「あの葵(き)丘の村から宋都に向かう旅に於いて、子の一行を中に嵌(は)め込んだあの激しい雷鳴、雷雨の一夜を経験したことは、私にとっては己が生涯を変えてしまう大きい事件であったと思います」。(53p)
これは『孔子』にある一文で「子」は孔子のこと。孔子御一行が遭遇した”迅雷風烈”。これに対して孔子門下の末端に位置する蔫薑(えんきょう)は同じく門下の顔回に対していかなる心構えで座っているべきかを訊ねる。孔子はいつの場合も説明されないが顔回は次のように解釈した。「疾風、迅雷、豪雨といったものは、天の怒りであると考えるのが、一番自然のようである。天の怒りとするからには、人間は心を虚しうして、それに対さなければならない。そういうわけで、自分はいつも居住まいを正し、心を素直にし、ひたすら天の怒りの声に耳を傾け、その鎮まるのを待っている」。(53P)
7月の西日本豪雨災害、台風21号、そして昨朝の北海道を襲った震度7の地震。日本列島の南から北までを大災害が襲う。特に昨日の早朝の震度7の大地震。予想さえしないことだった。どの災害も一番先に止まるのが電気、そして交通網の麻痺。今回は水道は大丈夫だったのだろうか。たった2か月の間に日本列島は予期せぬ大災害に見舞われる。これは何かの祟りか、それとも天の怒り!?
最近読み終えた井上靖の『孔子』。こういう場面があったと頁をめくると上のように書いてある。まさに今起こっている日本の状況はこれに尽きそうだ。じゃ、どうすればいい!?孔子門下の顔回のいうように「自然の雄叫びの中に小さい自分を曝し、天の怒りが荒れ狂い、そして少しずつ鎮まっていくのを待つことにしております。いずれにせよ、他の何ものにも替えることのできぬ、自分の心を洗い清める大切な時間になっております」。(54p)
今から2千数百年前の孔子の生きた時代と文明の進化が著しい現代。時代は変わっても自然災害に対する備えは孔子の時代と比べて何も進歩していないようだ。自然に対する畏敬の念を忘れてはけない!?
気を取り直そう。今朝のFMは「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104(ビオラ版)」が流れる。この中で繰り返されるフレーズ。頭から離れないことがあった。今朝やっと曲名がわかる。
昨日、用事を済ませたのち、幾分涼しくなったので気になっていたレモンの上に伸び切った徒長枝を花ばさみで切る。しかし、自転車置き場の屋根よりも伸び切っている。ましてやレモンの枝はとげがある。枝を箒のようなもので手前に引いて切っていくが太くてなかなか切れない。それでも少しずつ切り始める。しばらく切っていると前の借り上げ住宅の掃除に来ていた人が大きなハサミを車から出して切ってくれるという。5分もかからないうちにレモンの木の上部辺りを切ってくれた。それも数段あるブロック塀に上がっての作業だった。月に2度、20分ほど10数軒の集合住宅の回りを掃除するという。そういえば以前にも紫陽花を切ってもらった人?と問うと同じ人だった。
この後、まだ2件仕事があるという。それなのに枝を伐ってもらって有難かった。お礼は要らないと言われても申し訳ないのでAustraliaで買ってきたクッキーと九州博物館で買ったイレーヌの美少女の缶入りのチョコレートを渡す。本来ならばもっとお礼をしないといけない、そう思うと少なくて申し訳ない。遊んでいるモノが仕事をしている人の手を煩わせてしまった。感謝、感謝!後で自分の右腕を見るととげでいっぱい擦り傷になっていた。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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