2017年9月25日月曜日

ゴッホの「靴」

 「あの日あの時あの番組」を見ていると100歳の双子で世の中に華々しくデビューしたきんさんぎんさんの姿がある。今、当時の映像を見ても話す言葉はユーモアにあふれ、またかわいい。その後は日本画家奥村土牛を見る。亡くなる寸前まで富士山に魅了された画家だった。テレビに映る土牛を見ているとその表情からゴッホを思い起こす。また、人が亡くなる寸前の顔とでもいうのか、父の顔もこの人を見て思い出す。

 土牛は歩けなくなってもご自宅の2階から家族に支えられて富士山を眺める。これを見て富士山を描こう、富士山の近くまで行ってスケッチしようと生きる希望を捨てない。最後の富士山のスケッチはその日が雨にもかかわらず本人の強い希望で家族に伴われて出かける。何歳になっても、たとえ体が不自由であっても自分がこれっと思えることがあることは素晴らしい。何が何でもこれだけは人に譲れないというかやり遂げたいと思うことが今のところない。

 裏を返せば一つのことに集中しなくても何でもできる可能性があるということ!?そう思うことにしよう。

 話は変わって秋の法要の塔婆を取りにお寺へ出向く。久しぶりに古いお上人と出会う。2,3年前、ひょんなことで小学校時代の他の学校の同級生の人たちの輪に入った。その時、知り合った人は歯科医であり、某寺の御住職だ。お上人はその人がお寺に来られた際、私のことが話題になったと話される。知り合ったきっかけを話していると話が長くなる。これを見かねたお寺の若住職夫人は長話をするようにとお茶を出してくる。一度だけしか会っていない知り合いは鈴木三重吉の活動をしている。なぜ?と思ったら、三重吉のお墓は知り合いのお寺にあった!

 長話を終えて塔婆をもって自転車で我が家に帰宅。その後、受け取った塔婆とお花をもってお墓に参る。水汲み場で水を入れた後振り向くと名前を呼ぶ人がいる。しばし、誰…!?長年会っていない親戚の人だ。そこでまた長いこと立ち話をする。若くして両親を亡くしていた。都市銀行に勤めているが来年の3月でやめることにしたという。まだ50代前半と定年退職の年齢ではない。50代半ばで会社を辞めた経緯がある。自分のことを話しながら、じっとせずにやりたいことをやるようにと言ってその場を離れる。すべては自分の人生。何があっても楽しく生きるのがベスト!!

 夜、日曜美術館で見たのはゴッホ。これを見て土牛をまた思う。ゴッホも土牛もこれまたいい!司会者はゴッホの「靴」がいいと話していた。しかし、この絵はゴッホらしくない。とはいってもやっぱりこれはいい絵だ!来年1月には今、北海道で開催中のゴッホ展が京都国立近代美術館で開催される。その時は「おとなび」を利用して京都へゴッホを見に行こう!

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