2017年9月30日土曜日

秋ですね~

 携帯のFOMAカードに保存していた母の写真。これを見ると年々というか日に日に衰えていく母の様子がわかる。母の誕生日や母の日には母の孫である姪が毎回、花束を贈ってくれた。それを母に持たせて写真に納める。写していた当時は写すことだけで必死だった。携帯カメラで写真の詳細を見ると日付までわかる。亡くなる1年前までは椅子に真っ直ぐに腰かけている。ところがそれも徐々に右に傾く。昨夜久しぶりに携帯の写真を眺めながらなんとひどいことをしていたのだろうと自責の念に駆られる。椅子に座ることさえもしんどかったのでは…。とはいっても水が飲めなくなっても食事ができなくなっても寝かせて水を飲ませたり1時間かけて食べさせたりした。それもこれも私の病院嫌いがあり、母にもこれを味合わせたくなかった。また母自身もたとえ動けなくても這ってでも家に居たい、との希望があった。最期まで家で親をみる、これは覚悟のことだった。ただ亡くなる3週間前、どうにもならなくなり、主治医と相談して母を救急病院にあずけた。我が生涯で一番悩んだことである。

 なぜ朝からこんなことを書くのか。今朝の新聞投書欄に施設に預けた泣き言一つ言わなかった親が面会した時、「ついて帰りたいの~」と一言、話したという。亡母の寂しさ思う秋、とのタイトルだ。投書された方も好んで施設に入れられたわけではないだろう。そうはいっても親から切ない言葉を聞くといつまでもこの声が耳から離れないかもしれない。

 家であれ、施設であれ、いずれであっても親を介護して満足ということはないのかもしれない。ともあれ、いずれは皆が辿る道。せめてそうなるまでは元気で楽しく過ごす、やっぱりこれに尽きる。

 過去の話を話題にした裏には旧友が昨日、日本画展を見に来てくれたことにもよる。日本画の先生から〇〇さんが手土産持参で来られた。どうすれば…?とのメールが届く。古くからの友人でこのブログを見て会場に足を運んでくれたようだ。すぐに旧友にお礼の電話をする。母が亡くなってわが家を訪ねてくれたことがある。それ以来、しばらく会っていない。久しぶりに電話して近いうち会うことになった。〇〇さん、昨日はありがとう!

 昨日は他にもタイの旅行に誘ってくださったお坊様からお寺の機関紙と現地で描いた葉書絵2枚を送付される。機関紙を読んでいると王宮近くで騎馬隊を見た。これは毎日の恒例行事?と思ったら昨年10月に亡くなられた国王の来月の葬儀の訓練とか。騎馬隊の写真を写していたのでその意味がつかめなかった。やはり訓練かもしれない。

 ともあれ、旅に参加したお坊様たちからいろいろと送られてくる。ところが我ブログへの旅の記録はなかなか前に進まない。気ぜわしく毎日を過ごしている。一連の行事が終わればゆっくり書いてブログにアップしよう。それにしても物思いにふける秋、秋ですね~。

2017年9月29日金曜日

『さよならの力 大人の流儀7』

 『さよならの力 大人の流儀7』(伊集院静 講談社、2017年)を読んだ。

★私はひとつ信じていることがある。私に妹さんの死を打ち明けた彼女も、きっと今どこかで懸命に生きているはずだと。なぜ、そう思うか。それは苦しみ、哀しみを体験した人には、理由があるからだ。それは何か?別離した人々が、いつまでも身体の中に生きていて、その人の生の力になっているからだ。さよならの力はきっとあるのだ。

 「別離した人々が、いつまでも身体の中に生きていて、その人の生の力になっているからだ」。これはよくわかる。自分の場合は両親、とりわけ母が守ってくれる気がする。画像は先日、塔婆をもってお墓参りした時に道中で見たすすき。家の近くでススキが見られなくなったと思った矢先、一角にススキがあった。

 ススキもそうだけど、今朝の冷え込みは「もう秋ですね」を感じる。ふと浮かんだ歌のフレーズのタイトルは🎵秋冬🎵。元歌の高田みづえの動画がない。動画は別の人から。

 昨日午後からは日本画展の当番日。幸い同じ教室の3人と当番だった。ちょっとでも来場者が絶えると話に花が咲く。隣の展示室はこれまた同じ会の人の二人展。ともに古希を迎えられたご夫妻はこれを記念して展覧会をされた。今朝の新聞に大きくご夫妻の記事がある。二人とも同じ教室で日本画を学ばれている。旦那さんの方は元は写真が得意。その後、日本画もされている。お二人とも30年のキャリア。ともに県美展に何度も入賞され、昨年はそろって奨励賞受賞。

 以前、打ち上げの席でお話したことがある。夕飯後、二人の会話が弾んで後片付けが後回しになるという。行動は常に一緒で常に話が弾む。とはいっても決して二人の世界でなく他人に対しても優しい。ほんとうに感じがいいご夫妻だ。ただ、昨日、芳名録にサインをせず仕舞いで帰った。これは失敗。後で先方から差し入れをいただいて恐縮する。

 同じ当番の人から「薔薇」の絵が欲しいと言われる。これまで4度展示して画が欲しいと言われたのは2点目。人の絵ばかリ良さが目立つ。時には自分でうまく描けた、と思うほうが絵を習うにも長続きする!?10月が来れば日本画も習い始めて5年目に突入する。苦手意識が強かった絵の世界。我ながらよく続いていると自画自賛。これじゃダメか!?

 ブログ投稿後に気付く。昨日、先生の朗報を聞く。「お祝い」の言葉が誰彼となくささやかれる。「なぜ?」と思ったら再興102回院展に入選されてこの度、めでたく「院友」になられた。そのお祝いが日本画展の打ち上げもかねて行われる。同じ会の人曰く「素晴らしい先生に私たちは習っている!!」。
墓参りの道中で見たすすき

2017年9月28日木曜日

「老いる暇がない」


 何もしていない時、🎵天使のミロンガ♪のピアノの間奏部、「タンタタ タタタタ、タンタタ タタタタ」のフレーズが耳から離れない。発表会が終わるまではこの状態が続きそうだ。これも仕方ない。

 昨夜は来月のツアー参加メンバーから日本画展を見に行った、とのメールを受け取る。電話でお礼を言うとその人は「来場者がお年寄りばかりだった」と笑って話す。日本画を習っている人も似たり寄ったりの年齢層で若い人がいない。とはいっても精神年齢は皆さん若い。

 昨日の夕方、NHKのテレビ「しぶ5時」に岸恵子が出演していた。インタヴュアーから「若いですね」と聞かれると「老いる暇がない」と話す。御年85歳になったという。しかし、着ている服は50年前のものでも着られるらしく、体型も当時のまま!?

