4年半前に出かけたスリランカの旅で九州のお坊様たちと知り合う。それ以降、2年前のインドネシアの旅と今回のタイの旅に誘われる。今回はいわゆる旅行会社のツアーでなく、九州にあるお寺の関係者が主催されている。この会からはこれまでに何度か海外や国内の研修旅行をされているらしく、旅慣れた人たちばかりだった。その中に、異端者が一人紛れ込む。旅の参加者はこの会ではお馴染みの旅行社らしく、添乗員とも皆さん顔馴染みのようだった。
福岡空港の集合場所である特別待合室Bを探していると3階でなく2階になっている。親切な係りに誘導されて歩いていると添乗員に名前を呼ばれる。これにはびっくり!よほどウロウロキョロキョロしていたのだろう。ともあれ、無事集合場所にたどり着く。
集合場所が特別待合室というのは何年振り、いや何十年ぶりだろう。30余年前、初めて海外旅行をしたころ、特別待合室が集合場所だった。そこで行く国の簡単な説明会がある。初めての海外は中国。日本とは政治的にも異なる国だ。出かけた先でおもい掛けないことが起きては大変だった時代。中国事情の説明を受けた。それから何度も海外に出かけている。しかし、この頃は集合場所は特別待合室でなく、ANAやJALの空港カウンターが多い。そして皆で集まっての説明もほとんどなく、Eチケットを受け取ると出国までの手続きは各自で行うようになった。しかし、今回の添乗員はこの会のレギュラー添乗員(?)らしく至れり尽くせりだった。
第一日目 2017年9月11日(月) 晴れ 広島🚄博多🚌福岡空港✈タイ・バンコク
広島駅7時26分発みずほ乗車🚄8時28分博多駅着。博多口にあるバスターミナルから福岡空港国際線ロビーまでバスで移動。9時20分、何十年ぶりかで福岡空港国際線の特別待合室Bに集合。部屋にはソファが置かれ、いつもの空港カウンター前集合とは趣が異なる。ここで、急きょ、小倉のお坊様が体調不良のため不参加と聞く。ご本人はギリギリまで参加を希望されたそうだが、家族の意見で不参加となったらしい。旅の参加者は添乗員を入れて14名。そのほとんどはお寺の御住職。うち女性は4名。
11時35分 タイ航空TG649便は定刻通り福岡空港を離陸して14時55分(これ以降現地時間表記)、バンコク着。日本とタイとの時差はマイナス2時間。5時間20分のフライトは揺れもなく快適だった。入国手続き後、専用バスにてホテルへ。
この間、タイ人の現地ガイドは当日と翌日の夜のオプションツアーを説明する。当日の夜は2時間のマッサージで翌日はニューハーフショーとナイトマーケットの散策。オプションに参加しない人はナイトマーケットに出かける。どちらも関心がなくオプションツアーは参加しなかった。ところが専用バス車内で現地通貨に両替の際、金額が少なすぎるとガイドはぼやく。両替は日本円5千円≒1400バーツ。オプションツアーはいずれも各1600バーツ必要。これは日本円にすると6千円くらい。現地の所得は日本の6分の1らしい。ということは一つのオプションは日本円で3万円以上の勘定になる。これ、私一人が思ったことではない。あまりにもぼったくり!?
17時ホテル着。夕食は蟹カレーなどタイの海鮮料理が次々と出る。まるで宴会モードだ。飲み物は旅費込みなのかフリーだった。タイのシンハビールで乾杯!美味!
