりずらいことが多々ある。手もとに電子辞書を置いて調べながら読んでいる。そのため、読むのに時間がかかる。その点、エッセイはその必要もなく読みやすい。

 エッセイを読みながら小説とは違って著者から勇気づけられることがある。凡々と暮らす日々に「頑張れ」と言われているような気持になる。以下は、そんな箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★俳聖・松尾芭蕉の言葉に「不易流行」がある。奥の細道を歩いているなかで辿り着いた境地とされる。普通に考えるなら、流行は最先端であり、最先端は常に変化していく。しかし、芭蕉の考えは違う。……最先端は「現在」という時間であり、そこには常にもっとも新しい自分がいる。不変のものを追い続けている限り、自分もまた不変なのである。……常に人生途上の旅人である覚悟を持ちたい。無限の可能性に満ちた人生にしたいのである。(55-56p)

★老いはつらいことも多いが、ネバー・ギブアップの精神で生きていくこと。生きる意欲を持って日々を楽しむこと。そういう姿勢を持っておくことによって第三期(注:第三期はいわゆる老後)の人生は充実させられる。(59p)

★人生の第三期にもなれば、人の言いなりになっているのではなく「自分はどうしたいのか」ということに忠実に生きていけばいい。(85p)

★老いていくということは、孤独になっていくことである。悲しくはあっても、自然の摂理として受け入れなければならない。(137p)

★現役からの引退は、過去との決別を意味する。いいことも悪いこともすべて過去の出来事として水に流す。それまでにあったことはリセットしてしまい、ゼロから始まると考えてもいい。続編やエピローグのつもりでいるのではなく「新章」にすればいいのである。(197-198p)

★「出会い」というものは、人生の第三期に入っても大切にしたい。人生は出会いの連続であり、出会いというものは三つに分けられる。第一が人との出会い。第二が文化との出会い。本や映画、音楽や絵画、舞台などがそうだ。第三が場所との出会いである。旅などがそうだが、引っ越しにより新しい町に住むことになるならそれも大きい。……それぞれの出会いは、いわば未知との遭遇である。出会いによって未来の可能性は無限に広がる。(198-199p

★人間はいくつになっても新しいことを始められる。常に未来を見つめられていれば、若者と同じ志、若者に負けない志を持つことができる。そうであれば、精神的にも肉体的にも若さを保っていける。……百歳まで元気に生きると自分で決めておき、百歳になったらそこでまた新しいことを始める。自分で「終わり」を決めつけてしまわない限り、人は楽しく生きていける。(232p)

2021年8月30日月曜日

マスク生活

 コロナ、コロナと勢いを増すコロナ情報。1年前と比べると感染状況は改善するどころか増大の一途をたどっている。昨年は秋から年末にかけてGO TOを利用して7,8回国内の旅に出かけた。ところが今年の秋はコロナが収まる気配は全くなく、遊ぶどころの話ではない。

 一昨日の日本画教室に出かけるときに乗ったJR車内。南米人と思われる外国人親子3人はマスク着用なしだった。コロナの感染が出始めて以降、JR車内でマスク着用がない人を見たのはこの日が初めてだ。教室でその旨話すと市内のど真ん中に暮らす人は大型スーパーへ行くとマスクなしの人がいるとのこと。それは外国人に限らず日本人もいるそうだ。これを聞いて街中と郊外の人のマスク生活の違いを垣間見る思いがした。

 近くのスーパーへ歩いて行く道中はマスクをして行かない。が、出かける先の車内やスーパーでの買い物の際は屋内に入るとマスクをつける。が、道中はマスクをつけずに歩いているので不審がられるかもしれない。ラジオを聴いていると「日中の人込みを避けた場所では適宜にマスクを外して熱中症対策をしましょう」みたいなアナウンスがある。今年の夏は大雨が降る日が終わるのを待っていたかのように暑い日が続く。それも残暑、というよりも真夏の暑さだ。この暑さの中、日中に外でマスクをつけて歩くのは無理というもの。

 不便な生活を強いられている。今朝の地元紙を読むと広島県南部の30歳の若者が職場でワクチンを接種した後に死亡している。ワクチンとの因果関係を調べているようだ。が、記事を読んでいると亡くなった息子の親の無念さが伝わってくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月29日日曜日

ブドウあれこれ

 降り続く雨の日が終わった後は連日、蒸し暑さが続く。今朝はすでに熱中症警戒アラートが発令されている。自分自身が歳をとったせいか気象に左右されるようになった。とは言いながらもよく寝るタイプなのでいたって元気。昨日の日本画教室で9時間眠るというと皆に笑われてしまった。寝不足が一番体に堪えると自分自身、わかっている。決して睡眠をおろそかにできない。

 よく寝るといえば日本画教室に出かけた日はいつもよりもさらに眠る。3時間の教室の間、ずっと絵を描いているわけではなく、途中でティータイムがある。昨日は先生からピオーネをいただく。今年初めて食べたピオーネは美味しい。ある人曰く、ブドウの皮をむかずに口に入れていた、と。ソラマメも皮を取らずに食べていたともいう。デラウエアなどの小さいブドウは皮を取らずに口に入れるが、ピオーネは皮つきでは食べられそうにない。

 とはいっても昨年GO TOを利用して出かけた先でシャインマスカットを一房もらって帰った。これは皮ごと食べる品種、とツアーの人に果樹園で教えてもらった。スーパーのくだもの売り場でシャインマスカットを見ると一房当たりの価格が2000円と高価だ。ピオーネも以前は高価だったがこの頃はシャインマスカットほどではなくなった。

 秋が深まるにつれて美味しい果物が売り場に並ぶ。イチジクやネクタリンも並び始めた。イチジクは雨の日の収穫は美味しくない。イチジクは晴れた日に買う方がいいようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月28日土曜日

『余話として』

 『余話として』(司馬遼太郎 文藝春秋、2020年新装版)を読んだ。この本は小説としては書ききれなかったこぼれ話を集めたエッセイ集である。頁数も短く、読んでいてもあの長い小説とは比べ物にならないほど短い文章が並ぶ。著者本人の書いた文章ではなく「解説」として白川浩司が書いた文が気になる。ここに記そう。

★中国を筆頭に、アジアには「専制の系譜」とでも呼ぶべき伝統がある。どんな王朝でも、ひとたび権力を握ると国のものは自分のもの、みんな国を私してしまう。ネポティズムは当然で、帝妃の一族が国費を乱費したり国政を壟断したりするのは、共産党政権になっても変わらない、それがアジア的専制の特徴である。「ところが日本以外のアジアで二人だけ、そうならなかった指導者がいる」と、司馬さんは言われた。「誰ですか」と問うと、台湾の李登輝総統と韓国の朴正煕大統領。この二人だけは、一族を重用もしないし国の財政を私したこともない。それはなぜかといえば、「日本の近代化の影響でもあるんだね」司馬さんが言われたのはそこまでである。(解説「座談の名手・司馬さん」白川浩司 274p)

 先日まで読んでいた『国盗り物語』全4巻を読み終えて今は同じく司馬作品である『戦雲の夢』を読んでいる。これは長曾我部盛親を描いている。出版社は講談社でこれまで読んだ文藝春秋や新潮社とは趣が異なる。同じ文庫でもちょっとだけ文字が大きいようだ。とはいっても相変わらずの長編小説だ。

 コロナは日に日に感染者が増えている。昨年のこの頃、コロナは来年になれば少しは収まると思った。が、それどころか新規感染者は増えるばかり。1年半ほどコロナ禍に悩まされての生活も慣れがあるのか、家に一人でいることが苦痛にならなくなった。これも困ったことで、(コロナが収束すれば遊ぶぞ)という気持ちが薄れてゆく。(まだまだ人生これから)という気持ちでいないといけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月27日金曜日

スマートメーター

  2か月に一度、水道メーターの検針がある。その日は家の裏口の鍵を開けておかないと検針できない。時に、自分が老いぼれて鍵を開けられなくなったら検針者が困る、と気になっていた。そうなったときは鍵を年中、開けていればいいか、とも思ったりした。今朝、地元紙を読むと朗報がある。電気のメーターは屋外にあり、塀は自由に開閉できる。そのためか2年前に電気メーターが何者かによって盗まれた。それを限りとして電気の検針はスマートメーターへに切り替わった。電気のスマートメーターは中国電力によると2015年に始まって以降、今年の6月で7割の普及率だそうだ。ともあれ、我が家のそれは設置された。