 古い服が着られなくなるのは流行にもよる。だが、それよりも若い頃と体重は変わらなくても胴回りがデブになる。そう思えば岸恵子の生き方は素晴らしい。話す内容も「おばさん」でなくまだまだやる気満々の若者といった感じ。頭がいい人なのだろう。見倣わなくてはいけない。

 ブログ投稿後に気付く。日本画展の始まる前に、習っている人が揃う。私家版詩歌集を出版された人から『花素描』をいただく。この方も御年85歳!?同じく見習うべき人だ。

2017年9月27日水曜日

日本画展始まる

 忙しい週が始まった。いくら忙しくしても一番は自分の体。ナニゴトも決して無理は禁物。そしてまた、ナニゴトもその底辺に楽しむ気持ちがなくてはいけない。ちょっとでも気になるモノ・コトがあれば、何のためにそれをやっている?と自分に問いかける。それにより、楽しみが苦になることは決してやってはいけない。これはヒト、モノ、コトすべてに対してあてはまる。かといって、楽ばかりを求めていては何の進歩もない。ナニゴトもある面、いい加減に、いい加減にと我が身に言い聞かせる。

 昨日はフルートのレッスン。発表会までの最後のレッスンを受ける。いい音が出るようになった!本番でレッスンくらいに吹けるといいけどさてさて…。

 今朝は朝早くから日本画展のオープンに出かける。お天気は下り坂。元気を出して今日の行動開始!頑張って!!

 改めて日本画展のご案内。広島県民文化センター地階展示室で30日まで開催。お近くにお越しの際はお立ち寄りください!

2017年9月26日火曜日

旅は大丈夫!?

 旅の参加者からそれぞれ写真とDVDが送られてきた。旅が終わってまだ日も浅い。しかし、どの人もやることが早い。写真を送ってくださった事務局長さんは急遽、旅に参加できなかった人の近況を一筆箋に添えて教えてくださる。19日に退院されたという。

 早速パソコンでDVDを見ようとするが、ウィンドウズ10はどうもみられそうにない。アプリをネットで購入するか無料アプリをダウンロードすればいいらしい。無料は何かとおかしくなりそうで、しばらく様子を見よう。

 それにしても今回の旅は暑さに参ったのか、今一歩、元気が出ない。当然プールは行かれそうにない。早く元の状態に戻さないと、すぐに次の旅がやって来る。ところが次の行き先が…!?今、秘書役の人にメールでそれを知らせる。大丈夫!?

 気分転換に再来月のバス旅を申し込む。初めて行くところで楽しみ!

 話は変わって昨日のアナザーストーリーズはマイク・タイソン。プロボクサーの名前は知っていても詳しくは知らなかった。こういう一世を風靡した人というかある面で頂点に達した人の番組を見る度、人の一生は誰も平等と思う。頂点を極め、人から羨望の目で見られてもいつかは頂を下らねばならない。ずっと上におられるわけではない。平凡な人生であれば頂点とすそ野の差は大きくない。ところが極めた人は凡人よりも落差が大きい。タイソンを見て清原選手を想った。上に登れば上るほど精神力は大変なのだろう。タイソンも初めての試合では、自動車に隠れて外に出なかったという。それくらい気が小さくて試合が怖かったそうだ。ところがいつしか大活躍して有り余る富を手に入れる。それでも心は充たされない。周りには変な輩が集まる。考えさせられる番組だった。

2017年9月25日月曜日

ゴッホの「靴」

 「あの日あの時あの番組」を見ていると100歳の双子で世の中に華々しくデビューしたきんさんぎんさんの姿がある。今、当時の映像を見ても話す言葉はユーモアにあふれ、またかわいい。その後は日本画家奥村土牛を見る。亡くなる寸前まで富士山に魅了された画家だった。テレビに映る土牛を見ているとその表情からゴッホを思い起こす。また、人が亡くなる寸前の顔とでもいうのか、父の顔もこの人を見て思い出す。

 土牛は歩けなくなってもご自宅の2階から家族に支えられて富士山を眺める。これを見て富士山を描こう、富士山の近くまで行ってスケッチしようと生きる希望を捨てない。最後の富士山のスケッチはその日が雨にもかかわらず本人の強い希望で家族に伴われて出かける。何歳になっても、たとえ体が不自由であっても自分がこれっと思えることがあることは素晴らしい。何が何でもこれだけは人に譲れないというかやり遂げたいと思うことが今のところない。

 裏を返せば一つのことに集中しなくても何でもできる可能性があるということ!?そう思うことにしよう。

 話は変わって秋の法要の塔婆を取りにお寺へ出向く。久しぶりに古いお上人と出会う。2,3年前、ひょんなことで小学校時代の他の学校の同級生の人たちの輪に入った。その時、知り合った人は歯科医であり、某寺の御住職だ。お上人はその人がお寺に来られた際、私のことが話題になったと話される。知り合ったきっかけを話していると話が長くなる。これを見かねたお寺の若住職夫人は長話をするようにとお茶を出してくる。一度だけしか会っていない知り合いは鈴木三重吉の活動をしている。なぜ?と思ったら、三重吉のお墓は知り合いのお寺にあった!

 長話を終えて塔婆をもって自転車で我が家に帰宅。その後、受け取った塔婆とお花をもってお墓に参る。水汲み場で水を入れた後振り向くと名前を呼ぶ人がいる。しばし、誰…!?長年会っていない親戚の人だ。そこでまた長いこと立ち話をする。若くして両親を亡くしていた。都市銀行に勤めているが来年の3月でやめることにしたという。まだ50代前半と定年退職の年齢ではない。50代半ばで会社を辞めた経緯がある。自分のことを話しながら、じっとせずにやりたいことをやるようにと言ってその場を離れる。すべては自分の人生。何があっても楽しく生きるのがベスト!!

 夜、日曜美術館で見たのはゴッホ。これを見て土牛をまた思う。ゴッホも土牛もこれまたいい!司会者はゴッホの「靴」がいいと話していた。しかし、この絵はゴッホらしくない。とはいってもやっぱりこれはいい絵だ!来年1月には今、北海道で開催中のゴッホ展が京都国立近代美術館で開催される。その時は「おとなび」を利用して京都へゴッホを見に行こう!