旅に出るとその時の食べ物を写真にとる。ところが今回はタイとはいっても中華風料理が多く円卓に出てくる。写真に撮るよりも前に美味しいモノが口に入ってしまう。
ホテルはAetas Lunpini Hotel。新しいホテルだった。ここで連泊。前夜の寝不足と当日移動の朝が早くて21時に就寝。
第二日目 2017年9月12日(火) バンコク🚌アユタヤ遺跡🚌バンコク
5時に起床し、6時15分にバイキングの朝食をいただく。眼に入ってきたのは炒めたご飯の上に載せてある納豆。だれも手を浸けていないようで、そのままの形で置かれていた。この頃は何処の国へ出かけても手の込んだ料理は食べないようにしている。結果、朝食の定番は卵、ヨーグルト、フルーツ、ジュースなど。珈琲は濃い味でミルクは欠かせない。
8時、専用バスはホテルを出発してアユタヤへ向かう。発車後しばらくして、誰に名付けられたのだろうか、一休さん、キューピーさん、〇〇さんなどと呼ばれるお坊様がバス前席に移動される。そして本日の旅の安全を祈って全員で「般若心経」を唱える。悲しいかな、このお経の名前は知っていてもお経そのものを知らない。黙ってお経を聞く。アユタヤまでの高速道路の横はスカイレールが開通するらしく工事中だった。
9時20分、バスに1時間20分後乗車後、アユタヤ到着。ここからバンパイン離宮とアユタヤ遺跡観光が始まる。まずはバンパイン離宮に向かう。
朝食のうちの1種 |
上の写真の料理名 |
宿泊したホテルの18階から |
タイの国王夫妻の喪中につき、白と黒の垂れ幕や写真を目にする |
バンパイン離宮に到着すると駐車場で目にするは派手に装飾された何台かのバス。離宮はまるで広い公園といった感じがする。離宮内はどれくらいの広さがあるのだろうか。広さも知らぬまま歩いていると途中にカートがある。これに4人ずつ乗り、要所要所で降りて観光する。私たち女性3名のカートは一休さんが運転された。
タイの国は朝から蒸し暑い。それなのに女性はズボンを穿いているにもかかわらず、王宮に入るには巻きスカートを着用しなければならない。暑い、暑い!
バンパイン離宮はウイキペディアによるとアユタヤ県バンパイン郡にある数多くの宮殿からなる宮殿群であるという。主にルネサンス様式、ロココ様式の宮殿が多いが、中にはタイ国中華総商会から寄付された、明天殿という中国風の宮殿がある。他にも大量の黄金を使って建てられたプラティーナン・アイスワンティップアートという池の上に経つ離宮もある。また、もらったパンフによるとバンパイン離宮は夏の宮殿だった。
離宮内は撮影禁止。中に入ると現地ガイドはタイのラーマ5世などにまつわる話をする。アジアの中で日本とタイだけがヨーロッパの植民地化から逃れている。それにはヨーロッパの言葉を学び、文化を取り入れるなどの先見の明があったラーマ王の話も出る。そのためか離宮内の庭に建つモニュメントもヨーロッパの香りがする。
バンパイン離宮駐車場 びっくりするほど派手に装飾したバス |
カートに4人ずつ分乗してバンパイン離宮を観光 |
に
私たち4名のカートの運転手さんは一休さんならぬ〇〇さん 穏かなお顔はまるで一休さん |
観光するタイの子供たちの団体 説明を受けている!? |
王宮入り口に置いてある巻きスカート |
バンパイン離宮(内部は撮影禁止だった) 王宮内に入るとき、女性だけが入り口横に置いてある巻きスカートを着用 |
大量の黄金を使って建てられたプラティーナン・アイスワンティップアート という池の上に経つバンパイン離宮群の一つ |
離宮内は仏教国なのにキリスト教のにおいが漂う |
離宮内に咲く果物? |
タイの中華総務商会から寄付されたという中国風の宮殿である明天殿 |
離宮内は象の国らしく、樹木の剪定も象の形 |
10時40分 専用バスは出発して20分ほどでアユタヤ日本人町の跡に到着。もらったパンフによるとアユタヤは1350年から1767年までの417年間、タイ王国(当時はシャム)の都であった。当時はポルトガル船も来航するようになり、海外への関心も高まって東南アジア方面に進出する日本人もあらわれた。タイ王国に渡来した日本人に対してアユタヤの国王は他の外国人同様に居留地を与えた。当時の日本人は3000人に及ぶ。なかでも山田長政はアユタヤ王朝の信任を得て第三位に位置する官位の位を授けられ、1630年戦闘中に負傷し死亡した。