 この電力のスマートメーターに相乗りして水道データーを取得する動きがあるという。これは我が家にとっては朗報だ。そういえば都市ガスも以前は鍵を開けて検針していた。ところが何年か前から、家の外からでも電波が飛ぶようになり、塀の外から検針できるようになった。残るは水道メーターだ。電気のスマートメータを設置の際、電力会社の人は、これからメーターが盗まれることがあっても30分おきに本部にデータが知らされてすぐに分かる、と教えてもらった。水道もスマートメーターになれば水漏れなどすぐにキャッチできるそうだ。いいことずくめのスマートメーター。早い設置が望まれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月26日木曜日

「イゾラド」

 総務省の25日の発表によるとコロナ禍で平日のネット利用時間は168分、テレビの利用は160分とネットがテレビを上回っている。これ、わかる気がする。コロナ禍で自由に遊びに行けなくなった。(じゃ、どうする?)、となった時、テレビを見るよりもパソコンで遊ぶ方が楽しい。この時代、パソコンがあって本当に良かった。パソコンにネット接続をすればテレビの見逃し配信であるNHKプラスや民間放送のTverをいつでも無料で見ることができる。また世界のニュースや映画、ラジオなどあらゆる方面の情報も得られる。青空図書館を利用すれば著作権切れの本も読める、といったように優れものだ。とはいえ、画面越しに本や文字を読むのは疲れる。これに関しては紙の媒体が望ましい。

 そんな矢先、昨日はNHKスペシャル選の「大アマゾン最後の秘境4▽最後のイゾラド 森の果て未知の人々」をNHKプラスで見た。イゾラド、と聞いて前にも聞いたことがある、と我がブログを検索すると2018年末に見ていた。だが、その時のイゾラドと今回のとでは違っていた。番組HPによると以下のようだ。

★アマゾンの奥地に未知の世界を追うNHKスペシャル・シリーズ「大アマゾン・最後の秘境」。最終回はジャングルの果て、ブラジル・ペルー国境の森に生きるという、文明と接触したことのない先住民「イゾラド」を追う。近年、噂や伝説にすぎなかった“素っ裸の人間たち”の目撃例が急増。周辺の村では、弓矢で襲われ命の危険にさらされた者も。取材班は、イゾラドの出現が相次ぐ森の奥へと潜入。カメラはついにその姿をとらえた!

 川べりにイゾラドが現れた、との情報を耳にして取材班は急ぐ。取材班といってもペルーの政府関係者と日本の取材班などである。とくに接触を試みる小舟での乗船は日本の取材班は1人だけ許される。毒の付いた弓矢だけがイゾラドの所持品で敵がくれば襲撃する。何とかイゾラドと接触できた。だが、言葉が通じない。小舟に葉現地の原住民が同船している。彼らが放つ「友よ」という言葉が通じた。2回目の接触でハグや握手をして友好を深める。バナナが好物らしく次に来るときはそれを持参。こうして友好を深めて12回の接触を試みた。が、その後、イゾラドの家族が川辺にあらわれることはなかった。

 「人間をどう思っているのか。なぜ人を殺めたのか。あなたたちは幸せなのか」、を彼らに問うた。その答えは「あなたたちは怖い。あなたたちが先に殺した。幸せはわからない」と言った。その後もペルー政府は3か月間、彼らと接触を続けた。しかし彼らは奥地へ帰ると言ったきり姿を現していない。

 文明と接触したことがない人たちをイゾラドと呼ぶが彼らが自分たちのことをどう呼んでいるのかわからないそうだ。日本人の取材班は彼らと接触するに際して4度ほど免疫注射を打って臨んでいる。文明の免疫に接しないイゾラドはウイルスに接すればすぐに死んでしまうからだ。テレビを見ていてイゾラドの人たちが同じ人間とは思えず、まるで動物の集団に思えた。取材班の衣服や持物を奪おうとする場面は迫力があった。これもすべてはこの世の出来事だ。が、まだまだ理解に苦しむモノ・コト・ヒトは多い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月25日水曜日

久々に薄日が射す

 今朝早く携帯に電話がなる。昨日からの蒸し暑さは半端でなく、今朝はゆっくりしていた。電話があった時刻は一般的には早くはないのかもしれない。午前8時だった。電話の主は県北に住む友だち。コロナ禍以降、人と会う機会がめっきり減った。(じゃ、電話で)、となりそうだが、それもほとんどなかった。コロナが落ち着けば県北へ遊びに行く予定だったが、収まるどころかコロナ感染者は増加の一途をたどっている。

 今朝の情報によると広島県は緊急事態宣言発令となりそうだ。ますます人と会えなくなる。友だちとの電話は長くなった。(秋になれば遊びに)と言いかけたら、友だちはまだ収まらないという。互いに元気で、と言って電話を切った。

 朝からゆっくりしている。どういっても湿度が高すぎる。薄日がやっと射し込んできた。日中は31度と気温も上がる。明日からは本格的な暑さになるらしく、34,5度の予想だ。

 蒸し暑さに負けず、コロナにも負けず……。

 ともあれ今日も元気に楽しく過ごしましょう!

2021年8月24日火曜日

ダグニーさんはお元気そう

 久しぶりにダグニーさんのブログを見ると「日当たりの良いレポート」と題してダグニーさんの近況をエレナが代わって投稿している。それは以下のようだ。
 
★……2年間はパンデミックのために来ることができませんでした。今、いくつかの制限が解除され、私たちは近くの公園で散歩やコーヒーのためにダニーを連れて行きました。幸いなことに、その日は晴れていて、おそらく読者が聞きたがっていたものがついに明るみに出ました。「もう一度ブログを始める時ではないだろうか」とダニーは言った。エレナ 20/8/2021

 今朝もブログを見るとダグニーさんが珈琲をみんなと楽しく飲んでいる写真の投稿をエレナがアップしている。スウェーデンもコロナ禍で人と会ったり外に出かけたりといった自由な行動は難しそうだ。それでもダグニーさんは久しぶりに人と会ってお元気になられている。
 
 11日から続く雨は今日も止みそうにない。いつになったら日差しが射し込む日がやってくるのだろう。明日も雨のようだ。コロナ禍と雨の日が続く唯一の楽しみは本を読むこと。司馬遼太郎の『国盗り物語』4巻目を昨晩、読み終えた。最後の巻となる4巻目は700頁余りと長い。これまで司馬作品を読み続けているが『国盗り物語』全4巻は斎藤道三が愛した織田信長、明智光秀を主として描き、光秀が信長の重臣となって秀吉、家康などと戦い続けるさまは圧巻だった。これを読み終えて少しは足利将軍の時代から近代までが少しだけわかってきた。それにしても道三も信長も人にあらず、としか言いようがない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月23日月曜日

「独生独死、独去独来」

 今朝はやっと薄日が射してきた。降り続く雨の影響で梅雨と間違えたのか紫陽花が咲き、鉢植えのミニ薔薇も咲いている。レモンの木は天高く伸び、これ以上は自分の手に負えないと自覚する。涼しくなれば、シルバーにお願いしてレモンの木を伐採しよう。

 レモンの木は母の米寿の祝いにと姪がくれた鉢植えに始まる。それを地に植えなおして早18年。ずっと植えたままにしておきたかった。が、大きくなりすぎて困り果てる。今年は冬に3分の1か半分くらいまで坊主に切った。そのためか全く実をつけていないだろう。

 母が亡くなって10年半。その間、30年以上も前に父が人からもらって育てた糸杉やイロハモミジを2度シルバーにお願いして切ってもらった。レモンの木もお願いすると我が家の狭い庭には樹木らしいものがすべてなくなる。その後には花を植えよう。

 昨夜、ポツンと一軒家の特集があった。個性豊かな3人がそれぞれ自分の生き方を貫いて1人で山奥に暮らしている。凡人は山奥に暮らすだけでも大変と思う。が、暮らしている人たちは建物から食べ物からすべて自分で創意工夫して楽しく暮らしている。年齢も8、90歳前後と決して若くはない。が、それでも心豊かに過ごされている。ある人は家まで車が通らず、1時間の山道を歩いての生活だ。それがかえって足腰の訓練になるのかお元気そうだ。家では食事など全て自分で用意し、日中は神楽などのお面や仏像を彫って人々に差し上げるという。作った作品は専門家が作ったとも思えるような立派なものだ。