2017年9月24日日曜日

「愛国主義とは世界の人々との友好的な関係であり、そうでなければ誤国主義だ」

 昨夜のNHK総合で放送された「総書記 遺(のこ)された声~日中国交 45年目の秘史~」を見る。山崎豊子の自宅から中国の元総書記胡耀邦との会話が残されたテープが見つかった。この話題からドキュメンタリーが始まる。山崎豊子は胡耀邦と中南海で3度も対談していた。

 胡耀邦元総書記は言う。「愛国主義とは世界の人々と友好的でないなら愛国主義とは言えず、それは誤国主義だ」。中曽根元首相は胡耀邦の生誕90周年に90本の桜を贈呈した。その10年後、この桜は見事に花開き、そこは今、中国の人々の憩いの場となっている。

 長く毛沢東の側近を務めた李鋭は今100歳。この年になって告白する。「一人を崇めるのでなく…」と一党独裁体制を非難する。これは胡耀邦にも通じる。胡耀邦は日中友好をすすめる。だが、1989年6月4日天安門事件発生で愛国主義が強化される。その後胡耀邦死去。

 日中国交正常化から今年で45年。日中のそれぞれの相手国への好感度は良好とはいえない。ただ、中国では若者を中心とする日本文化の浸透が増えているという。

2017年9月23日土曜日

「毎日ワクワク!ひとり暮らし」を見る

 齋藤孝の講演会が当たった。昨日聴講券が届く。届くと言えば他にも先日の旅の添乗員から集合写真や個人で写った写真などを送付される。この中で2人ずつで象に乗った写真がある。これはもらって嬉しい。象に乗ったのは今回で2回目。1回目は2人ずつでなく数人が乗った気がする。どこの旅だったかは忘れてしまったが、今回の乗り方とは違っていた。ともあれ、自分が被写体の写真は旅の間に1,2枚写すだけ。それでも象に乗った写真は嬉しかった。

 写真と言えば昨日、旅で写した写真をブログに取り込む。今のパソコンはギガ数が多くて写真の取り込みも速い。以前のパソコンはブログ用にと取り込むだけで大変だった。ということで折を見て旅のブログを完成させよう。

 昨日は他にも新しいテレビ番組を知る。それは「人生のレシピ」。このキーワード、なかなかいい。人生にもいろんな調理法(生き方)があるということだろうか。味わいのある言葉だ。

 昨夜のEテレ「毎日ワクワク!ひとり暮らし」の番組HPによると「最新のデータ(平成27年)では、一人暮らしの高齢者の数は約600万人。年々増え続ける中、ひとりの時間をいかに充実させるかが問われている。今回は、自分らしく一人暮らしを満喫している女性たちを紹介し、豊かに生きるヒントをお届けする。熊本に住む89歳の女性は、趣味でカメラを始め「自撮り写真」で人気者に。また、愛車で日本一周の旅をする64歳の女性は、気に入った島で暮らし始めて一年半になる」とある。

 熊本の89歳の女性はパソコンを駆使されている。それは自撮りでとった写真をパソコンで加工するソフトを利用して面白おかしい写真に仕上げる。パソコンは15年前から使用しているそうだ。

 最近、スウェーデン人の105歳のブロガーであるダグニー・カールソンさん、先日の110歳の県内最高齢の山下寿一さんと高齢者、それも超高齢の人たちがパソコンを駆使して生活を楽しまれている。やっぱりパソコンは頭の働きが良くなる、は当たっているかもしれない。

 番組の中でコメンテーターの都築響一は「周囲の善意の忠告を気にするな!」という。そう、周りのいかにも親切そうに聞こえる言葉を一人で楽しむ人は気にしないという。これ、凄くよくわかる。自分自身は何も感じていないことを周りがまるで心配するかのごとく言う人がいる。要らぬお世話、としか思えない。番組最後で「こころの自由と無限の自由」が一人暮らしにはあるという。確かに。そして年金の多寡や将来をいろいろと問いかける人に対して一人を楽しく生きている人はそんなことは問題にしていないそうだ。これも当たっている。今を楽しく生きるのに金銭や先のことは関係ない。今やりたいことを楽しんでやればいい!そうすれば病気も逃げていく!

2017年9月22日金曜日

『タイを知るための72章第2版』

 最近癖になりつつある習慣がある。それは野球を見ながら本を読むこと。とはいっても野球のテレビ観戦は音を消してみる。それでも野球に集中する時はこの限りではない。NHK・BSでのプロ野球中継は実況の主音声を副音声にできる。これもNHK総合の地デジではそれも不可能。嫌な人の実況や解説は耳障りで仕方がない。ということで音を消して本に集中。

 昨夜もそうだった。お蔭で昼過ぎから読んでいた『タイを知るための72章第2版』(綾部真雄編 明石書店、2014年)を読み終える。タイで目にした国王への喪に服す人々の忠誠心。これは国民一人一人のこころからの行為なのか、それとも国からの強制なのかそれが知りたかった。日本であれば昭和天皇亡き後、全国民が喪服を着て喪に服すことはなかった。はっきりとこの本にこのことが書いてあったわけではない。自分なりに読んでいくと多少なりともわかって来た。

★地方行幸と王室プロジェクトの導入という2本立ての柱は、プーミポン国王の慈悲深さを示す重要な活動であると認識されており、その遂行のために多くの寄付金が集まる。汗を流して自らの足で地方行幸する姿が、国民に身近な君主というイメージを作り出していると言えよう。地方行幸の際に撮影された御真影は、さまざまなメディアによって再生産され続けている。そこかしこに設置された看板で、映画上映前の国王賛歌とともに流れる映像で、毎日の王室ニュースで、そして学校教育で使用される教材書の写真で、否応なしに目にする。~「国民のために奉仕する国王」というイメージは存在している。~だがこれは同時に、誰も「第二のプーミポン国王」にはなれないであろうことを示唆している。47-48p

 「国民に身近な君主というイメージを作り出している」とあるように国王への喪に服す忠誠心の一部は政権側の圧力がいくらか入っているかもしれない。

 他にもタイには「タイはタイ(自由)でなければならない」というスローガンがあるらしい。タックシン元首相の政治的影響力排除のために一時的に軍の政治介入を示して先のスローガンを掲げ続けたという。しかし、「今後のタイ政治は、都市部住民だけでなく、農村部の人たちもタイ(自由)になることができるような状況を、国王の権威にも軍の政治介入にも頼ることなく作り出すという難しい課題に取り組まざるをえないであろう」とある。41p

 タイに出かける前にタイのトップの亡命騒ぎをテレビで知った。その際にも軍が介入している。タイは軍が政権を支持。その上に国王がいる。ということは前国王への喪に服す国民のとる態度は単に忠誠心だけにとどまらず少しは国からの強制力が働いているかもしれない。そういえば短期間のタイ滞在中、学校単位や職場や地域などの集団と思われる人々の参拝も目にした。所属する単位のトップの掛け声で出かける人がいるのかもしれない。

 それにしても今回は気になることを早く調べた。そして、旅の写真を早くもパソコンに取り込んだ。体調は今一歩風邪気味だけどやることは早い!どういっても来月には次の旅が待っている。ナニゴトも早めにしないと宿題が溜まりそうだ。

2017年9月21日木曜日

ピアノ合わせ

白い彼岸花
  ピアノ合わせを終えた後、広島駅まで川沿いを歩いて移動する。川沿いは公園になっている。見慣れた風景も通る度に季節の変化を感じさせてくれる。赤い彼岸花は目にしても白いのを見るのは初めて。早速携帯で写す。フルート教材一式を入れた袋をその辺りに放っていた。写真に気を取られ、気づくとそばに人がいる。とっさにフルートが気になりだす。自分の所持品の中では結構高価なフルート。大事にしなくてはいけない。