日本人町の跡は旧日本人町の遺跡保存のためにアユタヤ歴史研究センター別館が設置された。尚、本館はアユタヤ市内にある。この別館は2007年、前プミポン国王生誕80歳、そして日本とタイの修好120周年の機会に大々的に改造して日本庭園と休憩所が設置された。休憩所に入るとまずはこの町に因むビデオ鑑賞がある。その後、庭園を散策して専用バスでレストランへ移動する。お昼はブッフェ。お昼を済ませるとお土産売り場を覗く。タイの小物、スカーフ、衣類が安い。
食事の際の飲み物代はすべて旅費に含まれており、各自の出費がない。現地通貨を使い切るためにタイの小物やポリエステルでできた日本のモンペのようなズボンを購入。これは、後日、汗だくで汚れたズボンの代わりに穿くと涼しさ満点だった。暑い国特有の現地仕様のモンペというかズボンの穿き心地は最高。尚、タイのお土産品は象がどこかにあしらってあった。
日本人町の跡入口 |
アユタヤ日本人町の跡の記念碑 |
日本人町の跡の庭園風景 |
アユタヤ自治市へようこその標識 |
アユタヤはバンコクから北へ76㎞、タイの中央部に位置し四方を川に囲まれている。1350年にウートン王がこの地に王朝を築き、417年の長きにわたって栄えたアユタヤ王朝の古都として、世界遺産に登録されている。以下はアユタヤ遺跡に点在する主な寺院。
ワット・ヤイ・チャイモンコン
昼食後、ワット・ヤイ・チャイモンコンに専用バスで向かう。ここは初代ウートン王が、1357年にスリランカから帰った僧侶のために建てた寺院の跡らしく、敷地内にはスリランカ様式のダウ仏塔がそびえる。その傍の屋外には大きな涅槃仏が横たわっている。さらに大きな仏塔の周りには多くの仏像が鎮座。仏塔の急な階段を登るとお賽銭を入れるのか、柵に穴が空いている。下を見下すと沢山のお賽銭が落ちていた。
ワット・ヤイ・チャイモンコン |
ワット・ヤイ・チャイモンコン 屋外に横たわる巨大な涅槃仏 |
ワット・ヤイ・チャイモンコン 大仏塔の周りの回廊には多くの仏像が並ぶ 裏側から写したためか写真には仏像が収まっていない |
ワット・ヤイ・チャイモンコン ここで現地の人を真似てお参りする |
ワット・ヤイ・チャイモンコン 塔の上付近まで急な階段を登る |
階段のてっぺんまで上がり、見下すと底にはお賽銭がいっぱいあった |
ワット・ヤイ・チャイモンコン ここからお賽銭を下に落とす |
ワット・ヤイ・チャイモンコン 登ったはいいのだが下りの階段は急だった |
ワット・マハ・タート
ワット・マハ・タートの遺跡は1767年、ビルマ軍の侵攻によって破壊され、無残な姿をさらしている。かつては50mもの高さの大仏塔が聳えていたという。なかでも以前テレビで見たことがある菩提樹に覆われた仏頭は長い年月を経て樹木の根っこにひっそりと顔を出していた。
」」ワット・マハ・タート |
ワット・マハ・タート |
ワット・マハ・タート |
ワット・マハ・タートの仏頭 |
ワット・マハ・タートの標識 |
ワット・マハ・タート 仏頭はひっそりと樹木の根っこにある |
ワット・マハ・タート 菩提樹の根っこに眠る仏頭 |
ワット・マハ・タート見学後、ワット・プラ・シー・サンペットに移動する。もらった資料によるとワット・プラ・シー・サンペットは王の遺骨を納めた仏塔らしい。大仏塔は多数並んで建つ。初代ウートン王が最初に王宮を建設した場所に、ラマティボディ2世が建てた王宮専用寺院の跡だそうだ。仏塔の中にはアユタヤ王朝の3人の王の遺骨が納められている。なかにはビルマ軍に破壊されて首のない仏像もある。
ワット・プラ・シー・サンペット |
ワット・プラ・シー・サンペット |
ワット・プラ・シー・サンペット |
ワット・プラ・シー・サンペット |
ワット・プラ・シー・サンペット |
ワット・プラ・シー・サンペット |
14時、ワット・プラ・シー・サンペット観光後、象乗り体験に出かける。一頭の象に2人ずつ乗る。今回の旅で知り合った久留米の人と一緒に乗った。象に乗るのはいいのだが、首からぶら下げていたカメラを手に持つことができない。座っていても、どこかを持たないと振り落とされそうになる。ましてや象に乗ると高さを感じる。私たちが乗った数頭の象は列を成してのっそ、のっそと歩きだす。途中、草を刈っているのだろうか、それとも掃除の人だろか。その人たちの傍に象は立ち止まる。しばらくするとまた前に進みだす。十数分くらい象に乗っていたのだろう。象から降りる時、前の人たちが何やら渡している。チップ?と思って小銭を渡すと、「ペーパー、ペーパー」の掛け声。小銭でなくお札が欲しいと言っている。怖くなって急いで象から降りる。
それにしても象乗り体験、キャーキャーワーワーとわめいて楽しかった。象に乗った写真は誰彼となく写されていた。自分が自分を写せない。旅に参加した人たちから象に乗った写真が送られてきて嬉しかった。感謝!
