携帯のFOMAカードに保存していた母の写真。これを見ると年々というか日に日に衰えていく母の様子がわかる。母の誕生日や母の日には母の孫である姪が毎回、花束を贈ってくれた。それを母に持たせて写真に納める。写していた当時は写すことだけで必死だった。携帯カメラで写真の詳細を見ると日付までわかる。亡くなる1年前までは椅子に真っ直ぐに腰かけている。ところがそれも徐々に右に傾く。昨夜久しぶりに携帯の写真を眺めながらなんとひどいことをしていたのだろうと自責の念に駆られる。椅子に座ることさえもしんどかったのでは…。とはいっても水が飲めなくなっても食事ができなくなっても寝かせて水を飲ませたり1時間かけて食べさせたりした。それもこれも私の病院嫌いがあり、母にもこれを味合わせたくなかった。また母自身もたとえ動けなくても這ってでも家に居たい、との希望があった。最期まで家で親をみる、これは覚悟のことだった。ただ亡くなる3週間前、どうにもならなくなり、主治医と相談して母を救急病院にあずけた。我が生涯で一番悩んだことである。
なぜ朝からこんなことを書くのか。今朝の新聞投書欄に施設に預けた泣き言一つ言わなかった親が面会した時、「ついて帰りたいの~」と一言、話したという。亡母の寂しさ思う秋、とのタイトルだ。投書された方も好んで施設に入れられたわけではないだろう。そうはいっても親から切ない言葉を聞くといつまでもこの声が耳から離れないかもしれない。
家であれ、施設であれ、いずれであっても親を介護して満足ということはないのかもしれない。ともあれ、いずれは皆が辿る道。せめてそうなるまでは元気で楽しく過ごす、やっぱりこれに尽きる。
過去の話を話題にした裏には旧友が昨日、日本画展を見に来てくれたことにもよる。日本画の先生から〇〇さんが手土産持参で来られた。どうすれば…?とのメールが届く。古くからの友人でこのブログを見て会場に足を運んでくれたようだ。すぐに旧友にお礼の電話をする。母が亡くなってわが家を訪ねてくれたことがある。それ以来、しばらく会っていない。久しぶりに電話して近いうち会うことになった。〇〇さん、昨日はありがとう!
昨日は他にもタイの旅行に誘ってくださったお坊様からお寺の機関紙と現地で描いた葉書絵2枚を送付される。機関紙を読んでいると王宮近くで騎馬隊を見た。これは毎日の恒例行事?と思ったら昨年10月に亡くなられた国王の来月の葬儀の訓練とか。騎馬隊の写真を写していたのでその意味がつかめなかった。やはり訓練かもしれない。
ともあれ、旅に参加したお坊様たちからいろいろと送られてくる。ところが我ブログへの旅の記録はなかなか前に進まない。気ぜわしく毎日を過ごしている。一連の行事が終わればゆっくり書いてブログにアップしよう。それにしても物思いにふける秋、秋ですね~。
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