 そばに引き寄せるとその人はカメラに写した植物名を聞いてくる。しかし名前はわからない。聞いた人は近くのマンションに住んでいるという。ともあれ、ピアノ合わせは終わった。ICレコーダーに録音したものを公園内で聞いてみる。外の喧噪に音も消されてしまいそうになる。かといって家で聞くとこれまた聞けたものではない。そうはいってもこの録音を聞いて本番までフルートの練習をするしかない。

 それにしても動きすぎの毎日。旅に出る前からあっちこっちと出歩いていた。旅から帰ってもほぼ毎日外に出ている。これじゃ、いくら元気でも体が参ってしまう。それなのに、ちょっとでも元気が戻るとまたもや予定を埋めている。そういえば今朝の新聞に斎藤孝講演会の応募人数が出ている。聴講者は5,6倍の倍率のようだ。聴講券は今日発送らしく明日届くといいけど…。

 ここで余談。駅に着くと駅前のデパートに立ち寄る。地下の食品売り場でカープ優勝セールに行くとお菓子処高木も銘菓を売っている。購入していると見知らぬ人も立ち寄る。甘いものはほとんど口にしない。それでも買って帰る。手にする紙袋はカープ仕様だった。
植物名?

2017年9月20日水曜日

いろいろとありがたい!

 タイの旅の事務局から参加者への礼状が届く。お礼を言うべきはこちらの方なのでほんとうに有難い。参加者はお寺関係の方たちばかりで楽しい旅となった。また機会があればぜひとも参加したい。感謝!

 その後、フルートのレッスンに出かける。ナニゴトも時間どおりでないと嫌な性格。昨夜は姪に電話して久々に怒りを聞いてもらう。まるで我が母親のような存在の姪。これもありがたい。旅の疲れもあるのか本当に怒り心頭。それも時に爆発する。母がよく話していた「言いたいことは明日言え」。姪からこれに似たことを言われる。姪との電話で最後に気持ちがほぐれる。旅の礼状を市販のハガキで書いていた。それを姪から日本画展での私製ハガキに書いて出せば、とアドバイスされる。そうか、下手な絵でもたくさん印刷してある私製絵ハガキ。去年の絵ハガキのうちから1枚取り出して書いて出す。

 書いているうち他は辞めても日本画は辞められそうにない気持ちになる。毎年自分の描いた絵を絵ハガキにしてくださる。それを見る度、下手は下手なりにもう二度とは同じ絵は描けないと思う。夜なのに、ハガキを出しにポストに出向く。これでやっと怒りもおさまる。姪にも感謝!近いうち送るよ!

2017年9月19日火曜日

タイから帰ってその2

 タイのアユタヤ遺跡とスコタイ遺跡に行くと姪に話して、これまで聞かれ続けたことがある。それはウオーキング仏陀を見たかどうかだ。現地のガイドの話を聞いていなかったのかもしれないが改めてウオーキング仏陀とはと聞かれてもはっきりしない。先ほどネットで検索するとそれがわかった。スコタイの博物館にも展示されていたし、屋外にもその仏像はあった。写真に納めているのでこれから旅のブログをアップする際、忘れずに載せよう。

 どういっても今回のタイの旅は首都バンコクがメインでなく、アユタヤとスコタイ遺跡に行くことが目的だった。他の国へのトランジットで何度かバンコクに入っていても観光はほとんどしていない。ということでタイは初めて出かけたようなものだ。

 帰ってから一番関心があるのはタイの人々の国王への忠誠心。去年の10月、前国王は亡くなり、今タイの国中で喪に服している。というか、着飾ったと思えるほど黒い喪服の女性たち。日本で見かける喪服とは格段に立派な装いに見える。絶え間なく参拝する人々。これは国からの強制なのか。もしも共産圏であれば強制もあるかもしれない。しかしタイはそうではない。日本の天皇が亡くなったとする。その際、広島から誰もかれもが東京まで弔問に訪れるだろうか。

 この違いを知りたい。

2017年9月18日月曜日

前橋汀子演奏会に行く

 タイから帰った翌日は日本画教室へ出かけた。ところが今回の旅は暑さにまいったのか昨日は台風の影響もあって一日中家で寝ていた。今朝はやっと元気を取り戻す。今回の旅の一番の教訓は機内でマスクをすること。喉の調子が良くない。次回の旅からマスク持参で出かけよう。

 部屋の気温が20数℃あっても寒い。何を飲んでも食べても塩辛い。今朝はやっとこの状況から脱出。元気を取り戻す。どういってもこれから月末までハードスケジュール。その合間にフルートの練習もある。それなのに今一歩フルートをケースから取り出す勢いがない。今日から気合を込めてフルートの練習をしよう。

 タイに出かける前日、数か月前からチケットを購入していた前橋汀子の演奏会に出かける。もしも博多で前泊すれば前橋の演奏会も行かれない。ところが、何とか当日移動で演奏会に出かける。

 演奏会場所ははつかいち文化ホールさくらぴあ大ホール。廿日市のJR駅から市電に乗り換えようとすると横に市電が走っていない。あれ、と思って通りがかりの兄ちゃんに聞くと市電の乗り場はJR駅と大分離れていた。ともあれ、次回からは五日市駅で乗り換えよう。

 席は前から4列目でほぼ舞台の中央。何か月も前に買っていたチケット。いいはずである。それにしても前橋汀子は今年で演奏活動歴55年だそうだ。何といっても華のある人。真っ白いスパンコールの付いたロングドレスを纏ったその美しさは眼を見張るものがある。ましてや舞台での演奏も華がある。後編では真っ白から真っ赤なロングドレスに衣裳替え。いずれにしても美しい。

 演奏曲目は次のようであった。尚、ピアノにヴァハン・マルディロシアンを迎える。

エルガー 愛の挨拶
ヴェートーベン ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調Op.47「クロイツエル」第一楽章~第三楽章
ヴエニャフスキ モスクワの思い出Op.6
ドヴォルザーク わが母の教え給いし歌(クライスラー編)
ドヴォルザーク スラヴ舞曲Op.72-2(クライスラー編)
マスネ タイスの瞑想局
サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソOp.28
サラサーテ ツイゴイネルワイゼン

 アンコール曲として次の3曲が演奏された。
ドヴィッシー 亜麻色の髪の乙女
ブラームス ハンガリー舞曲第一番
ブラームス ハンガリー舞曲第三番

  演奏曲目の多くはフルートで吹いている。ともあれ、素晴らしい演奏会だった。それにしてもすべて暗譜で演奏とは…。それくらい何度も演奏しているということ!?