象から降りるとトイレに行く。ところがトイレは有料。機械にお金を入れても入り口のドアが作動しない。仕方なくそこにいた3人で知恵を絞ってドアをくぐって入る。タイのトイレはたまに有料のところもある。無料であっても有料でもタイはきれい好きな国なのかトイレは何処も清潔だった。
夕食後はナイトマーケットに繰り出す。夜になってもタイは暑い。市場に出かけても屋根があるのはアーケード街だけで暑い。狭い迷路にあるマーケット。特別に欲しいお土産はない。初めはマーケット散策も2時間の予定だった。それを1時間に変更してお店を見て歩く。オプションに参加しない人は散策後、バスでホテルまで送ってもらう。ニューハーフショーのオプション組はショー見学後マーケット散策となる。ホテルは前夜と同じAetas lunpini hotel。
タイスキ 次々と魚介類が鍋に入る |
ナイトマーケット内にある観覧車 観覧車は速く回っていた |
ナイトマーケット内 冷房はなく暑い |
広いマーケット内を走るカート |
街頭の大道芸人 手前は彫刻だがその奥は大道芸人
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旅も3日目。雨季のこの季節、観光中は幸いにもスコールにあわなかった。8時にホテルを出て専用バスでバンコク市内の観光をする。バスからは白と黒の垂れ幕を目にする。バスを降りると王宮までの道を歩く。途中の道には漢字の看板が目につく。タイの中華街かもしれない。漢字といえば日本語の文字も多く目にする。いろんな文化が混ざりあう!?
王宮までの道には漢字の看板が氾濫する |
バスを降りて王宮へ向かう通りを歩いていると、喪服を着たタイの人々が目につく。昨年10月26日、前国王は亡くなる。1年後の今年のその日、前国王の火葬が執り行われるという。ネットで調べると「タイ前国王の火葬は26日、国葬期間中も観光は規制されず」と見出しがあり、「黒い衣服の着用は求めないが『敬意をもった服装』を守って欲しいとしている」。タイ政府がこう述べるように弔問に訪れるタイの人々の黒の喪服着用は国民として当然なのかもしれない。またタイの国王への敬意を非難すれば不敬罪の禁固刑が科されるという。
https://jp.reuters.com/article/thai-idJPKCN1C9094?rpc=122、(参照)
大通りにかかる白黒の垂れ幕 |
王宮近くのメインストリート |
喪服を着て前国王の弔意に訪れる人々 |
前国王への弔問客 |
私たち一行は旅の格好での弔問!? |
タイ国防省 |
喪服で弔問するタイの国民 |
タイの国防省 |
王宮前の通りの光景 |
8時、専用バスでタイのバンコク市内にある王宮などの寺院観光。この日もバス乗車後、一休さんの首唱の元、「般若心経」が唱えられる。バス下車後、しばらく通りを歩くと王宮に着く。王宮はもらったパンフによると1782年建立。国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などのほか、宮内庁や官庁などの建物が、四方を長さ1.9キロの壁に囲まれて建っている。
広い宮殿を観光後、通りを出て涅槃寺に歩いて向かう。道中、前国王の国葬の準備のための騎馬隊のパレードの練習風景を見ながら歩を進める。ところがここでハプニング発生。添乗員と3人で騎馬隊を写しながら歩いていた。添乗員は突然声を出す。一人いない!それからがさあ大変!
