オランダといえば父が亡くなった年、オランダ航空でトルコ等に出かけた。その年はオランダで大雪が降り、帰りの飛行機が飛ばなくなって1日ほど帰国が延びる。その時の旅行社はJ〇B。親切な計らいで観光も宿泊もすべて旅行社が費用を出してくれた。今から28年前のお正月のお話。その時、予定になかったゴッホ美術館へ行ったことを思い出す。しかし、ベルギーは行ったことがない。遊びに行く話を聞くと行きたくなる。
USBメモリーを受け取った旨、電話をするといきなりの言葉が「〇月〇日、〇〇歳になりました」とのこと。お祝いを述べた後、先日講演を聞いた高階氏は86歳と余計なことを話す。会長は美術関係の講師もされている。いずれにしても美術に関わる人は画家もそうだけど長生きされる人が多いようだ。
昨日は図書館で高階秀爾の『日本人にとって美しさとは何か』を借りる。この本は講演会での話が一冊にまとめられている。先日、高階氏の講演を聞いた。そのことにもよるのか何となく講演の様子が本から伝わってくる。和歌、絵画、文字、音楽など多方面から日本人の美意識を述べている。
「日本は先進文明の成果を何もかもすべて取り入れたわけではない。当然知っているはずでありながら、受け入れを拒否したものも少なくない。つまり、受容にあたって、何らかの選択的判断が働いていたことになる。とすれば、そこに相手国とは違う日本の独自性を見ることができるのではないか」。
日本が拒否したものの一つとして宮廷の雅楽をあげる。「唐で行われていた本来の『雅楽』は、国家的な儒教の礼楽のことで、それは日本には伝えられなかったからである。…日本は『儒教の礼楽抜きの雅楽』、つまり『雅楽抜きの雅楽』を受け入れたことになるだろう」という。この底辺には「日本には固有の宗教である神道があり、その典礼音楽として御神楽があったから」だそうだ。「日本は外来のものを何でも自由に受け入れているように見えながら、じつはそこにある種の抵抗感覚のようなものがあって、それに触れるものは拒否するという選択が働いていたことだからである。律令制を採り入れながら、科挙や宦官の制度を受け入れなかったところにも、同じような抵抗装置が働いていたと言ってもよいであろう」という。162p
何もかも中国から取り入れず、抵抗装置が働いていたとはいいことだ。
昨日から新たな楽譜で「望郷のバラード」の練習をする。大凡の曲のイメージはわかっていてもまだ声に出して歌えない。まずは歌えるくらいに曲が分かって練習すればいいものをいきなり譜面を見て吹き始める。寂しい曲だけど新たな曲をさらうのは楽しい。昨日も暇さえあれば笛を吹く。近所迷惑かもしれない。わが家は道に面しているためあまり影響はないだろう。秋までしばらくの間この曲との格闘が始まる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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