 コロナ禍や雨の毎日で気持ちに余裕をなくしそうなものがこういった立派な生き方をしている人を見ると(なんと考えが甘い)とわが身を振り返る。

 今朝の地元紙に「独生独死、独去独来」(どくしょうどくし、どっこどくらい)の無量寿経の一節が書いてある。「人は一人で生まれ、一人で死ぬ。この世に来たときが一人なら、去るのも一人」という教えのようだ。老境においても「自分の生き方をしておるんだろうか。自分らしく生きているんだろうか」と自問することが大事らしい。これはまさにポツンと一軒家に登場する人たちがあてはまる。何歳になっても誰かに頼らず主体的に今を生きている人は先の不安もないだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月22日日曜日

電話機のディスプレイ&日本画教室

 11日から降り続く雨は明日までやみそうにない。蒸し暑さも半端でない。2,3日前位から電話機のディスプレイ表示の文字が薄くなる。3年前のあの豪雨災害の時も電話機の画面が変になった。昨日の夕方、日本画教室から帰ると電話機の表示がなく真っ白だ。さあ、ここからが大変。電話機の受話器を取ると「ツー」と音はする。だが、表示されないとどこからかかってきたかがわからない。

 教室が終わって家に帰ると蒸し暑いと思ってエアコンの入るタイマー設定で出かけた。家に入ると涼しいのだが、頭が電話機のことで熱くなる。電話機の取説をだしてディスプレイ表示云々の個所を調べる。(以前にもこういうことがあったのに)、と思ってもとっさにはどうすべきかがわからない。(確かリセットを)と思って電話機についているモジュールを外すが埒が明かない。取説に数秒コンセントを抜く云々とある。我が家は光でネットをつないでいる。そのためルーターやそのの周りにはあらゆるコンセントや線が張り巡らせてある。ルーターの電話機のモジュールを外すが電話機の電源が入ったままだ。(電話機の主電源は?)とタップを探しているとあった。このコンセントを抜いて入れなおすとしばらくしてディスプレイが表示された。よかった!

 この間、かなりの時間が経っている。(次にまたこういうことがあるはず)、と思って夕食もとらずに新たなノートを自分なりの生活マニュアルと名付けて記すことにした。いろんな電気製品の取説は捨てることが多いがこの電話機はこれからも保存しよう。

 話は変わって日本画教室。コロナ禍の中、JRに乗って出かける。最寄り駅を見ると窓口がバリケード状態だ。(なぜ?)、と思ったらみどりの窓口がなくなっている。教室のある区民センターに着くと休館のためにひっそりと暗い雰囲気があり、病棟を感じさせる。だが、絵の教室は利用できる。描く絵は枯れかけた1本の樹木。彩色するがなかなか思うように描けない。

 絵の教室と家に帰ってからの電話機のトラブルで草臥れ果てたのか今朝の起床のなんとおそいことか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月21日土曜日

コロナ感染者連日最多を更新中

 雨はひとまず落ち着いたかに見えた。が、この先もまだまだ雨の日は続きそうだ。太陽はいつになったら顔を出すのだろう。コロナの感染者は日々、最多を更新して昨日は400人近くにまでなった。昨年のこの頃はGO TOもあって旅に行く気になったが今年は旅どころではない。日本画の作品展は昨年中止となり、今年は2年分の開催のようだ。が、この調子だとそれも危ぶまれる。というか、たとえ開催したとしても誰に見に来て、と言えるだろう。

 今日午後は絵の教室がある。作品展は例年ならば9月にあるが、今年は11月に変更となった。時期を先延ばしにしてもまだまだコロナは収まりそうにない。それどころか増えるばかりだ。

 気分を変えるためにもっぱらラジオの出番となる。今朝はジャズセッションの番組を聞く。この時刻はすでにそれも終わった。お昼は「昼の憩い」に代わって「エターナル」がある。短い番組だが古き良き時代の、日本でいえば昭和の時代の永遠の音楽が流れる。”Que Sera Sera”はそのうちの一曲。古い時代のアメリカ音楽は耳に心地よく響く。今朝はジャズセッション。人生、元気なうちに一度でいいから本場のジャズを聴いてみたい。今年初めに更新した10年のパスポート。この期間内に海外に行かれる日が来るのだろうか。

 当たり前のように出かけていた海外旅行。国内旅行もそうだけどすべてはどうにもならない状況にある。今朝の地元紙を見ると近場の旅の宣伝がある。このご時世、誰が行くのだろうか、と思ってみたり。

 まだまだ当分、旅もそうだが展覧会、演奏会、食事会などどこへも行く気にならない。ただ日本画教室は広い教室に先生を入れて7人。これは安心して行かれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月20日金曜日

『十六の話』

 『十六の話』(司馬遼太郎 中央公論社、1997年)は司馬遼太郎が書いたり話したりしたものをまとめた一冊である。小説とは違ってこれはこれで読んでいて面白い。司馬の小説の中に「余談として」書いた部分が頻繁にある。この本はそんな余談なのかもしれない。

 雨はひとまず落ち着いたようだが、まだはっきりしないお天気だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『十六の話』から気になる箇所を記した。

★江戸期のひとびとは、自分の口語言語を訓練するために、共通した方法をもっていました。武士階級は、必須の教養として謡曲を習ったのです。謡曲とは、ご存知のように能の脚本です。それを文学作品として見、多少の節をつけて学び、自分の言葉づかいが下品にならないように心掛けました。これに対し、商人階級は、浄瑠璃を学びました。それによって言葉を洗練させるとともに、他人と交渉する場合の修辞のために役立てたのです。謡曲も浄瑠璃も、早期資本主義という殺風景な社会において、精神の栄養になったと思います。(「文学から見た日本歴史」34p)

★インド文明と中国文明の基本的なちがいは、インドが思弁を偏愛して時間的記録をよろこばないことである。それにひきかえ、中国は思弁よりも時間ごとに記録をのこすことを偏重する。簡単にいえば、中国文明は歴史をよろこび、インド文明は記録好きをあざけりはしないにしても、その価値に無感動である。大きな輪廻からみれば、何年にたれがどうした、などということは虚仮(こけ)にすぎないと古代インド人は思っていたのだろう。(「華厳をめぐる話」111-112p)

★古代インドは日常語のほかに、学問語であるサンスクリットをもち、文法学者が活動し、言語の精度をつねに保っていた。古代インド思想は、このすぐれた言語によって表現されたのだが、釈迦もまた当然、その言語で自分の考えを言いあらわした。(「華厳をめぐる話」112-113p)

★釈迦の本質が慈悲であるからには、本質にねざした固有のねがい(本願)があるにちがいない。ひとを救うというねがいである。ひとはその釈迦の本質にすがりつけばよく、それが、大乗仏教へ出発をなす論理なのである。(「華厳をめぐる話」115p)

★大乗とは、大きな乗り物のことをいう。つまりはおおぜいが乗りうるということで、言いかえると、大きな規模の体系ともいえる。(「華厳をめぐる話」119p)

★真理と光明(太陽を思えばいい)を一つのものとしてあかるくうけとめたのは、菩薩意識のつよい大乗仏教の気分そのものといっていい。その絶対者・あまねきもの・光明というものが、『華厳経」における毘盧遮那仏なのである。むろん、姿も色もない。(「華厳をめぐる話」122p)

★華厳の道場として東大寺も建立された。東大寺というのは、華厳教学を研究し、華厳を修し、ついには蓮華蔵世界を得るべき心をやしなう器官なのである。(「華厳をめぐる話」131p)

.★日本仏教が、隋唐の中国仏教であることと密接にかかわりがある。仏教の言語が、隋唐・宋元の中国語であることも、釈迦はふしぎを感ずるのにちがいない。しかも、僧の名がみんな中国語であることに、釈迦は違和感を抱くだろう。(「叡山美術の展開――不動明王にふれつつ」149p)

★蟠桃とは三千年に一度実を結ぶという伝説の桃のことで、”この世にふしぎというものはない”と蟠桃が排しきったはずの奇談に属しつつも、あえてその荒唐無稽を逆手にとり、音を番頭に通じさせたあたり、いっそうのユーモアを感じさせる。(「山片蟠桃のこと」174p)

