この2年9か月、暑くても寒くても司馬作品にハマっている。それより前、読む本と言えば小説の類はほぼ皆無でエッセイが主体だった。時に、図書館で予約のエッセイなどを確保すると何かに飢えたかのように一気にそれを読む。昨日がまさにその日だった。『老いる意味』(森村誠一 中央公論新社、2021年)、サブタイトルとして「うつ、勇気、夢」を読んだ。
小説、それも長編小説は時代背景がわからないことにもよるが、文字や文字の意味がわかりずらいことが多々ある。手もとに電子辞書を置いて調べながら読んでいる。そのため、読むのに時間がかかる。その点、エッセイはその必要もなく読みやすい。
エッセイを読みながら小説とは違って著者から勇気づけられることがある。凡々と暮らす日々に「頑張れ」と言われているような気持になる。以下は、そんな箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★俳聖・松尾芭蕉の言葉に「不易流行」がある。奥の細道を歩いているなかで辿り着いた境地とされる。普通に考えるなら、流行は最先端であり、最先端は常に変化していく。しかし、芭蕉の考えは違う。……最先端は「現在」という時間であり、そこには常にもっとも新しい自分がいる。不変のものを追い続けている限り、自分もまた不変なのである。……常に人生途上の旅人である覚悟を持ちたい。無限の可能性に満ちた人生にしたいのである。(55-56p)
★老いはつらいことも多いが、ネバー・ギブアップの精神で生きていくこと。生きる意欲を持って日々を楽しむこと。そういう姿勢を持っておくことによって第三期(注:第三期はいわゆる老後)の人生は充実させられる。(59p)
★人生の第三期にもなれば、人の言いなりになっているのではなく「自分はどうしたいのか」ということに忠実に生きていけばいい。(85p)
★老いていくということは、孤独になっていくことである。悲しくはあっても、自然の摂理として受け入れなければならない。(137p)
★現役からの引退は、過去との決別を意味する。いいことも悪いこともすべて過去の出来事として水に流す。それまでにあったことはリセットしてしまい、ゼロから始まると考えてもいい。続編やエピローグのつもりでいるのではなく「新章」にすればいいのである。(197-198p)
★「出会い」というものは、人生の第三期に入っても大切にしたい。人生は出会いの連続であり、出会いというものは三つに分けられる。第一が人との出会い。第二が文化との出会い。本や映画、音楽や絵画、舞台などがそうだ。第三が場所との出会いである。旅などがそうだが、引っ越しにより新しい町に住むことになるならそれも大きい。……それぞれの出会いは、いわば未知との遭遇である。出会いによって未来の可能性は無限に広がる。(198-199p
★人間はいくつになっても新しいことを始められる。常に未来を見つめられていれば、若者と同じ志、若者に負けない志を持つことができる。そうであれば、精神的にも肉体的にも若さを保っていける。……百歳まで元気に生きると自分で決めておき、百歳になったらそこでまた新しいことを始める。自分で「終わり」を決めつけてしまわない限り、人は楽しく生きていける。(232p)
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