2017年9月17日日曜日

日本画展の案内状

 昨日は久しぶりの日本画教室。今月末に開催される所属する会の日本画展の案内状を受け取る。今年は例年より開催日が一日短い。教室に入ると机の上には他の日本画展の案内も数か所ある。自宅には日本の書展の招待状が送られる。さすがに芸術の秋。これから月末に向けての忙しさはピークに達する。その最後はフルート発表会。

 日本画展で展示する作品は先日、画材屋さんに持ち込み済み。3点のうち1点は出品者全員がM8のパネルに描く。残り2点は各自、それぞれの作品を展示する。昨日の教室では先生にもらった小さいパネルにいろいろと和紙を施してこれまでにスケッチしたものを作品に仕上げていく。とはいってもこれは半分遊びの領域らしく、変わった作品になるようだ。

 日本画展の開催場所は広島県民文化センター地階第一展示室。9月27日(水)~9月30日(土)。開催時間は午前10時から午後6時。この隣の展示室では所属する会にご夫妻で習われている2人展もある。ともに県美展に当選され、日本画と写真の2人展。近くに来られることがあれば日本画展に立ち寄ってください。

 ともあれ、この作品展が終わると来年に向けて新たな絵の制作となる。来年は今年よりもうまくなるといいけど…。さてさて。

2017年9月16日土曜日

タイの旅から帰ってその1

 タイの旅から帰ってきた。今回の旅は旅のしおりによると九州〇院薬師霊場会が主催されている。旅の内容もあまり知らぬまま、4年半前にスリランカの旅で知り合ったお坊様に誘われて参加する。旅の参加者は旅のしおりの通り、九州各地のお寺さんに関係する人たちばかり。福岡空港の集合場所での結団式で参加者の紹介がある。「檀家さん」ではなく「フレンズ」に訂正されて紹介される。これには笑ってしまった。

 以前の旅で知り合った3人のお坊様たちとの旅も今回が3回目となる。しかし、一番人を楽しくさせるお坊様は今回、体調を崩されて不参加。本当に残念。はやく快復されますように!今回の旅の参加者の大半はお寺の住職さんたち。日常全くお寺と無縁の生活を送っている。この旅では旅そのものが非日常。それに加えて旅の道中何度か唱えられる般若心経。貴重な経験をさせていただいた。とはいっても般若心経は名前は知っていてもお経は知らない。

 平常はお目にかかれない人たちとの出会いもあった。5日間と短いタイの旅。この詳細については後日、ブログにアップしよう。

 それにしても楽しい旅だった。楽しい…といえばいつも旅は楽しい。これも旅をやめられない理由かもしれない。旅をご一緒した皆さま、本当に楽しい旅をありがとうございました!

 新幹線のチケットは正規の運賃から6割引きと安い「おとなび」利用。定刻通りに飛行機が着陸しない場合を考えて着陸後3時間を見越してチケットを購入。そのため、わが家に着いたのは午後2時前。それから4時間後に眠りにつく。今朝の起床時刻は何と午前9時。15時間の睡眠となった。お蔭で今朝は気分爽快。たった4時間で旅の荷物を片付け、お風呂に入り、夕飯を食べ、山ほどある洗濯をした。

 どういってもタイは暑い国。何度か経由でタイに入ったことはある。しかし、ちゃんと観光したことはなかった。汗まみれになる下着や服。予想以上の暑さで観光後にシャワーを浴びては服を着替える。持ってきた数だけでは当然足りない。洗って着替えたり、お土産屋で買った現地調達の服を身に着ける。さすがにこれは快適。服は当然暑い国用の現地仕様になっている。

 ともあれ、楽しいタイの旅は終わった!今日からまた数日間の非日常から日常の生活が始まる。それにしても日本にいない間にカープはマジック1。一昨日の地元NHKのカープ視聴率は43%超えとか。ちなみに関東圏では6.6%。今日のカープの優勝が懸かった試合は台風の影響で怪しい限りだが…。

2017年9月10日日曜日

戦艦大和講演会&グレートネイチャー

 久しぶりに呉に出かける。その目的は「呉市潜水調査記念シンポジウム海底の戦艦大和」の講演会を聞くこと。講師として近現代史の専門家である加藤陽子と日本水中考古学調査会会長井上たかひこを迎える。加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著書などがある。これに刺激されて講演を聞く。聴衆の大半は中高年の男性。その中に交じって話を聞く。席は前から6列目。

 会場は呉市役所内にあるくれ絆ホール。ここへは初めて入る。呉駅から徒歩でかなりある。途中人に聞いては目的地まで歩く。9月とはいえ、まだ暑い。講演後、呉駅を目指すとなんと途中に呉市文化ホールがある。行きはかなり遠回りをしていたようだ。

 井上によると世界には300万個の船などが水中に眠っているとか。戦艦大和の調査に携わった井上は海底電話ボックスのお蔭で潜水しやすくなったという。これはいわゆる海のシェルター的存在?何か危険が迫ればこれに入るらしい。タイタニック、五島列島の潜水艦、第二氷川丸などを例にして話を進める。日本の水中遺跡はいろは丸など500あるそうだ。水中に眠るこれらの遺跡はフナクイムシや錆つららで腐食し、保存状態も悪くなる。劣化を防ぐには陸にあげるのがいい。しかし、それには費用面など大変なため、水中で保存。戦艦大和も全部を引き上げるのではなく、その一部でも…との案もある。しかしそれも大変らしい。

 「近代史の視点から、戦艦「大和」をめぐる社会背景を考える」は加藤陽子の演題。かなり詳細なレジュメをいただく。興味深かったのは当時の政府は目の前に起こっている「日中戦争」を「東亜の内乱」ととらえる姿勢。当時は陸軍中心の戦争で海軍は決戦1回のみの考えだったとか。陸軍は加藤によると暴君だった…。

 会場ではしきりにブログやインターネットでの発信をしないようにと呼びかける。それは写真やビデオのことだろう。ネットで検索すると加藤の動画は多くアップされている。これを注意喚起したにちがいない。

 ともあれ、興味深い話を聞けた。まだまだ分からないところも多い。加藤の本を徐々に読もう!

 話は変わって昨夜のNHKBSのグレートネイチャー。昨夜は1時間半にわたって「体感!グレートネイチャー『南西諸島1200キロ! 隆起と潮の大絶景』」が放送された。番組HPによると以下のようにある。

★日本の鹿児島から沖縄にかけて、200ちかくの島々が連なる南西諸島。そこは<大奇観の宝庫>だ。屋久島「巨大な一枚岩の滝」、「緑輝く屋久杉の森」、そしてモンスーンが生む「幻の滝」…さらに口永良部の「激烈火山」、沖永良部島の「サンゴ礁の奇岩群」、「地下空間・白亜の宮殿」…これらの絶景誕生の秘密をおっていくと、大地の隆起と暖流・黒潮の知られざる相互作用があった!1千万年に及ぶ海と大地の物語をつむぐ。

 こういう放送を見る度、日本にはまだまだ知られざる秘境がある、と思い知らされる。http://www4.nhk.or.jp/greatnature/x/2017-09-09/10/23612/2551087/ 番組HP

 ここにどう表現してよいかわからない。それほどまだまだ見たこともない世界がこの地球上にはある。せいぜいテレビを見て知るに限る!?