★信長は、日本最大の仏教拠点である叡山を、無用有害のものとして元亀二年(一五七一)これを包囲し、あらゆる建物を焼き、数千の僧やこれに準ずる者を殺した。信長に仕えてその伝記を書いた者はこの事件を批評し、「叡山を亡ぼした者は叡山である。信長ではない」と書いたが、平素、叡山の雰囲気を好む私でさえ、この歴史上の事件をふりかえって、信長を責める気持ちがおこらない。(「大阪の原型――日本におけるもっとも市民的な都市」254p)

★大坂城という日本史上空前の土木・建築工事が、三年を満たずして完了したということだけでも、秀吉がいかに奇蹟的な才能のもちぬしだったかを証明している。土木工事そのものは、三人の奉行(責任者)にやらせた。そのうちの一人の浅野長政をのぞき、あとの二人(石田三成、増田長盛)は、事務系の出身者だった。(「大阪の原型――日本におけるもっとも市民的な都市」266p)

★中国で、紀元前に成立したとされる『列子』という書物があり、その書物に、杞(qi)という国の人は天が落ちて来はしないか、ということを心配した、というふしぎな話が出ています。この故事によって、ありうべからざることを心配することを杞憂というようになり、いまでも生きた言葉になっています。(「訴えるべき相手がいないまま」321p)

★人類の未来に希望のない発言が最近しばしばありますけれども、地球の緑さえ守ってゆけば我々にも未来がある、子孫たちは何とか生きられるだろうということが、近ごろしきりに思われてならないのです。緑はすべての基礎です。(「樹木と人」357p)

★国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。国語力を養う基本は「文章語にして語れ」ということである。(「何よりも国語」369p)

★世のために尽つくした人の一生ほど、美しいのものはない。ここでは、特に美しい生がいを送った人について語りたい。緒方洪庵のことである。かれは、名を求めず、利を求めなかった。あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生がいは、ふり返ってみると、実に美しく思えるのである。……人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。少年時代の洪庵もそうだった。(「洪庵のたいまつ」373-375p)

2021年8月19日木曜日

今日も”Que・Sera・Sera ”

 11日から降り続く雨はいつになったら止むのだろう。大雨警報は注意報に変わったり、また発令されたりと変化はある。が、気が付けばいつも大雨警報が出ている。防災の専門家がテレビで話していた。砂防ダムがあっても水は常に流れていると。この水が危ないという。ニュース番組は見ないようにしているが、いざ、防災となれば見ずにはおれない。見れば見るほど自然脅威の恐ろしさが増してくる。

 恐ろしいといえばコロナ。昨日、広島県内の新規感染者は過去最多の303人となった。明日から公共施設の引き締めが強まり、図書館の閲覧もできなくなる。ただ、予約すれば本が借りられるのでその点は救われる。日本画教室も今のところ休みの情報がない。天気は雨続きでコロナも心配だと落ち着いた気分になれない。それでもなるべく外野の雰囲気に惑わされないように、気持ちだけはしっかりと持っていなくてはいけない。それには家の中での楽しみを見つけて過ごすに限る。さてさて今日はどんな一日になるのやら。やっと”Que・Sera・Sera ”の一番の英語歌詞を覚えた。が、ちょっとでも歌わずにいると歌詞が出なくなる。声を出してさあ今日もQue・Sera・Sera~

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月18日水曜日

見逃し配信を見る

 大雨警報の中、予約していた大型ごみ2件は無事引き取ってもらった。11日から降り続く雨はまだまだやみそうにない。外へも出られず家でおとなしくテレビを見る。テレビはテレビでもNHKの見逃し配信であるNHKプラスだ。プレイリストのドキュメンタリ―から見たい番組を探す。2件の番組はいずれも1時間番組だ。

 1件目は宗教の時間「こころの時代~宗教・人生~ 瞑想(めいそう)でたどる仏教~心と身体を観察する5」を見る。朝5時に放送された番組は起床時間が遅いのでテレビでは到底見ることができない。番組HPによると「悟りの契機となっためい想を通じて仏教の誕生、変遷をたどる6回シリーズ。第5回は、仏教のめい想が日本でどう受容され、展開したのか学ぶ。平安末期の乱世の中、出世のためでなく、人々を救うため立ち上がった法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など遁世の僧たちは新宗派を次々とおこしていく。宗派の違いを超えて受け継がれてきたブッダの教えとは。修行道の観点から、宗教学者・蓑輪顕量さん、元陸上競技選手・為末大さんとひもとく」とある。見終わっても宗教は難しすぎて今一歩、何も語れない。

 もう1件の番組はドキュメンタリーからETV特集「“焼き場に立つ少年”をさがして」を見る。この番組も深夜に放送されている。NHKプラスで見ることができたが1時間番組でもあっという間に終わった。というか考えさせられる番組だった。広島と長崎は原爆という忌まわしい出来事に遭遇した。戦後生まれではあるが、何がどうあっても戦争はよくない。広島も長崎もその住人であればどの家も誰かが原爆の悲惨さを蒙っているに違いない。

 悲惨な原爆を蒙った中に“焼き場に立つ少年”もいた。原爆に遭遇して亡くなった幼い弟を背負って一人焼き場に立ち、その順番を待つ少年。唇をかみしめて立っている。原爆を投下したアメリカのカメラマンが直後に写した数多くの写真からこの少年の身元を探してゆく。一枚の写真から現代のデジタル技術を駆使して撮影現場を特定する。いろんな専門家の手を借りてやっと場所を特定してもその子供のその後はわからない。

 番組HPは以下のように書いてある。

★原爆投下後の長崎を訪れた米軍カメラマン、ジョー・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」。近年ローマ教皇によって取り上げられたことで世界から注目を集める写真だ。しかし撮影から75年経つにも関わらずその撮影日時や場所は謎に包まれたまま。番組では米軍が戦後九州で撮影した約4千枚の写真を主な手がかりに写真を多角的に分析。原爆孤児らの証言をひもときながら「焼き場に立つ少年」が生きたはずの戦後の日々を見つめる。

 撮影したカメラマンは長崎の原爆についてのインタビューに次のように答えた。

Q:アメリカ人として原爆投下直後に町を歩いてどう思ったか?

A:原爆は間違いだと思った。

Q:原爆がアメリカ人や日本人の多くの命を救った、という人々に言いたいことは?

A:(原爆は)何も救わなかった。罪のない人々を殺しただけ。私の考えに同意しない人がいるのはわかっている。でも、我々はおばあさん、おじいさん、子供を殺した。

Q:無意味な虐殺だったと?

A:そうだ。

 放送では焼き場に立つ少年のように原爆孤児となった人たちの証言がある。決して語ることのなかったこれまでの人生を涙ながらに話す場面では見る者の心が揺さぶられる。

 焼き場に立つ少年、をカメラに収めたカメラマンは弟が焼かれた直後、振り向きもせずに少年は立ち去ったという。その少年はその後どんな風に生きたのだろうかか。

 写真から少年の片方の鼻に詰め物があり、目は充血している、と原爆を専門とする医師は話す。これは血が止まらない症状で原爆症の一つらしい。事細かに専門家が一枚の写真を紐解いてゆく。多分、このことが自分の頭の隅に残ったのか、夜中に目が覚めた。

 世間では原爆投下が戦争を終わらせた、というようなことを聞くことがある。だが、カメラマンが言うように「原爆投下は無意味な虐殺だった」、としか思えない。もう2度とこういうことがあってはならない。今の世の中、ひとまず原爆はおくとしても目の前には長引く大雨とコロナ禍が立ちはだかる。早く落ち着くといい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月17日火曜日

またも大雨警報が……

 またも大雨警報が出た。ネットで時間帯の予想降雨量を見ると降りそうな時間が大分ずれている。今朝6時の時点ではどの時間帯も今日一日中、30mm前後となっている。が、現時点では雨はそれほど降っていない。昨夜から大雨の予報が出ていたが、降り方はそれほどでもない。だが油断大敵。時間がずれて降るのだろう。今日も終日、JRなどの公共交通機関が止まっている。大雨警報発令となれば会社に行くどころではないのかもしれない。それでも仕事に行こうとするのか車やバイクの行きかう音が聞こえてくる。

 テレビを見ると市内で被害に遭った地区の状況を映し出す。どの被害も山やがけ崩れで大量の土砂が流れ落ちる。何年か前に被害が大きかった地区は砂防ダムを作ったにもかかわらず、自然の力ではそれも防ぎようがないようだ。年々、激しさを増す自然の脅威。山を削って住宅地として開発する。山の神様が自然をなめるなよ、と怒っている!?