涅槃寺に着くが行方不明者捜索に時間がかかる。立っているだけでも暑いタイ。ペットボトルの水もない。誰かが冷たいペットボトルの水を配ってくれる。しかし、添乗員や現地ガイドは行方不明者を探すのに難航する。しばらくすると、旅の事務局長から我々だけで涅槃寺の観光をしよう、との話がまとまる。だが、観光してもまだ不明者は現れない。もしかして船に乗って一人で暁の寺院に行ったのでは…。案の定、そうだった。
行方不明になった人は旅慣れた人。それにしてもとんでもないハプニングだった。ともあれ、船に乗って暁の寺に到着するとその人がお出迎え。これで一件落着となった。
あちこちに蓮の花が咲いている |
白い蓮で飾り付け |
エメラルド寺院 |
エメラルド寺院 |
エメラルド寺院 |
紫の蓮の花 |
前国王の国葬のリハーサル? |
騎馬隊 この辺りで一人が行方不明となる |
涅槃寺に横たわる大きな涅槃仏 |
涅槃仏 |
暁の寺(ワット・ブラケオ)観光
11時15分、船に5分ほど乗船後、対岸に暁の寺(ワット・ブラケオ)が見えてくる。この寺は私たちが出かける2か月前に修復作業を終えたばかり。外壁のタイルなどすべて美しすぎるの一言だった。ましてや、タイルも太陽に照らされて一層その美しさを増す。寺院の階段はかなり急だった。それでも2,3人が連れだって階段を上る。階段の一番上まで登ろうとしたが途中からは上がれないようになっている。それでも階段を上り下りして寺院の周りを一周する。もう暑いのなんのと言ってられないくらい人生で最高の暑さを体験した。暁の寺は三島由紀夫の本にも書いてあるという。
5分ほど乗船して暁の寺(ワット・ブラケオ)に向かう |
暁の寺(ワット・ブラケオ)の黄金の仏像 |
暁の寺 |
登られるところまで登った暁の寺 急な階段だった |
2か月前に修復が終わり、美しさを増した暁の寺の外壁 |
暁の寺に登ってぐるっと一周してみた |
暁の寺院内に建つ仏像 |
12時、暁の寺を観光後、専用バスに乗車して30分すると飲茶料理のレストランに到着。このレストランは36階のビルの最上階にある。旅の間、料理はタイ料理か中華料理かわからないほど中華系の料理が出る。たとえタイ料理が出てもタイの調味料のナンプラーなどつけずに食べていた。そのためか、何を食べても日本の味がして美味。ただ、中華料理といっても食卓テーブルが中華のようにターンテ-ブルでない。この点は中国式が便利かもしれない。
お昼の食事場所である36階のレストランから見下ろす |
14時、専用バスは出発して30分後、お土産店に到着。ところが、このお店は国による経営らしく高級品ばかりでただ見るだけ。15時、専用バスは出発してスコタイに移動するため空港に向かう。バンコク発RG213便のエアーウエイズは17時定刻に離陸して18時15分、スコタイ空港着陸。機内で簡単な食事が出される。しかし、スコタイ到着後に市内のレストランでタイ料理が待っている。機内食はほとんど食べなかった。
スコタイ空港はまるで奈良の街に飛行場があるような感じ。かわいい空港で一日に何便離発着するのだろう。スコタイ空港到着後ゲートに入り、振り向くと今にも太陽が沈もうとしている。ゲート付近には蓮の花も咲いていた。この日のホテルはPailin Skhothai Hotel。
スコタイ空港到着時の日没風景 |
スコタイ空港到着ロビー 夕焼けが美しかった |
スコタイ遺跡観光
朝食はヴァイキングでなくセットメニューだった。如何にもホテルの接客になれてなさそうな従業員が笑顔で食事を運ぶ。なかなか感じがいい。食事後、ホテルのプールに目をやると某お坊様は水中ウオ―キング中だった。プールから「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と大きな声で名前を呼ばれる。今回の旅で初めてその方から下の名を呼ばれた。