2017年9月9日土曜日

第373回広響定演&スーパーセンテナリアン

 第373回広島交響楽団の定期演奏会に出かける。その前に先日時計バンド交換を依頼した時計を受け取りにデパートへ向かう。バンドを交換しただけでも時計が真新しく見える。その金額13000円。安い時計が買えそうだ。

 デパートの同じ階には先日の会合に出席された人の個展もある。インドにさいさい出かけられるらしく、昨日の会場でもサリーを身にまとわれる。赤を基調とした作品が多いなかに仏様の絵もある。一見、不釣り合いと思えるが、不思議と会場にマッチする。

 絵を見た後は平和公園を抜けて定演会場へ向かう。公園内は夕方なのに観光客が多い。ホールに到着後、座席確保のチケットと交換。前から10列目だった。演奏開始まで時間がある。となりの情報プラザに出かける。ここでフリーペーパーを見ていると県内最高齢110歳の山下義一氏の記事を目にする。この人、以前にも何かに出ておられて知っている。それにしても110歳とはなんと素晴らしい。記事によると110歳はスーパーセンテナリアンというそうだ。

 背広を着た笑顔の110歳。介護施設で過しながらも月に一度はデイサービスに赴いて人々にお話をされている。毎日パソコンに向かい、目標は東京五輪まで元気でいることだとか。山下さんが提唱する「美しく老いるための生活十訓」も記事にある。これを書き留めるのは大変なのでここでは省略。デイサービスで話す内容はパソコンを使用。レジュメを作って心の整理整頓をしてお話しするそうだ。このレジュメ、110歳の人が話す言葉!?

 県内にもこういう素晴らしい人がいらっしゃる、と感動して演奏会場に移動する。昨夜の演奏タイトルは「クリスティアン・アルミンク 首席客演指揮者就任披露」と銘打ってある。演奏曲目は下記のようであった。

 リヒャルトシュトラウス ヨセフ伝説からの交響的断章 TrV231a

 ヴェートーベン 交響曲第3番変ホ長調OP.55「英雄」

 アンコール曲としてJシュトラウスⅡ世 🎵ナポレオン行進曲🎵が演奏された。ヴェートーベンはやっぱりヴェートーベン。この人の曲はいつ聞いても素晴らしい。

フリーペーパー記事から引用

 山下義一氏の写真はフリーペーパーから引用。この人もパソコンを生きがいにされている。昨年のモロッコの旅で知り合った人も頭の働きはパソコンから、と話されていた。どういっても110歳。元気に生きているだけでも素晴らしい。この写真の背面は本がずらりと並ぶ。もう、何度言っても素晴らしい人だ!
 

2017年9月8日金曜日

セレンディピティ!

 夕方5時。これから夕飯をと思う間もなくNHKドキュメンタリーが始まる。昨日は「驚き!地球!グレートネイチャー選▽炎の大地に太古の海を追えイラン・ザグロス山脈」。番組HPによると「日本のテレビ初となるイラン・ザグロス山脈の絶景!ペルシャ湾沿い二千キロに渡って連なる大山脈に秘められた塩の山や絶え間なく燃え続ける炎の山、岩塩洞窟などを大公開!およそ2億年前、超大陸の間に広がる海の底に蓄積したサンゴやプランクトンの死骸が石油の源となった。この地域が世界屈指の産油地帯となったのは、石油を含む地層の下に分厚い岩塩の層があったから。厚いベールに包まれてきたペルシャ大地の素顔をお伝えする」とある。

 番組紹介だけでも十分に放送内容がわかる。日本から同行した学者は草木の生えていないイランの山に入るとあるものを見つける。それは貝殻や動物たちの死骸が岩となった石灰岩。石灰岩の成り立ちさえも知らずにいた。ひとつの岩というか石ころだけでなく山全体が石灰岩でできている。そのあるところではタールが川に流れ込む。このタールは自然のもの。山のあちこちでもうもうと燃え続ける炎。イランが石油の産地であることがわかる。

 それにしてもいつも思う。なぜいい番組があるのにこれまで見てこなかったのだろう…。

 昨日は修了した大学から年に一度のホームカミングデーの案内が届く。これを受け取るたびに、大学で学んだ日々を思い出す。大人になって、それもリタイア後からの学び直し。それを想う度、どこから湧き出たのかと、そのエネルギーの源を問い直す。

 先日、某所で3人での立ち話のときだった。ある人は「感動がない」と話される。これには驚く。毎日が感動の日々。今朝もネットで野球解説者の北別府氏の記事を読む。お父様の訃報をブログに投稿。これを見て北別府氏の父親に対する愛を感じて涙が出る。ということで自分のことでなくても何かを感じることがあればすぐに感動してしまう。

 これは本でも新聞でもテレビでも音楽でも何でもかんでも…感動する。これも年を取ったからだと言われればそうかもしれない。ヒトは年々、年とって老いていく。老いていくことも自分にとっては毎日が初めての経験。これまでの人生もそうだけど、これからもどんなふうに老いるのか、我ながら楽しみ。突然の閃きで何をし始めるのか。この閃き、が楽しい。まさか絵を、まさか水泳を、まさか再び大学生を…と思いもつかないことを始めている。そう思うと老いていくのも怖くない。きっとまた想像できないような閃きが待っている。そう、セレンディピティ!これもすべては「感動」から始まる「情熱」!?

2017年9月7日木曜日

謝礼etc.

 地元紙の読者モニターのお礼としてクオカードが届く。その前日は知り合いのコンサートの手伝いとして謝礼を受け取る。これまでコンサートの手伝いでお礼をもらったことはない。というか仕事を辞めて15年。この間、年金以外の金銭的な収入はなかった。人から奢ってもらうことはあっても金銭のやり取りはない。いざ受け取ると何か変な気持ちになる。ということで手伝った2人の受け取り分を合わせていつもの3人での飲み会費用に充てよう。

 読者モニターで受け取った金券は同封された書類によると今回が初めてのことらしく100人だそうだ。こちら側から読者モニターに応募した覚えはない。ただ、地元紙の催しもの案内がメールで送られてくる度、コンサートや美術館のチケット・プレゼントに応募していた。モニター依頼はこのことによるのだろう。ともあれ、3か月の間、6回のアンケートに答えるだけのモニター。大したことはしていない。それでも謝礼をいただく。ありがたい。

 それにしても昨夜から雷を伴った大雨が降り続く。雷鳴が響き渡るさまは北朝鮮の核実験かと見間違えるほどすさまじい。ほんまにどうなっとるん!?このご時世、一寸先は闇、とは思いたくない。それでも何が起きても後悔しないようにせいぜい今を楽しまなくては…。

 画像は昨日のお墓参りの途中に咲いていたかわいい野の花。

 

2017年9月6日水曜日

フルートのレッスン&県立美術館へ行く

 県立美術館で日本画の先生たちの広島県日本画協会展が始まる。フルートのレッスン後、かなり遅めのお昼を食べて会場へ向かう。やっぱり一番のお気に入りは先生の絵。他にも知らない人の2作が気に入る。なかでも「オクラ最盛期」がいい。絵の好き嫌いは個人の好みが優先する。鮮やかな絵よりも渋い絵がいい。まあ、日本画ではそういう絵はあまり見られないけど…。