 昨日午後は何をしても落ち着かないので雨が止んだ頃を見計らって近くのスーパーに行く。家の外に出ると気も晴れる。早く大雨が収まりますように、と願わずにおれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月16日月曜日

大雨注意報

  一難去ったかに思えた大雨は注意報に変わる。それも大雨警報になるかもしれないとの報道もある。この先の天気予報を見ると明後日にかけて雨は降り続くようだ。JR関係やバスなどの公共交通機関はやっと動き出したようだが芸備線の一部は止まったままだ。雨の日は家でおとなしく、と思ってもこれほどの雨が降り続くと家で落ち着いていられない。気持ちのどこかで雨が気になる。

 今回の大雨は専門家に言わせると3年前の西日本豪雨と比べて違うところがあるそうだ。それは雨の降り方。3年前は雷とともにバケツをひっくり返したような雨が降った。ところが今回は「土砂災害の引き金となる激しい雨が降り続かなかったことが大規模な土砂災害が少ない理由と考えられる」という。3年前は流される家や多くの死者が出た。今回は長雨は続くが雨の降り方は3年前とは確かに違う。

 昨日は何日ぶりかでスーパーに出かける。花売り場を見ると盆灯篭が売れ残ったままだ。こう雨が降るとお墓参りどころではないかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月15日日曜日

雨は止んだ

 発令していた大雨特別警報は先ほど大雨警報に切り替わった。今朝は雨が降っていない。が、これから先も晴れの日とはならず曇りの日が続きそうだ。大雨続きでもう何日も買い物に行っていない。食べる物は予備があるが、牛乳や卵、バナナなど毎日食べているものがなくなりそうだ。今日は何が何でも買い物に行こう。

 雨の毎日にふと頭をかすめる。平凡な毎日を送っている。が、この何もない毎日こそが一番の幸せ、と思える。それにもましてプールで泳いだり、国の内外を旅したり、皆と会って飲んだり食べたりしゃべったり……、といった他愛ないことがなんと幸せなことだったのかと思えてきた。こう暑くてはプールどころじゃないとか、また暑くて自転車に乗る気がしないとか、いろいろと言い訳をして動きが鈍くなる。これも暑さのせいばかりでなくコロナ禍もあるが……。何はともあれこれまで普通に人と会ったり遊んだりしていたことが大雨やコロナ禍で不可能になった。

 世の中が以前の状態を取り戻したならば、(何もない毎日が一番の幸せなんだ)との思いを強く持とう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月14日土曜日

大雨が降り続く

  昨日の大雨特別警報は数時間で大雨警報に切り替わる。が、この先、1週間以上も雨の日が続きそうだ。昨夜というか深夜、寝付いたころに隣町のサイレンと町内放送で目が覚める。延々と放送が続いて寝る時間を削られた。寝るよりも命が大事と分かっていても真夜中の大雨の中をどうやって避難する!?住む町と隣町は行政区域が違うのでいろんな面で戸惑いがある。

 今朝は今のところ雨は小康状態。一日に一回は外に出るようにしていても降り続く雨で買い物にも行かれない。JR関係はほぼ全線不通のままで市内電車・バスも止まっているようだ。お盆の時季、真っ最中なのに今年の墓地は参る人が少なくてひっそりしているかもしれない。早めに参ってよかった。  

 今日も一日、おとなしく家で過ごすほかなさそうだ。本を読んで”Que Sera Sera”の英語歌詞を覚えて歌う。時に笛を吹いてパソコンで遊ぶ。変化のない一日が今日も始まる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月13日金曜日

大雨特別警報&大型ごみ

  8時45分、広島県に大雨特別警報が発令された。緊急エリアメールの発信者が市区町村でなく気象庁となっている。予想される災害の規模によって緊急エリアメールの発信者が異なるのだろうか。詳しいことはわからない。これから先もずっと雨の日が続く。自然の脅威がまだわからないのか、と言わんばかりに雨が降る。

 今日は資源ごみの日。3週間分の新聞紙などを出そうと思ったが降り続く雨で外に出すのをあきらめた。昨日、雨の中、買い物にも行けず家の中を見渡す。ふと思いついたのが大型ごみ。使っていない衣装缶がある。槌でたたいて小さくすると資源ごみに出せる。が、そこまでする元気はない。市に電話して大型ごみにお願いする。250円だ。ついでに、と電話中に思いついたのが加湿器。これもお願いする。同じく250円だった。金額に見合ったチケットの購入は生協で買っていた。ところが電話で確認するとコンビニでもOKとのこと。

 2,3年前にできたセブン・イレブンが我が家の3軒先にある。雨の中、すぐにコンビニに出かける。500円出すと機械に入れるように促される。平素はほとんど利用しないコンビニ。世の中、進化していると思いながら家に帰る。帰るや否や、2階にあるほぼ新品の石油ストーブと使っていない扇風機も大型ごみに、と思いつく。再度電話、と思ったがこう雨の日が続くと大型ごみに出すのも大変。この2件はまたの機会にとあきらめた。

 石油ストーブはもう20年くらい前に買ったままでほとんど使っていない。母の介護で石油ストーブやファンヒーターは使用しなくなった。もしも部屋で母がつまずいたりすると危険だからという理由で冷暖房はエアコンや電気ストーブなどを使用。介護中は年中、エアコンを使っていたので加湿器は必需品だった。ところが一人になると加湿器は必要がなくなる。そのフィルターは新品のままで予備として置いていた。これは一般のゴミに出す予定。

 電気もガスも止まったら、と思って石油ストーブを置いていた。が、いざその時になっても石油がない。その時はその時、と思い直して要らないものは処分することに。

 雨は降り続く。JRは不通の線もあるようだ。雨と交通の不便でデパートで開催中の絵画展に行くのをあきらめた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月12日木曜日

塔婆をもってお墓参り

 天気予報を見ると、この先1週間以上は雨の日が続くようだ。あの猛暑日から一転、降り続く雨で肌寒さを感じる。今朝は燃えるゴミの日。朝から4度も外に出てゴミ箱が出ているかを確認する。結果、出てくる気配がないので別のゴミ置き場にゴミを出す。1、2分も歩かないのに服が雨でぬれる。仕事に行く人たちは裾をたくし上げて歩いている。会社に行くのも大変だ。

 お盆が近づいた。昨日、お寺に行って塔婆を受け取る。その際、古い塔婆を持って行った。以前は春分・お盆・秋分の日と年3回、2つずつ塔婆をお願いしていた。しかし、1年くらい前からお盆だけ1つ、塔婆をお願いする。新しい塔婆を受け取ってお墓へ参る。今年からお供えのお花は生花をやめて偽の花にした。スーパーの花売り場は生花と並んで偽の花を売っている。この暑さのせいで誰もが思うことかもしれない。だが、偽の花はどんなに細工がしてあっても生花に劣る。

 お墓に着くと周りにはすでに盆灯篭が建てられている。白い灯篭は初盆、色とりどりの灯篭はこれまで亡くなった人たちの霊を慰める。我が家は母がなくなって以降、盆灯篭はやめて塔婆を建てている。この塔婆はお寺で祈祷を済ませてあり1本3000円する。大きさは人の背丈ほどもある。長い塔婆をもって墓参りする人を見かけない。ここは安芸門徒で浄土真宗が多いためである。

 それにしてもこれほどの大雨が降れば竹に紙を貼ってできた盆灯篭は紙が剥がれて灯篭でなくなりそうだ。昨日、参ってよかった。雨が降れば墓地の坂道は滑って危ない。先日買った鬼灯(ほうずき)をお墓に、と思った。が、この雨では何を供えても駄目のような気がする。どこまで降り続くのか。雨はまだまだ勢いを増す。明日はもっと降るようだ。

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2021年8月11日水曜日

エターナル

 東京オリンピックの期間中、ラジオは通常とは異なる放送となっている。「お昼の憩い」はなく、音楽番組になる。ジャズの週に始まり、今週は「エターナル」だ。この「エターナル」がわからず電子辞書で調べると「永遠の」とある。昨日、流れた曲はドリス・ディーが歌う「ケ・セラ・セラ」などだ。聞いていてこの曲を英語で覚えようとなった。早速、YOU TUBEで探すとある、ある。

 手もとにいつもノートを置いている。司馬作品を読むときもわからない文字が出るとノートに写す。ふと頭をよぎることもノートに書き留める。昨日はこの歌を記した。1番の歌詞だけを書いて2,3番は書かずじまい。IC レコーダに録音して歌詞を見ながら歌う。日本語の歌詞はなじみがあるのですぐに歌えても英語の歌詞では曲についていけない。何度か練習していると英語の歌詞で歌えるようになった。次は2,3番をノートに書いて練習しよう。

 今朝、1番を歌うと曲について歌えた。今度はこれをノートを見ずに歌えるように練習しよう。昔の曲は日本もアメリカもリズムがゆっくりしていて歌いやすい。外国の往年のヒット曲はメロディーとして知っていても、いざ歌うとなると難し面がある。今やコロナ禍の時代、思うように動けない時だからこそ、家で遊べるこういった外国の歌を覚える。楽しいかもしれない。まずは「Que Sera, Sera」を覚えよう!

