今日午後は葉書で知らせを受けた青山俊董尼僧の講演を聞きに行く予定にしていた。ところが台風24号の影響でJRは運行不能になり行かれない。年に2回開催される青山尼僧の講演会(去年から1回になる)。尼僧様を知ったのは5年前に出かけたスリランカの旅で知り合った九州の3人のお坊様たちによる。ともに永平寺で修業されたお坊様たちでそれぞれ曹洞宗の寺院の住職をされている。旅の道中、曹洞宗の尼僧として活躍されている青山尼僧に弟子入りせよ、とたった一回言われただけで何となく名前を憶えていた。その人がこの何年か前に広島で講演をされるという小さい記事を目にする。ネットで調べるとご本人だった。それ以来、何度か青山尼僧の講演会に出かけた。ところが今回は台風で行かれない。残念!
講演と言えば、南紀に行く前日、清水寺の管主森清範の講演会に出かけた。この講演会も新聞に掲載された小さい記事を目にしたことによる。森管主は今年の漢字で有名。しかし、講演を主催する団体が気になり、電話で問い合わせると有名企業で、疑った自分が悪い。広島国際会議場での講演会は会場に入ると入場券がわりなのか、連絡先を書かされる。後でこれは主催する企業が年に一度発行する本や来年以降の講演会情報を知らせてくださるためだった。
講演会は今回で100回目らしく、1回目は大正7年の開催。当時の清水寺管主は大西良慶であり、主催者は企業の創始者熊平源蔵で始まった。清水寺は50年に一度屋根をふき替える。100回目となる講演会は清水寺の屋根ふき替も2回目となる。清水寺と言えば今年の出来事を漢字一文字で表すことで有名。去年は「北」だった。掌の裏を合わせると背中合わせとなり「北」になる。背を向けるというように「背」は背くで敗北になる。背中合わせでなく言葉をかけ合うのがいいらしく、「言葉には力がある」という。まずは「鋺」を書かれて話を始められる。
次は「布」(あまねく)を書かれた。言葉には言霊といって霊があり、エネルギーがある。言葉は言い方によって良い言葉は「力」になり、悪い言葉は「刃」になる。スリランカ人の言葉を例にして「憎しみは憎しみを持って憎しみを超えることはできない。ただ愛を持って憎しみを超える」と話される。そのためにも座右の銘を持つといいらしい。
座右の銘に「一徳 存命の悦」がある。ある時、列車で移動したそうだ。隣にいた女性から僧侶であるためかいろいろと聞かれたらしい。話していると女性は管主の手を取り、号泣したそうだ。女性から手を握られることはない、と冗談を交えて話される。管主は「亡くなった娘さんはあなたの心の中にいますよ」と言葉をかけたという。これに近い例として自分自身も経験がある。親を亡くして3回忌を済ませた頃にスリランカへ出かけた。飛行機の座席が隣同士となった九州のお坊様たち3人。トランジットを入れて16時間の長い飛行中、いろんなお話をした。当時は哀しみに暮れていて話ながら思わずお坊さんたちの前で号泣した。「一徳 存命の悦」、覚えておこう。
言葉をとどめる器を文字というそうだ。白川静によると言葉には「呪能」があり、文字霊がある。清水寺の管主は年末に今年の世相を一文字で表す。今年は「広」が有力と笑って話される。というのも前夜、広島カープが優勝したことで講演会を聞きに来た聴衆を喜ばす意味もある。個人的には「虎」だが、今年は「広」を期待して…と笑いを取る。この一文字は牛耳筆という広島の熊野筆で書くそうだ。牛の耳の毛は墨が一度に出るようになっていて書きやすいらしい。
漢字を例に出して話される。「寺」の文字は「土」と「寸」からなる。寺に手扁を付けると「持」になる。これは「持ってこい」や「持って帰る」があるが「佛さんの心」を持って帰ることだそうだ。「佛」はすべてのモノに佛が宿り、命の佛格化したものらしい。そして、どの人も皆、朝が来るという。この「朝」は人間がお腹の中で十月十日して生まれてくるの意。それゆえ十月十日と書いて「朝」になるという。確かにそうだ。
「言葉のちから」と題された講演会。この講演会でスリランカの話題があった。スリランカの旅で私も九州のお坊さんたちと知り合い、青山尼僧のことも知った。今日は台風で生憎、青山尼僧のお話は聞かれそうにない。それにしても人の話は何でも聞くものだ、と改めて感じる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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