8時半から30分間、急きょ予定を変更してタイの観光寺院でなく、一般の寺院を見学する。寺院の名はワット・バン・ナー(耳で聞こえた名前なので正確なところは不明)。ワットはアンコールワットなどでもお馴染みのお寺の意。
スコタイはまだ観光地でないらしく、タイの他の都市よりもいたって長閑。そして観光客も私たちのツアーだけかと思えるほど人影がない。そのためかホテルも昔の面影を残して懐かしい。私たちの今回のタイの旅の目的は一般のツアーではなかなか行かれないこのスコタイに行くこと、と聞いている。スコタイとは現地のガイドによると「幸福の夜明け」の意らしい。
スコタイのホテル 某お坊様はこのプールで夜も朝も水中ウオークをされた |
スコタイの一般のお寺見学(ワット・バン・ナー)
一般寺院と言っても建物自体は大きい。自然災害の風水害をさけるためか、建物は高床式になっている。寺院内は出家式を執り行う高座や講話の際に顔を隠す大きな団扇のようなものもあった。またあるところでは僧侶だけが足を踏み入れることができる部屋があり、女性はそこへに立ち入るのは不可能だった。また広いお寺の周りにはプルメリアの白い花も咲いていた。
一般寺院内の床の下 |
一般寺院の床の上 |
スコタイの一般寺院 |
一般寺院の僧侶 出家式の時にこの高座に登ってお話しをされる |
プルメリアの花が咲いていた |
一般の寺院 大うちわで顔を隠して説教をする!? |
観光寺院でなくお願いして参らせてもらった一般の寺院 お坊様だけが上がり、女性は赤の場所へは上がられなかった |
スコタイ遺跡群観光(スコタイ歴史公園)
スコタイはタイ最古の栄華を誇る巨大世界遺産。もらった資料によるとスコタイ遺跡公園は13~15世紀にタイ初の統一王朝として栄えたスコタイ王朝の跡である。数百年も放置されていたが、1960年代にユネスコの支援で修復し、1991年世界遺産に登録された。東西約1.8㎞、南北約1.6㎞あり、約70万㎡の敷地には200を超す遺跡が点在する。
スコタイはバンコクよりも北に位置する。しかし、気温は午前10時の時点で34度。最高気温は36度になるそうだ。蒸し暑さは半端ではない。旅に持参したズボンは3枚。しかし、短い旅でもこの暑さでは足りない。前日買った現地のモンペのようなペラペラのズボンを穿く。やっぱり暑い国にあっている現地仕様のズボン。日本から観光に来ていたタイで見かけた若い女性の姿もほとんどがそれを着ている。ワンピースも買ったけどこれは到底外では着られそうにない。
ワット・シー・チュム
ワット・シーチュム |
スコタイ歴史公園内は美しい蓮の花が咲いていた |
ワット・シー・チュム |
ワット・シー・チュム |
ワット・シーチュム |
ワット・シーチュム 建物の外から見る仏像 |
ター・パー・デーン堂 中へは入られなかった |
ワット・マハタートはスコタイ王朝の王都であったスコタイ歴史公園の中心部に位置する。寺院の名はおよそ「大いなる遺物(仏塔)の寺院」の意であるという。
ワット・マハタート |
スコタイ歴史公園内 |
ワット・マハタート |
大きな菩提樹の根っこ |
ワット・マハ・タート 仏座像 |
ワット・マハタート |
ワット・ワマハタート 花崗岩でできた柱 |
ワット・マハタート |
スコータイ歴史公園内 |
ワット・シー・サワイ |
菩提樹 |
ワット・シー・サワイ(スコータイ歴史公園内) トウモロコシの模様 |
ワット・サー・シー(=ワット・スラ・シ―) |
ワアット・スラ・シー プルメリアの花がいっぱい咲いていた |
ワット・スラ・シー |
プルメリア |
スコタイ歴史公園内の遺跡でワット・トラバン・トーンの見学は一般寺院を見学したために時間がなくて急きょ中止。というか、朝からあまりにも暑くて見学するどころではない。それにしてもスコタイ遺跡公園内に咲いていたプルメリアの白い清楚な花。美しかった!