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2021年8月10日火曜日

「文字の獲得は光の獲得でした~両目と両手を失って教師になる~」を見る

 昨日のNHK総合で「文字の獲得は光の獲得でした~両目と両手を失って教師になる~」を見た。番組HPによると次のように書いてある。

★子ども時代、不発弾の爆発により両目と両手を失った藤野高明さん(82)。10年以上、文字のない日々を送りました。唇で点字を読む独特の方法を身につけたことをきっかけに、教師になろうと決意。障害に対する差別が根強かった時代、立ちはだかる壁を越えて夢を実現しました。今春、インターネットに人生をつづる動画を公開したところ若者たちに大反響。今、藤野さんが次の世代に伝えたいことは何か。人生とメッセージを伝えます。

 夕飯後に何気なしにつけたテレビ。放送は途中から見た。今朝、NHKプラスで見ていないところを見る。子どもの頃、弟と外で遊んでいた時に拾って手にしたものはなんと不発弾。それが爆発し、一緒に遊んでいた弟は即死、兄である藤野さんは両目と両手を失った。事故は小学2年の時だ。視力を失った少年が盲学校に入ろうとすると手がなくては何もできないと断られる。何度も目の手術をしたが視力は回復しなかった。学校へも行かれず友だちもいなくなる。

 手術がうまくいかず病院で自暴自棄になった頃、手を差し伸べてくれた人がいた。本を読んでもらったそうだ。それはハンセン病の人が書いた本で本を唇に当てて読んだと知った。「自分も本を読みたい……」、と思って唇の先を本にあてた。点字本の文字の違いに気づきだす。そして文字が解読でき、本が読めるようになった。本が読めれば勉強ができる。大学で学んで教師になりたいと思い始める。いろんな大学に問い合わせるがどの大学も当時は両目、両手がない人を受け入れてはくれなかった。ところが日大の通信課程だけが受け入れてくれた。だが、それもスムーズに事は運ばない。学校のスクーリング出席は困難を要した。

 試行錯誤の末に無事、中・高校の社会科の教員資格を取得。次は教員採用試験に臨まねばならない。大阪市の採用試験を受けて合格するも正規の教師でなく臨時だった。が、1年後、教師は出来ると判断されて正規の教師に採用される。現在はパソコンを駆使して自ら発信し続ける。

 今、藤野さんのことをネットで検索すると詳しい記事がある。それは「人と時代に恵まれて」著者: 藤野 高明 (ふじの たかあき)である。第37回NHK障害福祉賞 最優秀を受賞されていた。「人と時代に恵まれて」藤野 高明 (npwo.or.jp)(参照)

 世の中、自分の不遇を他人のせいにして自暴自棄になる人がいる。先日も動いている車内で無差別に人を斬りつけ、自分の欲望を満たそうとした人がいた。何が嫌な輩といっても自暴自棄になるのが一番よくない。誰しも自分の理想通りの人生を歩いているわけではない。すべてがそろった、と思えるような有名人であってもその底辺には何か不幸を抱えている。そのいい例が有名人本人が短命とか家族が不幸になるケースがそうである。いい事ばかりが長く続くとは限らない。いい時があれば悪い時もある。どんな時も頑張っていれば誰かが手を差し伸べてくれる。藤野さんは奥さんが亡くなられて今はヘルパーの手を借りて一人で暮らされている。「人間万事塞翁が馬」、歳を経るにつれてその思いが強くなる。

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2021年8月8日日曜日

サムホールに描く

  3週間ぶりに日本画教室へいく。お昼過ぎに家を出てJR最寄り駅に向かう。が、なんと道中の暑いことか。こうまでして習いに行かねばならないのかとふと疑問に思う。これもすべては家にいることに慣れすぎて心身ともにおっくになっている証拠だ。今週は送ってもらったチケットをもって水彩画を見に行く予定。こう暑くては、と思うがさてさて。

 教室に入るとまるで天国と思えるほど涼しい。それもつかの間、コロナ対策で扉と窓を開けている。これでは絵を描くどころじゃない。先生は後ろの窓を閉めて、室温を下げて、と暑さ対策。やっと落ち着いて絵を描く。

 サムホールに枯れ木(?)を描く。くねくねした枝をサムホールに転写する。が、カーボン紙が薄すぎてうまくトレースできない。カーボンの色を濃くして転写する。なんとか描けた。次は空の色を転写したところを塗らないようにして彩色する。時間があるので木々の生い茂る様子も色付けた。

 前回、以前習っていたという人が教室に来られた。昨日から絵を再開するらしく教室がにぎやかだ。広い部屋に先生と生徒5人の計6人が絵を描く。どの人も手よりも口が動く。あと1,2か月過ぎれば絵を習い始めて丸8年になる。月日の経つのは本当に早い。まさか自分が絵を習う、とは夢にも思っていなかった。皆さん、どういっても2、30年選手のベテラン。8年くらいはまだひよこ。まさか、と思いながらの絵の教室にもだいぶ慣れてきた。が、時にスランプに陥ることもある。その時は(まあ、いいか)と適当に考える。こうして描いた絵が増えてゆく。

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2021年8月7日土曜日

最近のダグニーさん

 時々ダグニーさんのブログを見ている。最近のブログはエレナがダグニーさんに代わって投稿する以下、そのブログの一部から。

 ★テレビをつけて、東京オリンピックの生中継を見ます。その後、Dagnyはより多くのアラートを取得し、写真に表示されているものにコメントを開始します。最後に、いつものように、彼女は彼女のフォロワーに挨拶を送り、いつものように、彼女はしばらくの間、ブログを生き続けるように私に頼みます。エレナ・ストローム 4/8/2021(日本語訳は自動翻訳機能による)

 日本に住んでいても東京オリンピックに興味がない。が、ダグニーさんは東京オリンピックに興味を示している。ただ、最近のダグニーさんの写真を見ると施設に移られてから体が弱っておられるようだ。どういっても109歳。無理もない。命尽きるまで何ごとにも好奇心いっぱいのダグニーさんは本当に素晴らしい。その足もとに一歩でも近づければいいのだが……。

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2021年8月6日金曜日

「世界一番紀行」を見る

 連日猛暑日が続いている。午前中、定期的に通っている眼科へ行く。自転車に乗らずに歩いて行くがバス道路沿いに歩く人は全くいない。眼科に着くと来院の人もいない。ただ、眼圧を測っただけですぐに帰る。眼圧は13と17で異常なし。途中、最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。デパートと違ってスーパーの売り場は何処も同じ。3品だけ買って家に帰る。ちょっと歩くだけなのに家に着くと汗が噴き出る。昨日の広島は3か所で今年の最高気温を更新。暑いはずである。

 午後はテレビで<「世界一番紀行」世界で一番の迷宮都市 ~モロッコ・フェズ~>を見る。番組HPには「東西2.2km、南北1.2kmの旧市街に、路地の数が13000、袋小路は1000あまり。一度足を踏み入れたら、必ず道に迷うといわれる迷路の街、モロッコのフェズ。けれども、一見、混とんとしているこの街にも、“安心の生活”と“暮らしのルール”があります。フェズが誕生したのは、9世紀のころ。千年の歴史を持つ都には、どのようなルールが隠されているのでしょうか?女優・夏木マリさんがこの街の真相に迫ります」とある。