 帰りに1階のロビーで催しもの案内の気に入ったチラシを見つける。1枚は福井の若狭歴史博物館で月末から開催される「知られざるみほとけ 中世若狭の仏像」展。もう1枚は去年から行きたいと思っている華鴒大塚美術館。この秋は「上西竜二 描く」展がある。この人の絵画は見たことがない。リアリズムの作家だそうだ。

 展覧会情報を見てはいつ行くか、を考えるのは楽しい。ましてやその地がこれまで出かけたことがなければさらに楽しみとなる。福井とまでは行かなくても岡山県との境にある井原市。この華鴒大塚美術館へはぜひとも行こう。

 絵を見る前にフルートのレッスンを受ける。レッスン前に話が弾み、先生宅に長居をしてしまった。フルート発表会までに3度レッスンがある。徐々に近づいてきた感がある。さらう度、練習することも多い。頑張って練習しよう。その前に海外が待っている。なんと気ぜわしいことだろう。

2017年9月5日火曜日

「9月の随想」から

 動き回る日々が続く。さすがにお疲れ気味というところ。とはいってもまだまだハードスケジュールは続く。老体鞭打って…もいい加減にしないといけない。

 先日来からメディアで取り上げる「ヒトラー」の4文字が目につく。今朝の地元紙に「9月の随想」として作家の皆川博子が「19年も昔。<ニーチェをナチにに売り渡した女>のサブタイトルを付した『エリーザベト・ニーチェ』というノンフィクションを読んだ…」と書いている。「19世紀末、哲学者ニーチェの妹、エリーザベトが、南米にドイツ人を移住させ開拓させ新ゲルマーニアを建国するという計画を立て、移民を引き連れ海を渡った。~20世紀、ヒトラーのドイツは敗北、本国は焦土となったが、米国資本の助けもあって復興し繁栄する。しかし、南米の移民村は、その恩恵にはあずからず、貧困のまま。なかにそこそこ成功した人物もいる。マッキンタイヤーの著書は、現在も残る移民村探訪記とエリーザベトの伝記をない交ぜて構成している~」と続く。

 ヒトラーに関するこれらの本。皆川も移民村で<そこそこ成功した人>に会うために南米に飛ぶ。そして長編の連載の取材をする。だが、その宿で目にしたのは今話題の「火蟻」だった…。

 ポーランドで目にしたヒト・モノ・コトからヒトラーに関心を抱く。今朝の新聞記事でさらに興味が増す。こうなると『エリーザベト・ニーチェ』を読みたくなる。早速、図書館で借りて読もう。

2017年9月4日月曜日

某合唱団定演に行く

 知人たちが出演する某合唱団の演奏会に出かける。開演は14時から。早めに出かけて数人でプログラムに他の催しのチラシをはせる。数年ぶりに元の会場に戻った感の昨日の演奏会。久しぶりに会場に出向くと隣の教会と間違える。すぐに気づいて本来の会場へ急ぐ。数人の音大生の手伝いに交じって助っ人2人が加わる。チラシを入れ終えるころ新たに2グループがチラシを持参。また初めから入れなおす。

 昨日の合唱団の演奏会は25回目。自分が関係するフルートの発表会も日本画展も大凡それくらいの年数を経ている。25年前は世の中、景気が良かったんだろうか。そういえばフルートを習い始めて今年で丸25年。ということで合唱の手伝いもその年数にほぼ近い!?

 開演まで一休みしていると知り合いの合唱団員が近づいてくる。何を、と思ったらいきなりのハグ。スペインへ同行して以来だから6年ぶりのご対面。来年か再来年にまた旅行の話があるらしく、一緒に行こうと誘われる。旅行といえば一昨日届いた手紙にも12月の旅行の予定が記されている。いろいろな人から誘われる海外旅行。もしも12月に行くとなれば今年の海外は4度目となる。

 一遊び人が年に4度の海外旅行はこりゃ、いけんじゃろ?せいぜい3度くらいにしないと旅も長続きせん!今年もあと2度の海外が待っている。まあ、どうであれ、一緒に行こうと言ってもらえるだけでもありがたい!合唱団の他の数人からも声をかけられる。皆さん、スペインへ一緒に行った人たち。あれから丸6年が経った。まるで七夕のように一年に一度、この演奏会で遭遇する。この合唱団の定演にはフルートの先生をはじめ50数人がオーケストラとして参加。合唱団と合わせると総勢100人以上の盛大な演奏会になる。

 肝心の昨日の演奏会。演奏曲目は下記の通り。いずれもドヴォルザーク作曲。

 オルガン独奏 前奏曲ニ短調B.302
 交響曲第9番より第二楽章

 レクイエム1~13

2017年9月3日日曜日

画材屋&画廊へ行く

 NHKのBS「盗まれた長安 よみがえる古代メトロポリス」を見る。ところが野球を見た後の疲れで、途中から睡魔が襲う。3分の1ほど見て寝る始末。再放送があるといいけど…。それにしても考古学者よりも遺跡発掘泥棒の方が発掘に関しては一歩も二歩も勝る。発掘泥棒が残していたUSBメモリーを見た考古学者の驚きは眼を見張るものがある。ともあれ、再放送を期待しよう。

 テレビを見て草臥れるのも無理はない。午前中、月末に開催される日本画展の作品を画材屋に持参。3点の展示の内1点を画材屋でマットや額に入れてもらう。どういっても絵も馬子にも衣裳と同じく、マットや額で絵の雰囲気も変わって来る。係りの言われるままにマットの色や額の大きさを決めてもらう。後はその費用と相談となる。今回は2点は額など用意済みなので1点の購入でOK。それでも結構なお値段。当日、展覧会会場に無事届けば安心。ところが所属する会の名称を一文字間違えていた。お店の人に指摘されて知る始末。

 その後、三越の画廊によって八代亜紀の個展を見る。絵は描く人の個性が出る。見た目も華やかな人だけあって描く絵も何となく煌びやか。何かもの悲しさの漂う我が絵とは比べられない。どうすれば派手さが出る!?

