天気予報を見るとこれから1週間先まで晴れの日がないようだ。これはもしかして早めの梅雨入り?池内紀の『記憶の海辺』を読んだ。昨年、市内の美術館で開催された池内氏の講演会。その時、ナチスの話は出てもドイツ批判の話は出なかった。ドイツ文学者としてソ連がドイツに侵攻云々の話をされた。その時、ドイツ文学者はドイツびいき、とそう思って話を聞く。
ところがどっこい、それは自分の思い込みだった。この本を読むとそのことが書いてある。そして、かつてのドイツ文学者たちを批判してそれに逆らうかのようにドイツ文学を研究する。ドイツ文学に関しては全く分からない。それでもナチスには関心を抱いている。さらにプロ野球のひいき球団を応援する場面は仕事をなげうって嬉しさを表現している。これは偉い人であっても庶民でも同じことだと妙に感心する。
自分自身はプロ野球に関して、この頃は目を背けている。あまりにも一喜一憂しすぎて体に良くない。ナニゴトも気に入れば熱中しすぎるところがある。これでは体がいくらあっても足りない。もっと冷めた目でモノゴトを見ないと体に悪い。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は『記憶の海辺』サブタイトルは「一つの同時代史」(池内紀 青土社、2017年)からの抜粋。
★昔から同窓会というものが嫌いで、何十度となく案内状をもらったが、とうとう一度も出なかった。たまたま同じ年に同じ学校にいたというだけで、改めて旧交をあたためるのはヘンテコなことだし、何の必然もないのに集まってワイワイ騒ぐのはコッケイなことだからだ。「はじめに」
★過去はこだわらない。それはもう過ぎてしまっているのだから。未来にこだわらない。それはまだ来ていないのだから。さしあたりは自分の虫干しをしよう。歳月の湿気がたまっている。「はじめに」
★「戦前戦時中に日本に紹介されたドイツ文学について、池内さんはどのような印象を持たれていますか?また、ユダヤ系作家の作品とその出会いについて、お聞かせください」——ヘッセやケストナーの訳者として知られる高橋健二氏をはじめとして、学会のお歴々は、みなさん戦前・戦中にかけて、せっせとナチ文学を推奨した人たちなのですね。わざわざ「ドイツ文学史」を、ナチスのユダヤ感に合わせて書き換えた人もいました。この人たちの精神なりはいったいどうなっているのだろうと思いました。74p
★あんなにナチスやヒトラーを褒めたたえて、トーマス・マンなどの亡命作家たちを批判していたのが、一夜明けるとコロッと変わって、反戦作家ケストナーや抵抗文学論ですからね。失礼ながら、この先生方は信用しないで、自分の目で見つけて、それを自分の「ドイツ文学」にしようと思いました。この方々が目もくれなかったユダヤ系の人たちを集中的に勉強することにして、修士論文はウイーンの批評家カール・クラウス(一八七四ー一九三)で書きました。78p
★「日本シリーズ、どうだった?」「巨人、負けたヨ」
体が宙に浮いていた。いつもの蕎麦はやめにして、ビールと冷奴。即座に心を決めて、大学の事務に電話した。よんどころのない急用のために、本日は休講とさせていただきたく…。…阪急の逆転劇は、蕎麦屋の隣の焼鳥屋のオンボロテレビで見た。夜のスポーツニュースまでお銚子のお代わりをしながら、ながながと座っていた。そして何度も何度も、よろこびを嚙みしめた。たぶん、死の瞬間まで、折につけあのシーンを、嚙みしめ続けることだろう。158p
★ドイツ語教師を送り出す立場になったとき、私は赴任する学生に、きまっていくつかの訓示をした。その一つ、勤め先では専門にこだわるな。生涯つきあえる人を三人見つけよ。求めればきっと見つかる。図書館の本は私物化せよ。安月給の代償と思えばヨロシイ―。203p
★学生への訓示の最後の一つ。「同僚にはちゃんと挨拶せよ。しかし、自分の考えどおりにやれ」要するに訓示と称して、つねづねみずからにハッパをかけていたらしいのだ。205p
★…ドイツ文学を本業としていたのに、さっぱりゲーテと縁がなかった。主としてウイーンのユダヤ人批評家カール・クラウスに熱中していた。そしてエリアス・カネッティやヨーゼフ・ロートや、フランツ・カフカといったユダヤ系の人たちを好んで読んでいた。ドイツ文学のなかに、より微妙な色合いを帯びた深層としてユダヤ系の文学があるのを知った。302p
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