 旅のお供は夏木マリ。この人、日本に住むモロッコ人かと思えるほどフェズの街にマッチしている。モロッコへは5年前の3月に出かけた。この番組の最初の放送は2009年。フェズといえば狭い路地となめし皮を思い出す。一人では到底歩けそうにない迷宮都市だ。なぜ迷路になっているのか。それは家の中を広くとるために路地の道幅を3.2mと狭くしているから、とか。狭い路地には火災が起きやすい。そのため家の玄関口が交互に建てられたそれが迷宮都市となったようだ。

 なめし皮の工場を映し出す。テレビを見ているだけで現地で見たあの嫌な臭いが漂ってきそうだ。なめし皮もそうだが金物屋など大半は世襲制らしく、「負けたくなければ、父の仕事を継げ」という諺がモロッコにはあるそうだ。

 男性は外に、女性は家の中に、と区分けされている。が、近年、法律が変わり女性の権利が認められるようになった。とはいえ、夏木マリがある家を訪れた際、26歳の女性を外に連れ出そうとすると待ったがかかる。一日中、家で洋服を縫っている女性は外に出かけることがない。夏木が親たちを説得して旧市街を見下ろせるホテルでの食事に誘った。女性は外に出歩くことがないためウロウロきょろきょろするばかり。ホテルロビーに掲げてある絵を見ては美しいものがあると言ってさらに驚く。

 食事の場面では夏木が外国に行くと自分の国がよく見える、と話す。これを聞いた女性は自分自身も外に出てみたい、と言う。女性に洋服を作ってもらった夏木マリ。似合っていた。女性の夢は洋品店を営むことらしい。

 旧市街のフェズはフェズ・ブルーといわれるほど青い海のように奥が深い。また青の緑色はイスラムの平和の色だそうだ。そして、あちこちから職人が働く音が聞こえてくる。音の街でもあった。800年前に建てられたフェズの旧市街。今は新市街もできてそこにはマンションなどが建ち並ぶ。大家族で暮らす生活も新市街に至ってはその様相が変化しているという。

 モロッコへ行こうと思ったのはラオスへ一緒に行った人の話からその気になった。フランス領から独立したモロッコ。衣服や食文化はフランスの影響を受けている。夏木マリはモロッコを「住めはしないけど来てみたい街」と話していた。確かに住みたいとは思わないがどこかひかれる街モロッコだ。番組を見終わってあの女性の今を知りたくなる。

 日本も昔はまだまだ女性の地位が低かった。今もまだ女性の地位が高くなったとはいいがたい。が、モロッコもまだ低くそうだ。その中でもあの女性のように自分の意志を貫く女性もいる。

 テレビを見て、余計、遠くへ行きたくなる。それはいつになるやら。すべてはコロナ次第!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月5日木曜日

迷惑メールetc.

 全国的に猛暑日が続いている。朝刊を見て思うのは連日のように札幌が沖縄よりも気温が高いこと。台風が来ている影響もあるのか最高気温は沖縄だけが20度台で他の都市はいずれも35度前後と高い。今日は全国各地で40度近くまで気温が上がるとか。広島は連日35度前後。これでも暑いのに40度になれば、と思うと恐ろしくなる。

 異常なことは気温ばかりでなく我がパソコンに入る迷惑メールの多さにもある。1年前にパソコンを買い替えるまでパソコンメールはOutlookを使っていた。ネット接続はOCNの光。新たなパソコンにOutlookを起動させようとした。が、(ここはOCNに聞いてみよう)となり、問い合わせた。すると係はOCN経由でメールが入る旨、言われて目からうろこ状態に。Outlookはその次の手段なのだ。そう知って、それ以降はOCNメールをもっぱら使っている。

 使い始めの頃、迷惑メール欄の迷惑メールをチェックボタンでチェックして削除した。ところがある時、迷惑メールの横に表示される編集ボタンを触ると迷惑メールを空にする、があった。それ以降、毎日そのボタンで空にしている。

 個人でパソコンを使い始めて22年経過した。その間、4台、パソコンを買い替えた。1台のパソコンは6,7年使えばいい。買い替えて早1年が経過。次の買い替え時は、と思うだけで空恐ろしい。その頃の自分の年齢は?

 先を思ってみても仕方ない。まずは今日一日を精一杯生きて。

 暑い中、家の中を片付けようと思ってちょっとだけ廃棄する。それは送付されてきた資料や出かけた先でもらった資料の類。ためらう気持ちもあったが思い切って破棄した。どういっても冊子、資料、本などの紙類は結構重くなる。時に鬼になって捨てていくしか片付けようがない。いろいろと習っているとそれに関するものが増えてくる。絵がそうだ。これもいつか……。今は考えまい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月4日水曜日

ああ、遊びに行きたい!

 日本画の先生から今月の教室は行われるとの連絡が入る。教室のある区民センターは閉館されても春の時のように以前から教室の予約をしていれば利用できるようだ。デルタ株が急速に勢いを増してきた。コロナの収束はこの調子だといつになることか。

 来週は市内のデパートで開催される絵画展を見に行こうと思っている。が、大阪にあるデパートは従業員のコロナ感染者が115人との報道がある。ここにきてデパートも危ない、と思えてきた。チケットを送ってくれた人には悪いが、見に行くかどうか考える。

 図書館は夏休みの子供たちのためにと開館している。だが、美術館は屋内のため感染者が出る可能性を考慮して休館だ。同じ屋内なのにどこか矛盾を感じる。が、図書館の開館は歓迎する。

 今年は本当に暑い。連日、エアコンをつけたままで寝ている。それでも起床後からお昼までは何とかエアコンをつけずに過ごす。その代わりは扇風機が稼働する。毎年思っていることかどうか忘れてしまった。が、今年が一番、暑さに堪える。これも歳をとった証拠!?無理して我慢するよりも元気でいる方がいい。その思いが強くなる。

 コロナ禍で完全に遊ぶ自由が失われている。昨日は某旅行社からカタログが届く。この社は頻繁に送ってくるが、今一歩、社への信頼感がおけない。10月か11月ごろには少しはコロナが収まるだろうか。泊りの旅に行きたい。そう思って10月下旬の旅を予約しようとした。が、気持ちに待ったがかかる。県内の感染者は減りそうにない。それよりもまん延防止を国に働き掛け云々と今朝の報道にある。もうちょっと我慢するしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月3日火曜日

秋海棠

  秋海棠 左上に見えるのがレモンの木
 毎日のように我が家の郵便受けには郵便物でないチラシなどが勝手に入れてある。昨日はこれまでになかった植木の剪定のチラシが入っていた。剪定するのは女性スタッフとわざわざ女性を強調する。我が家の狭い庭に1本だけレモンの木がある。先日、あまりにも高く枝が伸びたのでナイロン袋いっぱいになるほど切った。が、空に向かって伸びるてっぺんは切らずじまい。2月ごろ、枝を張るレモンの木の3分の1くらいを坊主にした。そのためか、今年はレモンが実をつけない。いつの日か、レモンの木も根元からバッサリ、と思うが今は枝だけを切っている。それを見かねた業者がチラシを入れたのだろう。

 レモンの木の下に今年はベゴニア(秋海棠)がはびこる。種が飛んでいくのか庭のあちこちに生えている。ここまではびこるともう草と同じ感じになる。せっかくだからとそのままにしているが、何やかやと雑草らしき植物は元気がいい。

 今朝の新聞を見るとコロナ禍でまたも市内の施設が閉鎖される。今月の日本画教室もこの調子だと休みになりそうだ。コロナよ、いつまで人間様をいじめる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月2日月曜日

『国盗り物語』(二)

 天気予報を見ると札幌と沖縄が最高気温31度と同じ予報で、他の都市よりも気温が低い。県内で見ると市中よりも県北の方が気温が高い。一般的には沖縄が一番気温が高いイメージがある。が、このごろは日本のどこに住んでいても気温の高低はあんまり関係ないのかもしれない。なんやかや言っても毎日暑すぎる。特に今年は暑い。これもすべては自分が年老いたせい!?自転車に乗って泳ぎに出かけたあの日はどこへ行った?こう暑くては自転車にも乗れない。スーパーへも歩いて行く始末。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『国盗り物語』(二)(司馬遼太郎 文藝春秋、平成十八年八十八刷)から気になる箇所を記した。