2017年9月2日土曜日

「さびない鍬でありたい ~97歳 おひとりさまを生きる~」

 NHKのローカル放送、フェイス「さびない鍬でありたい ~97歳 おひとりさまを生きる~」を見る。番組紹介欄には「尾道市の山間に、97歳で単身生活をおくりながら、生き生きと豊かに暮らす女性がいる。モットーは“さびない鍬(くわ)”でありたい。畑仕事の相棒である使い古した鍬(くわ)になぞらえ、頭も身体も使い続ければサビつかないと語る。ひとりだけど、ひとりじゃない。地域の人たちと上手につながりながら、豊かに老いを楽しむ“知恵”に迫る。山里の美しい自然の風景とともにつづる、目からウロコの人生訓」とある。

 放送はまさにこの紹介通り。自宅が坂道を上がったところにある。どこへ行くにもこの坂を下らないと行かれない。背中には大きな籠を背負い、手に持つのは大きな鍬。この格好で坂道をうしろ向きになって下る。家の中はバリアフリーではない。部屋中の少しばかりの段差が運動になり、怪我しないようにと気を付ける。これがいいらしい。これまで生きてきた生活スタイルを換えず、昔ながらの方法で生きていく。お風呂も薪をくべる。

 親が部屋で転び、一瞬にして親子の立場が逆転した。この時から親に代わって何もかもやるようになった。昨夜のテレビを見て「もしかして親を構いすぎた?」と自問自答する。親が子を育てる時、「可愛い子には旅をさせよ」のことわざがあるように、ある程度は親が衰えても手助けしないのも親孝行なのかもしれない。とはいっても過ぎ去ったこと、もう考えまい。

 そう思いつつ、テレビに映る石井哲代さんの生き方は参考になる。元は学校の先生だそうで、小学校の生徒たちを自宅から出て毎朝見送る。卵は鶏2匹を飼って産ませてそれをいただく。近くにお店がなくて頻繁に買い物に行かれない。だが近所の人が冷蔵庫にモノを持ってきて勝手に入れてくれる。田植えのシーズンはこれまた定年後のご近所さんが手伝ってくれる。さらには自らがグループを作って週に一度集まり、楽器の演奏やクイズで遊ぶ。それも参加者自らが知恵を絞る。決して「お年寄りをいたわりましょう」の類でなく自らが楽しむ。そして亡くなった夫が書いていた日記帳も引き継いで書いている。その中身は「楽しいことを書く」、だそうだ。

 テレビを見ていて自分の生活スタイルと真逆と知る。生活必需品は100%お店で調達するモノとほぼすべてをまかなうモノとのこの差は大きい。昔ながらの生活スタイルは人さまから見れば不便に映っても本人にとっては体を動かして元気に生きる知恵かもしれない。

 その前に見たアフター・ヒトラー後編。ヒトラー亡き後、第二次世界大戦後のヨーロッパは落ち着くかに見えた。ところがヒトラーに代わって出てきたのがスターリン。ヨーロッパを共産主義の渦に巻き込んだ。ドイツ人をターゲットとしていた周辺国も次第にスターリンを怖れる。スターリンはすべてを嘘で固めて東欧を共産主義に染めていく。

 4日ほど続けて見たヒトラーの番組。ヒトラーもスターリンもどんな非道な手段を使ってもまるで正義をかざしたかのような生き方を貫いた。

 同じ生きるならば哲代さんを見倣いたい!ブログ投稿後に思い出す。昨日は午後からプールで泳ぐ。学校も始まり、子どもの姿もこのプールから消えた。シニア世代、せいぜいプールを利用しよう!

2017年9月1日金曜日

『古きもののこころ』

 『古きもののこころ』(井上靖 『日本教養全集15』 角川書店 昭和50年)を読んだ。ここにあげている『蜻蛉日記』と『更級日記』。若い頃に読んだかどうか覚えていない。改めて電子辞書に収めてある『蜻蛉日記』を読む。5年半前にすでに持っていた中国語対応の電子辞書。これにスペイン語対応のカードを差し込もうとした。ところが同じ電子辞書でも進歩の度合いが半端でなく対応しきれない。やむを得ず、4,5万円もするスペイン語対応電子辞書を購入。これは本当に優れモノで外国語対応辞書はもちろんのこと百科事典、植物、動物辞典ほかあらゆる機能がついている。日本の名作やクラシック音楽の演奏などもそれぞれ1000ずつ入っている。ただ、パソコンのような検索機能がない。

 その中の『蜻蛉日記』を読む。以下は井上靖が書いている個所。道綱の母が書いたと言われる『蜻蛉日記』。その生活はこれを読むと当時の女性の地位の低さがよくわかる。これは当時でなくても今でも当てはまるかもしれない。女性の自立が今ほどない時代の女性の生き方を思うと今のように外で働いて生活の糧を得て経済的に自立する。これは尊い。

 道綱の母のような生活を送ったことがない。それにもよるのか女の生涯がかげろうのように儚い、とも思わない。今のところ何とか自立している。これも大きな要因かもしれない。ともあれ、頼る人がいない生活を送っている。おのずと自分で何事も決めて…。それには楽しみも当然含まれる。人を頼っていては楽しみも何もない。これはこれでいい人生!?そう思って今日も楽しく!

★王朝日記文学ははっきりとここに一つの特色を持っている。…当時の女性の持った不幸が、女性の宿命として描かれ、それに対する怒りや悲しみが、いろいろな形において、読者の胸を打ってくるのである。…当時の貴族社会では公然と一夫多妻制が行われ、女性は男女関係の第一歩から、地獄の苛みを約束されていた。女性には自由はなく、いかに表面華やかに見えても、女の世界は暗い陰惨な箱の中に閉じ込められていたのである。…王朝日記文学は、こうした女性たちの悲痛な訴え以外の何ものでもない。女性は結婚し、あるいは恋愛し、その日から底知れぬ地獄の苦しみを受ける。そして長い苦しみの果てに、女の生涯はこのようなものであるという諦めがやって来る。女の一生は所詮うたかたの、かげろうのように儚いものである。こうしたあきらめの境地に達するには、すべてを宿世と見る宗教的なものへの縋りもあろうし、あるいはまた一人のに人間をふいに襲ってくる虚無的な悟りの瞬間もあろう。おそらく『蜻蛉日記』の作者も『更級日記』の作者も、こうした時、一夜思い立って筆を執ったに違いないのである。彼女らは書かずに居られなかったのである。――誰のためでもない。彼女ら自身のために。169p

 話は変わってアフター・ヒトラーを見た。戦後のドイツはナチスにより国土のすべてを破壊されて1000年前のドイツになった。ヒトラー亡き後のドイツの混乱は眼を覆うものがある。その腹いせはドイツ周辺国によるドイツ人への虐待。女性は焼け野原になったドイツ国内の戦後処理に駆り出される。ナチスの残骸もすべていなくなったわけではなく、74,5歳まで生き延びてひっそり暮らしたものもいたそうだ。街のあちこちで絞首刑やつるし上げなど殺戮される場面も映像に映る。大勢の前で裸にされた一人の女性が電柱にぶら下げられて、リンチを受け、上からドスンと地面に突き落とされる。どの場面もレア映像らしく、記録に残されている。

 戦後、ポツダムでの会議でスターリンとトルーマンなどが集まる。その際、スターリンはトルーマンをどこの田舎者かと馬鹿にする。その時トルーマンはメキシコでの原爆実験を試みると告げて実行する。これに敬服したスターリン。その後広島と長崎での原爆投下を知ってトルーマンを見下していたことに気付く。今夕はこの続きがある。