筆の里工房の裏にある大きな庭園 |
広島市の郊外にある熊野町。ここは全国でも屈指の筆の産地。自宅最寄りバス停から30分で熊野に到着。バスの便が以前は良かったのに今は1時間に1本しかない。それも目的地に行くには最寄りバス停を降りてタクシーに乗り換えなくては行けない。いつもは市内バスは利用してもJR利用でほとんどバスは乗らない。時間も定刻に来るかどうかわからず早めに家を出る。
広電バスの熊野営業所が終点。ここで降りてタクシーに乗り換える。しかし乗り場が分からない。営業所内にいた人に教えてもらうが要領を得ない。多分、バスの運転手さんが発車の時刻まで待機されているのだろう。わざわざタクシー会社まで連れて行ってもらう。その人は親切な人でタクシー運転手さんに目的地を告げてくれた。乗車すると他の人がタクシーを待っている。運転手はその人と相乗りをすすめる。感じがいい人だったので安心して乗る。お蔭で運賃は割り勘となった。
同乗者は講演会を申し込んでいないそうだ。せっかく工房まで来たのにそれはもったいない。受付で申し込むように教えてあげる。タクシー内を見ると割引チケットを目にする。こういう時は目が悪くても不思議と見える。同乗者にこの1枚をあげる。
年齢も多そうな人でゆっくりされている。受付で代わりに講演会の申し込みの話をする。キャンセル1号だった。多分、講演会は大丈夫と告げると案の定、会場に入っておられた。後で話を聞くと呉から来られている。帰り際、先日出かけた「はなとり大塚美術館」の話をすると行きたいらしく詳細を書いてあげる。
話は講演会に戻る。竹久夢二と聞くとやはり美人画を描く画家と思い出す。明治30年、日本は「西洋の文化」を取り入れる。この時代、『藤村詩集』の島崎藤村や黒田清輝などがいる。また「江戸時代の日本のもの文化」があった。鏑木清方の『こしかたの記』などである。夢二の少年時代は明治20年ころで江戸が残っていた。これも日清戦争で時代がなくなる。夢二には江戸と西洋に対する憧れがあった。「西洋への憧れ」と「江戸への思い」という2つの中にキリスト教の思想や文化が入りだす。
明治30年頃、黒田清輝は「白馬会」を設立する。この中に藤島武二がいる。夢二は「武二」に心酔して「夢二」を名乗る。これは音読みではともに「ムニ」と読める。明治33年、私製ハガキが許可されて絵ハガキが出るようになった。他にも藤村の『若菜集』も世に出て近代日本のロマンチシズムの先駆けとなる。夢二の絵もそんなロマンに満ち溢れていた。講師はスライドを使って一枚ずつ絵の解説をする。高階氏は今年、御年86歳とか。しかし、そのお年とは思えぬほどよく通る声で話された。
講演会が終わり、外に出ると大雨が降っている。帰りのバス停までは下り坂。ボツボツ歩けばいいか、と思った。バスの予定時刻までしばし時間がある。工房の裏手に行くと大きな池があり、公園となっている。以前に来たときは昨日ほど整備されていなかった。お天気が良ければ、と思いながらも池の周りを歩く。雨が降れば写真もままならぬ。諦めてバス停まで歩く。舗装された道であっても歩く人はいない。ましてや人家もない。そぼ降る雨の中、山道を歩く。以前来たときは20分くらいだった。しかし、歩いても歩いても誰もいない。20分くらい歩くと歩いてくる人がいる。その人にバス停まで歩いて行けるかと問うと真っ直ぐ降りて右に回ればOKという。
しかし、バス停は見当たらない。ヒトに聞こうとしても歩いている人がいない。コンビニがある。車から降りた人に尋ねると少し先がバス停と教えてくれる。到着したときはずぶぬれ状態。バスターミナルに入ってしばし休憩。以前に来たときはほかにもバス停があった。バス利用者が激減してそこへは止まらなくなったのだろう。お蔭で以前に来たときよりも大分歩いた。30分くらい歩いただろう。携帯万歩計を見ると7000歩くらい。歩いた割には少ない気がする。これも雨だからだろう。次に行くときは往復タクシーに限る。
交通の便は悪いけどいいお話が聞けていい日となった。また高階氏にお目にかかれてよかった。この人の本を読もう!
ブログ投稿後に気付く。講演会の前にSPレコード鑑賞会が30分ほどあった。物珍しさもあってレコードを聞く。耳ざわりな音だけど不思議と聴ける。家にSPはないけどLPはある。もう聞くこともないがLPプレーヤーとデッキとスピーカーはヤマハ製が揃っている。これは若い日に買った高価な品で捨てられそうにない!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
工房裏にある湖のような池 |
工房裏の池 |
池にはコイが泳ぐ |
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