★日本史の治乱興亡を通じて、なぜ天皇家が生き残ってきたかといえば、この血族信仰のおかげである。氏族の頂点に、天皇家があるのだ。土岐家は源氏で、その遠祖は八幡太郎義家にさかのぼり、さらにそのかみは清和天皇から出ている。源平藤橘(げんぺいとうきつ)すべて、その祖を天皇家におく。当時、どの日本人も、むろん土民までも、遠祖はその四姓のいずれかであると称した。(10-11p)

★大名のなかでも特に公卿好きな周防(山口県)大内氏などは、頼ってやってくる公卿どもを気前よく受け入れたため、その府城山口は、「西の京」といわれたほどである。(45p)

★庄九郎とほぼ同時代に生まれたルネサンス期のイタリーの政治思想家マキャヴェリは云っている、「力こそ世の静まりをもたらすものである」と。かつ、マキャヴェリは、能力のある者こそ君主の位置につくべきだ、といった。能力こそ支配者の唯一の道徳である、ともいった。、このフィレンツエの貧しい貴族の家に生まれた権謀思想家が、自分と同時代の日本に斎藤道三こと庄九郎がいるということを知ったならば、自分の思想具現者として涙をながして手をさしのべたかもしれない。(100-1p)

★印度の鳥である。この鳥は、好んで毒草や悪虫を食べるがため、古代印度人はこれを「孔雀明王」として神格化し、人間を害する貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)の三悪を食べつくしてくれると信じて信仰した。(107p)

★幸若舞の「敦盛」をはじめた。

人減五十年 化転のうちにくらぶれば ゆめまぼろしおごとくなり

 人間など、観じ来れば一曲の舞にもひとしい。――生あるもののなかで滅せぬもののあるべきか。庄九郎の好きな一節である。後の庄九郎の女婿になり、岳父の庄九郎こと斎藤道三を師のごとく慕った織田信長は、やはりこの一章がすきであった。(133-134p)

★「法名とは?」頼芸は、きいた。「道三」と庄九郎は答え、その文字まで説明した。菊丸に頭を剃らせているときに考え付いた入道名である。「道三とはめずらしい法名だな」「道に入ることで(入道、出家すること)三度でござるからな」……「死ぬるとき」平然と答えた。仏法では、死は単なる死ではない。往いて生くるという。死はすなわち道に入ることである。庄九郎は二度入道し、さらに三度目の往生まであらかじめ勘定に入れて、このさき生きようとしている。(139P) 

★革命家にとって、目的は手段を浄化する。「ならぬ」ということでも、やる。幕末の勤王家は、同時に盗賊であった。殺人犯でもあった。しかしながら、かれらはその理想のためにその行為をみずから浄化し、その盗みを「攘夷御用」と称し、その殺人を「天誅」ととなえた。庄九郎も、かわらない。ただかれが日本の幕末や他国の革命家とちがう点は、その革命をひとりでやった点である。(179-180p)

★要するにこの物語は、かいこがまゆをつくってやがて蛾になってゆくように庄九郎が斎藤道三になってゆく物語だが、斎藤道三一代では国盗りという大仕事はおわらない。道三の主題と方法は、ふたりの「弟子」にひきつがれる。……信長は道三のもっている先例を無視した独創性を学んだが、いま一人の弟子は、道三のもつ古典的教養にあこがれ、その色あいのなかで「道三学」を身につけた。この弟子が、明智光秀である。歴史は、劇的であるといっていい。(181p)

★「美濃の蝮」と、戦国の諸雄からおそれられた斎藤道三こと庄九郎が、その史上で名を高らしめた斎藤姓を名乗るようになったのは、天文五年の春である。……庄九郎が斎藤姓を名乗ったこの天文五年の元旦に、おなじく隣国尾張中村のあばらやでひとりの奇男子が生まれている。のちの豊臣秀吉である。道三、信長、秀吉とつづく戦国の系譜は、この年の前後に誕生したわけである。(240ー241p)

気運(しお)とはおそろしい。庄九郎の信ずるところでは、「気運が来るまでのあいだ、気ながく待ち、あらゆる下準備をととのえてゆく者が知者である」といい、「その気運が来るや、それをつかんでひと息に駆け上がる者を英雄」という。(369p)

★ひとは、――美濃の蝮と、庄九郎のことをいう。……――なろうことなら、小守護様(庄九郎)のお屋形の見えるまわりで田を耕したい。とのぞんだ。蝮は蝮でも、この男は人気のある蝮だったといっていい。……法華経は、仏を説いている。(乱世では、ほとけもマムシの姿をしているものさ)とおもっている。が、庄九郎は、自分が蝮だといわれていることを気にする段階はすぎた、とおもっている。これからのちは、一方で善政を布きつつ、内外に対して、――おれをみろ、蝮だ。がらりとひらきなおるべき時期にきた、と庄九郎は見ている。(380-381p)

2021年8月1日日曜日

鬼灯(ほおずき)

スーパーで買った鬼灯(ほおずき)
 スーパーの花売り場で鬼灯を見つけた。袋に入った鬼灯は朝、切り取られたばかりのようで生き生きとしている。袋には2本入っていた。多分、1本の鬼灯が長いため半分に切って2本にしたのだろう。買ったのはいいのだがスーパーで知り合いに声を掛けられて長く立ち話をした。(せっかく珍しいものを手に入れたのに……)と思いながら家路につく。

 葉っぱはしおれていた。葉っぱの付いた方の鬼灯を花瓶に活けるとすぐに元気になった。もう一方は花瓶に入れられないので横にしておく。鬼灯が入れてあった袋を見ると「鬼灯は、お盆に先立って咲く旬の花。お盆にご先祖様が帰られる時の導きの赤い提灯とされ、お供え物として用いられます」とある。

 毎年のようにこの時季になるとスーパーの店頭に並ぶ鬼灯。なぜこの時季に並ぶのかが分かった。今朝、花瓶に活けた鬼灯を見るとまだ葉っぱは生き生きとしている。赤く染まっていない青いままの鬼灯が4つある。うち1つは赤くなりつつある。赤い提灯、とはうまい表現だ。

 実は13個ついている。2本の鬼灯を1本にすると7,80㎝の長さはあるだろう。鬼灯と言って思い出す。まだ小学生だった頃、隣町にあるJR駅の裏側は辺り一面ブドウ畑だった。そのそばに生えていたのが鬼灯。スーパーで買ったような長さはなく、背丈は短かった。鬼灯が実っているのを見つけると勝手に畑に入って鬼灯を失敬した。が、誰も怒る人はいなかった。ただブドウをとった覚えはない。というのもブドウは産地なので実るころはいつでも食べていた。

 とってきた鬼灯の赤い実の中身を待ち針で出していく。これもまた楽しみで袋がはじけないように丁寧に中身を出す。空になった鬼灯の実を口に入れて膨らませて音を出す。これが楽しみだった。道を歩くときは鬼灯を探し、見つけてはこうして遊んでいた。子どもの頃の楽しい思い出だ。

 ブドウ畑は鬼灯を探すために通るのではない。近くの筏の浮いた川に泳ぎに行った際の道中で見つけた。当時は泳ぐことができず筏に乗って遊んだりしていた。夏休みとなると近所の人たちに連れられてほぼ毎日のように川へ行った。川の沖は海。海へも歩いて行けた。貝堀や青のりなどとっていた。今は海辺りは埋め立てられて市場となっている。

 運動嫌いだったはずなのになぜか小さいころは近くの山や川、そして海にもよく行って遊んだ。当時は家の前の小川はふたもされておらず、蛍も飛びかっていた。家の前は今は家が建っているが当時は畑でどこでも遊べた。思い出しても楽しい日々だった。

 ところが今や山の方に行っても畑はどこにもない。池もあったはずなのに池も全くない。ブドウ畑の辺りは駅裏とあって今や一等地の場所になっている。ただ変わりなくあるのは2級河川の川だ。ここだけはどんな時も水をたたえて流れている。

 今朝は久々に昔を思い出して懐かしむ。楽しかった日々はあっという間に過ぎていつの間にか老人になってしまった。歳をとるのも悪くない。元気であればいつの時代もいい時代だったと思えてくる。さてさて買った鬼灯。これからどうしよう!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!