この乗り物に乗って遺跡を移動 |
手前のモニュメントは蓮の花を模している? |
スコタイ遺跡群見学後、国立博物館に入る。外気温が高く蒸し暑いため、館内に入っても冷房があまり聞いていない。ましてやタイの文字が読めなくて、集中力にかけてしまう。写真撮影のフラッシュは禁止でもなんとか写っていた。
国立博物館展示物 |
国立博物館展示物 ウオーキング仏陀 |
国立博物館展示物 |
国立博物館展示物 |
11時50分、スコタイの国立博物館を専用バスで出発し昼食のレストランに向かう。お昼はタイ料理。やっとタイの料理を食べる、といった雰囲気があるお店だった。お昼を済ませるとホテルに戻り、シャワーを浴びる。汗が体中から滴り落ちるほど暑い。ホテルで一休憩後、バンコクへ向けて空港に向かう。その途中、スコタイのスーパーへ立ち寄り、お土産を物色。スコタイの街のどこからスーパーに来るのかと思えるほど大きなスーパーだった。
特別に買いたいものもない。ただ、現地通貨を使い切るために何やかやと購入する。使い切った後のすがすがしさ。スーパーを後にして専用バスに乗ると、何とドリアンを買って乗車する人がいる。それも皆さんに分け与えようとされるが誰も反応がない。とうとう私の横に座り、食べるように言われる。話のネタに一度は味わってもいいかとほんの少し口にする。ところが、その後、この和尚さん、綺麗に全部平らげられた。おかげでバス車内はドリアンのにおいが充満。
17時半、スーパーを後にして空港に向かう途中、近いうち行われる灯篭流しの灯篭が道に置かれているのを目にする。
灯篭流しが行われる灯篭の用意 |
専用バスでスコタイ空港に到着。お天気は霧雨もようだった。空港付近は空港だけといった感じでいたって長閑。時間を持て余していると出発ロビーにあるドリンクや食べ物がフリーと知る。その時飲んだホットコーヒー。ほんまに美味しかった。タイの旅のどこで飲むよりも美味。また小さい粽やカップケーキもいただく。これを2個ずつ失敬して持ち帰る。日本でこれを食べるとやっぱり美味だった。空港でドリンクや食べ物がフリーとはこれまで何度か海外に出かけて初めてのことだった。
バンコクへ向けての空港のチェックが始まる。日もだんだんと暮れかける。その時、某お坊様が虹、と叫ぶ声。それも二重の虹がかかる。この方、スリランカの旅でも彩雲を叫ばれた。虹を見るとなぜか気持ちが和む。幸せを運ぶ虹!?それにしても海外旅行で二度も同じ人が虹を見つけられるとは…。
スコタイ空港発18時45分バンコクエアーウエイズ214便で定刻通り離陸。20時、バンコク着。タイの旅の最後の晩餐はバンコクの空港に隣接するノボテル・ホテル内のレストランでいただく。バンコクの空港で食事前にスーツケースを預けた。身軽になったかと思いきや何とも広いバンコクの空港内をあちこちと移動する。レストランは高級感が漂う。この後は夜間飛行で日本に帰る。スコタイからバンコクまでの機内でまたも軽食が出た。もちろんレストランの食事を優先してほとんど口にしていない。レストランの食事は美味だった。
第五日目 2017年9月16日(金) バンコク✈福岡空港🚄広島
深夜零時50分、タイ航空TG649便にてバンコクを離陸し日本時間午前8時、無事福岡空港着。タイの旅は終わった。予想していたタイのスコール。観光中は幸いにも合わず、楽しい旅は終わった!旅行をご一緒した皆さま、ありがとうございました。本当に楽しい旅でした。またいつかどこかでお会いしましょう!
スコタイ空港ロビー |
スコタイ空港 |
スコタイ空港周辺 |
スコタイ空港待合室のコーヒーと粽とカップケーキはすべてフリー タイ旅行中、ここのコーヒーが一番美味だった |
日が暮れるスコタイ空港 蓮の花が咲いていた |
二重の虹がかかるスコタイ空港 |
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